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六十一話 『限界越える狂気の怪物』

 合図とともに一歩踏み出した瞬間、心に悪魔が囁いた。いつもと、帝国と同じだな、と。


 猛烈に吐き気がして、思わずその場に崩れ落ちる。不審に思ってシーロンは足を止めてくれる。





 殺気が解けたシーロンは弱いか。否、静かな、底の見えないような強さを内包している。一切の隙は無く、死の気配が背中に迫るのを感じる。


 シーロンは恐らく俺より強い。今の、現時点の俺じゃあいつがミスしない限り負けるだろう。さっきからシミュレーションしてるが勝てるビジョンが見えねぇ。いつ、どこからでも切り伏せられる気がする。これが差か、明確に分かってしまう実力差かよ。


 俺はシーロンに勝てたことがない。帝国にいたとき、幼い時からただの一度も。それでか、勝つ未来が全く見えないのは。負けて当たり前、勝ったら奇跡。そんな考えが脳の奥から離れない。圧倒的な敗北の記憶、勝つ方法が分からない。いや、想像できない。


 じわりと全身に汗が滲む。なぜ、勝てない相手と俺は相対してるのか。なぜ、こんな大切な最後を俺に任せるのか。なぜ、この俺が僅かにも勝てると思った? いつも通り、何も出来ずにあっけなく終わる。動けない俺に刃を突き立て、シーロンは勝利を宣言する。それを見てラルフたちは、期待外れだと失望する。目に浮かぶ。


 才能のなさが露わになるたびに貴族がそんな顔をする。最初は笑顔で対応できた。自尊心とか、小さなプライドとか、俺を形成する物質が、ひび割れていくのは自覚していた。だが、まだ、耐えられた。幼いなりに仮面をかぶり、壊れていく己をひた隠した。


 悪気はなかっただろう。精一杯隠そうとしてくれただろう。しかしあるとき、初めて見せた父さんのその顔(失望)が、俺の仮面を叩き割った。偽りの感情は零れ落ち、醜いものが露わになった。貴族の資格を失ったに等しい。そのときから俺は、その表情を、感情を向けられた瞬間、吐いた。家族にだけマシな顔を見せられたのは奇跡だろう。こんな歪な関係は、魔法授与と共に、決壊した。



 耐えられない、この場の全員の視線が失望に染まるのに。心が、モタナイ。さっきまで自信と狂気に染まっていた心は、一瞬にして塗り替えられた。シーロンによって帝国のことを思い出させられるだけで、いとも簡単に壊れていく。蓋をした記憶が呼び起こされる。猛烈な吐き気がして、後ろを向き、シンにバトンを、繋ごうとする。俺には……出来なかった。勝負に立つことすら、不可能だった。


 フラフラと倒れるようにシンにナイフを手渡す。



「え?」

「……頼む。俺は……やっぱ、でき、ない」



 失望の表情が来ると思った。溜め息の音が聞こえると予想した。

 実際に聞こえたのは、バチンという大きな音と、僅かな怒りの表情だった。続いて頬が熱くなってくる。叩かれたのか……。衝撃で地面にへたり込んでしまう。



「へ、何を――」

「甘ったれんな!」



 シンの怒号が耳に入る。



「数分前の自信はどうした! お前が何を感じたか知らないが! やるっつったんだろ! 散々悩んで覚悟決めたんだろ! 今更逃げんじゃねぇ! これはお前の役割だ!」

「あ……」

「余計なこと考えてんのか、随分と余裕じゃねぇか。問おう、お前の仕事は何だ」

「……シーロンを、倒す……か?」

「違う、殺すだ。甘えんな。分かってんなら早く行け」

「でも、俺、多分、勝てない」



 恐らく、俺は心の奥底では、「大丈夫、そのために俺がいる」とか期待してた。俺が立ち直る言葉だと思ってた。それは後から思えば、あまりに軟弱だ。



「は? 勝てよ。諦めんな。誇張一切なしで、()()()()獲りに行けよ。獰猛に、勝利を」



 脳を直接叩かれた。あまりに理不尽、だが、そうでなきゃ冒険者なんてやってらんないよな。魔王なんて夢のまた夢だ。



 ハッと俺は鼻で笑う。やっと自信が、俺が戻って来た。いつからそんな弱気になったのか。変わったんじゃなかったのか、帝国を出たときに。過去は過去、それはアーロン・アスレイドの過去だ。今の俺は、A級冒険者のアーロン。考えろ、諦めんな、勝つ。


 じゃあどうするよ。リザさんなら、母さんなら、S級冒険者なら、理想の俺ならなんて言う。「ミスを待て」、違う。「シンと戦え、シンに任せろ」、違うに決まってんだろ。



「限界越えろ」



 小さく呟き、しっくりくる。目に炎が宿る。



「悪いな、待たせた」

「随分と情緒不安定なことで」

「うるせえよ」



 そのとき、会場中を震わせた自信がある。騎士? そんなの知らん。荒れ狂う殺気をバラまきながらシーロンに近づく。



「シン、ありがとな」



 二度も俺を救ってくれて。


 悪魔、俺の心の弱さよ、今消え去れ。進化の邪魔だ。


 そしてようこそ、狂気の悪魔。



 ★ ★ ★



 俺がゆっくり近づいていくと、シーロンが駆け出した。それを見て俺も駆け出す。

 ご丁寧にさっき刃をしまっていたので、抜剣の姿勢だ。



 俺は感覚的に分かっていた。今の俺じゃシーロンに勝てない。勝つには、グラビオルを制する必要がある。

 いけ、成功しろ。



「『グラビオル』」



 だが、何も起こらない。失敗だ。



「ん?」

「くそが、『プレッシャー』」



 シーロンの動きが一瞬重く、遅くなる。しかしそれも一瞬。身体強化の強度を上げたのか重力を感じさせない動きで迫ってくる。


 そして、ぶつかる。耳をつんざく金属音と火花が舞う。


 ありえない重さだ。受け止めるので精一杯だ。すっと剣を流しナイフを振るう。



「小賢しくなって」

「死ね」



 小手先の技を流れるように披露し、若干驚きの表情を見せられる。剣は地面に軽く刺さりすぐには抜けない。


 ナイフが当たると思った瞬間、腹に強烈な衝撃。勢いのまま後ろに飛ばされナイフは虚空を切る。

 追撃が来る。速すぎて剣は見えない、銀色の剣閃だけが遅れて見える。倒れた俺に吸い込まれるように剣が振るわれる。



「食らってたまるかよ」



 すぐさま体を起こし剣を受け止める。



「『プレッシャー』ッ!」

「あれ」



 上向きの重力を最大限掛ける。押され気味だったナイフを押し戻し、平行に鍔競り合う。

 双方が同時に後ろに跳び距離を取る。


 会話はない。どちらもただ無心で腕を振るう。



 一呼吸休んだ後再び走り出す。



「『レビティ』」



 ふわっと空中に浮かび上がる。闘技場のはるか上まで飛ぶと、急速に落下する。こうでもしないとまだ発動できない。



「『グラビオル』」



 重力を感じながら彗星のことく落ちる。小さくシーロンの驚いたような声が聞こえる。魔力を練り、集中して、今感じている現象を再現する。


 落下スピードが先ほどと比にならないほどの速度で上がる。制御できないほどの力が漲る。



「さあ、受けてみろよ」



 空間が歪むと錯覚するほど大きな重力を実の弟に叩きつける。



「ぐあっ!?」



 重力によって全ての行動を阻害される。流石に無事に立っていられる魔法じゃない。膝を折り、地に伏せさせる。


 今が最大のチャンスだ。潰すぞ。



 異常なほどの重力を纏って蹴りを放つ。速さも威力も段違いな蹴りがシーロンの腹にぶち込まれる。まだ未完成な魔法だが、威力は今までの比じゃない。


 悲鳴を出す間もなく後方へ吹き飛ばす。何度もバウンドし、地を這いつくばらせる。



 追撃を加えようとすると、シーロンが声を上げる。



「……あまり、見くびる、なよ。最強になるのは――」



 ほんの一瞬、シーロンの瞳に何かぞっとするようなものを感じた。思わず足を止めてしまう。



「――僕だ」



 本当なら声を上げることすら許されない程、圧倒的な暴力。しかし、シーロンは不穏なものを感じさせながら、骨にひびが入るのを無視して立ち上がる。

 ありえない、これは本当に身体強化の効果なのか?


 俺と似ている、兄弟ということか。初めて客観的に分かった。これが、()()というものか。



「ひゅう、狂ってんね」

「あぁ? 舐めた口きくなよアーロン」



 莫大な重力を纏いながら迫る。逆に莫大な重力を物ともせずに駆ける。結果は、俺が吹き飛ばされた。今までの剣戟とは比較にならない強さ。左腕から派手に血しぶきが舞う。何が起こった?



「剣技にはさ、魔法とかを受け流すってものもあるんだよ」



 受け身を取れず、地面をバウンドするとき、妙に近いところから声が聞こえる。まさか、吹き飛ばした俺に追いついたのか。目の前に剣が見える。


 咄嗟に顔をガード。衝撃と熱さを感じる。横に転がり、左腕が使い物にならなくなった。しかも集中が切れてグラビオルが無くなった。最悪だ。



「感謝する。莫大なエネルギーだった」



 思い切り下から上に蹴り上げられる。ふわっと空中に浮く。今じゃ忌々しい弟の顔を見つめ、ふらつく体で思い切り蹴る。


 見事に顔面を蹴り飛ばせた。反作用で後ろに下がり休憩する。顎を蹴られたから全身ががくがくする。まずいな……。



 口の中に溜まっていた血を吐き出す。左腕はもう無理だな。



 深呼吸一つ、それで再度走り出す。シーロンはまだ回復していない。俺に分がある。体はミシミシ言って限界を主張してくる。


 目はまだ死なない。さあ――



「限界越えるぞ」



「その場で新技を成功させる」、だ。なんか考えるぞ。俺は深めの傷を負ってるがシーロンには何一つ致命傷が入ってない。このままじゃジリ貧だ。



「『ヘビリティ』」



 右腕、違う。ナイフにだけ一点特化で重力を掛ける。もっとだナイフの先、そこだけに掛ける。


 ナイフを握りしめ、シーロンに叩きつける。一歩下がって剣をナイフに合わせてくる。だが、俺のナイフは重いぞ。



「あ?」



 小気味よい金属音を立てて剣がはじかれる。初めて、この戦いの中で初めてシーロンの剣を崩す。姿勢が崩れたシーロンに追撃を加える。重いナイフを体に――突き刺す。


 肉を食い破っていく感覚。剣が下手だったから何気にはじめてに近い感覚だ。繊維を千切り、血が噴き出していく。

 体との間に腕をはさまれたが、初めて与えたまともな攻撃。シーロンの口が歪む。



「く、そがぁ!」

「え?」



 そのままの勢いで腕を切り裂く。だが、少しばかり油断した。防御を捨てたシーロンの剣は易々と俺の足をぶった切る。俺はもう満身創痍だ。



 技を編み出せ。じゃないと――マケル。マケテシマウ。絶対に、ミトメナイ。



 恐怖と狂気に染まり、ナイフを振るう。だが、圧倒的な戦術ミス。ナイフを根元から切り落とされた。

 刃を無くしたただの棒は空を切る。



 意識が甘くなった。その隙に、俺の腹部に深々と剣が刺さる。背中側に少し冷たい感触、まさか貫通したのか。腹全体が熱く感じる。体中の細胞が熱い、痛いと叫んでいる。しかし、脳は冷たい。至って冷静に現状を見ている。



 今。ここから勝つにはどうすればいい?



 ナイフはない。ならどうする?



 殴って殺す。一発でだ。



 はあ、と優しい息を吐こうとすると、代わりに口からありえない程の血が垂れ流される。息も絶え絶えになって一言話す。



「捕まえた」

「……ぁ?」



 シーロンは若干焦って剣を引き抜こうとする。腹の中が引きちぎられ悲鳴を上げる、だが、構わない。

 限界越えろ、頑張れ。

 腹筋を最大活用。剣を何とか引き留める。



 一発、一撃。生半可な物じゃ足りない。確実に殺さなければ、勝機は潰える。


 頭が回る。残り少ない命を全部この一瞬に捧げろ。



「1%を100%に引き上げる。それが、限界越えるだ」

 話せない分、頭の中で声が響く。少し違うか、まあいい、大体こんなこと言ってたな。



 グラビオルを、100%に、今、引き上げろ。



 命を削って脳が回る。必死にあの感覚を思い出す。一か八か、いや、100%再現する。回せ、思い出せ。

 体が端から冷えていく感覚すら意に介さず頭を回す。

 静かに、詠唱する。祈る? そんな馬鹿なことは無い。信じろ、俺を。限界越えた俺を。



 ふっと、周りが白く染まる。自分以外何も見えない空間に放り出される。それを不思議に思うことなく言葉を紡ぐ。



「『グラビオル』」



 右腕に、突然制御しきれないほどの重力が舞い降りてくる。だがこの白い空間の中なら易々と制御できる。

 右腕にあらゆるものを引き付けるように重力を纏い、目の前にいるであろうシーロンに向かって、全力、命を乗せた突きを、炸裂させる。



 瞬間、視界が戻る。シーロンの吐いた血が顔にかかるが気にしない。ついでとばかりに、突き放すように強力な重力を、叩きつける。



 ★ ★ ★



 突きが内臓をかき乱す。衝撃が内部に溜まり、臓物を引き潰す威力だ。一瞬遅れて大きく吹き飛ばされる。

 さっきとは比較にならない威力で、闘技場の壁まで叩きつけられ、背中が痺れる。手が、体全てがほんの少しも動かない。



 兄がやってくる。



「俺の、勝ちだ」



 はあ、と息を絞り出す。全ての力を使って一言。



「僕の、負けだよ」



 ここで僕の意識は闇に落ちた。



 ★ ★ ★



 特訓会決勝、シーロン・アスレイドの死亡により、アーロン、シンの勝利。



 通過者、ラルフ・ランド、アリス・ベルモット、シン、アーロンの以上四名。

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