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「あらあら、困ったわねぇ」


 マリアライトは嘆息した。トパジオスの周囲に植えた種が成長し、無事に咲いた花の様子がおかしいのだ。

 ベルのような形をした赤い花だが、その中を覗き込んでみると無数の白い歯がびっしり生えており、それで食べていた。自分と同じ種類の花を。

 自分が育てた植物が共食いを始めている。元気に育ってくれたのは嬉しいが、このままでは数が減ってしまう。

 自然界のバトルロワイヤルに頭を悩ませていると、隣に誰かが立った。


「あなたは……」


 顔を隠すほどの茶髪と、泥で汚れた白いドレスの少女。

 以前もどこかで会ったような。マリアライトが思い出そうとしていると、少女は喰い合っている花へと手を伸ばした。

 すると、花たちは一斉に動きを止めて大人しくなる。


「あらら……?」

「一時的に眠らせました。それと、もっと栄養価の高い肥料を与えてください。そうすれば共食いを起こすこともありません」

「はい、ありがとうございます!」

「今のは一種の暴走のようなものです。そして、暴走を根本的に止めるためには、力以外の『何か』が必要となります」


 真面目な表情で頷いていたマリアライトだったが、大事なことを思い出す。


「そうでした。あの、よろしければお名前を教えていただけませんか?」


 きっとまた会う時が来るはずだ。その時のために名前を聞いておかなければ。マリアライトが目を輝かせながら訊ねると、髪の間から覗く少女の唇が弧を描くのが見えた。


「私は──」




「……ライトさん、マリアライトさん! しっかりするっす!」


 この声はレイブンだろうか。自分を必死に呼んでいる。


「レイブン様……?」

「あっ、起きた! どっか痛いとこないっすか!?」

「いいえ……すみません、いつの間にかお昼寝をしてしまったみたいで」

「そうじゃないっすよ。あんた気絶してたの!」

「気絶?」


 マリアライトは目を丸くしたが、おかしな点はそれだけではなかった。

 何故か瓦礫だらけの外にマリアライトとレイブンはいた。いや、二人だけではない。兵士たちが瓦礫をどかして埋まっていた職員を救出したり、負傷した者たちに職員が治癒魔法をかけている。

 だが、シリウスがいない。


「シリウス様はどちらに?」

「……あそこっす」


 レイブンの視線の先には巨大な光の塊があった。その中心でフォボスの猫が、全身の毛を逆立てながら咆哮を上げている。

 フォボスの猫を囲むように兵士や職員が立っており、彼らの中にシリウスの姿もあった。

 シリウスたちは、光の中に猫を閉じ込めているようだった。


「ああやって猫を防壁魔法の中に封じてるんす。そうしなかったら、今頃俺ら皆殺しにされてるっすよ」

「どうしてそんな物騒なお話になってしまったのです……?」

「フォボスの猫が持っている『特性』が、デネボラのせいで引き出されたんす」


 忌々しそうにレイブンは舌打ちした。


「攻撃を受ければ受ける程、魔力を溜め込むって特性なんすけどね。デネボラにやられた二回分の魔力で、施設を吹き飛ばしたんす」

「二回だけで……すごいですねぇ」

「あの時猫の側にいた俺たちは、シリウス様が咄嗟に使った防壁魔法のおかげで助かったっす。だけど、兵士たちがシリウス様を助けようとして、一斉に攻撃魔法を撃ったせいで……まあ、今に至るわけっすよ」


 レイブンの顔は真っ青になっていた。それほどまでに深刻なのだろう。マリアライトたちと同じように見守っている兵士たちも、絶望の表情を浮かべている。


「俺らもそろそろ避難するっすよ。救援要請はしたけど、シリウス様たちがいつまで持つか分かんないっすからね。あんなもんに暴れ回れたら、セラエノどころか人間の国まで滅びかねないっす」

「シリウス様を置いて行ってしまうのですか?」

「……俺、マリアライトさんを守るように命令されてるんで、それを優先させないと」

「…………」


 マリアライトはシリウスたちへ視線を向けた。

 皆、辛そうな顔をしており、額に汗を浮かべている。魔力を大量に使い過ぎると、極度の疲労状態に襲われるらしいが……。


「げほ……っ」


 一人の兵士が血を吐きながらその場に崩れ落ち、猫を覆う光が一瞬だけ弱まった。


「ニャァァアッ!!」


 防壁魔法を破った猫が一際大きな鳴き声を上げると、周辺の瓦礫が浮遊した。それが砕けて自分を閉じ込めていた者たちへと襲いかかる。


「シリウス様!」

「お下がり下さい、マリアライト様!!」


 反射的に駆け寄ろうとするマリアライトをシリウスが制止の声を上げる。それと同時に、猫は再び防壁魔法に閉じ込められた。

 立っているのはシリウスだけだ。他の者たちは瓦礫を身に受けて倒れている。

 しかし彼自身も攻撃を受け、頭や腕から血を流していた。


「父上なら何か良い手立てを考えるはずです。それまで……俺が食い止めるので、あなたは早くお逃げください……」

「ですが、シリウス様を置いてはいけません」

「俺なら心配いりません」


 シリウスは痛みで眉を寄せながらも、マリアライトへ笑いかけた。


「ですが……」

「……お願いです。早く逃げてください。あなたに何かあれば、俺がここで命を懸けている意味がなくなってしまいます」

「行くっすよ、マリアライトさん!」


 レイブンがマリアライトを抱えてその場から走り去っていく。遠ざかっていく二人を安堵の表情で見送り、シリウスはフォボスの猫へと向き直った。


「お前は兄上の被害者だ。哀れに思う。だからこそ、お前には誰も殺させない……!」




 防壁魔法の光が小さくなっていく。シリウスが見えなくなる。

 マリアライトはぼんやりとその光景を見詰めていた。


「だ、大丈夫っすよ。あの化物殿下が猫相手にやられるわけないじゃないっすか」

「…………」

「きっと陛下が何とかしてくれるっす……」

「暴走を根本的に止めるためには、力以外の『何か』が必要……」

「は?」

「夢の中で、誰かが言っていたことです」


 レイブンが足を止めてマリアライトの顔を覗き込むと、彼女はこんな絶望的な状況にも拘わらず微笑んでいた。


「あの猫さんを止めてみましょう」

「と、止めるたって……無理っすよ、あんなの。どうやって倒すつもりなんすか!?」

「倒すのではなく止めます。これを使いましょう」


 マリアライトが取り出したのは、巾着袋だった。


「それ何すか?」

「お花の種が入ってます。シリウス様がくださったのです」

「何でそんなの持ち歩いてるんすか!?」

「『コーネリアに何かされそうになった時は、急いでこれを咲かせてください』と言われていたのですが、特に何もされていなかったので……」

「つーか、そんなんでどうすんの……?」


 流石の聖女も、恐怖で頭がおかしくなってしまったのだろうか。訝しむレイブンを余所に、マリアライトは足元の土を手で掘ると、穴の中に巾着袋から出した種を落とした。


「それでは……いきます!」


 種が植えられた土に触れながら、マリアライトが瞼を閉じる。

 次の瞬間、聖女の体を目映い光が包み込んだ。


 

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