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マリアライトが神獣たちに手渡しで果実を与えていると、突然施設の中に大勢の兵士が駆け込んで来た。大人しくしろと叫ぶ兵士と、神獣が怯えるから静かにしろと怒鳴り返す職員。彼らの声にびっくりして暴れ出す神獣。施設内は混沌と化していた。
そんな中、マリアライトに気付いた兵士の一人が事情を説明してくれたのだ。
自分たちはシリウスの指示により、神獣の不法飼育を行っている職員を捕えに来たのだと。
そして、シリウスたちのいるこの部屋まで連れて来てくれたのである。
「……では、レイブン様がデネボラ殿下に仕えていたのは、この神獣が飼育されていたお部屋を見付けるためだったのですか?」
「はい。デネボラが保護した神獣の一部をどこかに閉じ込めていたという疑惑が浮上したんです。ですが、その場所を特定することが出来ず、そこで一芝居打つことにしたんです」
「偽の機密情報を用意して……デネボラに気付かれたら終わりっすからね。陛下以外には秘密の極秘作戦だったんす」
「マリアライト様、あなたにもこの件は伏せていました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
シリウスが申し訳なさそうに詫びる。
作戦なら仕方ないので謝らないで欲しい。そう思いながらマリアライトは檻に入った神獣たちを救出する兵士たちを眺めていた。
「だが、神獣保護施設にマリアライト様がいらっしゃったとは……聞いていないぞ、レイブン」
「俺だって、デネボラがここまで大胆だとは思ってなかったすよ! 偽の許可書まで用意してるなんて……それにマリアライトさんも人が悪いっすよ」
「はい?」
「……デネボラに仕えてるのが演技だって気付いてたでしょ?」
恐る恐る訊ねるレイブンに、マリアライトの首がこくんと、縦に動いた。
「ですけど、何か理由があるのかと思って黙っていました」
「……ちなみに分かったんすか?」
「どうしてでしょうか? そんな気がしたのです」
「何となくねぇ……あんたに『頑張ってください』って言われた時に、『あ、気付かれてるわ』とは思ったけど」
そう嘆きつつも、レイブンはどこか嬉しそうだった。そんな従者をシリウスが睨む。
「マリアライト様の物真似が下手にも程があるぞ。可憐さが微塵も感じられない」
「感じられなくていいんすよ」
「そんなことはありません。とっても可愛かったですよ、レイブンさん」
「マリアライト様がそうおっしゃるのであれば……」
「黙れバカップル!」
顔を真っ赤にして怒り出すレイブンを温かい目で見守っていたマリアライトだが、何かを思い出したかのように室内を見回す。
「如何されました?」
「デネボラ殿下がいらっしゃらないと思いまして……」
「兵士が檻から神獣を出そうとした途端、『私のコレクションに手を出すな』と魔法を使おうとしたので、一旦外に連れ出しました」
説明するシリウスの声には失望の色が混じっていた。
「あの人は神獣を生物ではなく、単なる物としてしか見ていなかったんです。その異常性をもっと早く気付くべきでした……」
「シリウス様は何も悪くありません」
「いや、デネボラが行っていたことは神獣の飼育だけではなかったんです。密猟者に傷付けられた神獣を保護してその功績を得る。これも仕組まれていたことだった」
「簡単に言えば自作自演っす」
レイブンが呆れたような口調でそう言った。
「自分や自分の部下が神獣を攻撃して、弱ったところでこの施設に連れて来る。何も知らない職員は警戒心剥き出しの神獣たちを必死に手当てする……こんなとこっす」
「そうだったのですか……」
マリアライトの脳裏に蘇るのは、デネボラに威嚇していた神獣だった。彼らが異様なまでに怯え、怒りを覚えていた謎が解けた気がする。
「救いようのないクズっすよ。神獣保護を謳っておきながら、こんなあくどいことをやってたんすから」
「デネボラ殿下は、どうしてそのようなことをなさっていたのでしょうか?」
「……それはこれから聞き出して行きます。さあ、マリアライト様。一旦ここから出ましょう」
シリウスがそう促した時だった。
「ギニャ─────ッ!!」
甲高い猫の鳴き声が暗がりの部屋に響き渡った。
「うわっ、何だこの猫! 羽根が生えてるぞ!?」
「こんな神獣なんて初めて見たぞ……」
「と、とりあえず落ち着かせよう。他の奴らに比べて警戒心も強いようだからな」
一つの檻を兵士たちが囲んでいる。好奇心が疼いたマリアライトがそわそわしていると、様子を見に行ったレイブンに手招きをされた。
「シリウス様とマリアライトさんも見てみるっすかー?」
「おい、レイブン。面白がっている場合か」
「まあまあ。だって、こいつ多分『フォボスの猫』っすよ」
その名前を聞いたシリウスが目を開いた。
「そんな……まさか……実在していたのか?」
「珍しい神獣さんなのですか?」
「はい。神獣の中でも特に希少性が高く、古代文献に記されているものの、架空の存在とされていました。そんなものまであの男は……」
込み上げる怒りを抑え切れず、シリウスは奥歯を噛み締めた。
「ウゥゥ……」
檻の中を覗き込むと、真っ黒な子猫が毛を逆立てて兵士たちを威嚇していた。何とか宥めようと鉄格子の隙間から切った果実を差し入れてみるが、特に効果がない。
一見ただの黒猫なのだが、よく見ると背中から蝙蝠の翼のようなものが生えている。
「怯えているみたいですねぇ……」
「こうして捕まっているところを見ると、まだ『特性』には目覚めていないようですね」
「特性ですか?」
「このフォボスの猫は文献通りなら、厄介な特性を持っています。それが引き起こされる前に落ち着かせなければなりません」
深刻そうに眉を顰めるシリウスに同意するように、レイブンや兵士たちがうんうんと頷く。
部屋の外では何やら騒がしくなり始めていた。
「お下がりください! あなたの立ち入りを禁ずるようシリウス殿下より命を受けております!」
「黙れ、私に命令するな!!」
何とか諌めようとする兵士に怒鳴る声。声の主が部屋に駆け込んで来た。
「ここにいる神獣は全て私の物だ! 横取りすることは許さないぞ!!」
両手を後ろで縛られた状態で、デネボラが唾を撒き散らしながら喚く。怒りで我を忘れているのか、目の焦点が定まっていない。
その有様を見て、シリウスが兵士に「あれを外に連れて行け」と冷静に指示を出す。
だがデネボラは自分を取り押さえようとする兵士に体当たりし、フォボスの猫が入っている檻に飛びかかった。
「こ、この猫だけは絶対に渡さないぞ! フォボスの猫だぞ!? 私が見付けた、私のペットだ……!」
「……おやめください、兄上」
「うるさい! 弟が兄に指図するな!!」
「指図します。これ以上、兄が醜態を晒す姿を見たくありませんので」
「…………っ」
『弟』からの言葉に、顔を歪めたデネボラを兵士たちが連行する。シリウスは大人しくなった兄を一瞥したあと、檻から出されたフォボスの猫に視線を移した。
猫には目立った外傷はないものの、痩せ細っている。
可哀想に……。あまりにも悲惨な様子にマリアライトが口を手で覆った時だった。
『あいつだ。あいつが僕を傷付けた』
幼い子供の声がした。
「え?」
「マリアライトさん? どしたんすか?」
「今、声がしたのです。『あいつが僕を傷付けた』と……」
しかし室内に子供は見当たらない。だったら、どこから? と混乱しているとまた声が聞こえた。
『背中に火の玉をつぶけられた。逃げようとしたら脚を折られた。痛いって言っても、止めてくれなかった』
強い憎悪を滲ませた声だ。
「背中に火の玉をぶつけられて、脚も折られたと言っています……」
「……マリアライト様、声はどこから聞こえますか」
「ええと、こちらからですねぇ……」
マリアライトの視線の先。そこにいたのは兵士に抱えられたフォボスの猫だった。
『お母さんのところに帰してくれなかった。許さない……許さない!』
猫の目が血のような赤色に染まった。
「許さないって言ってます」
翼を大きく広げて、フォボスの猫が肉食獣のような獰猛な咆哮を上げる。その直後、マリアライトの目の前が真っ赤に染まった。




