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「皆ー! 今日はたくさん食べていいわよ!」


 職員がマリアライトの育てた果実を神獣に与えていく。神獣たちも初めは警戒しているようだったが、くんくんと果実の匂いを嗅いでから嬉しそうに齧り付いていた。

 よかった、とマリアライトが安堵していると、数人の職員に涙ぐんだ表情で「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べられた。


「聖女様のおかげで、神獣たちに満足な食事をさせてやることが出来ます。我々だけではどうしようもなかったので……」

「皆様のお悩みが解決したようでよかったです。それに私も初めて育てる種類ばかりでドキドキして楽しかったです」

「聖女様……あなた様がこの国にやって来てくださって本当によかった……」

「私も心からそう思うよ、マリアライト様」


 デネボラがマリアライトの手を握ろうとするが、足元に転がって来た果実を拾うためにしゃがみ込まれたので失敗に終わった。何も知らない職員がマリアライトに礼を言って果実を受け取っている。


「デネボラ様、悲しそうなお顔をされていらっしゃいますけど……?」

「いや、大丈夫だ。それで話の続きだがね、私はあなたに感謝するとともに強い敬愛を抱いている」

「ありがとうございます。ですが、私は神獣さんたちを救おうとするデネボラ殿下の方が素晴らしいと思います」

「……そう思うのであれば、私のもう一つの願いを聞いてくれないだろうか?」


 目を細め、どこか艶のある声でデネボラが言葉を続ける。


「これからも私のために動いてくれると助かる。出来れば……シリウスには秘密で」

「シリウス様には? 何故でしょう……?」


 マリアライトの疑問に、デネボラは苦笑した。


「あなたはシリウスの妻となる女性だ。他の男に手を貸していると知れれば、あなたの印象が悪くなることは目に見えている」

「人助けも簡単に出来ないなんて、大変な世界ですねぇ……」

「無論、あなたへの見返りは用意するつもりだ。欲しいと願ったものは何でも揃えるし、気に入らないと思った相手も消してみせよう」

「うーん……それはちょっとやり過ぎではないでしょうか?」

「そのくらい、君に熱を上げているということだ……」


 低い声で囁かれ、マリアライトは瞬きを数回繰り返した。

 そして、困ったように笑いながら緩く首を振る。


「私が一番欲しいと思っているものは、シリウス様がくださっているので大丈夫です。それに皆さんのことはとっても大好きなので、気に入らないと思う方はいらっしゃいません」

「……別にシリウスではなくても用意出来ると思うのだが」

「そうかもしれませんけれど、私はシリウス様から欲しいのです」

「そ、そうか……妙なことを言って済まなかった。私は少し用事があるから外させてもらおう。その間、ゆっくりと見学しているといい」

「はい。のんびり楽しませていただきますね」


 にこやかに頷くマリアライトに、デネボラは「では失礼」と言って背を向ける。

 その表情は不快そうに歪められていた。




 要人以外は立ち入りを禁止されている通路を歩きながら、デネボラは舌打ちをした。

 怒りの対象はあの聖女だ。

 ピシアにいた時も王太子の婚約者だったそうだが、扱いはさほどいいものではなかったと聞く。なので好待遇をちらつかせれば、簡単に釣られると思っていたのだが、その予想は大きく外れてしまった。

 レイブンの言う通り、何も考えていない頭の悪い女だった。

 だが、それだけではない。大樹のような芯の強さを持っている。ああいうタイプが一番扱いにくいのだ。


「どうにかして、彼女を私の物に……」


 シリウスよりも、自分に心を傾けるようになってもらわなければ困るのだ。マリアライトの存在を知った時に思い付いた『計画』が頓挫してしまう。


「どうしたんすか、デネボラ様。何かイライラしてるみたいっすね」


 軽薄な声は前方からだった。レイブンが気遣いの眼差しをデネボラに向けていた。


「ああ……マリアライト様との交渉が上手くいかなかったのだよ」

「あー……もしかしたら、協力はするけどシリウス殿下に内緒にしてくれないかって頼まなかったっすか?」

「よく分かったな」

「あの人、そういうこと聞いてくれないと思うっす」


 レイブンは両手を上げながら肩を竦めた。短い間だが、マリアライトと交流があったこの男ですらこんなことを言うのだ。自分では彼女を制御するのは難しいとデネボラは悟り、苛立ちと絶望感に襲われた。

 そのことに気付いたのか、レイブンが「俺に任せてくださいっす」と元気づけるように明るい声を出す。


「マリアライトさんはとんでもなくお人好しっす。そこを利用すれば、上手い具合にデネボラ様のお人形さんになってくれると思うっすよ」

「それは中々……頼りがいのあることを言ってくれるな」

「俺だってシリウス殿下を裏切ってこっちについたんす。デネボラ様の信用と信頼を維持するためなら何だってしますよ」

「いいや、君が私の配下になったことだけでも十分だ。助かるよ」

「あざっす。俺マジでデネボラ様にご主人変えてよかったっすよ。ここだけの話、セラエノに戻ってからのシリウス殿下はマリアライトさん一筋で、ぜーんぜん仕事に手つかなくなっちゃったし」


 軽蔑と失望が混ざり合う声でレイブンが言う。最早シリウスに対する忠誠心は微塵も感じられない。

 デネボラはほくそ笑んだ。一度主君を裏切ったレイブンにはもう後がない。何が何でも自分に仕え続けるに違いない。


「私は君を信頼している。今からその証拠を見せてやるとしようじゃないか」

「え? え? よく分かんないけど、楽しみっすね」

「私についてくるといい」


 レイブンを連れてデネボラは通路を進んでいく。二手に分かれているところで右を選び、更に進むと突き当たりに辿り着いた。


「この先に進めるのは私が認めた者だけだ。君は誇りに思うといい」


 そう言ってデネボラは壁に陣を描いた。壁の中から黒い扉が現れて、勝手に開き始める。


「……何の部屋っすか?」

「私の楽園だ」


 隠されていた部屋の中に足を踏み入れる。薄暗い室内の中には大量の檻が置かれており、その中で生物が押し込められていた。

 神獣である。


「ここにいる奴らは……何なんすか?」

「神獣の中でも特に希少価値の高い種だ。彼らを外の世界に出すのは危険すぎる。再び捕まってしまう可能性は大いに考えられる」

「だからここで飼うとか……そんな馬鹿なことを言っているんじゃないっすよね?」

「彼らは私が救ってやったのだ。その所有権は私にあるのは当然の話だろう? それを認めない者が多いから、こうして隠れて飼うしかないのだ」


 デネボラの言い分に、レイブンは呆れ気味に溜め息をついた。


「だからって、こんな狭い場所にいつまでも閉じ込めておくのは可哀想っす」

「野生に帰って、様々な危険に晒されるよりはずっといいはずだ。餌の調達が難しく彼らには満足に食事を与えられずにいたが、それも聖女マリアライトがいれば解決する」

「あー、だからマリアライトさんを引き込みたかったんすか」

「何、将来私が皇帝となって神獣の飼育を合法とすれば、こんな真似もやめる」

「シリウス『様』から皇位継承権を奪いたいのも、それが一番の目的だと?」

「誤解しないでくれ。それはあくまで目的の一部だ。皇帝としての役目はしっかりと果たすつもりで……」


 悪びれる様子もなく、それどころか楽しげに語るデネボラだったが、レイブンが手に何かを持っていることに気付いた。

 黒色の羽根で、その根元には山吹色の魔石が取り付けられていた。


「……それはセレスタインが作った魔導具か?」

「当たりっす。これは転移装置の逆バージョンみたいなもんっす。特定の人物を自分がいる場所に転移させる優れもの。……つーわけでいらっしゃい、シリウス様」


 羽根が光り出し、山吹色の光の柱を作る。その中から現れた銀髪の青年に、デネボラは顔を歪めた。


「シリウス……!」

「兄上、あなたには聞きたいことが山程ある」


 深紅の双眸で実兄を睨むシリウスの声は、真冬の風のような冷気を含んでいた。




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