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「シリウス様、神獣さんが食べる果物がたくさん実りましたので、レイブン様にお渡しすることは出来ないでしょうか?」


 そう頼むマリアライトは、果実が山のように積まれた籠を両手で抱えていた。このまま持たせておくわけにもいかず、シリウスはとりあえず受け取ることにした。


「……こんなに重いものをここまで運んで来たんですか?」

「? そこまで大変ではありませんでしたよ。流石に全て持ってくることが出来なかったので、果樹園に残してきましたけど」


 レイブンから貰った種は、マリアライトの庭から少し離れた場所で育てることになった。

 急ぎなので聖力を使い、すぐに成長させて実を収穫する。愚痴を零しながらではあるが、コーネリアが手伝ってくれたおかげで作業をスムーズに進めることが出来た。

 楽しそうにその時の様子を語るマリアライトだったが、シリウスの表情には陰りが差していた。


「……マリアライト様、コーネリアの一件の時も思いましたが、あなたはどこまでもお優しい方だ。あの裏切り者の頼みを聞くなど……」


 レイブンのことだろう。


「シリウス様がそれを望まないであれば、距離を置きます」

「いえ、あなたに無理強いするつもりはありません。……あれでもかつては俺を命懸けで守り、追っ手から共に逃げてくれた男ですから」

「そうですか」


 言葉の中にレイブンへの信頼が読み取れて、マリアライトは笑顔になった。それから目を逸らすようにシリウスは視線を果実に視線を落とす。


「それに俺よりもデネボラの方が優れています。あれは父上ですら後回しにしていた神獣問題にもしっかりと目を向けている男です」

「動物が好きな方に悪い人はいないと言いますからねぇ」

「……はい。まだ俺が幼い頃、神獣について纏めた文献を俺に読み聞かせてくれました。当時の俺には難しい内容でしたが」


 柔らかな追憶の声。眉尻を下げて微笑む姿は未来の皇帝ではなく、ただの青年のようにマリアライトには見えた。


「いつかお兄様と仲直り出来るといいですね」

「仲直りですか。あっちに皇位継承権が移れば手っ取り早く……いえ、すみません! 今のは失言でした。忘れてください!」


 本気で焦った表情を見せるシリウスに、マリアライトは不思議そうに首を傾げた。


「何故焦っていらっしゃるのですか?」

「俺はあなたを妃にするつもりでこの国に連れて来ました。なのに、俺が皇帝になれないとしたら……」

「その時は、二人でまた以前のように果物やお花を売る生活に戻りましょう」

「……い、いいんですか?」

「はい、私は構いませ……あら、でも皇帝にならないだけでお城で住むことには変わりないのなら、難しいかもしれませんね」

「まあ……本音を言ってしまえば、俺もただあなたと暮らすことだけを考えて生きる人生に憧れがあります」


 シリウスはどこか擽ったそうに笑いながら、二人きりの生活を思い返すように言った。




 シリウスと別れた後、マリアライトは果樹園を訪れていた。青々と生い茂った樹々が立ち並び、果実の甘い香りが漂っている。

 無断で誰かが忍び込まないよう、周囲には魔法で作られた罠がいくつも張り巡らされている。マリアライトかシリウスの同伴なしに果樹園に侵入した場合、瞬時に氷漬けになってしまう仕掛けだ。ちなみに作成者はコーネリアだった。


「あのコーネリアがここまで協力してくれるなんて……マリアライト様はとてもすごい方なのでは?」

「初めてコーネリアと会った時も、一切怯まなかったそうよ」


 ついてきたメイドが小声で会話をする。コーネリアがセラエノ城で働き始めると知った時は、この世の終わりだと絶望していたが、彼女は文句を言いつつも真面目に働いている。

 元々飲み込みが早いようですぐに仕事を覚えたが、やはりマリアライトの存在が一番大きいのだろう。

 シリウスが魔族の子供と知りながら匿い、世話をしていたとも聞く。翡翠の聖女ではなく、慈悲の聖女と言うべきかもしれない。こうしてやって来るのも、聖力によって急速に成長させた影響が出ていないかと心配してのことだった。一本一本確認して回るその姿からは、慈愛の光が溢れていた。


「ああ、こちらにいらっしゃったのか」


 背後から聞こえた声にメイドたちは振り向き、仰天した。


「マ……マリアライト様!」

「はい、何でしょうかー?」

「デネボラ殿下がいらっしゃっております! マリアライト様とお会いしたいとのことです!」

「デネボラ殿下がですか……?」


 メイドに言われるがまま彼の下に向かうと、デネボラが恍惚とした表情で木を眺めていた。正確に言えばその枝に実っている赤い果実だが。


「素晴らしい……入手困難な実までこんな短時間で……」

「デネボラ殿下、如何されました?」


 マリアライトに声をかけられると、デネボラは我に返ったように表情を引き締めた。


「あなたに礼を言いに来たのだ。弟の政敵である私の頼みを快く引き受けてくれたと聞いてね」

「いいえ、当然のことをしたまでです。神獣さんにはお腹いっぱいになって欲しいですので」


 メイドたちは二人の会話を聞いて、不信の眼差しをデネボラに向けた。彼が引き連れている近衛兵に睨まれると、すぐに逸らしてしまったが。

 こんな時に限ってコーネリアがいない。こんなことなら彼女に部屋掃除を任せるべきではなかったと後悔しても遅い。


「そこで礼も兼ねて、あなたを神獣保護施設に招待したいのだがどうだろうか」

「まあ、私は神獣を見たことがないのでとても嬉しいです」

「お、お待ちください、デネボラ殿下!」


 危機感皆無で大喜びのマリアライトに代わって、メイドが待ったの声をかけた。


「マリアライト様はシリウス殿下の婚約者でございます。まずはシリウス殿下のご許可をお取りください」

「許可なら既に取ってある。きっと喜んでくれるだろうと弟も言っていたよ。許可書を貰っているが、それを見せれば安心してくれるだろうか」

「そ、そうでしたか。失礼しました……」

「いや、君たちが私に警戒するのは無理もない」


 デネボラは頭を下げるメイドに優しい言葉をかけながら、マリアライトの肩に手を置こうとした。だが、彼女がくるくると回転し始めたので弾き飛ばされてしまう。


「ああ、とっても楽しみです!」

「よ、喜んでもらえて嬉しいよ……」


 舞い上がっている聖女に、デネボラはぎこちないながら笑みを返した。




 マリアライトとデネボラを乗せた馬車は帝都を抜け、夜の荒野を走り続けた。

 主を歓迎するように巨大な鉄の門が、重く引き攣れた音を立ててゆっくりと開く。その向こうにある白い建物は、どこか神聖さを醸し出していた。


「大きな建物ですねぇ……」

「それなりに費用がかかったし、維持費も中々のものだ。だが、作ったことを後悔はしていない。愛すべき神獣のためだ」

「デネボラ殿下は本当に神獣さんを愛していらっしゃるのですね」

「彼らは神から聖力を授かった尊い存在だ。それを慈しみ、守るのが私の使命だと思っている」


 馬車から降りて建物の中に入る。中に入ると獣臭さは感じられなかったが、獣の鳴き声があちこちから上がっていた。


「いつものことだ、あまり気にしないでくれ」

「そう……なのですか?」


 治療や食事を拒み、怒り、叫ぶ獣たち。どれも見たことのない不思議な外見をしているが、彼らの異様なまでの警戒心に、マリアライトの意識は向いていた。


「落ち着け、落ち着いてくれ、俺はお前を助けたいだけなんだよ……!」


 白いフードを被った職員が頭部は鳥、胴体は猫のような形をした不思議な動物に引っ掻かれながらも、必死に治癒魔法をかけようとしている。

 どうにか彼の心が伝わって欲しい。そう願うマリアライトだったが……。


「…………?」


 鳥と猫のミックスのような動物は、職員ではなくデネボラに向かって威嚇しているように見えた。


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