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「何それ!? そんなの私初耳なんだけど!?」

「話してなかったからのぅ」


 血相を変えるリフィーに呑気に答え、セレスタインはグラスの水をゴクゴクと飲み始めた。美味しそうだとマリアライトが思っていると、困惑気味にシリウスが口を開いた。


「セレスタイン、どういうことか詳しく聞かせて欲しいんだが」

「簡単な話じゃ。儂が試作品を持って人間の国に行った時に、儂を魔族だと見抜いた連中に盗られてしまった」

「何で試作品を持って行ったんだ……?」


 理解出来ない。シリウスの声からは困惑と動揺が籠もっていた。


「れっきとした実験のためじゃ。しかし……盗っただけでは飽き足りず、複製を作って自分たちの開発としたか?」


 その問いかけに、マリアライトは首を縦に振る。

 魔道具の精製に成功した国は、魔族の技術を用いたものだとは一言も明かしていなかった。人々も何も疑いもせず、人類の偉大なる発明だと歓喜に湧いた。

 それらの普及によって、マリアライトはローファス王太子との婚約を破棄することになったのだが。


「申し訳ありませんでした、セレスタイン様……」

「お前は何も悪くなかろう。見ず知らずの者どものために頭なぞ下げるな」

「そ、そうですよ。このおじいちゃんがあっさり盗まれちゃったのが悪いんですから!」

「ブフッ」


 残りの水を飲み干そうとしていたセレスタインだったが、助手に強く背中を叩かれて噴き出す。


「ぐぅ……んじゃがな、儂は特に気にしておらん。あとで痛い目を見るのはあやつらじゃからな」

「ん? それってどういう意味?」

「さてのぅ。そんなことより、今日は来客が多いな」


 セレスタインが目を向けた先に、橙色の光の柱が現れる。

 光が消えた後、そこに立っていたのくすんだ灰色の髪をオールバックにした男と、彼を守る近衛兵たちだった。

 その重厚そうな佇まいが研究所内に重苦しい空気を呼び込む。


「おや、あなたは……翡翠の聖女マリアライトではないか」


 灰色の髪の男がマリアライトに気付くなり、柔和な笑顔を浮かべながら近付く。そのまま手を掴もうとするが、二人の間に割って入ったシリウスに妨害される。


「兄上、私の婚約者に触れるのであれば、私の許可を貰ってからにしてください。許可しませんが」

「す、すまないシリウス。聖女と聞いてつい我を忘れてしまったよ……」


 灰色の髪の男は気まずそうに後ろに下がった。シリウスの背後に隠されたマリアライトは瞬きを繰り返した。


「こちらの御方はシリウス様のお兄様ですか?」

「ああ。私は第二皇子デネボラ。皇位継承権は取られてしまったが、これでもシリウスの兄だ」


 温厚なようで刺を含ませた物言いだ。だが、シリウスがそれによって動揺したり、怒りを覚えたりはしなかった。

 その涼しげな表情に、つい先程婚約者に絞殺されかけた時の面影はない。


「セレスタインに何か御用ですか、兄上?」

「神獣の動きを制限する魔導具は、作れないだろうかと相談に来たのだ」

「何故そんなものを必要としているのです」

「怪しい理由ではない。何らかの理由で負傷した神獣たちを傷が癒えるまで保護しているんだが、暴れられてね。傷の手当てをしたり、食事を与えるのが難しい」


 デネボラは困ったような顔で肩を竦めた。シリウスの後ろからその様子を覗きつつ、マリアライトは神獣とはどのような存在であるかを思い返していた。


 神獣とは聖女と同じように神から聖力を授かった神聖な生物のことだ。セラエノ国内でしか生息しておらず、個体数も少ないために捕獲、飼育を禁じられている。だが、それ故に密猟も横行していて大きな問題となっている。

 ちなみに魔物と呼ばれる生物も存在しているのだが、こちらは魔族と同じように魔力を宿し、基本的に凶暴。

 魔族が見れば神獣は聖力を持っていることがすぐに分かるので、魔物との見分けは簡単だとか。


「セレスタイン殿、多くの神獣のため、あなたの力を貸していただけないだろうか」

「嫌じゃな」


 即答だった。セレスタインは椅子に座ると、白衣のポケットに入っていた大粒の飴を口に入れてガリガリと噛み砕き始めた。あまりにも素っ気ない態度に口を出したのはデネボラではなくリフィーだ。


「いいじゃん。神獣たちを助けたくないの?」

「作れんことはないが、そんなもので神獣を大人しくさせてどうする。過剰なストレスを与えるだけじゃろうて」

「だが、神獣に我々の言葉は届かない。密猟者によって傷付けられた彼らは、我々にも心を開こうとしないのだ」

「届かないからと言って、無理矢理大人しくさせるか? そんな考えを持った奴らに、開く心なんぞあるかのぅ」


 くく、と喉を鳴らして笑うセレスタインに、デネボラが不快そうに眉を顰める。


「私とて神獣に負担を強いることはしたくない。だが、どうにもならない場合もある。頭の固いあなたには分からないだろうが」

「頭は固い方がいいと思うのじゃが。飴みたいに柔らかいと使い物にならんからのぅ」

「失礼する!」


 デネボラは声を荒らげると、近衛兵の下に戻り橙色の光の柱に包まれて消えて行った。

 静まり返る室内。シリウスは訝しげにセレスタインを見た。


「お前らしくなく、挑発的な物言いだったな」

「儂は獣臭いのが嫌いじゃからな。それをプンプンさせているあいつを、一刻も早くこの部屋から追い出したかったんじゃよ」

「だからって皇子の頼みを断るのはどうかと思うけどね」


 溜め息をつきながらリフィーは、セレスタインの白衣のポケットをまさぐって飴を取り出した。


「……マリアライト様?」


 ずっと黙ったままの婚約者を案じて、シリウスが声をかける。その声に我に返り、マリアライトは「すみません」と頭を下げた。


「少し考え事をしていました」

「兄上が何か気になりますか?」

「何と言いますか……デネボラ様から不思議な感じがしたのです」


 一瞬だけしか見えなかったが、黒い靄のようなものが彼の全身に張り付いているように思えたのだ。首を傾げる婚約者に、シリウスは暫しの沈黙の後で口を開いた。


「……兄上は神獣の保護活動に熱心な御方です。昔から魔物も神獣もこよなく愛していましたから」

「とても素晴らしい御方ですね」

「その通りです。兄上のおかげで、多くの神獣が救われています」

「……シリウス様?」

「如何しました?」

「シリウス様のご様子がいつもと違うように見えましたので……」


 具体的にどこがどう、と説明するのは難しいが、何かを隠しているような空気を感じる、

 その正体を探ろうとするマリアライトに、シリウスは微笑むばかりだった。


「俺がマリアライト様に隠し事などするはずがありません」

「いえ、隠し事があるのは構わないのですけれど」

「か、構わないんですか?」

「自分の胸の内だけ秘めておきたいことは誰にでもあると思いますから」


 それにシリウスのような青年が、自分や誰かを悲しませるような隠し事をするとは思えない。マリアライトはそう信じている。

 むしろ、その逆だ。


「私のために何かを隠していませんか?」

「まさか。マリアライト様がご心配するようなことは何も起きていませんよ」


 ですからこの話はもう終わりにしましょう、とシリウスは柔らかな声で告げた。




「くそっ、あのジジィめ……!」


 その頃、セラエノ城内では憤りを隠さぬまま、近衛兵を引き連れて歩くデネボラの姿があった。普段の彼からは想像出来ない荒れように、文官や召使らは戸惑いの色を見せている。

 その中でただ一人、果敢にも彼に声をかける勇者がいた。


「デネボラ様~、そんなに怒ってたらイケメンぶりが台無しっすよ?」


 レイブンだった。



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