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 研究所に向かう手段は限られている。主の意向により、地下に通じる階段は作られなかった。なので烏以外が出入りする時は、彼の発明品を用いることになっている。


「これを使います」


 シリウスがマリアライトに見せたのは、白い羽根だった。よく見ると根元の部分に空色の石が取り付けられている。

 石の正体は魔石と呼ばれる魔力が結晶化した物質らしい。マリアライトが手を近付けてみると、魔石から微風が吹いていた。羽根そのものも僅かに揺れているのが見て取れる。

 何より、その見た目の可愛さにマリアライトからは笑みが零れた。


「まあ! 可愛らしいですね……!」

「あなたには敵いません。……これは転移装置です。魔力を込めるだけでどこにいようとも、瞬時に研究所に転移することが可能です」

「これがですか? どう見てもアクセサリーのようにしか見えませんけど……」

「では、実際に使ってみましょう。マリアライト様、俺に掴まってください」


 緩やかに微笑みながらシリウスが両手を広げる。どさくさに紛れて抱擁を堪能しようとする婚約者の意図に気付かず、マリアライトは「はい!」と頷いてシリウスへ手を伸ばした。




 天井からは様々な小動物の干物やら臓物がぶら下がっており、棚では怪しげな薬草が栽培されている。銀色の鍋に並々注がれたピンク色の液体はボコボコと泡立ち、栓をされたフラスコの中では赤い光が点滅している。

 用事がない限りは、決して足を踏み入れたくないと評判のセレスタイン研究所。その主は古びた椅子に座り、天井を仰いでいた。両目を覆うタオルからは湯気が出ており、気持ちよさそうな呻き声を上げている。


「あ~~……仕事を終えた後の蒸れタオルは格別じゃのう」

「セレスタイン、おじさんくさーい」

「おじさんどころかおじいさんじゃろうて。その程度の贅沢は許せ」


 しっしっと手で追い払う仕草をする男に、ショートボブの黒髪の少女は溜め息をついた。その頭の上にはシリウスからのメッセージを預かって来た烏が乗っており、呆れたようにカーカー鳴いている。


「シリウス殿下と聖女様が会いに来てくれるんだから、もう少し小綺麗な格好しなよ!」

「別にいいじゃろ。ありのままの姿で出迎えるのがわし流じゃ」

「あーもー、知らない。私だけ着替えてくるからね」

「おー」


 駄目だ、こいつ。少女は諦めてその場から離れようとした。

 その瞬間、目の前に光の柱が現れる。誰かが転移装置を使ったようだ。羽根の色ごとに光の色もそれぞれ変わるのだが、今回は白だった。白い羽根を持っているのは……。

 少女はハッとした表情で、椅子に座りながら寝息を立て始めた男の体を揺さぶった。


「起きて、セレスタイン! 殿下たちもう来ちゃったっぽいよ!?」

「おお、早いのぅ。さて、シリウスは大分男前に育ったと聞くがどれほどか……」


 銀髪の青年が白目を剥いた状態で光の中から現れた。

 男と少女は真顔になった。


「ここが研究所なのですねぇ。如何にもそれっぽい雰囲気が……あら? シリウス様?」


 共に現れた女性が、青年の首に力強くしがみついている。それによって頸動脈辺りをキュッとされたらしい。


「う……うわぁぁぁぁぁ!! 殿下ぁー!!」


 研究所に少女の悲鳴が響き渡った。




 最初は腰にしがみついてもらおうと思ったが、つい欲に目覚めてしまった。より密着出来るよう首に掴まって欲しいとお願いした。マリアライト様のお顔が近付いた直後からの記憶が抜けている。いい匂いだった。

 以上が無事救出された皇太子殿下の供述である。清々しいまでに自業自得で死にかけていた。


「すみませんでした、シリウス様。しっかり掴まってと言われたので、つい力が入ってしまって……」

「マリアライト様の愛に絞め殺されるのなら本望です」


 そしてマリアライトに心配をかけさせまいとしているのか、笑顔で答えている。

 その様子を見て口元を吊り上げているのは、白衣を着た男だった。明るい色合いの青髪と、ミステリアスな雰囲気を醸し出す紫色の双眸。

 男は飄々とした笑みを湛えながらマリアライトに頭を下げた。


「儂の名はセレスタイン・ジオーラ。研究費がたくさん貰えるということで、セラエノ城専属の魔導具師をやっている者じゃ」

「私はマリアライト・ハーティと申します。翡翠の聖女として、そしてシリウス皇太子殿下の婚約者としてこの国に参りました」

「翡翠の聖女とな。うーむ……」


 セレスタインはマリアライトの顔をまじまじと観察した後、高笑いを上げた。


「なるほどなるほど。我が国の妃として相応しい芯の強さを持っているようで何よりじゃ。のう、殿下?」

「あなたならそう言ってくれると思っていた」


 目を細めて何度も頷くセレスタインに、シリウスがほっとしたように溜め息を漏らす。

 とりあえず褒められたと捉えていいのだろうか。マリアライトがそう考えていると、黒髪の少女が興味津々と言った表情でこちらを見ていた。

 彼女もセレスタインと同じように白衣を着用している。助手かしら? と予想しつつ頭を下げると、驚いた顔をされた。


「あ、あっ、すみませんっ! 私が先に頭を下げるべきでしたよね!?」

「そうじゃな。不敬と見做されてしまうぞい」

「いやぁぁ、ごめんなさい!」


 セレスタインにからかわれて本気で焦っている。見兼ねたシリウスが口を開く。


「セレスタイン、助手をあまり虐めてやるな」

「殿下は優しいのう。ほれ、早くお前も自己紹介せんか」

「分かってるよ!」


 少女は涙目でセレスタインを睨んでから、緊張の面持ちでマリアライトの前に立った。


「私はリフィー。ここでセレスタインの介護兼助手をやっています」

「介護……」


 マリアライトは視線をリフィーから魔導具師に移した。

 確かに少々古風な口調だが、人間で言えば二十代後半のように見える。まだ介護が必要な年齢には見えない。外見だけなら。


「マリアライト様、この見た目に騙されないでください。俺の父やエレスチャル公よりも遥かに歳を取っています」

「たくさん長生きをされていらっしゃるのですね」

「何度か下らん戦に巻き込まれて死にかけたがのう。ただまあ、運よく生き延びたおかげで好き勝手魔道具を作ってこれた」


 セレスタインの掌には色とりどりの蝋燭が握られている。彼が芯に吐息を吹きかけると一斉に火がついた。ただの火ではなく青色の蝋燭なら青い火が、緑色の蝋燭なら緑の火……と蝋の色と同じ火が灯されている。

 幻想的な光景に、マリアライトは拍手を送った。


「すごいです! そちらも魔導具でしょうか?」

「うむ。砕いて粉状にした火の魔石を混ぜた蝋燭でな。今のように息を吹きかけるだけで火がつく仕掛けになっている。インテリアグッズに最適じゃ」

「ちょっとちょっとー! 蝋燭ごとに火の色を変えてみようって言ったの私だからね!? 全部自分が考えて作りましたみたいな空気出さないでよ!」

「何を偉そうに……お前はあくまでアイディアを出しただけ。誰が完成させたと思っとるんじゃ」


 両手を上げて抗議するリフィーを軽くあしらい、次にセレスタインは一つのグラスを手に取った。

 美しい瑠璃色の硝子で出来ているようだ。底の部分には、青色の砂のようなものが鏤められている。セレスタインがそのグラスを軽く振るとちゃぷんと水の音が聞こえ、底から透明な水が湧き出た。


「これは水の魔石を使用したグラスでな。美味くて冷たい水をいつどこでも飲める便利な魔導具じゃ!」

「…………」

「む? どうしたマリアライトとやら」

「いえ……このグラスどこかで見たことがあるような……」


 難しい表情で魔導具を眺めていたマリアライトの脳裏には、似たデザインのグラスが浮かんでいた。

 あれは確か……。


「あ、思い出しました。人間の国で開発された魔導具です!」

「そりゃそうじゃろ。儂から盗んだ試作品を見よう見まねで量産しているようじゃからのぅ」

「……ハァッ!?」


 セレスタインの爆弾発言に驚愕の声を上げたのはリフィーだった。


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