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ここはどこなのだろう。狭くて小さな場所にずっと閉じ込められている。無理矢理押し込められているせいで体が痛いし、ご飯をあまり食べられないからお腹も空いた。
けれど、怖いって気持ちの方が強い。ちょっと前まではあちこちから「ここから出せ」、「助けて」と声が聞こえていた。それも段々小さくなって、静かになった。疲れたのか、死んでしまったのかは分からない。
僕も一回だけ叫んだことがある。お願い、お母さんのところに帰してって。だけど、あの人たちは面白そうに笑うだけで全然聞いてくれなかった。
誰も僕たちを助けてくれない。
笑いながら、僕たちがおかしくなるのを、死ぬのを待っている。
そんなの嫌だ。
「マリアライト様、あなたに相応しいのはこちらのドレスかと思います。どんなドレスでも似合うと思うのですが、清楚なあなたにぴったりなのはこちらだと俺は自信を持って言うことが出来ます」
「ありがとうございますシリウス様。けれど、大丈夫ですか? お顔が真っ赤です」
「俺が選んだドレスを着たマリアライト様を想像して興奮しているだけです」
シリウスは元気な様子で、自らが調達した青いドレスと婚約者を交互に見比べていた。
小さかった頃はもっと物静かな性格だったような気がするのだが、楽しそうで何よりだとマリアライトは思った。
一昨日も似たようなことを言われながらドレスを貰った気がする。その時は「私には劣るけどあんたもそれなりに可愛い顔してるんだから、ふんわりしたドレスの方が似合うわよ」と熱心に語っていたような。
ちなみにシリウスが用意してくれたのは、全体的にシャープなデザインとなっている。主張もドレスも正反対だった。
拳を握って熱く語る彼は、恐らくそのことを知らない。
知らないままでいた方が幸せだったのだが、そこを深く考えないのがマリアライトだった。
「コーネリア様からいただいたドレスも素敵ですけれど、こちらも素晴らしいですね」
「は!? あの女からドレスを!?」
「はい。お礼を言おうとしたら、すぐにお仕事に戻られてしまったのですけれど……」
マリアライトからもたらされた情報に、シリウスは憤怒の表情を浮かべた。せっかくの美形が台無しになっているが、本人はそれどころではない。ぎりり、と奥歯を噛み締めている。
「先を越された……何たる不覚……!」
「私はどちらのドレスもいただいて嬉しいですよ?」
「マ、マリアライト様……」
まるで眩しいものを見るようにシリウスは目を細めた。彼にとっては本当にマリアライトが光って見えるのかもしれない。
だが、すぐに渋い顔付きに変わっていた。
「……このような事態になるくらいなら、あの女に慈悲などくれてやるべきではなかった」
「シリウス様? 今何か仰いましたか?」
「いえ、独り言なので、聞き逃していただいて全然構いません」
シリウスの後悔。それはコーネリアをセラエノ城の召使として招き入れたことだった。戦乙女の決闘後、これまでの悪行の償いをしたいと、本人と父であるエレスチャル公爵から申し出があったのだ。
自分に仕えていた者に殺されかけたのが流石に堪えたのだろう。若しくは、また何か悪だくみを考えているのかもしれない。様々な声が上がる中、シリウスがコーネリアに下した罰は「マリアライトの手足となって働く」というものだった。
自らが陥れようとした相手に隷属する。これが彼女にとっては最大の屈辱になるだろう。また彼女が暴走した際は、今度こそは容赦をしない。
またエレスチャル公には、これまで被害を受けた人々に対しての謝罪と慰謝料の支払いが命じられた。これには反論の声が上がった。しかし応じなかった場合には爵位の剥奪も検討していると告げれば、素直に応じるしかないようだった。
爵位の格下げはある程度予想していたものの、剥奪は予想外だったのだろう。青ざめる父親とは裏腹に、コーネリアは落ち着いた様子でシリウスの言葉を聞いていた。
実際のところ、コーネリアに城での従事を命じたのは、彼女と友人になりたがっているマリアライトのためというのが最大の目的だ。レイブンにはそのことを早々と見抜かれてしまっていたが。
とは言え、今まで尽くされる側だったのが尽くす側となるのだ。実際、初日から清掃やら食事の準備で悪戦苦闘している様子だったが、何とか続けているらしい。
「コーネリア様は私がセラエノで知らないことがあると、何でも教えてくださいます。とても頼りになる御方なのですよ」
「マ、マリアライト様、何か知りたいことがあればどうか俺に言ってください。コーネリアよりも丁寧に分かりやすくお答えしますので……」
シリウスの独占欲剥き出しの言葉を遮るように、窓辺に停まっていた烏が鳴き声を上げた。
「あら、こんにちは」
部屋の主に声をかけられ、烏は一回目よりも高めに鳴いた。彼らの言葉は未だに分からないものの、これは挨拶の鳴き方だとマリアライトでも分かる。手を伸ばせば、撫でてくれと催促するように頭を少しだけ低くするのも可愛い。
「どうした?」
シリウスの問いに烏が数回鳴く。すると彼は驚いたように目を丸くした。
「何かあったのですか?」
「セレスタインという魔導具師を覚えていますか? 新しい魔導具の開発を終えて時間が出来たので、俺とマリアライト様に会いたいとのことです」
この国を人間の目から隠す装置を作った張本人だったか。マリアライトは頷こうとしたが、引っ掛かることがあった。
「もしかして魔導具師様は、セラエノではお偉い方なのでしょうか?」
自分はともかく、皇太子であるシリウスにこのような気軽な方法で「会える?」と普通は聞けないはずだ。それなりの立場にある人物なのだろう。
「はい。セレスタインは例の結界装置の他にも優れた魔導具を開発し、今でも活用されていています。その功績故に本当なら爵位を授かるはずだったのですが……」
シリウスは渋い顔付きで腕を組んだ。
「貴族になるとしがらみが多くなる、という理由で辞退したんです。代わりに好き勝手出来る研究所を寄越せと言ってきたので、言う通り提供すると大いに喜んでいました」
「とても研究熱心な方なのですねぇ」
「そのおかげで今のセラエノが存在すると言っても過言ではありません」
「是非お会いしたいです。シリウス様はお時間は大丈夫ですか?」
そんなすごい人物の方から会いたいと言われている。マリアライトが目を輝かせながら訊ねれば、シリウスは少し考え込んでから口を開いた。
「はい。急ぎの件であれば、先程済ませています」
マリアライトへの熱意と愛情が尋常ではなく重い。しかし、自らに課せられた仕事をきっちりこなす理性的な面も併せ持つのがシリウスという男だ。
「早速会いに行きましょう。……セレスタインにもそう伝えてくれ」
シリウスに言伝てを頼まれた烏が、一際大きな鳴き声を上げながら黒い翼を羽ばたかせる。そうして向かった先は窓の外、ではなく床だった。激突してしまうのではと案じるマリアライトだったが、黒い体は絨毯を擦り抜けて消えてしまった。
「……?」
「セレスタインの下に速く辿り着くための直通ルートです」
「研究所はこのお城の中にあるのですね……」
一応城の内部は教えてもらっていたのだが、記憶から抜け落ちていたようだ。そう思って軽く落ち込むマリアライトを察してか、婚約者が慌てて「半分当たりで半分外れです」と言う。
「彼の研究所はセラエノ城の地下に存在しているんです」
シリウスの人差し指は真下を差していた。




