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「コ、コーネリア!」
娘の名を叫びながらエレスチャル公が観客席から立ち上がる。身を乗り上げて下に降りようとするが、それを止めたのはレイブンだった。
「今降りたら巻き添え喰らうっすよ」
ただし肩を叩いて忠告する程度で、その声は冷ややかだった。レイブンにとって二人の戦いに割り込んで怪我をしたとしても、これぽっちも胸が痛まないからだ。
「黙れ! 娘が殺されそうになっているのを黙って見ている親がどこにいるというのだ!」
目を吊り上げて怒鳴り声を上げる姿に、レイブンは肩を竦めた。
娘に正しい教育を施さず、とんでもない我儘な性格になった後も甘やかし続けていた男が、よくもまあ偉そうに。
「あんたみたいなオッサンが親を名乗らないで欲しいもんっすね……」
「何だとぉ!? この私にそのような口を叩くなど不敬だぞ! 後で陛下に言い付けて牢獄にぶち込んでやる!」
「はいはい、お好きにどうぞ。それにあんたの娘がこの程度でやられるわけないじゃないっすか」
レイブンの言葉を証明するかのように、コーネリアを巻き付いていた電流が、内側から発生した洪水によって弾き飛ばされた。その中心から現れたコーネリアが不敵な笑みを浮かべ、掌から体が水で出来た狼を数頭召喚する。
主の敵の喉元を狙い、狼は一斉にシリウス目がけて飛びかかったが、彼の足元から生えた青々とした蔦が絡み付いてその動きを封じる。脱出しようともがくが、蔦に全身の水分を吸い尽くされて最後には消滅してしまった。
その様子を眺めていたシリウスの双眸は血のように赤く染まっていた。
どちらの防壁も無傷のままだ。
「ふふっ、すごいわねぇ殿下。つい最近魔法を本格的に使いこなせるようになったって聞いたけど? 偉い偉い」
「減らず口を叩いている暇があったら、戦いに集中しろ。油断していると防壁ごと消し飛ばされるぞ」
どちらも悪役が吐くような台詞である。特にシリウス。口では気を付けろ的なことを言いつつ、うっかり事故死を装う魂胆が透けて見える。
これはいけません。レイブンが慌てて叫んだ。
「シリウス様ー!! せいぜいかすり傷程度!! いいっすね!?」
「レイブン、主の行いに口を挟むな」
「こんな時ばかり主アピールすんな! あーもー、コーネリア様をちょっとでも傷付けたらマリアライトさんに言い付けるっすよ!?」
半ばキレ気味のレイブンがそう宣言すると、シリウスは険しい表情のまま、けれど肩をびくっと跳ねた。確実に効いている。
「こんなくっだらねぇ戦いで怪我をさせたって知ったら、いくらあの人でも怒ると思うっす!」
「…………おい、コーネリア。防壁が壊れたとしても、全力で避けろ。さもなくば、貴様に未来はないと思え」
「あーら、婚約者が怖いのね。ただヘラヘラ笑ってるだけじゃないの」
「コーネリア嬢も、殿下を怪我させたらマリアライトさんに無視されると思うんで、そこ覚えといてくださいよ」
「殿下、防壁が壊れたらそこで戦いは終わらせてあげるわ。その顔に傷を付けるわけにはいかないもの」
この場にいないマリアライトのおかげで、どうにか殺し合いルートは回避出来たっぽい。レイブンが安堵したところで、シリウスの頭上に黒い影が出現し、その中から紫色の電流を纏った竜が姿を見せた。
コーネリアの足元にも同じように影が現れ、先程よりも数倍の大きさを持つ狼が跳躍した。その体は分厚い氷で包まれており、口元からは氷柱で出来た牙がちらつく。
二体の獣が咆哮を上げながらぶつかり合い、衝突の際に砕けた氷が観客席まで飛び散る。狼が龍の首に食らい付こうとしたが、巨大な翼によって薙ぎ払われた。
「…………っ」
蠱惑的な笑みを湛えていたコーネリアの体が僅かにふらつく。そのことに気付いたシリウスが口を開く。
「俺の挑発に乗って魔法を使い過ぎたな。あれだけ乱発した後に召喚魔法を発動させれば、貴様も魔力切れを起こすか」
「……相手の心配をしている場合かしら。そんなの殿下も同じでしょう?」
「試してみるか? 俺は構わない」
煽るような問いに、コーネリアの目付きが変わる。それに対してシリウスは纏っていた殺気を霧散させ、穏やかな声音で言葉を続けた。
「これ以上続けても貴様に勝ち目はないぞ。諦めろ」
「嫌よ。私は負けることが大嫌いなの。欲しいものがある時は特にね」
「貴様が求めているのは皇太子妃の座か? 玩具か? それとも……」
「お喋りが過ぎるわよ、殿下……!」
いつの間にかシリウスの背後に回り込んでいた狼が、防壁を突き破ろうと突進を仕掛ける。
だが、氷の牙が届く寸前に夜空から降り注いだ氷柱が、氷の鎧を砕いて狼を貫く。小さく唸りながら消える狼を一瞥することなく、シリウスは深紅の双眸でコーネリアを見据えていた。
「たかが獣一匹を仕留める程度、口を動かしながらでも可能だ」
「まだよ……まだ……」
コーネリアが掌から火球を生み出そうとするが、形を作るどころか火を生むことすら儘ならない。焦りと魔力切れで唇から荒い呼吸が漏れる。
ついに地面に膝をついたコーネリアに、シリウスは瞼を閉じた。
「マリアライト様を振り向かせたいのなら、もう少し方法を考えろ。あの御方は貴様が一言、友人になりたいと言うだけで……」
「うるさい! そんなの全然欲しくないわよっ!!」
悲鳴にも似た叫びが会場内に響き渡った。直後、シリウスの背後に控えていた竜が電撃を吐き出し、コーネリアの防壁を破壊した。
観客席から歓声が上がる。
「よっしゃ! シリウス様の勝ちっすね!」
「あああ……コーネリア……」
「エレスチャル公、あんたはもう少し娘さんと話してみるべきっすよ。色々と」
落胆の色を見せるエレスチャル公にレイブンはそう告げてから観客席から飛び降り、会場から去ろうとするシリウスに駆け寄った。
「いや~、俺は信じてたっすよ! シリウス様がコーネリア嬢をボコボコするはずがないって」
「半分殺すつもりだったがな」
「うーわ……」
前言撤回。マリアライトが絡んだ時のシリウスは信用してはならない。
「でも、これで終わらせていいんすか? コーネリア嬢にはもっとキツいお仕置きをしてもよかったと思うんすけど」
レイブンに聞かれ、シリウスは後ろを振り向く。そこには座り込んだまま項垂れる女がいた。
「……その必要はないだろう。行くぞ」
「はいは……」
大きな爆発音が会場内に響き渡った。地面の至る箇所から火柱が次々と上がる。
「コーネリア嬢!? まだやるのかよ……!」
「違う。レイブン、お前は観客を避難させろ」
「へ……?」
事態を飲み込めず、困惑しながら周囲を見回していたレイブンが見たもの。それは驚愕の表情を浮かべるコーネリアと、その傍らで嘲笑を浮かべる男の姿だった。
「殿下に喧嘩を売ってズタボロに負けて……情けないですねぇ、お嬢様」
かつて自分に仕えていた執事に見下ろされ、コーネリアは愕然とした。
あと一、二話で今章ラストになります。




