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コーネリアが戦乙女の決闘を発動させることは誰もが予想したことだった。コーネリアが勝利した場合、マリアライトを使用人として働かせることも彼女の性格を考えればさほど不思議な話ではない。打ち負かした女を死ぬまで隷従させる。有り得そうな話だ。
ただし、対戦相手がシリウスになっている。シリウスもすぐに了承した。
「どうしてそんなことになったのやら」
「俺だって知りたいっすよ」
首を傾げる皇帝陛下にレイブンは真顔で現在の心境を述べた。
そもそも、ウラノメトリアが審判の女神にコーネリアが就くことを反対しなかったのが悪い。そんな思いを視線に込める息子の配下に返って来たのは、朗らかな笑顔だった。
「聖女なら、あの困った令嬢をどうにか出来るかもしれないと思ったのだ。他人を屈服させ、自分の思い通りに事を進めるのがコーネリア嬢のやり方。恐れ知らずのマリアライトなら彼女の天敵になり得ると確信していた」
「確かにまあ……そうっすけど」
相手の反応を見て楽しむ傾向がある人物にとって、何を言っても動じない、恐れないタイプは相性が悪い。現にコーネリアはマリアライトとの決闘を取り止めた。
しかし、相手を何故かシリウスにシフトさせただけである。
「まあ、よいではないか? シリウスもこれで手っ取り早く解決出来ると申していたぞ」
「コーネリア嬢を叩き潰すって言ってたっすよ。皇子が公爵の娘に怪我をさせるのはよろしくないと思うんすけど」
「そこも考えているから安心しろ。皇太子との決闘を認める代わりに、特別なルールを設けることにした」
この展開を楽しんでいる節すら感じさせる笑みである。最初からこうなることを狙っていたのではと、レイブンは疑念を抱きそうになって頭を緩く振った。それはいくら何でも考え過ぎだろう。
「それでルールってどういうのっすか?」
「当日のお楽しみというものだ。何、どちらも無傷で済むようにしてある」
「済めばいいんすけどね……」
大好きなマリアライトを奪われるかもしれない。その怒りで、殺意の波動に目覚めた皇太子の暴走を止められるルールであることを祈るばかりだ。
そして、決闘当日。お供の烏を引き連れ、早朝の走り込みで汗を流していたマリアライトはふと足を止めた。
「今日は朝から不思議な空気ねぇ……」
メイドたちが食事を用意してくれて、彼女たちと他愛のない会話をする。いつも通りのはずなのに、どうにも忙しなさを感じるのだ。
毎朝会いに来てくれるシリウスも今日はまだ見掛けていない。いつも、マリアライトが着替えと食事を済ませて落ち着いた頃合いを見計らったように姿を見せるはずなのだが。
「……何かあったのかしら」
コーネリアが言っていた決闘の話もまだ正式に決まっていない。シリウスは「決闘にあなたが出る必要はなくなりました。ご安心ください」と言っていたものの、いつ果たし状が来てもいいようにこうして体を鍛え続けている。おかげで以前よりも息切れしなくなって、体が軽くなった。
やっぱり決闘の申し込みが来ていて、抗議のためにコーネリアの下に会いに行ったのかもしれない。
その推理が当たっているとしたら、彼を止めなければならない。これはあくまでマリアライトが越えなければならない試練なのだから。
だが、マリアライトが城から一人で出ることは当然ながら禁じられている。
どうしよう。悩みながらもランニングを終えた後は、如雨露片手に貯蔵庫跡地に向かう。逞しい腕のような形をしたトパジオスの花が『両手』を振って出迎えてくれた。
昨日水やりに来てみるともう一輪咲いていたのだ。こちらも最初のものとほぼほぼ同じ見た目をしており、相違点と言えばこちらは花びらが青い。水汲みの回数が増えたものの、運動になるとマリアライトは喜んでいた。
種を植えてから一ヶ月は土にトパジオスの根を浸透させる必要があるらしい。その後で色々な植物を育てられるようになる。それまではこの子たちをたくさん可愛がってあげよう。
母のような気持ちに浸っていると、つま先に固いものが当たった。
「あら?」
花と花の間に何かが埋まっている。手で土を払ってみると、緑色の物体が見えた。かなりの大きさのようで、掘り返すことは難しい。
これもトパジオスの一部なのだろうか。まじまじと観察していた時だった。
「マリアライト様、まだこちらにいらっしゃったのですか?」
感情の籠っていない無機質な声がマリアライトを呼ぶ。振り返ってみると、茶髪の女性が立っていた。長すぎる前髪のせいで顔が見えないが、泥で汚れたドレスを纏っている。
「今すぐシリウス殿下の下に向かわれた方がよろしいかと」
セラエノ帝都の東部にはドーム型の建造物がある。普段は式典の会場に使われているが、決闘場としても用いられ、大勢の観客を収容できる程の規模を誇る。
その中には鼻の下に髭を生やした赤髪の中年が姿があった。
エレスチャル公ロシュベルである。セラエノの発展に尽力し、また娘の望みを叶えるためならどんな汚い手も行使してきた男だが、現在の彼は顔面蒼白で両手でハンカチを握り締めていた。
「コーネリア……どうしてだ……どうしてこんなことに……」
何でうちの娘が皇太子殿下と決闘を……?
最初に聞いた時は「はは、面白い冗談を言うものだ」と笑っていたが、あの頃が懐かしい。
流石に殿下と戦うのはまずいだろう。すぐに撤回させようとしたが、シリウスから「喜んで了承する」と返事が来た時には目眩を起こしかけた。
困惑しているのはエレスチャル公爵だけではない。他の観客も顔色を悪くしていたり、不安そうに表情を曇らせている。
その中にはレイブンの姿もあった。城から離れられないウラノメトリアの代わりに訪れたのだが、その手には薬の入った小瓶が握られている。胃薬だ。
「こんなことになってるだなんて、マリアライトさんには絶対に言えないっすわ……」
決闘場の中心には二人の人物が立っていた。
一人は人形のように美しい顔立ちを持つ銀髪の美青年。もう一人は猫耳を生やした朱色の髪の美女。
互いが互いを睨み付けている。彼らの放つ殺気に耐え切れず、恐怖に慄きながら会場から逃げ去る者も後を絶たない。
そして、白い光の膜が二人をそれぞれ包み込んでいた。
「……こんなもの、必要ないと俺は言ったのだが」
シリウスは不快そうに眉を寄せながら、膜を手の甲で軽く叩いた。ウラノメトリアが施した強力な防壁魔法だ。
「ええ。相手の防壁を先に破壊した方が勝ちだなんて……陛下も甘いわね」
コーネリアも不機嫌そうに自らを覆う防壁を睨む。その様子を見て、シリウスが「一つ聞きたいことがある」と口を開いた。
「何故、マリアライト様を欲している?」
「別に欲しいわけじゃないわよ。あれを玩具にして遊びたいだけ。それに聖女を利用すれば色々楽しめそうだし」
「貴様にマリアライト様は渡さない」
「私に勝ったらマリアライト様との結婚を認めてあげるわ。皇族だからって手加減はしないから」
「こちらも容赦は一切しない。……俺はあの人を幸せにすると誓った」
「……あなた、随分と粘着質な男性だったのね。マリアライト様に愛想尽かされても知らないわよ」
「……黙れ、性悪女が。貴様などそろそろマリアライト様に嫌われるぞ」
おかしい。観客全員が思った。コーネリアが喧嘩を売る相手を完全に間違えているし、シリウスもそれを爆買いしている。
本来の目的から脱線して、マリアライトの取り合いに発展していた。
「先に言っておくぞ、コーネリア。せいぜい死なないように努力しろ」
シリウスがそう告げた直後、コーネリアの周辺に巨大な電流の渦が現れた。まるで蛇が蜷局を巻くが如く彼女に巻き付いたかと思いきや、耳をつんざくような轟音が響き渡った。
決着がつく頃にはこのドーム崩壊してそう。観客全員が思った。




