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「ありがとう、おかげで隠れることが出来ました」
礼を言いながらマリアライトが幹に触れると、木は光の粒子となって消えた。聖女の力で急成長させていたらしい。
コーネリアはその光景を見て顔を歪めた。苛立ちと安堵と困惑が複雑に入り混じる。
「あ、あんた、どういうつもりよ……」
木を消したマリアライトがくるりと振り向く。薄青の双眸には悪意が一欠片も存在しておらず澄んでいた。セラエノ以外で見られる空は青いと聞く。この国から出たことのないコーネリアは目にしたことがないが、恐らくこのような色をしているのだろう。
「兵士の方々に見付かってしまうのを恐れていたようだったので、匿わなきゃと思ったのですけれど……」
「恐れていた? そんなわけないじゃない」
「猫耳がぺたんと垂れていましたよ」
「た、垂れてない!」
指摘されてコーネリアは頭部の耳を両手で隠した。その顔は赤く染まっている。
よりによってこの女に弱みを握られてしまった。どうしてマリアライトが警護も付けずに一人で歩いているのか分からないが、大声を上げて助けを呼ばれたら先程の兵士たちが戻って来るだろう。
今のコーネリアはマリアライトに生殺与奪を握られている状態だった。それでも媚びることだけはしたくなくて、目を吊り上げて睨む。
「……あ! そうでした。コーネリア様、こちらを」
マリアライトが差し出した掌の上では、灰色の石で飾られたペンダントが控えめな輝きを宿していた。
「それ……!」
反射的に手を伸ばそうとして、けれど寸でのところで引っ込めた。どうして? という顔をされるが、こっちがしたいくらいだとコーネリアは声を荒らげたくなった。
「……見返りは何?」
「はい?」
「とぼけないで。こうやって私に恩を売り付けて、殿下との結婚を認めてもらおうとしてる? それとも、他に欲しい物があるとか?」
「欲しい物……色んな植物の種でしょうか。これからガーデニングを始めたいと思いますので」
そんなもの、あの色ボケ殿下に頼めばいくらでも用意してもらえる。というか、ガーデニングなんて貧乏人がするようなことをするとは、将来妃になる者としての自覚が足りないのでは。
「人間の国では、植物を育てることを趣味にしている方がたくさんいらっしゃいます。私もそうなのですよ」
「ふ、ふーん……」
思っていることを見透かされているような言葉に、思わず頷いてしまった。まずい、とコーネリアは危機感を覚える。他人に会話の主導権を握られたことのない彼女にとっては未知の事態だ。
どうにか自分のペースを取り戻そうと、電流の痛みを堪えながら笑みを浮かべる。
「でも、もうすぐで自分の国に帰ることになるのよ。植物の栽培なんてそこでも出来るんじゃないの? この私があんたを決闘で叩きのめして、この国から追い出してやるんだから」
「決闘……私とコーネリア様がですか?」
「私は殿下とあんたの結婚なんて認めない。それを理由に決闘を行うことが出来るのよ。あんたが私に勝てたら認めてあげてもいいけど……無理な話よねぇ?」
「では今から体を鍛えようと思います!」
「え!?」
どうせ怯えた表情を見せると思ったのに、マリアライトは目を輝かせながら両手でガッツポーズを決めた。恐怖を一切抱いていないどころか、勝つ気でいる。漲る闘魂を感じてコーネリアは上擦った声を発した。
泣いて謝れば、無傷でセラエノから追放するだけで済ませてやるつもりだったのに。
「あんた正気!? 私の魔法を見たでしょう!? 私に勝てるわけないじゃない!」
「戦ってみなければ勝敗は分からないと、私が大好きだった小説にも書いてありました」
「小説は小説、現実は現実! それに私はあんたを……それなりに痛めつけるつもりなのよ! 怪我だってするの! 聖女だからってちやほやされてたあんたが痛い痛いって泣くような思いもするんだからね!?」
「痛いのはちょっとだけ嫌ですけど……シリウス様は私を幸せにすると仰ってくれました」
予想外の返答に驚いて言葉を捲し立てるコーネリアとは対照的に、マリアライトの声はとても静かで、厳かさを纏っていた。それはまるで先程彼女が出現させた大樹のように。
「私は私を愛してくださる方の側で幸せになりたいのです。ですからコーネリア様と戦えと命じられたのなら、それに従います」
「……あんたが二人目。私とやり合うことになっても、全然怯えた表情を見せなかったのは」
「最初の方はどなたなのですか?」
「シリウス殿下よ。何か……もうくだらなくなって来たわ」
まともに戦い合えば間違いなくコーネリアが勝つことになる。だが、精神面ではどう足掻いてもこの人間に勝てないという確信があった。
中途半端に負かして殿下と結婚して、皇太子妃となる。目的こそ達成するものの、きっと死ぬまで悔しさを抱えて生きていく。
自分よりも寿命が短く非力な人間如きに、『心』で負けるのだ。いや、もうとっくに負けている。
「……帰るから、ペンダント返しなさいよ」
「はい、どうぞ」
ペンダントと引き換えに、決闘を止めさせる手もマリアライトにはあったのだ。けれど、彼女は笑顔で唯一にして最大のカードを手離した。
ようやく戻って来たペンダントを握り締め、コーネリアは目を伏せた。
「これ、お母様の形見なの」
「……そうですか。どこも傷付いていないようでよかったですね」
マリアライトの言葉に頷き、周囲に火の球を生み出す。いつの間にか防壁魔法が解除されていたようで、体は身軽になって魔力も使えるようになっていた。
あの執事は……まあ、放っておいていいだろう。二度とコーネリアの前に姿を現さない予感がする。
「ねえ、最後に一つ聞きたいんだけど」
「何でしょうか?」
「あんた、魔族の友達っているの?」
「いいえ、まだ……メイドさんや兵士の方々とお喋りをすることは多いですが」
「そう。可哀想な聖女様ね」
素っ気ない相槌を返し、コーネリアは火柱を纏って姿を消した。火の粉すら残さず去っていった令嬢に、マリアライトはよしと気合を入れるために拳を握る。
「まずは走り込みからね……!」
その様子を眺めていた一羽の烏が屋根から飛び立ち、執務室の窓に侵入する。それを歓迎するようにシリウスが腕を伸ばすと、烏はそこに下りて翼を畳んだ。嘴を指先で撫でてやると、烏は甘えるように手に顔を摺り寄せた。
「……マリアライト様」
コーネリアのことだ。防壁魔法の内部に侵入することは予想していたし、弱った状態で兵士に捕らえさせるつもりだったが、マリアライトが彼女を救ったのは想定外だった。
更に驚かせたのはコーネリアの戦意を完全に喪失させたことだった。レイブンが見たら仰天して白目を剥く光景だっただろう。
それに自分の「幸せにする」という言葉を信じて、戦おうとしてくれる彼女の言葉が嬉しかった。
彼女を幸福にすると言っておきながら、自分が幸せになってどうする。シリウスはそう思いつつも、頬が緩むのを抑えられなかった。
その後、数日間は平和だった。
平穏が破られたのは五日後、決闘の旨が書かれた書状がエレスチャル公爵から送られて来たのだ。
セラエノ城に激震が走る。
「あーあ。何か一番最悪なパターンに入っちゃったような……」
全文を読んだレイブンの頬は引き攣っていた。先に中身を読んだシリウスの顔が怖くて見ることが出来ない。
あの我儘お嬢様は完全にシリウスを敵に回してしまったのだ。
シリウス殿下と聖女マリアライトの婚姻を認めない。婚約を破棄させて、マリアライトを自分の召使にする。
長々と書かれた文章を簡単に要約するとこんな感じである。
「どうするんすか、シリウス様」
「叩き潰す」
そして、コーネリアが指定した決闘相手はシリウスだった。




