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戦いが終わりつつあるので、そろそろ更新ペース戻ります。
やはり、そう来たかとシリウスは書類に目を通しながらこめかみを押さえた。
『審判の女神』を未婚の女性が担うなど異例中の異例だ。それも皇太子妃になるのは自分だと主張している女。質の悪い宣戦布告だ。コーネリアの邪悪な笑い声が聞こえてくるようである。
エレスチャル公の娘だけあってやり口が汚い。
だが、更に理解出来ないのがそれを皇帝ウラノメトリアがあっさりと承諾した点だった。青ざめた文官が馬鹿親子の蛮行を知らせに来たのに、「皆が嫌がる役目を引き受けてくれるなど、素晴らしい慈愛の心の持ち主だな」と平和なコメントが返って来たらしい。
耄碌したんだろうなとシリウスはその話を聞いて思った。皇帝と言えども老化には勝てない。先帝も晩年は朝食を食べて十分後には、食事はまだかと催促するという奇行に走っていた。出されたら出されたで普通に完食するので、料理が無駄にならずに済んでいたようだが。
戦闘経験の一切ないマリアライトが魔族と決闘。大蛇に蛙を向かわせるようなものだ。
「……殺すぞ」
マリアライトを蛙に例えてしまった自身に殺意を抱いていると、目の前で顔面蒼白になっている文官が立ち尽くしていた。突然皇太子から殺害予告された彼の心境は語るまでもない。
「……すまない、お前のことではない」
「は、はい……」
思考の海に浸っていたせいで、部下の存在に気付けずにいた。もう一度「本当にすまなかった」と謝ってから用件を聞くと、文官がハッとした表情をしてから「コーネリア様が……」と口を開く。今日はもう聞きたくない名前の登場に、シリウスの表情が「無」と化した。
「もう一度マリアライト様にお会いしたいと仰っております。いかがいたしましょうか?」
「明日に出直して来いと言っておけ」
一日に三回もあの顔を見るのは体力を使う。どうせマリアライトに言い忘れた罵倒を浴びせに来たのだろう。
シリウスは人差し指で宙に素早く丸を描き、その中に紋を描いた。防壁魔法の陣だ。陣、または詠唱を使った魔法は魔力を多く消費する分、効力も強い。
コーネリアの魔力に反応して彼女だけを拒む不可視の壁。本音を言うなら直接出向いて追い払いたいが、ひとたびコーネリアの顔を見たら最後。マリアライトの可愛さで鎮火しかけた怒りが再び燃え上がる自信があった。
それにあの女には、こちらの方が肉体的にも精神的にもダメージが大きいはずだ。
「ああもう、殿下ったら面倒臭い魔法をかけるなんて……!!」
「だ、大丈夫ですか、お嬢様!? 一旦引き返した方がよろしいかと……」
「はぁぁぁ? ここまで来たら絶対にあの女からペンダントを取り返さないと、こんなに無理してる意味がなくなるでしょうが!」
全身が鉛のように重く、肌の表面に電流が絶えず流れているような痛み。しかも魔法を使おうとすれば、頭が割れるような激痛が走る。
後ろを歩く執事は何ともない様子を見ると、自分にだけ防壁魔法が発動しているらしい。恐らくシリウスの手によるものだ。
実際に対峙して分かったが、彼の魔力量はコーネリアと同等かそれ以上だった。流石は皇族とコーネリアは皮肉げな笑みを浮かべた。そのせいでこんな盗人のような真似を働くことになってしまったのだ。
入城が許されなかったコーネリアは一度目と同様に強行突破を目論んだが、それを予見したかのように城全体に張り巡らされた魔法が彼女を苦しめた。防壁魔法を解除するためには術者を攻撃するか、防壁を力ずくで破壊するかのどちらかだ。
当然壊すつもりだったのだが、何度試みても失敗に終わった。「絶対に入って来させない」というシリウスの強すぎる意思を感じる。
だがコーネリアも引き下がれない。それに魔法そのものの解除は出来なくても、一瞬だけ穴を開けられる。そこで警備が比較的手薄な裏門を狙い、穴が閉じ切る前に防壁の中へ飛び込んだのだ。
シリウスの魔法は壁内に侵入したコーネリアを決して許そうとせず、絶え間ない苦痛を与え続けている。
おまけに魔法まで使えない。そこで何の影響も受けていない執事に命じて自分たちの姿を透化する魔法をかけさせたが、気配を消せる程の効果までは望めない。
雑魚兵士の目は欺けているようだが、いつまでも持つか。城の敷地内に入れたものの、問題は城内に忍び込んだ後のことだ。マリアライトの傍らにシリウスが付いている可能性がある。
「……っ!」
うっすらと自分の体が見え始めていることに気付き、コーネリアは焦りを含んだ声音で執事に罵倒を浴びせた。
「もっとちゃんと魔法をかけなさいよ!」
「も、申し訳ありませんお嬢様。ですが、魔力の消費が激しい魔法でして……」
背後から苦しそうな執事の声が聞こえる。だがそれは、コーネリアの苛立ちを増幅させるだけだった。
「この程度で疲れるなんて、いくら何でも貧弱過ぎるわよ。それでよく私に仕えていられるわね」
「……申し訳ありません」
「謝れば済む問題じゃないの。誰のおかげで威張り散らせると思っているのかしら? 私のおかげよ、私の! そうじゃなかったら、あんたはどこにでもいる老い耄れ」
「………………」
「もういいわ。屋敷に戻ったら、お父様にあんたがどれだけ無能なのか伝えておくから。クビになりたくなかったら、土下座でもして……」
鬱憤晴らしも兼ねて、心ない言葉ばかりをつらつらと並べていたコーネリアの表情が強張る。
後ろにいたはずの執事の気配が消えていたのだ。
「ちょ、ちょっと、どこに行ったのよ……」
コーネリアの声に揺らぎが生じる。彼が離れてしまえば透化の魔法も切れてしまう。
今、この状況下で一人になってしまえば……。
「ちょっと怒られた程度で拗ねて、主の呼び掛けに無視するなんてかっこ悪いわよ。もうあんたなんて即刻クビにして……ねえ! 返事しなさいってば!」
何度叫んでも声が返って来ないばかりか、コーネリアの体は色を取り戻しつつあった。しかも、運が悪いことに兵士たちが談笑しながらこちらに向かっていていた。
このままでは気付かれる。それだけならまだいいが、今のコーネリアは無力に等しい。
部下に見捨てられ、自分なんかよりも弱い兵士たちに捕らえられる。そんな惨めな目に遭う未来がすぐ側まで近付きつつあった。
これまでに感じたことのない悔しさと恐怖で唇が震え、無意識に声が漏れる。
「た、助けて、おか──」
その刹那、誰かに背後から腕を掴まれた。誰なのか確認するより先に、不自然な場所に植えられている木の陰へ引き摺り込まれる。
「まーたエレスチャル公の娘が殴り込みに来たらしいぞ」
「マジか。マリアライト様も災難だな。ピシアでも酷い目に遭ってたらしいのに、こっちに来たらコーネリア嬢に目を付けられるなんて」
二人組の兵士が通り過ぎていくのを、息を殺しながら静かに待つ。その張本人がすぐ近くにいるのに気付こうともしない。彼らの声と足音が遠ざかっていくのを確認しながら、コーネリアは困惑の表情を浮かべた。
「またお会い出来て嬉しいです、コーネリア様!」
自分を窮地から救ってくれたのがマリアライトだったからだ。




