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「私の名はコーネリア。エレスチャル公の一人娘であり、この国の皇太子妃に相応しい女よ。あなたのように聖女というだけで、他には何の取り柄もなさそうな芋女と違ってね」
「………………」
「ふふ、驚いて声も出せないようね。自分よりもずっと美しい者が現れたことで、殿下からの寵愛を失うと焦っているのかしら? 哀れな女ね。このまま上手くいけば、あなたが妃になれ……ちょっとあなた聞いてるの?」
いくら煽りまくっても一言も言葉を発しようとしない聖女に、コーネリアが焦れて声を荒らげた。
マリアライトはコーネリアの耳を凝視していた。しかも、薄青の瞳を宝石のように輝かせて。勿論、コーネリアの話など全く聞いていない。
「い、てて……」
顰め面になりながらレイブンが起き上がる。そして、マリアライトと対峙している美女を見て仰天した。
「ギャアアア!! コーネリア嬢が出た!!」
気持ち悪い虫を見付けた時と酷似した反応だったが、それでもノーリアクションのマリアライトよりはマシだと判断したのだろう。他者を見下すような表情を装備したコーネリアが甲高い笑い声を上げた。
「あーら、あなたはシリウス殿下の周りをうろちょろしている烏じゃない。この聖女の護衛を任されたの?」
「ちょっと待って! 何であんたがこんなところにいるんすか!?」
「決まってるじゃない。この女の顔が見てみたいと思ったのよ。そもそも、今日やって来たのもそのため。なのに殿下ったら『貴様に会わせるつもりはない』の一点張りなんだもの。私に丸焼きにされると思ったのかしらね」
コーネリアが妖艶に微笑みながら、掌から赤い炎を出した。灰色の瞳に殺気を宿す。部屋に入ろうとした兵士たちの動きを止めるにはそれだけで十分だった。レイブンも迂闊に動けばまずいと、その場で留まったままだ。
「雑魚は雑魚らしくそこで大人しくしていなさい。私はこの聖女とじっくり話がしたいんだから……」
コーネリアはそう言って再びマリアライトへ向き直った。
「あなたがコーネリア様……!」
ようやく言葉を発したかと思えば、マリアライトは笑顔でコーネリアを見ていた。自分の結婚相手を奪おうとしている相手への反応ではない。
だが、彼女にとってコーネリアは今一番会いたい人物だった。それも向こうからやって来てくれたのである。テンションも鰻登りだ。
「え、ええ……そうよ」
思っていた反応とは違うが、とりあえず認識はされたので一歩前進した。コーネリアがマリアライトに掌の炎を近付けながら口を開く。
「エレスチャル公の一人娘で、この国の皇太子妃に最も相応しい女よ」
そして、先程はスルーされた口上を再度声高らかに言う。一番聞いて欲しい部分だった。
「どう? 私の姿を見て怖気付いてしまったんじゃないかしら?」
「怖気付く……」
だが、それで恐れ慄くマリアライトではなかった。何のことだと目を丸くしている。
頭の猫耳からつま先まで。じっくりとコーネリアを観察してから再度口を開いた。
「とっても綺麗で可愛らしいと思います」
「……ハァッ!?」
コーネリアの余裕が再度追い剥ぎにあった。白い頬が林檎色に染まる。
「あんた何馬鹿なこと言ってんの!? この炎が見えないの!?」
「はい、綺麗な炎ですねぇ」
「それ以外の感想は!?」
「それ以外……ええと……?」
「あなたの方が美しく可愛らしいですよ、マリアライト様」
甘く艶のある声色がマリアライトの耳元で囁く。
いつの間にかマリアライトの背後に立っていた青年が、右手から紫色の電撃を放った。コーネリアに向けて、一切の躊躇もなく。魔力全開で。
コーネリアもそれを間一髪のところで避ける。代わりに椅子が電撃を喰らい、一瞬で黒炭となった。
「ご無事のようで何よりです」
安堵の溜め息を漏らしながらシリウスがマリアライトを後ろから抱き締めようとするが、空振りに終わった。突如マリアライトがその場にしゃがみ込んだからだ。抱擁が失敗してバランスを崩しかけたシリウスだったが、すぐに体勢を整えた。
そして、怒気を滲ませた眼光をコーネリアに突き付ける。
「これはどういうことだ、コーネリア」
「何ってご挨拶よ、ご挨拶。人間の国から連れて来られた翡翠の聖女。果たして殿下の妃に相応しいのか、この目で確かめたかったのよ。それなのに、頑なに会わせてくれないんだもの」
「当然だ。貴様のような悍ましい女とマリアライト様を同じ空間に置くわけにはいかないだろう」
「随分な言い方ね。そんな女が本当に妃に相応しいと思っているのかしら。身の危険を全然感じていないのかと思ったら、あなたが来た途端ようやく実感したみたいで腰抜かしちゃって……」
瞬間、シリウスの双眸が血の赤に染まった。異変はそれだけではない。室内に無数の球電が出現し、紫電を迸らせている。
対するコーネリアも涼しい表情で、自らの周囲に煌々とした火球を作り上げていく。
優雅で華やかだった室内はものの数分で戦場と化した。泥沼とかそういう次元を遥かに超えていた。誰か一人くらい死なないと収拾がつかなそうな雰囲気すら漂っている。
レイブンは廊下の外に避難し、兵士たちと共に修羅場の行く末を見守っていた。
「シリウス様、せめてマリアライトさんをこっちに寄越して! あんたの側にいたら巻き添え喰らっちゃうでしょ!?」
「それには及ばない。マリアライト様にとって一番安心出来る場所は俺の側だ」
「一番危ねえっす!!」
仮にシリウスの言葉が真実だとしても、例外という単語が存在する。それが今まさにこの時だ。
「うわ……気持ち悪……」
ぼそっと呟いたのはまさかのコーネリアだった。一分一秒でもマリアライトにくっついていたいと欲望が駄々漏れの男に、本気の嫌悪感を示している。破滅的に難ありな性格であっても、感性はまともだった。
だったら諦めてさっさと帰ってくんねえかなと廊下の観客は願っているのだが、これと結婚しなければ皇太子妃になれないのだ。コーネリアとしてもここで引き下がるわけにはいかなかった。
「で、殿下、いくらあなたがその聖女を妃にしたくても、私が認めなければ無理よ」
「……何だと?」
「あら、そういえば教えるのを忘れていたわね。いいこと、私は……」
コーネリアの話を無視してマリアライトが立ち上がった。この状況をあまり気にしていないのか、のほほんとした様子でコーネリアへ接近していった。
想定外の行動を見せた聖女にシリウスが「マリアライト様!」と声を上げ、コーネリアは反射的に後ずさりをした。
「な、何よ……」
「こちらはコーネリア様の物ではないでしょうか?」
そう言ってマリアライトが差し出したのは、チェーン部分が切れたネックレスだった。灰色の宝石がそのセンターを飾っている。
コーネリアは反射的に自らの胸元に手を当てた。先程、シリウスの電撃を避けた拍子に外れてしまったのだろう。
戸惑う彼女の目を見詰めてマリアライトが言う。
「コーネリア様の瞳と同じ綺麗な色をしています」
「き!?」
コーネリアは猫耳がピンッと立てた。その光景にレイブンだけではなく、シリウスさえも奇異の視線を向ける。聖女様すげぇ、と誰が呟く声が聞こえた。
「お……覚えていなさい! 翡翠の聖女! あんたを『戦乙女の決闘』で叩きのめしてセラエノから追い出してやるんだから!!」
マリアライトに指を指して宣言するも、それは弱者を弄ぶ強者というより敗走直前の小悪党による捨て台詞のようだった。
周辺に浮かんでいた火球がコーネリアへと群がり、巨大な火柱と化す。
炎ごと消え去ったコーネリアに、マリアライトは困った表情を浮かべていた。
ネックレスを受け取る前にコーネリアが帰宅してしまったのだ。




