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マリアライトがセラエノを訪れてから一週間経つが、その頃になると生活にも慣れ始めていた。
昼夜問わず空がずっと真っ暗なので不思議な感覚が続いていたが、三日過ぎると気にならなくなった。外にも中にも光の球が浮かんでいるので、暗くて困るということもない。
そして、植物が普通にすくすく育っている。大抵の植物は日光がなければ育つことが出来ない。そのせいか、夜の時間帯や分厚い雲で太陽が覆い隠されている時は、マリアライトの聖力を使っても育ちが悪かった。
なのにセラエノは、このような環境下でも農作業や生花業が盛んであるらしい。他国から食料を輸入しているということもなかった。
シリウスが殺されかけた反乱が鎮圧されたのは、発生から二ヶ月後。そんな短期間で解決出来たことも驚きだが、帝都への被害が全く見られないことが不思議だった。
もしかしてわざと反乱を起こさせたのかもと、レイブンはうんざりとした面持ちで言っていた。真実がどうあれ、何の罪もない民が戦火に焼かれるようなことがなかったのはよかったとマリアライトは思う。
平和が戻っていなければ、きっとシリウスもマリアライトをこの国に連れ帰ることはしなかっただろう。
「マリアライト様、大事なお話しがあります」
そして、そのシリウスが真剣な顔をしてマリアライトと向き合っている。
メイドが美味しい紅茶とクッキーを用意してくれたのに、彼はそれらに手を付けずにマリアライトをじっと見詰めている。やがて二人きりで話したいことがあると言って、メイドたちを部屋から出した。
何だか覚えのあるシチュエーションだと思ったら、ローファスとの最後の茶会と雰囲気が似ているのだ。
三度目。という言葉が一瞬だけマリアライトの脳裏をちらついたが、何故かすぐに泡のように消えてしまった。それはきっとシリウスの声が硬質でありながら、優しさを含んでいるからだろう。
「あの……ですね」
「はい」
「俺の心臓が爆発しそうです」
「あら……」
自らの左胸を押さえ、切々とした表情で告げられた内容は重量感があった。魔族特有の病にでもかかってしまったのだろうか。
こうして茶会を楽しむ余裕などあるのだろうかとマリアライトが案じていると、シリウスはとくとくと語り続けた。
「セラエノに来てからというものの、マリアライト様は愛らしさが増しています。それを見ていると……何かもう胸のときめきが止まりません」
「私が原因ということは、重いご病気ではないのですね。よかった……」
「レイブンから何故か頭の病気を疑われたので医官に診てもらいましたが、特に異常はないとのことでした」
やはりそのような病が存在するのかもしれない。マリアライトが真面目に疑っていると、シリウスは深く息を吐いた。
「とにかくマリアライト様は以前にも増して可憐になられました。俺のような男からの言葉で幸せそうに笑うことが多くなったかと思います」
「それは本当ですか?」
「はい! いつまでも抱き締めていたくなるような可愛さです!」
「きっと陛下のおかげですね」
「は……は?」
シリウスの相槌が打たれることはなかった。突然話題に登場した父に思考が追いついていないようだ。
シリウスの戸惑いに気付かないまま、マリアライトは緩やかに微笑んでいる。
「陛下が私に魔法の呪文をかけてくださったのです」
「……魔法ですか?」
「はい。初めてお会いした時に」
あの御方には本当に感謝しているのだ。彼と二人きりで言葉を交わした時のことを思い返していると、シリウスの瞳が少しずつ赤くなっていた。
「シリウス? 目が赤くなっているようですが……」
「その魔法の呪文とやらの効果はどのようなものでしたか?」
感情の籠っていない、冷たい金属を彷彿とさせるような声だった。風が吹いていないのに食器がカタカタと揺れている。花瓶に活けていた花が急速に萎れていく。
シリウスの周囲では赤い火花が散っていた。
「陛下はシリウス様を真に愛することが出来ると仰っておりました」
何だか花火のようで綺麗だ。そう思いながらマリアライトが答えると、火花が掌サイズの火球となって爆ぜた。
「……あの男に裁きを下さなければなりません」
「シリウス様?」
「いいですか、マリアライト様! 確かに俺はあなたが俺を愛してくださることを望んでいます! ですが、誰かに強制されたり偽りの心を植え付けられるなど……!」
「いいえ、そのようなことではないのです」
ウラノメトリアがかけてくれた魔法の呪文は、彼が思っているような邪悪なものではないのだ。
「陛下は『愛するのではなく、まずは愛されることを思い出せ。そして自覚するように』と仰いました」
「……それだけですか?」
「それだけですが……?」
シリウスの周囲に浮かんでいた火球が消え、彼の瞳も翡翠色に戻る。
彼は自分のために怒ってくれていたのだ。その考えにようやく至り、マリアライトはおかしさと嬉しさで小さな笑い声を漏らした。
「あなたを一人の男性として愛せるか不安だった私の心を、陛下は見抜いていました。その上で、アドバイスしてくださったのです」
「そういう……ことですか」
ホッと安堵したシリウスに、マリアライトは眉をほんの少し下げて微笑んだ。
「シリウス様としては物足りないかもしれませんね」
「そのようなことはありません。あなたからどう思われようと、俺はあなたを愛して守り続けると決めていますから」
「……ありがとう。あのですね、シリウス様から愛されていると考えるようになってから、心がふわふわして温かくて、『ああ、幸せだな』と思えることが多くなって……シリウス様?」
神妙な面持ちで話を聞いていたシリウスが両手で顔を覆い隠している。髪の隙間から見える耳や首は真っ赤に染まっていた。
まるで恥じらう乙女のような光景にマリアライトが首を傾げていると、蚊の鳴くような声が聞こえて来た。
「あなたのことを世界で一番幸せにしてみせます……」
いつか本当の意味で恋をすることを思い出すはず……
次回はその頃王太子は編をやって、そこから悪役令嬢編に入ります




