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レイブンが文官たちから「助けてください」と泣き付かれたのは、食堂でステーキを頬張っていた時だった。ごゆっくりお休みくださいと言われたので、ゆっくり好物を堪能していたら「いたぞ! レイブン様だ!」と彼らに囲まれたのだ。悪いことをした気分である。
「……どうしたんすか?」
「も、申し訳ありません。レイブン様のお力を是非お貸しください……!」
「我々はあまりにも無力です……」
「え、怖……ほんとどうしたの」
まさかまた反乱起こった? とレイブンが身構えていると、一人が狼狽した様子で訴え始めた。
「シリウス殿下についてです……」
「シリウス様に何かされたんすか? それとも言われた?」
シリウスとは長い付き合いになるが、彼が理不尽な理由で家臣を困らせたことは殆どなかった。
遊び惚ける駄目兄貴が何人もいるというのに、自分は我儘を言わずに公務に携わる姿を見ていられず、レイブンは彼の側近であり続けた。第何とか皇子から給与アップを条件に引き抜きを打診されたが断った。
弟の部下を金で釣ろうとするくらいなら、弟の仕事を少しは手伝えやと憤ったのを覚えている。
その駄目兄貴こそがハニートラップにまんまと嵌り、美女と一夜を共にした翌日に冷たくなっていた皇子なのだが。
「シリウス殿下はセラエノにお戻りになったばかりです。それに長旅でお疲れでしょう。ですから暫くはお休みになるか、聖女マリアライト様とお過ごしになるようにと申し上げたのですが……」
「ですが?」
「全く休んでくれません」
「休まないでお仕事してるんすか?」
「はい」
「俺なんてステーキ食っちゃってんのに?」
「はい」
あ、これ肉食ってる場合じゃねーわ。レイブンは手からフォークとナイフを滑り落とした。
執務室に行くと、本当にシリウスが書類の山に囲まれていた。
「シリウス様ー。俺が飯食えないんで休んでくださいっす」
「俺は疲れていない。俺に気にせず肉でも魚でも食べていろ」
「あんたね~~! そこら散歩した後に一仕事すっかみたいなノリでやっちゃ駄目!」
暗殺されかけて国を離れ、ようやく戻って来られたのだ。少しくらいのんびりしても許されるのではないだろうか。というより、休めと言いたい。
帰って来て早々仕事をしろだなんて、この国はそんな鬼畜思考ではない。
「俺はマリアライト様の下で休み過ぎた」
「休んだとは違うでしょ。連絡手段持ってる俺が迎えに行くまで下手に動けなかったわけだし」
「動こうと思えば動けた。だが、お前が来るまではと自分を甘やかした。それも利己的な理由でな」
ちょっと元気がなさそうなのは、身体的に疲れているのではなく、自己嫌悪に駆られているからだろう。
小さい頃からお仕事一筋で、そのせいで皇太子に選ばれてしまった彼が動かずにいた理由。そんなの一つしか心当たりがない。
「マリアライトさんと一緒にいたかったとかっすかぁ?」
「……俺は心の弱い男だ」
シリウスは目を通していた書類を机に置き、首を横に振った。
「まーまー。あんたガキらしいことしないで大人の手伝いしてたんだから、全然許されると思うんすけどね。マリアライトさんの所に行っていちゃつけばいいのに」
「それについても迷っている」
シリウスはすぐに言葉を返した。
「俺も今すぐマリアライト様にお会いして、あの笑顔を見て癒されたいと思う。可憐なお声も聞きたいし手も握りたい」
「あんだけ好き好きオーラ出してたわりには、結構普通の願望っすね……俺はてっきりマリアライトさんの手にしゃぶりつきたいとか、ヤバいこと考えてると思ったっすわ」
「………………」
「何その『それいいかも』って顔! 絶対やっちゃ駄目よ!? いくらマリアライトさんでもドン引き必至っすよ!?」
冗談でも言わなければよかった。レイブンがそう後悔していると、シリウスは窓の外に視線を向けた。
「だが、マリアライト様はまだ整理がついていないようだ。少しお一人で考える時間が必要かもしれない」
「整理?」
「あの方は俺の妻になることを迷っておられるご様子だった」
「迷ってるなら、とっとと口説き落としちゃった方がいいんじゃないすか? 心変わりされたら、あんた振られちゃうっすよ」
「無理強いはしたくない。マリアライト様をあの国から連れ出した一番の理由も、これ以上道具扱いされるのを防ぐためだ」
「まあ、そうっすね」
マリアライトが王族から受けた仕打ちはあまりにも酷かった。身勝手な理由で彼女を手離しているが、あのような連中は何かあればまた頼ろうとするのだ。マリアライトも彼らの言う通りにするだろう。容易に想像出来る。
「俺はマリアライト様の幸せを誰よりも願っている。マリアライト様が望まれないのなら、結ばれなくてもいいと思っているし、それでも彼女を愛し続けるつもりだ」
「あんた、将来皇帝にならないといけないのに、誰も娶らないのはちょっとまずいんじゃ……」
「だったら皇位継承権など他に譲るさ。皇帝にならなくとも、この国とマリアライト様をお守りする方法はいくらでもある」
それは困るとレイブンは心の中で思った。多分皇帝陛下も「ちょっと待って」と止めるはずだ。
レイブン個人としてはシリウスの好きなように生きて欲しいと思うが、家臣としてはそうもいかない。
「どうにかマリアライトさんがシリウス様を男として見てくれるといいんだけどなぁ……」
反乱騒動も終わり、平和を取り戻した国に帰って来て早々大きな悩みに直面するとは。
「……!」
シリウスが突然椅子から立ち上がり、勢いよくドアを開ける。目で追えない程速すぎる動きだったため、レイブンには瞬間移動したかのように見えた。
「ひっ、シリウス殿下……!?」
「シリウス様、よくお気付きになりましたね。まだドアをノックする前だったのに」
来訪者はメイドを連れたマリアライトだった。どうやら彼女の気配を察知して素早い行動に出たらしい。
「マリアライト様、如何なさいました?」
「メイドの方が美味しいクッキーを焼いてくださったのです。よろしければシリウス様もご一緒に……」
「食べます」
マリアライトが言い終える前にシリウスは答えた。会いたくても会わずにいたせいか、機動力が無駄に高くなっている。
「あなたからこうして誘ってくださって、とても嬉しく感じます」
そして息を吐くように、甘く熱を帯びた声を出す。
恐らく無意識だろうが、破壊力がある。付き添いでやって来たメイドが頬を真っ赤にしている。顔もよくて声もいいのは反則だ。
だがしかし、肝心のマリアライトには恐らく効き目がない。そう思いながらレイブンは彼女へ視線を向け、硬直した。
「……私もお誘い出来てよかったと思います」
聖女の白い頬にはうっすらと朱が散っていた。
マガジンの「!?」がつくやつ




