暗躍の気配
怪しい雲行き
強い衝撃に木箱は大きな音を立てる。蓋が外れ、髪留めや櫛が飛び散った。
一瞬でクオンとレオンが身を割り込ませ、ユフィリアを守る。叩きつけられた蓋の一部が飛んできたが、レオンの足に踏まれる。破片の大部分はそこで押しとどめられたが、地団太踏むメイドの足に当たり、小さな螺子がころころと転がってユフィリアの靴先にコツンと当たる。
「ふざっけんじゃないわよ! 獣の国に嫁いだ畜生女がお高くまとまって! 皇后って言っても所詮は――」
メイドが激怒して、侮蔑の罵声を吐き捨てる。今にもユフィリアに飛び掛かりそうだが、クオンが通さない。メイドの標的がクオンに切り替わるその時、ヒステリックな声が止まった。
理由は本能的な違和感だ。人間のメイドですら感じたその正体は恐怖である。すぐ後ろから、凄まじい気配がする。圧倒的な強者がメイドに強い敵意を剥き出しにしている。
ユフィリアは驚かない。そろそろ来るかと思ったのだ。いくら距離があろうと、ヨルハの翼なら馬より早く辿り着く。
「ユフィ、この女……どうする?」
表情を削ぎ落としたヨルハが、メイドの後ろから見下ろしている。
すぐに殺すと言わないあたり、相当我慢している。ユフィリアの前で笑顔が作れないくらい、ヨルハは怒っている。
そもそもが迫力ある美形なので笑みが消えるだけで途轍もなく怖い。怒り以外の感情が一切見えないその黄金の瞳は炯々と輝き、視線だけで人を殺しそうだ。
このままだとヨルハが天幕どころか会場を吹き飛ばし、そのまま皇帝のバーデンに殴り込みをしそうだとユフィリアは冷静に考えていた。
「どうしましょう? ……そういえば、さきほど螺子が靴に当たったわ」
その螺子は木箱の部品だ。蓋が壊れた拍子に外れ、メイドの足でユフィリアの足元まで転がってきた。
大きな破片や、荒ぶるメイドは護衛たちが阻んでくれたので、特に危険性にないものだがなんとなく口から出てしまった。
「よし、殺そう」
即決するヨルハに驚かなくなった。最近、感覚が鈍くなってきたと思うユフィリアである。
怒髪天を衝いた状態のヨルハに、ユフィリアのほうが冷静になってくる。
先ほどまでユフィリアたちに居丈高なほど強引だったメイドたちは、ヨルハの怒りにあてられて腰を抜かしていた。涙を流しながら、鼻水を垂らしている。一部、スカートを濡らしている娘もいた。
今日は気温が高い。その暖かさや湿気もあってか、アンモニア臭がこちらまで漂っていた。
(何を企んでいたかは分からないけど……失敗したようだからとりあえずは終わりにしましょうか)
メイドたちの不自然な動きは感じていた。だが、その目的までは分らない。
ユフィリアを着替えさせて何がしたかったのだろう。飲み物は護衛への嫌がらせだけのようだったから、別に目的があったはずだ。
下手人としてもメイドはお粗末すぎる。最初から切り捨てるための実行犯と考えたほうがしっくりくる。きっと追及しても無駄だろう。
ユフィリアは頭を切り替え、ヨルハの機嫌を直すことに集中することにした。
「それより、成果はいかがでしたか?」
「優勝したよ。一番大きい鹿を取ったんだ」
予想はしていたが、さすがヨルハである。ユフィリアも自分のことのように誇らしく、思わず嬉しくなってしまう。
狩りの報告をするヨルハの機嫌は、少し上向いている。この話題で少しずつ注意を逸らしていこう。
「まあ、それはおめでとうございます」
素直に喜んでいるユフィリアの笑顔に、ヨルハの抜け落ちた表情が戻ってくる。殺戮者から年相応の恋する青年の笑顔になる。
護衛たちは「さすがユフィリア様……」と内心で驚嘆する。さすがは『番様』である。ヨルハの転がし方を心得ている。
ヨルハはユフィリアを抱きしめながら、優しく見下ろして喋り出す。
「角だけでもって思ったけれど、大きすぎて天蓋に入らなそうだから置いてきたよ。なんかメーダイルの連中が解体させろって騒いでるけど」
角だけですら難しいなんて、どれだけ大きな鹿なのだろう。ユフィリアはヘラジカのようなものを想像する。ヨルハにとってはどうってことはない獲物だったけれど、メーダイルでは狩るのが難しい強い魔物なのかもしれない。そういった素材は高い効能を持つものが多く、稀少価値が高い。値段も跳ね上がる。
ゼイングロウに弱みを見せたがらないメーダイルが必死になるくらいだ。相当の価値になると推測できる。
「素晴らしいですわ。是非、記念にゼイングロウに持っていきましょうね」
「うん、ユフィが好きにしていいからね」
これくらいの意地悪は可愛いものだろう。
救護室の天蓋の外で、どよめきが起こっていても知ったことではない。
その後、ヨルハはユフィリアと共に離宮に戻った。表彰台は優勝者不在で行われ、盛り上がりにかけたそうだが、それも自業自得という奴である。
狩猟大会が終わった後、バーデンとライラは謁見の間に立っていた。
昼間は彼らがいる二つの玉座は、一つしかない。そして、そのたった一つの玉座には、彼らではない別の誰かが座っている。
背もたれが高くなっている玉座の後ろには、人の背丈より大きい肖像画があった。
バーデンたちの位置からは上等なビロードのカーテンが半ばまでかかり、全容は見えない。そこからわかるのは、恐らく若い女性の肖像画だ。細い顎、白い鎖骨と襟の刺繍、波打つ髪が見える。顔立ちや表情はうかがえないが、髪色が明るいのは薄暗い中でもわかる。
バーデンとライラはそれを咎めるわけでもなく、慣れた所作で膝をついて恭順の意を示す。
「しくじったか。無能め」
低い老人の声だ。彼らの主は静かに苛立ちを示す。その怒りを受け止めるバーデンとライラ。
そもそも、彼らの主が上機嫌なことなどめったにない。彼の厭う獣人たちを嵌めたり、痛めつけたりした時くらいだ。
「新しい皇后はユフィリアだったか? 小娘に振り回されおって……次の失敗は許さんぞ」
ふんと鼻を鳴らす。実に馴染んだ傲慢な仕草だ。その拍子に、一筋の髪が月光に照らされる。癖のない長い金髪が、暗い中で揺れる。
老人が立ち上がり、一歩出るとネックレスからシャラリと金属音がする。金色の房で縁取られた深紅の衣を肩に掛け、白い胴衣を着ていることが分かる。
それはこの国のかなり古い式典衣装だ。今は歴史書にしか乗らないくらい遥か昔のである。
メーダイル皇帝夫妻に、当然のように傅かれる老人。そして傅く皇帝夫妻。
「「御意に」」
歪な謁見の間に、二人の男女の機械的な声が揃う。
つまらなそうにそれを一瞥すると、老人は下がるように命じる。バーデンとライラは最後まで顔を上げることなく、退室した。
静寂が訪れた謁見の間で、老人は玉座に再び座る。
「ユフィリア……愛称はユフィか? それともリアか?」
どちらでもいいか、と独り言ち、くっと老人の口角が上がる。何か思いついたように、そして思い出したように。
その不気味な笑みは、彼しか知ることはなく夜は更けていった。
同時刻、ヨルハはユフィリアの隣で目を閉じながら、意識を集中していた。
隣で彼の大事な番は、安ら中寝息を立てていてこの上なく幸せだ。癒される。
場外の野鳥と、意思疎通を図っていたのだ。城に来たがらないというか、来られないらしく、城壁近くの木で止まっている。魔鳥であれば呼べば来るが、そうでもしないと近づきもしない。
正直、隣のユフィリアに集中したいが今は我慢だ。
夜に活動できる鳥は限られている。基本、鳥は暗いと視界が悪く、すぐに寝てしまう種が多い。
そんな時、思いがけず飛んできたのは小型のミミズクだ。モルガナから伝言を預かっているらしい。防護の魔法なのかシャボン玉のような薄膜に守られていたから、城内に入ってこられたようだ。
ミミズクの足に括りつけられた、よれて紙屑のような手紙を受け取る。
『財布スられちゃった。そんで食い逃げ扱いされて詰所に捕まっているんだ~。出たらそっち向かうね!』
手紙を握りしめた。苛立ってそれ以上は見れなかった。
そもそもメーダイルの建国祭行きの馬車に同行するはずだったのに、寝坊するは、途中で脱線するはでまだ辿り着いていない。そもそもユフィリア以外には面倒見の悪いヨルハは、自分より年齢ダブルスコアを遥かに超えた若ジジイの尻拭いをしたくない。
ヒト族至上主義のメーダイルでは、エルフは迫害対象。一部の魔法兵以外は、ろくな扱いをされないのに、暢気なものである。
(……そういえばここエルフ臭いよな)
姿は見えないが、王宮を歩くエルフがいるのだろう。もしくは、普段は姿を隠しているのかもしれない。
兵士以外にも、奴隷がいる可能性もあった。見目麗しいエルフを愛玩用に欲しがる腐った連中はいる。特に特権階級や富を持った者に多い。
街中には思ったより獣人の匂いがした。労働力として、不当にゼイングロウから連れ出された国民や、その子孫の可能性が高い。
(……祭りの夜なら浮かれているのも多い。回収させるか)
ユフィリアと外に食べに出ている時、目星は付けていた。
街中なら鳥より鼠のほうがいい。建物内に侵入できる。子の一族の情報網が役に立つだろう。
ちょうどモルガナが近隣にきているから、魔法で隷属させられている獣人たちを解放できる。モルガナは適当エルフだが、その魔法の豊富な知識と多くの経験、そして熟練の技巧を持っていた。
(それに、長年この街にいるなら知っている情報も多いだろう)
今は厳戒態勢だが、普段は違うはずだ。この城の違和感の正体を暴けるかもしれない。
読んでいただきありがとうございました




