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ささやかな一矢

釘をさす


 ついに鉄の無表情代表のトウダが決壊する。大きく吹き出した。同時に耐え切れなくなったクオンとレオン、そしてクルトまで天蓋に入ってくる。


「姉さん! 俺たち真面目に仕事中!」


「やめてよ! 本当にやめて!」


 クオンとレオンの切実な訴えに、ミオンは軽く肩を竦めるだけだ。クルトは入り口近くで蹲って笑いを堪えている。本当は転げまわりたいのを我慢しているのだ。


「分かった、分かった。戻りなさい」


 ミオンの足元では、笑いすぎて立てないソービがいた。果実水の入った瓶を割らないように掲げており、怪しい礼拝のようなポーズで震えている。

 そんなぎりぎりのソービから果実水の瓶を取り上げて、なんでもないようにユフィリアへ新たなグラスを用意して注ぐ。軽く匂いを嗅ぎ、一口飲んで毒味も行う。

 始まりを知らせるファンファーレが鳴り響き、狩猟会場側にある窓が開かれる。そこから観覧するのだ。

 寝そべりながら観覧することも可能なので、実に優雅なものである。

 だが、こちらから競技者を見られるのだから、相手からも見られる可能性は十分にある。ましてや、ユフィリアの夫は梟の獣人だ。すこぶる目が良い。明るかろうが暗かろうが抜群の視力と視界を持っている。

 裸眼だと豆粒のような人たちが、馬と思しき黒っぽいものに乗っている。ユフィリアは双眼鏡を持って再度確認すると、目当ての人物を見つけることができた。

 銀糸の刺繍の入った黒いジャケットと赤のベスト、白いズボンに焦げ茶のブーツ。よくある出で立ちだが、体格とその抜群のスタイルですぐに分かる。


(ヨルハ様……! 弓を持つ姿は初めてです)


 ヨルハは自前の爪のほうが鋭いし、翼から飛ばした羽根自体が武器になる。そんな自前の飛び道具搭載なので、弓など使わない。そもそも下手な剣より自分の爪のほうが頑丈で鋭利なのだから、素手のほうが強い。

 こっそりとレアなヨルハの姿に喜んでいたが、黄金の双眸はすぐさまユフィリアのほうへ向いた。


「えっ?」


 思わず小さく言葉をこぼすと、にっこりと笑ったヨルハがこちらに向けて手を振る。

 絶対見えているし、気づいているし、聞こえていた。

 自惚れではなく、経験則からくる判断だ。ヨルハのあの笑顔は己にしか向けられないと、ユフィリアは自覚している。

 天蓋の外から黄色いどころか、ギンギラな黄金のように色めき立った悲鳴が上がる。ユフィリアと同じように、双眼鏡で出場者を見ていた貴婦人たちだろう。

 獣人を蔑む割にヨルハに対しては好意的――というより、明らかに秋波を送ってくる女性がいる。ヨルハは梟になれるが、変身前は人間と大きく変わらないからだ。

 離宮にいる時、ユフィリアの耳にすら、ヨルハに言い寄るメイドの声が入ってくる。

 不安にはならない。ユフィリアが相手に同情してしまいそうなくらい、露骨に嫌悪や拒絶を交えて断っているからだ。その言い方がオブラートに包むなんてもんじゃなく、いがぐりになって相手を突き刺している。

 普段は吹雪と言葉のいがぐり搭載のヨルハが、その美貌に笑みを乗せて大盤振る舞い。周りが沸き立つわけである。

 見慣れているユフィリアすら鼓動が高鳴るのだ。あんな彼を知らない女性たちの反応は分かる。


(そもそも、私に向けられた笑顔ですもの……妬いたりなんて、しない。)


 少し嘘をついた。嫉妬はちょっとある。あの表情は、ユフィリアへのものだ。他の人に見て欲しくない。だけど、そんな狭量な自分が嫌である。

 ヨルハは馬に乗りながら、森に入るぎりぎりまでユフィリアに笑顔で手を振っていた。

 さすがに木々の中に消えた後は、真面目に狩りを始めたと思いたい。


(どさくさに紛れて、ヨルハ様が襲われたり……)


 心配したが傍にいる獣人がその憂いをすぐに払拭してくれる。


「あ、ヨルハ様、でっかい蛇を狩ったみたいです」


「蛇って獲物にこっちではカウントされるんでしょうかね」


「あ、この足音は鹿……じゃないな牛と戦っていますね」


 ユフィリアには分からないが、獣人たちは僅かな音を聞いて情報収集をしているようだ。黒い耳をぴくぴくと動かしながら、黒豹姉弟たちが実況してくれる。

 ソービやクルトも耳を動かしているが、そこまで判別できないようだ。トウダは首を傾げているから、聞こえているか微妙である。

 音による諜報は寅の一族が得意分野なのだろう。

 双眼鏡を持って、必死に森に目を凝らすが全然分からない。時々上がる細い煙は、怪我人などが狼煙を上げて救助班を要請するからだ。

 一部の参加者は早々に引き上げている。優勝狙いにやりこんでいるタイプではなく、記念に参加した者や、付き合いできた者たちだろう。

 参加者がこちらに来て、目当ての令嬢やご夫人に成果を捧げている。大半が雉や兎といった小型の獲物だ。中には血や死体を苦手とする女性もいるので、一旦獲物は袋に入れて花や装飾品でプロポーズや告白をしている参加者もいる。


(なるほど、獲物は口実の方も多そうね)


 きっと、森にはあらかじめ小型の獲物は放ってあるのだろう。全く獲れないのと、一つでも成果があるのでは大違いだ。

 逆に、今の時点で戻ってこずに奥に行っているのはガチ勢。つまり、本気で優勝や好成績を狙う参加者だ。

 ふと視線を寄越せば、跪いて十代半ばの令嬢に薔薇を差し出しているご子息がいる。ご令嬢の顔が真っ赤なのは、気温のせいではないだろう。ご子息も負けず劣らず真っ赤で、互いに焦り、気恥し気にしているのが初々しい。

 その姿に番探しにやってきたヨルハと、それに戸惑っていた自分を思い出すユフィリアである。

 その時、馬の嘶きと大きな音が響いた。ユフィリアが音の方向を向くと、大きな馬がこちらに突進してきている。騎手の手を離れ、暴走している。

 物が壊れる音、悲鳴、やたらと明るい外が妙に印象的でぼうっと見てしまう。危険が近づいているのに、何故かスローモーションに見えた。

 蹄が、ユフィリアの顔に向かおうとしていたが、そのまえに誰かが割り込んだ。


「お下がりください……!」


 腕で黒い蹄を受け止めたのはトウダだ。顔を顰めながらも、何とか馬を抑えている。馬は口から白い泡を吹きながら、血走った目で頭を振っているが、その手綱をクルトが掴む。


「よくぞ止めた! よし、落ち着くんだ!」


 クルトが声をかけると、馬の覿面に様子が変わる。荒っぽかった動作が落ち着き始め、頭を振り乱すのをやめる。トウダから足をどけ、地面に蹄をつけると嘶きも穏やかになっていた。

 呆然としていたユフィリアは、いつの間にかミオンに運ばれ、移動されていた。いつでもユフィリアを抱きかかえたまま逃げられるようになっている。クオンとレオンはその左右で、警戒していた。

 耳を澄ませばここ以外でも騒ぎは起きているようだ。


「ちょちょ、な、なに!? 何事!?」


 転がるように天蓋の中に入ってきたのは、氷を分けてもらいに行っていたソービだ。

 外気温が高いので、天蓋の気温も上がり始めていた。ユフィリアが体調を崩さないようにと配慮したのだ。


「私は無事です。でも、庇ったトウダさんが……」


「えっ! あー! トウダの腕、折れてない!? 痣凄いよ!?」


 トウダの腕の異変に気づき、テーブルに氷をおいて救急箱を探しに走るソービ。侍女としてのお澄ましモードはどこかへ消えている。

 ユフィリアもトウダの腕を見て、内ポケットの中身を漁る。毒対策用は持っていたが、骨折や打撲に効く薬はなかった。


「この氷で冷やしましょう。冷水で傷口を洗って……氷嚢を作れる袋はありますか?」


 離宮に戻れば薬を調合できるが、トウダは首を横に振る。要人ではなく、護衛の怪我でそこまで騒ぎにはできないと拒んだのだ。

 せめてできるだけの手当てでもと思うと、知らない使用人たちが雪崩れ込んできた。


「まあ、大変! ゼイングロウ皇后陛下、お怪我はありませんか?」


「このままいては危険ですわ。さあさあこちらへ!」


 囲い込んできたと思ったら、強引にユフィリアを連れて行こうとする。

 ミオンたちが断るが安全のためだとゴリ押してくる。安全を前面に押し出し、数で攻めてくる。相手も引かないので、仕方なく移動することになった。

 行き先は、体調不良や怪我人のための救護室兼休憩室だ。

 特に駆け込んでいる人はいない。参加者も観覧者も貴族や特権階級ばかりだ。皆、使用人を連れているので、ここで世話になるほど重症者がいないのだろう。


「今日は気温も高いですので、水分はお取りになってくださいませ。メーダイルの人気のフルーツティーがありますのよ。ミントティーにライチをベースに入れるのが最近の流行ですから、是非、ご賞味ください」


 ミオンがさっとグラスを手に取り、軽く匂いを嗅いだ。その瞬間、ミオンの頭が後ろに揺らいだ。耐えるように頭を押さえてふらつく。


「ミオン!?」


 異変に察したユフィリアが声を上げる。ユフィリアの声に少し反応したミオンだが、だらりと手が下がりグラスを落とし、そのまま体を傾がせた。

 すぐにミオンを支え、フルーツティーの入ったグラスを取るのはクルトだ。険しい顔をしつつも軽く匂いを嗅ぐ。


「……これは、ライチやミント以外にも柑橘類が数種、林檎、キウイ、蜂蜜……のベースまでは分からないな」


 クルトは馬の獣人だ。体力や走力は圧倒的に軍配が上がるが、格持ちであってもミオンより嗅覚は鋭くないが、それでもいくつか材料を判別できた。


「キウイはマタタビと近い種類です。ミオンはそれにあてられたのでしょう」


 だが、普段ならキウイ程度では酔っぱらわない。果実を食べても平気だ。何かしたに違いないが、入ってきたメイドたちは驚いたように口に手を当てている。

 白々しい仕草だ。口は隠していても、目は笑っている。こうなると分かっていたのだ。

 護衛の中で一番鼻の利くミオンは、真っ先に毒味をする。嗅覚ですぐに判別できるうえ、毒への耐性も高いからだ。

 このフルーツティーはネコ科獣人を潰すために作られたようなもの。運が悪ければクオンとレオンもやられていた。

 ミオンが倒れてもなお、メーダイルのメイドたちは飲み物を進めてくる。


「喉は乾いていませんの。遠慮いたしますわ。そろそろ陛下もお戻りになるでしょうし、天蓋へ戻っていいかしら?」


「まあ、いけませんわ。お召し物が濡れております。お着替えをなさった方が良いですわ」


 ユフィのゼイングロウ風の衣装を見て僅かに嘲笑を滲ませたメイドたちに、ユフィリアは腹の中が煮えくり返る。

 だが、それを静かに律して抑え込んだ。ここで食って掛かったら、相手の思うつぼだ。


「そうね。こまったわ。これでは陛下をお出迎えできませんから、離宮に帰ると致しましょう」


 メイドたちがドレスを持ってきたことは視界の隅に捉えていたが、視線を別方向にずらす。さも困ったかのように、ソービに視線を送った。

 扇を開いて口元を隠し「準備を」と吐息のような小さな声で伝える。ソービは頷き代わりに一礼をして、移動用の日傘を準備する。

 それに焦ったのはメイドたちだ。


「お、お待ちください! 皇后ともあろうお方が、汚れたお召し物で外に出るなんて……!」


 制止の言葉を言い終わる前に、音を立てて扇を開く。大きく乾いた音が響いた。

 これは明らかな警告の合図だ。メイドたちも上流階級に多く接する宮仕えの立場だ。意図するところを察し、条件反射のように黙り硬直する。

 本来、ユフィリアはメイドの機嫌を窺うような立場じゃない。


「馬は乱入してくるし、知らないメイドが押し寄せてくるし、こんな恐ろしい場所はもううんざりと思うのは仕方ないのではなくて?」


 いつも上品で優しな笑みを浮かべているユフィリアが、はっきりと怒りを露わにした。

 メーダイルの使用人たちはやたらと侮ってくるが、本来ならユフィリアの一声で首を飛ばせるような下女ばかり。穏やかなユフィリアはそんなことを好まないが、いい加減に積もりに積もったものがある。


「使用人が皇后()の言葉を遮るなんて、なんて行儀が悪いのかしら。メーダイルには教養がある者がいないのね」


 眉を顰めるというように、困ったような笑い方。幻滅の失笑を浮かべたユフィリアが、大げさにため息をつくと、ドレスと一緒に装飾品を持ってきたメイドがあ然とする。

 そして、言葉を理解して一気に怒気で顔を赤く染め上げた。衝動のままに、手に持っていた木箱を地面に叩きつける。


読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
はかりごとするのに煽り耐性が無い人配置しちゃダメじゃん!
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