今夜の晩餐
それぞれ思うところあり
嵐のようだったバーデンとライラが帰った後、ヨルハは不機嫌そうだった。
もくもくとユフィリアを撫で続けて、何とか自分で機嫌を取ろうとしている。ユフィリアはそれを分かっていて、一度もソファから立ち上がらない。
正直、ユフィリアはあの無礼なメーダイルの皇帝夫妻に相手に、よくヨルハが我慢できたと思っている。ヨルハ一人だったら気にもしないだろうけれど、あの場にはユフィリアもいた。
(私が行きたいとお願いしたとはいえ、メーダイルの冷遇ぶりは思った以上ね。本当に酷い態度だったわ……)
微妙な関係である二つの国の皇帝夫妻が揃うなんて、ちょっとしたことで政治的な力が働いてしまう。持ち込まないようにするのが難しい。
ゆえに揚げ足を取られぬように慎重に行動するのが普通だが、それが存在していなかった。
「ヨルハ様はどうして今回は行く気になったのですか?」
「一度は上下を分からせて来いって言われているからね。前回はコクランだからやったのが二十年ちょっとくらい前だと考えると世代が変わってしまっているのもある。
新しい皇帝ならやり込めると思い込んでいるんだよね、それも、代替わりするたびに。格の序列を考えれば、俺のほうが強いって知ってるはずなんだけど」
メーダイルからのゼイングロウいびりは毎回恒例だという。
なんとなくそんな気がしていたが、ある種伝統と化した恒例行事は心底廃止してほしいユフィリアである。
ゼイングロウはゼイングロウで、一度分からせないと終わらないと知っているので、諦めているそうだ。
「ユフィ、絶対俺から離れたらダメだからね」
「はい。分かっています」
拗ねたようにユフィリアに忠告するヨルハの口調は、柔らかい。とても心配しているのが分かり、不安より喜びが勝る。
「……今回は嫌がらせだけじゃないかもしれないし」
ヨルハがユフィリアの髪を梳き、そのまま頬に触れる。その輪郭を確かめるようにゆっくりとなぞり、そのまま首から鎖骨に指を辿る。
くすぐったさを感じつつも、ヨルハの様子に違和感があり彼を見つめる。
「ヨルハ様?」
「ドレミの目だか緑の軍手だかなんだかしらないけど、ユフィにそんなものなくても、俺は大好きだよ」
なんだろう、それは。ユフィリアの目は紫がかった空色だし、作業用軍手は持っているけれど緑ではない。とにかく一生懸命ユフィリアを愛していると伝えるヨルハは、通常運転だ。
「モルガナが言っていたんだ。メーダイル側が欲しがっている、珍しい力がユフィにあるって」
「珍しい力?」
ユフィリアは淑女の鑑と呼ばれ、優秀な令嬢として認知されていた。だが、それはユフィリアの普段から努力を続けていたからだ。勤勉に学び、自らを磨くことを惜しまなかったからこそ身についたもの。
自分が天才でないことなど、ユフィリアは自身が分かっている。少し良くできるかもしれないが、普通の人間だ。
獣人たちにように鋭敏な五感や強靭な肉体を持っていない。モルガナのように魔物を一撃で倒す、卓越した魔力もないのだ。
「嫌がらせついでに、ユフィを捕まえようとするかもってこと。まともな国ならそんなこと考えないけれど、メーダイルはそうもいかないから」
どきりとした。ユフィリアは人質としての価値がある。ヨルハからの絶大な寵愛を得ている時点で、十分利用できる。
ユフィリアの安否が絡むなら、ヨルハに対しての牽制になる。
「大丈夫だよ、ユフィ。そんなことしたら俺はこの城どころか街ごと破壊するから」
「おやめください。このお城も城下町も、メーダイル帝国有数の建築物ですのよ!?」
夫を破壊神にしたくない。
だが、ヨルハにとってメーダイルの宮殿もゴミ捨て場も変わらない。壊すと決めたら根こそぎ破壊するだろう。ユフィリアと天秤にかけるまでもなく、脊髄反射より速く即決する。
絶対捕まらないようにしようと心に誓うユフィリアであった。
ソービを見ると聞いていませんという顔をして、目を逸らしている。いつもの家だったら、リス妖精がいてくれる。激重愛情が暴走しているヨルハに、リス尻尾ビンタをして加勢してくれていたはずだ。
しかし、心強い味方は今いない。ユフィリアで孤軍奮闘しなければならないのだ。
「えー……ユフィが言うなら、とりあえず我慢するよ」
渋々という様子を隠さず、口を尖らせるヨルハ。その言葉に、何とか胸を撫で下ろすことができた。
(……ヨルハ様は私を気にかけてくださるからこそなのよね)
そう思うと、何でもかんでもダメだというのは可哀想な気がした。
ふと思いついたユフィリアは、少し横にずれる。ヨルハは距離ができたことに嘆くが、ユフィリアがポンポンと膝を手の平で軽く叩く。
「お膝、空いていますが……いかがでしょうか?」
当然断るはずもないヨルハは、喜んで頭を乗せる。自分の体が大きいことを考慮し、高級そうな刺繍があるクッションを容赦なく掴んで重さを分散させるために挟む。
ユフィリアはヨルハの頭を撫で、ふわふわとさらさらの絶妙な間の髪を堪能する。番セラピーのため、ヨルハ専用セラピストになったユフィリアだが存外悪くない。
「あのー、いちゃついているとこ悪いんですけど……今夜、夜会あるんですけど」
もともと開催予定ではあった。ゼイングロウ側としてはもともと消極的だったが、メーダイルの傍若無人っぷりに、さらにやる気は低迷している。ヨルハとユフィリアもそれは同じだ。
こちらの都合を考えてくれない相手に付き合う義理はない。
「不参加。一応は挨拶したし、最低限しか出ない」
「正直、長旅で疲れていますしね」
夜会に参加するなら準備が必要だ。メイドたちが総出で肌や髪を磨きにかけるために、湯浴み、マッサージ、メイクと並行して衣装や装飾品を吟味する。数時間はかかる作業だ。
この離宮のメイドたちはメーダイル皇帝夫妻が出て行ってから、一度も顔を見ていない。ソービがくるくるとコマのように動き回って頑張っている。
時々「リス妖精のしごきにくらべれば」と自分を鼓舞していた。ここでミオンの名が出てこない分、リス妖精がどんなスパルタだったのか気になってしまう。
トウダとクルトが帰ってきても、意地でもどかないとばかりにそのまま筆記用具と手紙を受け取るヨルハ。ソファの背もたれを板代わりにするものだから、歪んだ文字になっている。
「ヨルハ様、お行儀が悪いですよ」
「読めればいいから」
誰も取らないユフィリアの膝を独占したくてたまらないヨルハ。ユフィリアが困ったように頬を赤らめているが、それでも動こうとしない。
ソービは取り合ってくれないので、トウダとクルトを見ると視線を逸らされる。
ヨルハは書き終わった手紙を畳んで筒にいれ、軽く手を掲げる。ふわりとやってきたのは伝書鳩でも猛禽類でもなかった。細い嘴と長い首や足。何を考えているか分からない丸い瞳をした、青みを帯びた灰色が特徴的な青鷺である。ずいぶん大きくて、ヨルハの腕からソファの背もたれに移動した。
「鷺ってこんなに大きいんですね」
「これは魔鳥だからね。気性が荒いのや、強すぎる魔鳥は従わないけどこのサイズなら普通に言うこと聞くし」
普通なら飼いならして訓練した鳩や猛禽類を使うが、梟の獣人であるヨルハはそんな必要ない。ヨルハの呼びかけに応えた中で、速く飛べるのを探して命ずればいいだけだ。
「多分、コクランかシンラの家の鯉が多少食べられるだろうけれど……まあ駄賃だよね」
その鯉はもしや錦鯉のことだろうか。不安になるユフィリアである。
お庭の観賞魚であり、黒や赤や白、中には金色っぽい鯉もいる。お値段もそれなりと聞いたことがある。立派な白砂利の敷かれた庭にあった池で悠々と泳いでいた。
ユフィリアの住まいは精霊の木で、周囲はユフィリアの趣味の薬草畑で池はないから詳しくは分からない。
「それは大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ」
きっぱりと断言するヨルハの笑みには曇りない。その笑みは気にしないから大丈夫である。
メーダイルの不穏な対応を本国に連絡する重要性は理解できるが、申し訳ない気持ちになってしまう。
ユフィリアが心の中で錦鯉の安否を祈っていると、ミオンが顔を出してきた。
「ヨルハ様。ご夕食はいかがいたしましょうか?」
「軽めで。ここの料理、王宮料理だけやたら味が濃いんだよね。保存食みたいに」
保存食と聞いて、ユフィリアはモルガナから聞いた激甘ケーキを思い出す。ケーキとは思えない食感と猛烈な甘さをしているらしいが、聞いただけで食欲が失せた。
ヨルハは皇帝になった後、メーダイルの王宮料理を食べる機会があったが、どれも好みでなかった。あれを食べるなら旅の携帯食を齧っていたほうがマシである。
「城下町の食事は普通に美味しかったけど、王侯貴族向けの料理はイマイチなんだ。外見だけが無駄に凝っているというか……そうだ、夕食は散策デートにしよう!」
ヨルハの誘いに、ユフィリアの心は踊った。だが、ここに来た意味を思い出して自分を律する。ここは仮想敵国のようなものだ。
「しかし、メーダイルの獣人への態度は……」
ユフィリアが難色を示すが、本心は違うことなどお見通しのヨルハ。
こんな嫌味な連中ばかりの離宮にいたら、緊張しっぱなしでユフィリアの心も休まらないだろう。それなら何も知らない人たちのほうがずっと気楽である。
「トウダはさすがに無理だけど、それ以外は帽子やターバンで誤魔化せるよ。そもそもトウダは人混みが嫌いだから、行きたくないだろうけど」
思い切り図星だったトウダは気まずげに体を揺らす。できれば辞退したいと思っていた。それなら、一人でこの離宮に残されたほうが気が楽である。
ソービとクルトはヨルハの提案に賛成のようで、すぐさま衣装を見繕いに走ってしまった。
どこから止めればいいかと慌てるユフィリアの肩を、誰かが優しく触れた。振り返るといつになく優しい眼差しのミオンがいる。
「ユフィリア様、諦めましょう。正直、ここで出された食事を召し上がるより、安全です」
いつもはしっかり者のミオンまで、諦観の微笑を浮かべている。
結局、トウダに留守番を任せて城下町で夕食を取ることになった一行である。
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