入れ違い、すれ違い
足並みそろわず
「あの、オリベさん。この木のお世話はどのように?」
「毎日、必要なだけ葉をとるだけですだよ」
ユフィリアが聞けば、オリベはなんてことのないように答えた。
それは蚕の世話である。木の世話というより収穫だ。しかも身ではなく青々とした葉を毟るから、木にはダメージがある。
「ええと、一年のサイクルや肥料なんかは……? 病気対策に消毒などは? 記録は付けていますか?」
「オラみたいな農家は字は書けんです。ずーっと父ちゃんやばあちゃんに言われたとおりにやっとるんで」
ゼイングロウの識字率はあまり高くない。発展した街では平民でも多少の読み書きはできるが、田舎集落は読み書きができる者のほうが少ない。
日々の生活を優先するし、子供も労働力として数えられる。貧困の傾向が強いと特にそうだ。国民性が圧倒的にフィールドワーク派なのもあるだろう。
「村長のとこなら、なんかあるべか?」
「うーん、そんな細けぇことしとらんからな。ご先祖の日記くらいならあるかもしれんが……」
文字の読み書きができないのであれば、当然記録なんて期待できない。
オリベは当たり前にしていることで、特筆することがないのか「葉の収穫だけしていた」としか答えない。
少しでも過去の様子を知れる情報があれば、なんにでも縋りたいユフィリアは村長の屋敷に向かった。
先触れを出していたので、広間に書物が積まれてあった。倉庫から引っ張り出してくれたのだ。
「これが日記ですか?」
「ええ。お力になればいいのですが」
書物を広げると、なんか軟体動物に襲われているやけにのっぺりとした画風の女性があった。なんとなくグロテスク。それを見た瞬間、ミオンが音速を超える速さでその本を庭まで弾き飛ばした。
「ミ、ミオン! これは借りものですよ!」
「なんと汚らわしい……! あれは春画です。日記の表紙と寄せて隠していたのでしょう」
あんな気持ち悪い絵で性的な興奮ができるなんて、ある意味凄いと思う。
そう思ったのはユフィリアだけではないらしい。たまたま目に入ったクオンが「何これキモ!」と汚物のように本を木の枝で突き、開いたページを戻している。
男性から見ても、意見の分かれるタイプの書物のようだ。
その後、気を取り直して日記に目を通すことにした。
もちろん、先にミオンたちが軽く目を通してから、ユフィリアがじっくり読みこむことになった。
「あ、恋文だ~……あ、違った浮気の謝罪文だ」
この日記は、村長の曾祖父に当たる人が書いたようだ。
恋多き人だったようで、色々な女性のもとを渡り歩いていたようだ。彼は番を欲しがっていたが、ついぞ出会えなかった。それどころか、最初は添い遂げると慕ってくれた妻にすら疎まれて、妻が恨み言を残して死んだあとは酷く落ち込んで寂しい余生を過ごしたと綴ってあった。
ないものねだりをして、何も残らなかったという訳である。
因果応報だろう。妻は夫を愛していた。番でなくとも、愛はそこに在ったのだろう。あったからこそ、浮気性な夫に愛想を尽かした後は恨んだのだ。
日記の端々に唐突に始まるポエミーなところはともかく、大半は彼の爛れた女性関係と相応の報いという内容だ。子供も勝手な父と距離を取っていて、孫も寄り付かなかったと綴られている。
ヨルハといると忘れそうだが、世の中には浮気する人間はいる。男でも、女でも。
夫婦になっても、互いへの敬意を忘れてはいけない。愛は無償でも、無限ではない。その良好な関係を続ける努力は怠ってはならないのだ。
そういう意味では、含蓄ある読み物だったと思う。
「……ないですわね。蚕どころか、桑のクの字も出てきません」
曾祖父の代では養蚕は盛んだった。この村や集落全体でも主要な産業で、今より収入が良かったと推測できる。
徐々に悪化し、今では一つしか養蚕をする家がないほど細い産業になってしまった。
「あの、ユフィリア様。差し出がましいとは思いましたが、村人から桑の木について聞き込みをさせていただいたのですが」
いつの間にかレオンも戻ってきていた。
どうやら別行動中は、三人新人たちと周囲の住民の聞き込みをしていたそうだ。
ユフィリアは書物に夢中で、すっかり頭から抜けていた。新人護衛たちのことも、ころりと忘れていた。
「そうね、並行してやっておくべきだったわ。気づいてくれてありがとう。何か良い話はあったかしら?」
「それが、面目ないですが目ぼしいものは。蚕には気を使っていたようですが、桑の木については雑草を刈るくらいしか世話らしい世話をしていなかったそうで」
その草取りも、桑の葉を取る時に足に絡まって邪魔だったからだろう。本当にほったらかしにしていたとしか言いようがないくらい、何もしてなかったようなのだ。
レオンはろくな情報を得られず、不甲斐ないのか落ち込んでいる。
結局、その日は宿泊、夕方には当然のようにヨルハがやってきて、ユフィリアと共に夕食と取り、同じ布団で寝る。
帰宅することもできたが、ユフィリアは明日もすぐに動けるようにしたいと宿泊を希望したのだ。
翌日、迎えに来たコクランに引きずられていくヨルハを見送り、仕事を再開する。
「他に記録や文献はないのよね」
「ここの集落は小さいですから、国の書庫には情報がないでしょう」
村長の村ですらほとんど目ぼしい資料がないのだ。
そもそも、ゼイングロウは記録を残すと言うことにあまり執着がない気がする。これでは、素晴らしい文化や知識が時間と共に消えてしまう。
「気候の急変とかはないし、見た感じ虫はいなさそうだった。本当に何もしてなくて……何も……ずっと」
そこで、はたとユフィリアの中で何かが繋がる。
何もしていないと言う村人。誰も彼も判を押したように。蚕は大事にしていたし、その主たる餌である桑を適当にしているとは思えなかった。
ユフィリアは薬の原料である薬草に最大の配慮をして世話をしていたから、彼らもあの木を大切にしていたはずだ。
何かあるはず。
そう思い込んではいなかっただろうか。
「そうよ! 何も! まったく! やっていなかったのよ!」
ユフィリアの唐突な大声に、ミオンが本から顔を上げる。この本は三巡くらいしたが、なにか見落しがないかと読み返していたのだ。
その最中に、急にユフィリアが声を張り上げたので驚いている。
ユフィリアは自分の思い込みと盲点に、呆れかえっていた。村人たちは正直に、ありのままに応えていただけなのに、勝手に深読みしていた。
桑の木があった地面は堅かった。雑草こそ繁茂してなかったけれど、それ以外本当に何もなかった。それもそのはず、本当に何もしていなかったのだ。
「そうよね、木だって栄養は必要よ。葉も実も収穫しているんだもの。あの桑は大木だった。 ずっと長年あの場所に立っていたの」
ずっとずっとあの場所に。植物は誰かが動かさないと移動しない。木であればなおのこと難しい。
あの木はオリベの祖父母の代から、少なくともあったのだろう。百年以上はあの硬い土の栄養だけで何とかやってきたのだ。
桑の木の弱った原因は栄養不足。若木の時は良くても、老木になればそうもいかなくなったのだろう。年々大きくなる幹や枝。それを覆う大量の葉。
桑の木の増やし方は挿し木がメイン。土が痩せこけるまでは新しい木を増やすのは簡単だっただろう。
「早速、肥料を……肥料」
何がいいだろう。王道に鶏糞や牛糞や草木灰を撒くべきだろうか。
そもそも、土壌の状態が悪い。地中深くまで梳き込まないと、栄養がすぐにいかない。梳き込むにも木の根っこが邪魔になる。弱った木の根を痛めないためにも、丁寧な作業が求められる。
強い肥料を大量に与えてしまえば、却って木を痛めてしまう。弱っている木がさらに悪化する。そうなってしまえば、病気や虫を集めてしまう。弱った植物は繊細なのだ。
それを避けるとなると、無難なのは腐葉土あたりだろう。ゼイン山脈の麓だから少し行けば森がある。そこから拝借できそうだ。
(植物用の栄養剤……レシピを調べてみましょう)
本来、あの桑の木は非常に強いはず。今はすごく弱っている。
まずは栄養剤である程度元気を取り戻してから、肥料を随時追加のほうが良いだろう。
ちなみにモルガナは一人食い倒れツアー中だ。蕎麦以外も食べ歩いている。まだ彼の知恵を借りるのは早い。本当に打つ手がなくなってから、彼に助力を乞おう。
ユフィリアは工房のある家に、戻ることにした。戻る前に、桑の木に向かう。
「待っていてね、栄養剤を用意してくるから。きっと元気になるわ」
返事がないのは分かっていて、声をかける。見上げた桑の木は、風にそよいで枝葉を揺らしていた。
なんとなく「待っている」と言っているように見えた。
ユフィリアはミオンたちを連れて、馬車に乗る。行きは精霊の木が送ってくれて、早く到着したけれど今回はそうはいかない。
「おー、頑張ってるなぁ。さすが若人」
みたらし団子を頬張りながらそれを見送るモルガナ。
馬車が去って行ったあと、村長の屋敷からすごい勢いで誰かが出てきた。
「ああー! 番様と隊長がいっちゃった! おいてかれたああ!」
叫んでいるのはソービだ。よく見れば、服装が出発時とは違う。勝手にお仕着せの裾を切って、ミニ丈にしていた。
動きやすそうではあるけれど、ちょっとした拍子でスカートの中が見えそうである。足を振り上げて思い切り地団太を踏んでいる姿に、アンダースコートを履いているか心配になる。
「お前がずっと部屋に籠っているからだろう……なんだそのはしたない格好は!」
護衛対象と上司たちがまるっといなくなったことに、さすがにトウダも危機感を覚えたらしい。だが、ふとソービの姿を見てぎょっと目を見開いた。トウダ的には非常識レベルの魔改造だったのだ。
それを勘違いしたソービは、見せつけるようにくるりと回る。
「だってダサいのってテンション下がんじゃん? こっちのほうが可愛くない? ちょっと切るつもりが、思ったより短くなっちゃったけど」
「裾の部分から糸が出ているぞ」
切りっぱなしの裾からは、ちょろちょろ糸が飛び出ている。
「何度切ってもこーなっちゃうんだってば!」
「糸くらいいいだろうが。それよりこの状況をどうするつもりだ。お前がとっとと部屋から出てこないからおいていかれたんだぞ」
三人が出遅れた原因はソービの衣装が関係しているようだ。
この様子だと裾の糸のほつれや、まっすぐきれなかったところを直しているうちにどんどん丈が短くなったのだろう。普通は折り返して縫い留めるのだが、ソービはそのままにしているから、布がほどけて糸が出てくる。
「アッハッハ。これはまずいね! 我々は全くあてにされていないようだ!」
ズバリと現状を言い当てられ、ソービとトウダの肩が跳ねる。
一人この状況を楽しんでいるクルトはふぁっさああと金髪の巻髪をたなびかせる。なんだろうか。一瞬視界に入っただけで、強烈すぎる存在感である。
「何笑っているのよ! 私たち全然護衛の仕事してないのよ!」
ユフィリアが頻繁に移動するので、追いかけた先で空振りばかりだ。
途中、三人が喧嘩したり勝手な行動を取ったりして脱線するのが追い付けない原因の一つだが、ソービは気づいていない。トウダはソービとそりが合わず、ついつい衝突しがちな己を理解していた。クルトはすべてをひっくるめて分かりながらも、この状況を面白がっている節がある。
一番真面目にやる気を出しているのはソービだが、一番から回ってしまうのもソービだ。
「まあいいじゃないか。今から追いかけるより、帰ってくるのを待ったほうが。レオン殿はいるのだから、戻ってくるはずだよ」
ちなみにレオンが残されたのは、この三人のお目付け役だ。双子のクオンと何度か交換しているが、今のところ気づいていない。
外見も声も似ているクオンとレオン。多少喋る程度で人柄を分かるほどの交流もない。三人とも特に嗅覚が良い種族ではないので、匂いによる判別はできなかった。
今からユフィリアを追いかけても、入れ違いになることだってあり得る。結局、ここで待つことに決まった。
縁側に倒れ込んだソービは、バタバタと足を揺らす。そんな彼女をトウダが目を細めてみる。口にはしないが「はしたない」と言いたいのだろう。
なんだかんだ、この中で一番行儀に細かいのが彼である。
「襲ってくる強い奴をバッタバッタなぎ倒すのが私たちの仕事なのに、なーんもこないし!」
唇を尖らせて愚痴るソービ。それを宥めるクルトだが、いざという時は面白がって静観に回るのでストッパーとしては役に立たない。
三人新人の勝手気ままな姿に、レオンは一瞬だけ冷めた視線を寄越す。
(敵がノコノコ顔を出してくる状況って、襲撃されてるってことだろうが)
そもそも、暗殺者は毒殺や遠距離からの射殺で狙うことが多い。それでもダメなら、囲い込んで襲撃する。
ソービの望む状況は、こちらが圧倒的不利な時。ユフィリアが最も危険になる状況が想定される。護衛の仕事は、その前の段階で仕留めること。
ヨルハの望みは、ユフィリアが暗殺者に気づかずに過ごすことだ。
読んでいただきありがとうございました。




