日常、そして新たな出会い
更新再開
北の大国ゼイングロウ帝国は、獣人たちが住まう国である。
広大な自然を有し、豊富な資源と肥沃な大地を持つ豊かな国だ。
獣人たちの独特な文化や風土が息づく、特殊な国。そんな異国に嫁いだ少女がいた。彼女の名はユフィリア。もとはミストルティン王国の伯爵令嬢だったが、ゼイングロウの皇帝に見初められ、是非にと輿入れを願われてやってきた。
本来、貴人の婚姻には政略が絡むことが多い。だが、獣人ゆえの選別方法により、ユフィリアは獣人の国でも歓待された。ユフィリアは番だったのだ。
番――それは獣人が生涯にただ一人と決めた相手。必ずしも出会えるわけではない、運命の相手。
獣人の中でも最も高い格である『神獣』のヨルハの相手が、ユフィリアだった。
当時、ユフィリアには婚約者がいた、親が決めた相手であるエリオス。彼は浮気性で怠惰な男だった。能力が低いがプライドと生まれた家の爵位だけは高くユフィリアは断れなかった。
両親や兄はユフィリアを軽んじ、我儘な妹を優先させていたのでずっと肩身の狭い思いをしていた。
ずっと家から、国から出たいと願っていたユフィリアにとって、唐突な求婚に戸惑いはあったが、絶望と苦労の予感しかしないエリオスよりはいいと打算で引き受けた。
王家からのゴリ押しや、ゼイングロウからの猛プッシュも要因だが――ユフィリアはとにかく現状から脱したいと切実に願っていた。
相手が異国の得体の知れない男であってもいいくらい、追い詰められていた。
怪しい出会いをしたもののヨルハはすこぶる風采が良い美丈夫だった。絶世の美男子と言って差し支えのなく、出会った当初からユフィリアに愛情表現を欠かさない人だった。
婚約しても、結婚しても、それは変わらない。
息をするようにユフィリアを褒め称え、その存在の素晴らしさを賛美する。
家族の情に恵まれないユフィリアを惜しみない愛情で包んでくれる存在。ユフィリアの努力を否定しない。考えや願いを受け入れてくれる。
そんな人と一つ屋根の下で暮らせば、当然ユフィリアだって気持ちが傾く。
唐突に異国の土地に放り出され、皇后になったユフィリアは、かつての想像よりはるかに幸せに暮らしていた。
緑が輝く大樹の下で、麦わら帽子の少女が草むしりをしている。
癖のない長い髪は、輝くような白銀に、紫を帯びた空色の瞳。肌は白くシミ一つないが、少しだけ土汚れがついている。だが、それをものともしない清楚で美しい顔立ちをしていた。
彼女は簡素な野良着より、繊細なレースや綾錦が似合いそうな雰囲気がある。些細な仕草に、育ちの良さや気品があるのだ。見る者が見れば、どうしてこんなところで野良仕事をしているのだと首を傾げるだろう。
「ふぅ……だいぶ綺麗になったわね。リス妖精さんたちもお手伝いありがとう」
銀髪の少女はユフィリア――ゼイングロウ帝国の皇后である。
そして今、趣味の薬草園の手入れ中だ。彼女は錬金術にも精通しており、調合も得意としている。その一環で、自らその原料である薬草を育てている。
難しいと言われるゼインアロエも、ユフィリアの手にかかれば繁茂する勢いで元気いっぱいに育っている。
土壌や日当たりの条件が良かっただけかもしれないが、葉から花まで様々に役に立つゼインアロエはとても有能なのである。
胃腸薬や軟膏にもできるし、ハーブティーなどにブレンドして美容にも効果が期待できる。
(最近、ゲット様が熱心に販売を勧めてくるのだけれど……そこまで商売にガツガツ投資する気はないのよね)
少しずつ信頼を得て、後々にはレシピを公開して多くの人に使えるようにしたい。
そのためには、身近な薬草で作れるようにレシピを改良する必要も出てくる。貴重な素材を必要とすると、手にできるのは限られた富裕層に偏ってしまう。
ゼイングロウの多くは獣人。獣人は元の体が丈夫なこともあり、ほっとけばそのうち治るという考えを持つ者が多い。自然治癒に頼りがちで、ミストルティンより医学や薬学が進んでいないのだ。
獣人たちは薬を積極的に使おうという考えがないので、課題は多い。
(美髪剤は予想外に好評でしたけれど、あれはおしゃれ感覚ですし)
獣人視点では髪質や毛質、肌や鱗の美しさなどに重点が置かれる。ユフィリアの美しい白銀の髪はその珍しさもあり、かなり美的ポイントが高い。
ヨルハもユフィリアの髪はお気に入りで、お手入れ用の椿油や柘植櫛を贈ってくれた。より美髪になるための投資を惜しまない。
隙あらばヨルハが髪のお手入れし出しそうな気がする。今のところ、リス妖精がやってくれているが、それくらい熱意が溢れている。
家事やお世話をするのが習性というか生き甲斐のリス妖精は、とても器用だ。ヘアアレンジはもちろん、丁寧に梳り頭皮マッサージやトリートメントもしてくれる。
その様子を羨ましそうに見つめているヨルハは、割と日常である。
ユフィリアの愛する夫は普段はとても格好いいのに、時折可愛らしいところを見せてくれる。
(ああ、そうだわ。ヨルハ様が紹介したい人がいるそうだけど……)
来客が来る前に、軽く汗を流して着替えなくてはいけない。
紹介したい人はなんとなく予測がついている。新しい護衛だ。
ユフィリアは一度誘拐されたのだ。犯人のヒヨウはヨルハと同じく酉の一族出身で、しかも次席という高い立場だった。
彼は自分の娘であるフウカを妃にしたかった。獣人は基本、番を見つけると一途になりそれ以外の妻を取らない。後妻ですらない。何としてでもフウカを妃に召し上げさせたかったヒヨウは、他の男にユフィリアを襲わせようとした。
直接的に殺さなかったのは、最後の最後まで迷ったから。良心的な迷いではなく、ヨルハへの恐怖からである。
ユフィリアはヨルハの番。その警備は厳重だったが、彼はそれを突破した。
ヒヨウはメーダイルの手を借りたのだ。特定の獣人を動けなくする薬と転移魔法を用いて、護衛を無力化した。
当時、ユフィリアの護衛は黒豹の獣人であるミオンやクオン、レオンがメインだった。猫獣人は足音や気配を消すのが上手く、嗅覚や聴覚も鋭く身体能力も高い。
ネコ科の獣人が多い、虎の一族出身で周囲を固めていたのがあだになった。
マタタビ入りの麻痺と睡眠薬入りの香は厄介な代物だった。ヒヨウの手の者は動けるが護衛は潰せる。こんなものゼイングロウ帝国では一般的ではない。
(……メーダイルはヒト族至上主義。獣人を害する目的で作られたのでしょうね)
錬金術師として怒りを覚える。薬の知識を、そんな風に使うなんて。
ゼイングロウ帝国には貴族制度はない。
代わりに十二支族という大家が存在する。この一族は獣人たちを大きなくくりで分類した、獣人たちの集落を纏める存在。
虎の一族はネコ科が大半を占める。獣人の特性上、彼らは戦いに有利な身体能力を持つ者が多い。その一角を潰すために作られたと考えられる。
メーダイル帝国は亜人蔑視の風潮が強い。現在は外交上、友好国だが実質は冷え込んでいる。メーダイル帝国の領土を奪い取る形でできたゼイングロウ帝国を、かの国は敵視しているのが透けて見えた。
それでも戦争を仕掛けないのは、ゼイングロウ帝国が圧倒的に強いから。
この実力が高い。魔法を使わなくても、身体能力でゴリ押して勝ててしまう。メーダイル帝国ご自慢の軍隊がコテンパンにされたのは一度や二度ではないのだ。
その度にメーダイル帝国からの和平の申し出をし、賠償金を払って、一旦は矛を収める。
内心では見下している相手に下手に出るのは業腹なのだろう。ほとぼりが冷め、何かの折にまた戦争を仕掛けては負けての繰り返しだ。
ゼイングロウ帝国もそのパターンを良く知っているが、弱い相手がキャンキャン吠えているくらいにしか感じていないようだ。そもそも勝ってメーダイル帝国を併呑したいという意欲がない。
ゼイン山脈とその周囲の広大な土地の恵みで十分なのだ。
そもそも人間とは違う感覚で生きているからか、権力に固執する者が少ないのだ。ヒヨウのような出世欲の塊みたいなのが珍しいのだろう。
そんな彼だから、メーダイル帝国に利用された。
表面上は何事もなかったように振る舞っている。犯人は突き止めたが、トカゲの尻尾のように切り捨てられるのが落ちだ。貴族であっても、その当主の独断だと言ってしまえば済んでしまう。メーダイル帝国そのものに非難は行かない。
(そういえば、ゲット様が何やら仕返しをしたようだけれど……きっとその程度で変わらないでしょうね。争いたくはないけれど、嫌なちょっかいはかけないで欲しい)
現状はまだ友好国だ。
いつ裏切るか分からない相手だが、邪険にはできない。
ヨルハの側近や相談役としているコクランやシンラからも、気をつけるようにと言われている。ユフィリアが皇后である以上、国の顔として関りを避けられない状況がくる。
人間のユフィリアは、一番弱い。そして、ヨルハの番だから狙われやすい。ヨルハを暗殺するより、ユフィリアを狙ったほうが簡単だろう。そして、ユフィリアを殺せば、確実にヨルハにも影響が出る。
番を失った獣人は、長生きができない。その喪失に耐え切れず、心身を病んでしまうそうだ。
ユフィリアに全身全霊で愛と注ぐヨルハの姿を見ていると、否定できない。
最強の獣人を、人間の小娘一人を葬れば始末できる。メーダイル帝国がそれに目を付けないとは考えにくい。
すでに狙われたのだ。
ヒヨウの一件はあわよくばくらいの企てだったのだろう。これから本腰を入れてくるはずだ。そう考えると、ユフィリアの胸に重く苦しい不安がのしかかる。
(そのための護衛の増員……仲良くできると良いのだけれど)
霊獣の格を持つ獣人だと聞いた。
ミオンたちは強いが、格を持たない獣人。ユフィリアから見れば、ミオンたちも十分強いが、それ以上の能力を持っていると考えていいのだろう。
ユフィリアが色々考えているうちに、リス妖精は手早く湯浴み、着替え、ヘアセットと来客に向けて準備を整えていく。
気が付けば鮮やかな群青に白い花模様が華やかな小袖に、白い袴が着つけられていた。
白銀の髪はハーフアップにして、後ろには編み込みとお団子を簪で留めている。黒漆の簪は、真珠と金細工で花が象られている。
顔には薄く化粧を施しただけだが、元の顔立ちが美しく肌も綺麗なのでそれだけでぐっと引き立つ。
良い仕事をしたといわんばかりに、リス妖精は汗を拭くような動作をする。
読んでいただきありがとうございました。




