ブライスの後悔
ハルモニア伯爵家の生末は
ユフィリアの最後の気遣い。残念ながら、イアンはそんな配慮すら汲み取ってくれなかったようだが。
余りに取りつく島のないユフィリアに、ついにイアンも膝をつく。聞き分けの良いかつてのユフィリアのままだと思って、強引に押し通せば頷くと思っていた。
「……そんな冷たい子ではなかっただろう……ユフィリア」
絞り出すように、縋るように呟くイアン。
この期に及んで情に訴えるつもりなのか。散々冷たい子だ、愛嬌のない娘だと詰り続けてきたのに、最後には散々利用尽くした家族の情を盾にしている。
過去の自分の行いには目を向けない。
ユフィリアに謝るという発想すらないのか。
「違うでしょう。ハルモニア伯爵――もっと都合のいい娘だった。貴方にとってはそうだったでしょうけれど、もうやめたんです。貴方たちに肉親の情を期待するだけ、無駄だと分かったから」
良い子のユフィリア――都合の『良い』ユフィリアはもうやめた。
今度こそ二の句を継げなくなったイアンは、押し黙る。
今まで思っていたことを口にすると、ユフィリアはそれだけで心の中が整理されていくようだった。
晴れ晴れとすらしたユフィリアとは違い、イアンはどんどん焦っていく。一人でぬかるみに嵌り、藻掻いてさらに沈んでいくようだった。
顎を引き、背筋を伸ばすユフィリアは美しかった。
ハルモニア伯爵家にいた、張りつめた近寄りがたさはない。纏っている空気はむしろ穏やかで、微笑は柔らかい。
その紫がかった空色の瞳は、力強く輝いている。
イアンはその眼差しに、気圧される。何を行けばいいか思いつかない。
何か金になる話を確約するまで、ユフィリアを追い詰めるはずだったのに逆になっている。
「もうやめましょう、父様。すまないな、ユフィ。押しかけて迷惑をかけた。ヨルハ陛下も申し訳ない」
混乱するイアンの肩に手を置き、間に入ったのはブライスだった。
後ろにいるソフィアは座り込んだままだ。茫洋とした瞳で、薄ら笑いを浮かべている。また現実逃避で、自分の世界にのめり込んでいるのだろう。
三者三様の中、ブライスだけはまとも見える。
「……今回はプライベートで起きたこと。我々の間には何もなかった。両国の間で波風を立て菜たくないので、不問としましょう」
「いいの、ユフィ? こいつらくらいなら、ミストルティン王家に言えば綺麗に処分するよ?」
やや不満げなヨルハ。綺麗に処分なんて、物騒なワードが飛び出てくるからハルモニア伯爵家はただじゃすまないのは確定だろう。
「ハルモニア伯爵夫妻はかなりお疲れの様子。少し暇を与えていいと思います」
ユフィリアの目に、二人はまともに見えなかった。
特にソフィアは酷いものだ。いつも貴族夫人の型に嵌ったような人で、流行とお洒落、そして子供がより良い縁談を結ぶことしか考えていない。
独りよがりが多い人だったが、ここまで来ると心神喪失ではないか。二人しかいない娘を判別できず、記憶を奇妙に書き換えている。
イアンは別の意味でダメだ。ミストルティンとゼイングロウの関係性を理解していない。自分の利益を追いかけ、常識から逸脱している。
王家ですら丁重に扱う皇帝ヨルハにまともに挨拶できていないし、次期皇后のユフィリアを下に見る振る舞い。貴族として生きている人なのに、貴族としてのマナーができていない。
ユフィリアがミストルティンを出る前は、おかしくなかった。
少なくとも、取り繕うくらいはできていたのに。
「ユフィ、いえユフィリア様。配慮に感謝します」
ブライスは略式の一礼をした。理由は良心だ。いつまたおかしな行動に出るか分からない。
イアンを支えているのはすぐに捕まえられるためであり、その場所はソフィアとユフィリアたちの間に立つような形でもあった。
(兄様。なんだかだいぶ丸くなったわね。前はもっとつんけん尖っていたのに)
この両親に振り回され、尖っている暇がなくなったのかもしれない。
以前はユフィリアがやらされていた役割を、ブライスが背負っているのだろう。ユフィリアほどあたりが強くなくても、彼の憔悴しきった顔を見れば分かる。
以前は鼻持ちならないところのある、いいとこお坊ちゃんだった。その高慢さが消えて、苦労してくたびれた雰囲気がある
ちょっと憐れな半分、今までのユフィリアの苦労を思い知って欲しい半分だ。
そんな時、すっとヨルハが前に出た。
僅かに微笑むだけでその絶世の美貌にブライスは意識が持っていかれた。
「ユフィに免じて許すけど、次はない」
腰を砕くような美声だが、心臓を貫くような冷たい殺気も滴っている。気が緩んでいた部分に絶妙に差し込まれた敵意に、縮こまるしかできない。
そんな恋人にユフィリアは少し苦笑しながらも、止めなかった。
圧倒的強者のヨルハ。やろうと思えば、政治的にも物理的にも徹底的な殲滅を行える。やらないだけ十分我慢しているのだから、警告するくらいは許容範囲だ。
「さぁ、ユフィ。お店に行こう」
「ええ、ヨルハ様」
それきり、ヨルハとユフィリアは一瞥もせず、当初の目的通りお店に入って行った。
数秒、否。数分はその場で固まっていた三人。
最初に言葉を発したのはブライスだった。
「……ヨルハ陛下のご温情があるうちに、戻ろう。これ以上干渉したら、周囲からの叱責じゃすまない。国際問題になる」
「だがまだ金を……!」
この期に及んで金の無心しか頭にないイアンに、ブライスも怒りが込み上げてくる。
イアンは当主として優秀ではない。凡庸な男だ。地道な努力より欲が走る。貴族たるはと口では言いながら、卑しい性格をしている。
恥を知らない父に、ブライスも限界だった。
「いい加減分かれよ! ユフィには頼れないって! 今まで散々苦労かけて、家族面なんて都合が良すぎるだろ! もう無理なんだ、謝る資格知らないんだよ……!」
あの玲瓏たる声の美丈夫が許すとは思えない。
ユフィリアが『暇を与える』と言ったのは、暗に蟄居を匂わせていた。イアンとソフィアの暴挙を、療養という形で表舞台から遠のかせるのを条件に引き下がらせた。
これを破り、イアンがまた二人の前に出てきたら、容赦なく叩き潰される。当然ブライスにも余波が飛び、ハルモニア伯爵家は畳まなければいけなくなるだろう。
ハルモニア伯爵家だけに収まらず、ミストルティン王国自体にも影響が出かねない。
経営難を抱えているうえ、隣国の大国から怒りを買った貴族など王侯貴族から煙たがられる。
ブライスまで蟄居を言い渡されなかったのは、二人の監視のためだ。
「ユフィがやろうと思えば、俺たちを処刑に追い込むなんて簡単だ! やらかしたのは私たちだ。ユフィのギリギリの譲歩を理解してやれよ……!」
ブライスも人のことは言えない。
結局両親を止めず、のこのことついてきた。上手くいけば良い商談が手に入るかもと、浅ましい考えが根底にあったのだ。
怒鳴られたイアンは呆然としているので、そのまま宿のほうへ引きずる。
ソフィアの腕も掴むと、ハッとしたように顔を上げた。
「ユフィ? ああ、ユフィ。また意地悪をするの? 本当に冷たい子ね」
「冷たいのはアンタだろう。母様。いつもユフィばかり責めて、本当に不憫だよ。あんないい子に無理ばかりさせて。
アリスも可哀想だ。あんたが叱りもせず、自己満足の愛玩をするから常識のない我儘な子になった」
正しいことや悪いことを教えず、憐れんで、可愛がって、つぎはぎのように取り繕っていた。そのツケがあの結果だ。
ソフィアは泣いて憐れんでいたが、減刑を求めたり王家に嘆願したりはしなった。
イアンもソフィアも――ブライスも。しょせんその程度。なんて軽い愛ばかり口からこぼすのか。
変わらなくてはいけない。
ブライスはぎりぎりまだ首の皮が繋がっている。
突き放したのは確かだが、それはユフィリアの恩情でもあった。
ふと、思い出す。胸の内ポケットに仕舞った小さなお守り。ブライスには似合わない、華やかな色。
(渡せなかったな)
渡したとしても、ユフィリアは怪訝に思うはずだ。
いつだってのけ者にされ続けたユフィリアは、それと引き換えに何を要求されるのかと勘繰るはずだ。
ユフィリアはアリスの犠牲になっていた。些細な贈り物ですら、疑わずにいられないくらい繰り返し傷ついてきた。不釣り合いな対価を要求されていた。
家族だから、ずっと一緒に暮らしてきた。ユフィリアと仲直りする機会は何度もあったのに、楽なほうへ逃げ続けていた。
後悔先に立たずとは、その通りである。
読んでいただきありがとうございました。




