ユフィリアからの決別
もう戻れないくらい壊れている家族。
ユフィリアから決別を口にすれば、もともとハルモニア伯爵家に良い印象ないヨルハは、嬉々として交流を断絶すると理解していた。今までも積極的に取り持とうとしていない。明確に距離を置いていた。
思いもしないユフィリアからの拒絶と別離の言葉に、ソフィアの目が零れ落ちそうだ。
言葉にならない呻きを漏らしながら、がくりと膝をつく。不思議なことに、ソフィアは涙を流していた。今まで散々つらく当たっていたのに、何を嘆くというのか。
本当にユフィリアは不思議だった。ソフィアの中にユフィリアを惜しむ感情があるなんて、想像もつかない。
それだけの蓄積があった。アリスとの差別。可愛げがないと繰り返され、やることなすことに失笑や苦言だけが反応だった日々。
「ああ、待って。違うの、違うのよ。待って! 待って、許してよ。お願い……貴女はお姉ちゃんでしょ? いつも我慢できていたじゃない」
その言葉が嫌いだった。姉だから、ユフィリアなら――そんなの言い訳だ。
好きで我慢していたわけでも、忍耐強くなったわけでもない。そうじゃないと、許されないから感情を抑圧していただけだ。
何も分かっていない。分かってくれない。きっと、理解すらしようとしていない。ここまでくると、笑いすら起きなかったのは、失望したからだ。
ユフィリアが背を向けると、ソフィアとは別の荒々しい足音が近づいてきた。
「待て、ユフィ! 私の話がまだだ!」
その高圧的な声と態度。娘というより、部下や使用人に当たるようなスタンスは相変わらずのようだ。
ソフィアに続き、イアンまで出てきた。ソフィアがいるのだから、近くにいるかもしれないとは考えていたので、驚きはしない。
しばらく見ないうちに、イアンは随分貧相になっていた。
神経質な性格なので、外見は整えていたのに。お洒落ではないが、当主の風格に相応しい装いという点にはこだわっていた。それなのに今のイアンは髪は乱れきって、髭もまばら。皺くちゃのシャツ、ジレ、ジャケット。トラウザーズや靴には旅の影響か、埃っぽくシミや泥跳ねが残っている。
宿の従業員が獣人だったので、衣服を触らせたがらなかった結果、イアンは同じ服を着続けている。自分では手入れもできないので、当然くたびれて汚れが目立つ。
イアンを追いかけるようにブライスがやってきたが、彼は小奇麗だ。同じ組み合わせでも、きちんと洗濯やアイロンがされていると分かる。靴も少し汚れているが、布で軽く拭くだけで落ちるような程度。
イアンとは違って貴族令息らしい気品がある。
「父様! ダメだ! 止まってくれ!」
走るブライスはイアンを止めようとしたが、乱暴に振り払われて壁に突き飛ばされた。
それだけでなく、イアンは追撃に殴りつけようと腕を振り上げた。見ていられなくて、遮るように声を上げる。
「これはハルモニア伯爵、ご機嫌よう。ゼイングロウは楽しめていますか?」
イアンの小汚い姿を見れば分かる。楽しむ余裕なんてないだろうに、定型の言葉が出てきてしまう。
家族としての会話なんて、何をすればいいか分からない。
イアンとユフィリアの親子関係は希薄だ。積もる話もなければ、盛り上がる話題なんて思いつかなかった。
ユフィリアの言葉が気に食わなかったのか、イアンは眉を跳ね上げた。
今のユフィリアの挨拶は伯爵令嬢や娘としてではない。ゼイングロウの皇族としての言葉だった。
まだ結婚はしていなから皇后ではないが、ヨルハはユフィリアに多くの権利を与えている。ヨルハが番と認めている以上、ゼイングロウではユフィリアを蔑ろにすることは許されない。
まだ挙式が成されていないだけで、その扱いは実質皇后なのだ。
それを理解できずに睨みつけるイアンの視線を、ヨルハが遮った。
「先に言っておきますが、融資の件はお断りします。私の婚約者とは、婚約後に縁を切るので好きにしろと告げたのはそちらですので、貴方を義父とも思いません」
ユフィリアの肩を抱いたまま、懐かしい顔でヨルハが言い切った。
この表情はミストルティンの国賓として招かれていた時の顔。猫を被っている、外交用の振る舞いだ。
一瞬にして気品と威厳がある貴人の空気を纏ったヨルハに、イアンは口を噤んだ。昔からこうだ。見下している相手にはとことん強気に出るが、逆にはてんで弱い。
イアンは狭量で、肝も小さい――そう、典型的な小物タイプ。
「ヨルハ様やゼイングロウにもあの下品な申し出をしていたのですか」
失望した目でイアンを見るユフィリア。罵倒されるよりも、その視線が雄弁に語る。
その鋭さと冷たさにたじろぐイアン。ブライスも居心地が悪そうにしている。
ユフィリアがこんなにも反抗的な態度で、責め立ててきたのは初めてだ。いつもこちらを窺うように、下手に出ていた。
言葉を選び、イアンが強く言い返すと黙って従う。そのくせ、表情は憂鬱として暗い。
そもそも、こんなに真正面からユフィリアが向かってくるのはいつ以来か。記憶のユフィリアはいつも俯きがちな娘だった。
「仕方がないだろう……事業が上手くいっていないんだ。お前は皇后になるんだろう? ならば気を利かせて、融通すべきだろう」
気まずさを誤魔化すように、強気に出るイアン。ユフィリアの眼差しは軽蔑すら滲んでいるのに、気づきもしない。
「育ててやった恩も忘れたのか」
「返したでしょう。私を売って得た結納金があるでしょう。以前にアクセル公爵家から融資をしていただいた何倍だったと思っていますの?」
その言葉に、イアンは顔を上げてぎょっとする。
ユフィリアにはエリオスの婚約時の融資の話はしていないはずだ。今回の巨額の結納金のことや、絶縁を仄めかした手紙をゼイングロウ側にも送ったことを知らないはずだ。
ヨルハに見初められて婚約が持ち上がってすぐ、ユフィリアは王宮で過ごすことになった。ミストルティン王家の計らいで、ゼイングロウについて学ぶことになった。
それから一度も家に帰っていないから、金銭のやり取りは一切漏らしていない。
ゼイングロウだって、嫁いでくる花嫁にわざわざ言うとは思えない。ユフィリアの寵愛ぶりは有名なのだから、売られてきたような婚約なんて醜聞、積極的に広めないだろう。
イアンから見て、ゼイングロウでは大袈裟なほど、番様と持ち上げている。
ユフィリアの隣から、静かに威圧を飛ばしてくるヨルハから察するに、噂の寵愛は事実だ。
「売るなんて……人聞きの悪い」
イアンは歯切れ悪く言い返す。ブライスは気まずさに顔を逸らした。
思い当たるのだろう。誹られても仕方ない、過去の言動が脳裏をよぎっているに違いない。
「私が婚約して、ゼイングロウに行く際……一切、ハルモニアからの援助はありませんでした。風習や作法を教えてくださったのは国王陛下たちの手配。衣装や装飾品の大半は、ヨルハ様からのもの。ハルモニア伯爵家からのものは、私物だけ。しかも、目ぼしいアクセサリーなどは誰かに抜かれた後でした」
ユフィリアは明言しなかったが、当時その家でそんな愚行をしそうなのは一人しかいない。
いつだって優秀な姉に嫉妬していた、我儘な妹。
ユフィリアの持っている物を奪うことが大好きなアリスならやりかねない。家族だってアリスの強欲な性格を知っていたはずだ。
「それは……私は知らん! 関係ないだろう! アリスが勝手にやったことだ!」
ユフィリアはまるで台本があるように、すらすら出てくる言葉で追い詰める。
まだ認めないイアンを見苦しいとしか思えない。この人たちに期待し、情をかけるだけ心が損をする。期待して傷つくのはもうたくさんだ。
一度割り切ってしまえば、こんなにもなんともない。
むしろ、聞き分けのない子供のようなイアンに哀れみに似た感情すらあった。愚かで、不器用で、虚栄心ばかりが目立つ。ないものねだりをして、地道に努力をしようとしない。
多少取り繕ったことを覚えても、イアンの本質はアリスに似ている。さすが親子というべきか。他責的な性格なんかはそっくりだ。
かつては大きく感じていた父親が、こんなにも小さい男だったのか。
「……まあいいでしょう。遺品は諦めます。過ぎたことなので。ですが、もう親子としての情はないのです。
育てた恩と仰るならば、娘として……貴方に金を運ぶ駒としての役割は十分果たしたでしょう?
これ以上は見ていられません。自重なさってくださいませ」
それはユフィリアからの最終通告だ。
イアンがここまでしつこく食い下がらなければ、口にするつもりはなかった。
読んでいただきありがとうございました。




