ソフィアの娘
都合の良い身代わり
ユフィリアとヨルハが甘味屋に入って行く。その姿が消えるのを確認し、ブライスはようやく安心できた。
ブライスの手から解放されたイアンは、振り払う。そのまま怒りで血走った眼でブライスを責め立てた。
「ブライス! 何故邪魔をする! ユフィがすぐそこにいたんだぞ! あの親不孝者が! 実家からの手紙を散々無視しおって……!」
「父様、やめましょう。今のユフィは、私たちが命令できる立場じゃない。
ただでさえ伯爵家が衰退しているのに、ここでゼイングロウから叱責を受ければ、国王陛下から咎めを受けます。良くて爵位を落とされるか、領地の一部没収。最悪、お取り潰しですよ?」
生粋の貴族生まれで貴族育ちのイアン。それはソフィアやブライスにも言えること。
若いブライスはまだ文官としてしがみつくことができるかもしれないが、イアンとソフィアは絶望的だろう。
「アリスと違って、ユフィは聞き分けがいいんだから何とかなるだろう」
その言葉にブライスは失笑を禁じえない。
先ほどのユフィリアを見て、以前と同じだと断じるなんて目が曇っているようだ。
牛車から降りたユフィリアは幸せそうだった。その眼差しは安心しきってヨルハを見つめ、年頃の少女のように緊張したり、恥じらったりしてころころと表情を変えていた。
ハルモニア伯爵家にいた時は、息を押し殺すようにしていた。気配や感情を出さず、薄らぼんやりとしていた。
せっかくの美しい顔立ちが、陰気に見えたものである。
あんな表情、ハルモニアの屋敷では見たことがなかった。それこそ走りながら声を上げても怒られないような、幼い少女時代だけだ。
「ユフィの顔、見えていましたか? 昔みたいに笑っていましたよ」
「何を言っている。ユフィはいつも笑っていただろう。へらへらと何が楽しいか分からない、張り付けたような……」
そこまで言って、不自然に言葉を途切れさせたイアンは、急に甘味屋のほうを振り返る。
アリスの横暴に振り回される前の、本来のユフィリアはちっとも陰気じゃなかった。
好奇心旺盛でやんちゃなくらい元気で、動物や植物にも興味津々にしていた。はきはきと喋り、よく笑う女の子だった。
「いや、そんな。ユフィは、ずっと前から可愛げがなくて、でも頭は良くて器用だから……」
イアンが譫言のように言う。ブライスは少し驚いていた。この石頭の父親が、昔のユフィリアを正確に覚えているとは。
息子や娘を自分の道具や一部のように考え、いつだって自分の都合よく修正する人だ。
「そんなことより融資だ! 随分豪奢な馬車に乗っていたじゃないか!」
「牛車です」
「どっちでもいい! あんなものに乗れる金が有るなら、実家を助けようとは思わんのか!」
いつものように怒鳴り始めたイアンに、ブライスはため息が出る。
見直しかけたが、やっぱりそういう人間なのだと痛感させられる。
そして、ブライスは父親に似ている自覚があった。社交界でハルモニア伯爵家の愚行を嘲笑されなければ、イアンと同じだっただろう。
一通り怒鳴りながらの自分の主張が終わると、イアンは息を切らせながらも少し落ち着いた。疲れて怒鳴れなくなっただけだが。
「父様、やはり帰りましょう。母様の症状は良くないし――」
「待て! ユフィが移動する! 尾行するぞ!」
護衛や使用人らしき者が御者席の大きなリスくらいしかいない。
これなら接触できると楽観的に考えているらしいイアン。対するブライスはほとほと呆れるしかない。
牛車はそれほど速度がないので尾行はできる。人の賑わいもあり、イアンとブライスの姿はそうそう見つからないだろう。
ユフィリアたちは雑貨屋でまた下りたが、人垣がすごすぎて近づけない。
歯ぎしりするイアンに、そのまま諦めて欲しいブライス。虚栄心の強いイアンのことだ。大勢の前で金の無心はしないだろう。
このまま人気の多い場所を移動して帰ってくれれば、と思ったが次は閑静な場所へ向かう。イアンはほくそ笑み、ブライスはハラハラとする。
だが、途中で見覚えのある道に入ったことに気づいた。ブライスたちが宿泊している近辺だ。
何やら立派な門構えの前で止まる。看板も地味で分かりにくいが、商いをしているようだ。
恭しくヨルハにエスコートされ、牛車から降りるユフィリア。
イアンが飛び出そうとするので、ブライスは羽交い絞めにして止める。何とか間に合ったと安堵していたが、予想外の人物がユフィリアへ駆け寄った。
「アリス!! ああ、私の娘! ここにいたのね! やっと見つけたわ!」
最悪だ――よりによって、ソフィアがユフィリアを見つけてしまった。
その姉に向かって、妹と呼び掛けている。ソフィアの実の娘であるが、二人は全く似ていない。
最初は驚いていたが、捲し立ててくるソフィアにじわじわと状況を理解したユフィリアは、次第に表情を曇らせていく。
「あら、アリス。貴女の馬車なの? 変わっているけれど、とても立派ね――」
ユフィリアを一層困惑させていたのは、ソフィアの姿だ。寝間着のまま片手には人形。髪は乱れていて、足は裸足。
明らかに普通ではないと気づいたユフィリアは段々と顔を青ざめさせていくが、ソフィアはお構いなしで一方的に話しかけて、途切れさせない。
二人の間にヨルハが立ちはだかっていなかったら、もっと近づいてきただろう。
ユフィリアが大人しいのをいいことにソフィアはさらに近づく。ゆらりと手を伸ばしたが、あっさりとヨルハに払いのけられた。
「触れるな。アリスじゃない。俺の番とどこかのドブメスを一緒にするな」
ヨルハがオーバーキル気味に辛辣に言い放つので、ユフィリアは固まった。さすがにソフィアも凍りつく。
「人違いだね。さあ、行こうユフィ。この匂いは……ああ、シンラの細君にご馳走になったことがある。甘いのもいいけど、ここの抹茶は美味しいよ。茶屋では頼めなかったから、試してみようか」
すいとユフィリアの肩を抱いて、ヨルハは店に入って行く。
ヨルハだって、この怪しい中年女性の正体を察している。それでこの対応だ。肉親だろうがユフィリアにとって害悪ならば、シビアな線引きをする。
「待ちなさい! アリスを返しなさい! 私の娘よ!」
必死に叫ぶソフィアの声を聞いても、ユフィリアは空しくなるだけだ。
確かにユフィリアはソフィアの娘だが、アリスじゃない。そして、両親はお金に目が眩んで、ユフィリアを疎んでいる獣人に差し出したことも理解していた。
誰も明言していないけれど、イアンたちが獣人を毛嫌いしていることを知っている。それなのに、アクセル公爵家との婚約を失っても、ゼイングロウに嫁ぐことへ文句を言わなかった。
たいして騒がなかったのは高額な結納金を貰っているからだと見当はついていた。
考えればわかること。ヨルハはユフィリアのためならお金を惜しまない。
ユフィリアを冷遇する家族と、あと腐れなく手を切れるならそうするだろう。表面上は円満に整えていた。
少しめくれば、金目当てに嫁がされたように見えるけれど、ユフィリアはゼイングロウに来て後悔はない。
自分のモノを奪われず、否定されず、惜しみない愛情をくれる人が傍にいる。ユフィリアが危険なら自ら動いて、助けに来る人だ。
今だって近づくソフィアを警戒し、ヨルハは前に出てユフィリアを庇っていた。
(お母様……貴女の娘はアリスだけじゃなかったでしょう)
二人いたはずなのに、ソフィアからはユフィリアの名は出てこない。ずっと妹の名を呼び続け、その目にはユフィリアを映していないのだ。
結局、ソフィアにとってのユフィリアはその程度なのだ。
ユフィリアの中に冷たい澱のようなものが積もっていく。ずっとふわふわとした幸せな気持ちだったのが、急激にしぼむ。窮屈なハルモニアの屋敷にいた頃に戻ってしまったようだ。
しかし、自分の肩に温かさを感じ、殻に籠りかけた感情が戻ってきた。
「ヨルハ様、少し待ってもらっても?」
「構わないけれど。相手をするの? 彼女は正気か怪しいよ」
ユフィリアが小さく頷くと、ヨルハは店のほうへ引くのをやめた。
振り返ったユフィリアに、ソフィアの表情が明るくなる。
「あら、素敵な服ね。ゼイングロウのドレスかしら?」
今日のユフィリアは薄黄色に白い花が刺繍された小袖に、藍色のハカン風のスカートを履いている。少し短めにしてあり、裾のスリットなどからも、ドレープを大きく取ったフリルや、レースのペチコートが見える。
ペチコートは下着ではなく、わざと見せるためのデザインだ。動くたびに柔らかい生地が揺れて、軽やかな印象を与える。
白銀の髪はハーフアップにしてある。頭の後で纏め、編み込んだリボンと簪で留めている。金の簪は最上級の黒曜石とダイヤモンドが嵌めこまれ、羽根の形をしていた。
耳にはヨルハの羽根で作ったイヤリングが揺れていた。
どれもこれもミストルティンにはなく、馴染みのない意匠だ。
それでも貴族夫人であるソフィアの目では、かなりの値打ちだと分かる。絹の艶、刺繍の緻密さ、金の輝き、宝石の透明度などが抜群なのだ。
「やっぱりアリスには明るい色が似合うわ。ああ、よかった。立派な殿方と婚約出来て! 貴女はやっぱり自慢の娘よ」
悪意も悪気もなくとも、それは言ってほしくなかった。
同時に理解する。ソフィアはアリスが死んだことを受け入れたくなくて、ユフィリアの上書きしているのだ。整合性が取れないことなんてたくさんあるだろうに、自分が認めたくない不都合なところは強引に捻じ曲げている。
ソフィアの中でアリスは死んでいない。平民にも、犯罪者にもなっていない。処刑されておらず、異国で貴人に嫁ぐ予定になっているのだろう。
逆に、ソフィアの中でユフィリアはいなくなっている。死んですらいない。存在ごと消し去っているのだ。
「違います……お母様。いえ、ハルモニア伯爵夫人。私の名はユフィリア。貴女のアリスではありません」
「アリス? ユフィリア? ユフィ……え? ああ? 何を言っているの」
「そして貴女の娘だったユフィリアはもういない。私には母も実家もない。そう思って、今後は過ごそうと思います」
不思議と悲しくはなかった。ずっと自分を雁字搦めていた細い鎖が、一つ一つ千切れて自由になっていく気がした。
期待すると苦しい。裏切られると悲しい。でも、何もなくなればそんな思いをしなくなる。
ずっとアリスのように抱きしめて欲しかった。頑張りを認めて欲しかった。よくできたと褒めて欲しくて、愛情を感じたかった。
ソフィアにとって愛する娘はずっとアリス一人。
作り笑いは得意だ。そもそも、家族だった人たちの前で本当に笑った時が思い出せない。少なくとも数年は心からの笑顔など向けていない。
「ご機嫌よう。そしてさようなら、ハルモニア伯爵夫人。どうぞ、ゼイングロウの旅を楽しんでくださいませ」
きっと、二度と会うことはないだろう。
読んでいただきありがとうございました。




