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淑女と神獣の妥協ライン

それぞれの思惑と理由



 風呂上がりのユフィリアが歩いていると、バルコニーで外を眺めているヨルハがいた。

 精霊の木の空間は摩訶不思議なので、同日で高さが違うことがある。今日はどのくらいだろうか。二階や三階くらいならいいけれど、十階以上の高さだとちょっと怖い。

 でも、ヨルハがいるなら怖くないだろうとテラスに向かう。


「ヨルハ様、何を見てらっしゃるの?」


「ん? 今日の虫は多いなって」


「虫、ですか?」


 精霊の木の恩恵か、家の周囲では害虫の気配があまりない。木の葉の下にダンゴムシや、土の中にミミズがいるくらいならあるが、蜂や蚊などは不思議と見ない気がする。

 どこだろうとユフィリアも夜の景色から探そうとするが、今日は一段と高いと気づいた。

 ここ最近で一番高いかもしれない。思わず、ヨルハに捕まってしまう。

 その姿に柔らかく表情を緩ませるヨルハは、自分の着ていた羽織をユフィリアに肩にかける。せっかく湯船で温まってきたのに、湯冷めしてしまう。


「ユフィには見えづらいと思うよ。小さくて遠いから。風が出ているし、部屋に戻ろう」


「そうですね」


 今日は星も月も見えない。広く雲がかかっていて、一段と闇が深い。

 ヨルハは部屋に戻ると、さっとユフィリアを抱き上げて寝台へ運ぶ。軽く髪や腕に触れて、冷えていないか確認した。大丈夫そうだと顔を上げると、少し恥じらったユフィリアの視線とかち合う。

 何が、どうという訳ではない。

 ユフィリアが可憐で綺麗なのはいつものことだ。風呂上がりのユフィリアが色っぽいのも、もっといい匂いなのもいつものこと。

 彼女はいつだって、魅力的だ。

 腹の底からぐわりと欲望が蓋を押し上げてしまう気がして、思わず目を逸らす。


「ヨルハ様?」


「そろそろ寝ようか。明日は衣装合わせがたくさんあるだろう?」


 式だけではなく、その後の来賓対応などの衣装も纏めて試着する。

 ユフィリアの地位だと衣装も豪華だし、ゼイングロウ風の衣装だと着慣れないものも多くある。こちらに来てから、ドレスと半々くらいの割合で着ているが軽装が多い。

 幸いなのが、ユフィリアが露出や体の線が出る服を積極的に着ないこと。いつも慎ましく清楚な装いである。

 ただでさえ好きでたまらないのに、煽情的な姿など想像だけで理性が揺らぐ。



 視線を逸らされた。

 たったそれだけのことに、ユフィリアは愕然とした。

 いつもなら甘く情熱的な眼差しで、ユフィリアが困ってしまうほど見ているのに。

 ヨルハはいつだって、ユフィリアのすべてを見逃さず、聞き漏らさないようにしているからか、少しつれなくされただけでユフィリアは混乱していた。

 それを誤魔化すように早く寝るように促される。

 ユフィリアは美しいといわれる容姿だ。獣人的にもそう見えるそうだが、いまいち自信がない。

 番だから、次期皇后だから、ヨルハの寵愛を受けているから――それだから気を使われているのかもしれない。

 元婚約者のエリオスは女好きだったけれど、ユフィリアに性的な誘いはしなかった。最低限以下のエスコートで、キスすらない。

 自分には魅力がないのだろうか。

 ユフィリアを愛していると公言しているヨルハすら、数か月同衾していて手を出さない。

 最近は、キスの回数も減っている気がする。


「あの、ヨルハ様……」


「なに?」


 大事にしてくれているけれど、それは憧憬や崇拝のように手に届かない――お飾りとしてなのだろうか。

 ヨルハに限ってそんなことはない。そう思いたいけれど、ユフィリアは致命的なほど恋愛経験に乏しい。エリオスとは冷え切っていて、好意より義務での関係だった。

 ユフィリアはヨルハが好きだ。

 ヨルハのようにたくさん伝えられないけれど、本当に慕っている。


「ユフィ? どうしたの?」


 ヨルハの声音はこんなにも優しい。気遣いと労りに満ちているのに、心が分からない。不安で怖くて仕方がない。遠くに感じた。

 満月のあの夜。大空での告白した時は、あんなに近くに感じたのに。

 そう思うと、ユフィリアの白い頬に涙が伝う。音もなく、声もなく静かに溢れだした。


「……え?」


 ユフィリアすら理解できなくて、手を伸ばして頬に触れて涙を流していることに気づく。

 自分でもコントロールできない涙が、とめどなく流れている。手で拭い、隠すようにして抑えても溢れてくる。

 必死で止めようとするけれど、空しい嗚咽になるだけだ。


(どうしよう、どうしよう……ヨルハ様に迷惑をかけてしまう)


 面倒だと思われたら。そう思うとさらに恐ろしくなってしまう。

 いつの間に、ヨルハはユフィリアの心にこんなにも大きく存在している。

 その時、ふわりと暖かさがユフィリアを包む。ヨルハが抱きしめてくれている、とその温度と感覚、そして匂いで分かる。


「大丈夫だよ。ユフィ。何も怖がらなくていい。ユフィを傷つける奴は、俺が消す。何があったの?」


 何もない。何もないから、ユフィリアは迷っている。恐れている。

 どう伝えればいいか分からなくて、精一杯ヨルハに抱き着いた。


「お願い。教えて欲しい。俺の番を、一番大事なユフィを泣かせたのは誰?」


 ヨルハの声は優しい。だが、ユフィリアの見えないヨルハの顔は酷薄で残忍な色を見せていた。

 ユフィリアがこうなるまで気づかなかった不甲斐なさと、ヨルハの目を盗んでユフィリアを傷つけた不届き者へ憎悪を滾らせている。

 ヨルハの腕の中で、安心して身を寄せるユフィリアはスンスンと小さく鼻をすすっている。少しずつだが、泣き止んでいることに安心した。


「ヨルハ様」


「うん」


「大好きです、ヨルハ様」


 唐突な告白。ヨルハにとっては、予想にもしない熱烈な愛の囁きに殺意が脳から弾け飛んだ。

 血祭りにしたい下衆より、ユフィリアが優先だ。一生番しか勝たん。


「ヨルハ様は、私に魅力を感じますか?」


「もちろん」


「それは、恋愛として? ええと、私にたいして、その、したいとか……そういう対象として?」


 その言葉に再びヨルハの頭の中が弾け飛んで処理落ちする。



「ユフィ以外の女は嫌い。俺、ユフィ以外としたくない。同じ場所で生活するのも怖気がするくらい無理」



 ヨルハは神獣の格を持つ最強の獣人。しかもルックスも抜群に良かった。

 少年期から女性に秋波を送られていたが、青年期になると夜這いや強引なボディタッチも多くなった。露骨なアピールに嫌気が差したのは一度や二度ではない。


「ユフィは素敵だよ。恋人としても、人としても……俺にはもったいないくらい」


 その言葉に再び涙を流すユフィリア。ぼろぼろと大粒にこぼす雫は、安堵のからくるものだった。

 

「じゃあ、その……私と、そのそういうことをしたいと」


「したい」


 食い気味だった。即答である。


「すごくしたいけど、一度したら箍が外れそうだから」


 そこまで言われて、ユフィリアの顔は真っ赤になる。涼しい顔をしているように見えたヨルハにも、ちゃんと性的欲求があったとは。


「過去の番の夫婦で、やっぱり俺みたいに皇帝で、トラブルがあったんだ」



「トラブルですか?」


「式の前に当時の番……皇后が身籠って、式が延期。出産後、改めて調整したんだけど、再度身籠って……肥立ちだの情勢だのも絡んで、それが続いた結果十一年延期されて、結局内輪で略式婚だけになったんだ」


 ユフィリアは絶句した。それは酷い。

 仲がよろしいのは結構だが、なんだか聞いているだけでも居た堪れない。

 さっきヨルハが止まらなければ、自分も同じ轍を踏んでいたかもしれない。そう思うと猛烈な羞恥や後悔がせり上がってくる。


「それ以来、番を迎える場合は婚前交渉一切禁止。ゼイングロウはミストルティンよりその手のことが緩いから、俺だけに警告された。順序を踏んで、ちゃんと番を祝う気があるならやめろって釘を刺されているんだ」


「あの、国際的な、国交的な問題は……」


「当時のメーダイルは仲が悪くて国交断絶してたから関係なかったけど、招待予定だったミストルティンにはかなり生ぬるい目で見られたそうだよ」


 子供ができるのは慶事である。子供は神からの贈り物ともいう。

 だが、十年以上もごちゃごちゃしたらさすがのミストルティン側も『いい加減にしろ』と思うだろう。国力の差や、持ちつ持たれつの関係上言わないけど、当時の国王や外交官は頭を抱えただろう。

 ユフィリアの番関係の資料では見ていない。きっと、色々な配慮や忖度の結果、極薄かつマイルドに誤魔化したのだろう。


「俺はユフィの晴れ姿を見たいし、綺麗に着飾ったユフィを自慢したい。ユフィと素敵な思い出を残したい……ユフィに俺と結婚して良かったと思ってほしい」


 それは知っている。金に糸目もつけず、ユフィリアの晴れ着を誂えようとしていた。

 ヨルハはいつだってユフィリアを思って考えている。そんな彼だからユフィリアだって、心を許したのだ。


「ユフィは貴族の令嬢だから、順序を気にするかもしれないって思って……それに、デリケートなことだからユフィの常識やミストルティンの慣例になるべく近づけたかったんだ」


 その割には同棲しているし、同衾もしている。 

 だが、ヨルハから端々に感じる絶対にユフィリアと離れたくないという、力強い意志。ユフィリアの常識に合わせたいが、そこがヨルハの妥協ラインだったのだろう。

 縮こまるようにして、大きな背中を丸めて説明するヨルハ。悪戯が見つかった子供みたいである。


「そう、だったんですね。私ったら、勘違いして……」


 ふと、自分のしたことを思い出すとユフィリアの顔がぽぽぽっと赤くなる。段々とその赤みは増していき、顔から火が出るんじゃないかというくらい真っ赤だ。

 耳も、首筋も真っ赤で、羞恥で目が潤んでいる。


「ああ、なんてはしたない。淑女失格です。私ったら、なんて、なんて……恥ずかしい」


 頬を両手で押さえ、ついに突っ伏してしまったユフィリア。

 そのままごめん寝体勢で縮こまってしまい、ヨルハはおろおろとどうやって声をかけるべきかと右往左往する。

 だが、ヨルハは安心していた。

 強引に娶った自覚があるから、ユフィリアの覚悟が不安だったのだ。

 あの慎ましいユフィリアが、すでにヨルハに体を許すほどの想いがあるなんて、嬉しい誤算だ。


「……結婚式、楽しみだね」


 もちろん、その夜も。

 声には出さず丸まったユフィリアごと抱きしめるヨルハだった。





読んでいただきありがとうございました

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