梟の静観
這い上がりたい人たち
整理整頓された、というより無機質なほど物の少ない執務室。不要に飾ることを嫌い、調度品も最低限だ。
これでも改善されたのだ。ユフィリアが朱金城に出入りするようになってから、装飾が多い物に変え華やかになった。
それでもゼイングロウの国力や部屋の持ち主の格式には追い付かない。
ここはヨルハの執務室――この国で最も栄華ある皇帝の仕事場だ。
「へえ、ハルモニア伯爵家が来るんだ。またユフィに金の無心かな?」
獣人としての特徴が少ない者や、動物との意思疎通のできる者を密偵として忍ばせている。
その中でも、子や卯の一族は人間社会へ溶け込むことが上手い。その無害そうな外見も理由の一つだろう。彼らは童顔や柔和な顔立ちが多いのだ。
彼らから報告で、ハルモニアの転落ぶりは知っていた。
監視している以外にも、出入りの商人として接触している。飲み仲間に紛れて、ハルモニア伯爵家の使用人から内情を聞き出しているのだ。
ハルモニア伯爵家の人間は、獣人を見下している。だから理解がなく、知識もないのであっさり出し抜かれていることすら気づかない。
(何通目かな。最初はユフィに渡したけど……)
ユフィリアが嫁いだ当初は何もなかったのが、ここ一か月で急に来るようになった。
目を通したユフィリアは呆れと悲しみの滲む顔をしてため息をついていた。ヨルハの前ではしなかったが、リス妖精が目撃している。
それでも実家から金銭や物品の無心があっても対応しないでくれとヨルハに言うだけで、手紙を見る目が少しも嬉しくなさそうだった。
実家からの手紙はユフィリアを慮るものではなかったのだろう。
ヨルハが師匠と仰ぐ、親友のマリエッタからの手紙はとても嬉しそうだった。その反応を見れば、余計に落差が分かる。
だから、こちらで預かっていいかと聞けばユフィリアは頷いた。
「申し訳ありません。見ていて気持ちの良いものではなくて……」
少し眉を下げ、苦笑するユフィリア。家族の手紙を見る目は、無機質だ。
まるで、初めてあった時の心を凍らせていた時のようだ。苦しくないように、傷つかないように感情を硬く凝らせていた。
実に不愉快だ。ユフィリアの実家でなければ、今頃は棺の中だっただろうに。
思い出すだけで、腹が立ってきた。
なんであんな肥溜めどもから、可憐で妖精のようなユフィリアが生まれてきたのが分からない。生命の神秘より謎だ。
「ヨルハ様、必要でしたら城か高級宿にこの者たちをご案内しますが」
密偵の一人が窺うが、ヨルハはつまらなそうに嘆息した。
「いらない。そいつらはユフィに近づく寄生虫だ。卯の一族の病魔のように、害を広げるだろう」
「御意」
卯の一族で広がっていた脱毛症。
あれは疥癬の一種ではないかとユフィリアが言っていた。
特定の寄生虫で起きる症状。入らずの洞窟にいるダニもその一種。芋虫のように細長く見えたのは、ダニ同士が連結する習性があるからだそうだ。
入らず洞窟にいるので陽光に弱く、あそこまで猛威を振るわないが、条件が重なって増殖すると一気に広がる。
毛の密度の濃い、皮膚の柔らかい寄生先――それこそ獣人の子供のように。
幸い、ユフィリアの用意した薬で対処できた。飲み薬、塗り薬、そして入浴でも徹底的な駆除に成功した。
周囲にも感染が確認されていたが、同様の処置で収束に向かっている。
他の一族には広がっていないようだが、ユフィリアの薬の効果を知り興味を持つ者が増えている。
番様と敬愛する一方で、無力な人間と侮る者も一定数いる。それを崩すきっかけ作ったのだ。
静かに距離を置いて静観していた卯の一族。お調子者のようで、シビアな観察眼を持つゲットを御した影響は大きい。
下手に有力な格持ちがおらず、そもそもの種族が力より知恵を働かす者が多い。この力ではなく、集団でこそ真価を発揮する一族だ。
その族長がユフィリアへ頭を垂れた。
(ユフィは傍にいてくれるだけで十分だったのに)
彼女は自分で状況を変えた。
番様と言う一括りでなく、ヨルハの伴侶として認められるために努力をした。
知恵をひけらかすでもなく、謀略でもなく、ひたむきその心がゲットを突き動かしたのだ。
「すごいなぁ、ユフィは」
ゲットを味方にするか、中立に寄せるには時間がかかると思っていた。
長期戦を視野に入れて、今は様子見をする予定だったのに、ヨルハの選んだ人は、ヨルハの想像を超えた。
多くは番は良いものだと言ったけれど、それだけじゃない。力は強くなくても、それ以外の方法でヨルハを支え、共に歩こうとする人がいる。
それは、なんて素晴らしいのだろう。
「……俺も、頑張らなくちゃね」
そうだろう?
そう言って振り向いた時には、恋する青年の顔をしていない。
部屋の中で黄金の瞳が炯々と光っている。獰猛に、狡猾に、冷徹に。絶対強者が、愚か者を嘲笑っている。
「ヒヨウの指を少々もぐことにしようか。爪を削ぐ程度では、まだ懲りないようだし」
使い捨ての刺客を何度潰しても懲りはしない。
標的のユフィリアに辿り着けさえしない、三下ばかりしか揃えられないのに諦めが悪い男だ。
何度も失敗しているので頻度が上がり、焦りが出ている。そのうち、我慢できなくなって大きく動き出す。
「今回、少しは使える連中を集めたようだから」
崖っぷちのヒヨウがここで戦力を集めている。勝負に出るつもりだ。
そして、報告から導き出した予想。証拠はすべて押さえていないが、また馬鹿なことをしでかしてくれたものである。
最近ヒヨウと接触した、異国の匂いの男たち。
普通の獣人ならともかく、ヨルハのお眼鏡に適った精鋭に、嗅覚が鋭い者がいる。戌の一族出身で、ある程度離れていても嗅ぎ分けられるのだ。
彼の所属する部隊から、要注意とされる匂いが報告された。
ゼイングロウでも、ミストルティンでも使われない――メーダイル製の薬を常用している者。魔力を増強させ、身体能力を上げる薬の匂い。
特殊な人員。多いのは暗部などの私兵を養成するのに使われる。それらは側近ではなく、使い捨ての駒。薬は肉体に負荷をかけるので、体に負担を掛けるのだ。
その薬を使う者は大体が十代から二十代。三十代以降は見たことがない。仕事柄もあり、長生きはできなくなるのだろう。
そんな匂いを纏わりつかせた者が入国し、ヒヨウの屋敷に出入りしている。人目を忍んでいるつもりでも、筒抜けだ。
(我が国と昔から険悪なのは、ヒヨウも知っているだろうに。ついにあの銭ゲバ陰険糞野郎どもと手を組むまで落ちぶれたか)
ヒヨウは返り咲くのを諦めておらず、フウカをヨルハの妃にしようと画策している。
正式な婚約者であるユフィリアの暗殺を目論んだだけでなく、関係が冷えた他国と密通したヒヨウ。その娘が、神獣たるヨルハの妃になるなど有りえない。
ヨルハは相変わらずユフィリア以外の女性は煩わしいし、ヨルハだけでなく十二支族たちも黙ってはいないだろう。
ヒヨウが酉の一族の次席を追われても、周囲から非難は出なかった。その程度の人望しかないのだ。
ヨルハの陰に隠れていたから、あの程度の人間でも黙認されていた。そう考えるのが正しいだろう。
暗闇の中で何かが光る。
草木が動き空を切る音。当たる音、刺さる音。速く、鋭く、絶え間ない。人の目には薄明りすら漏れず、何一つ分からない暗闇での出来事。
恐ろしく素早い何かがいる。それが分かっていても、攻撃も防御も追いつかない。逃げることすら敵わない。
戦う心は折れて、生き延びたい一心なのだろう。まごついた人影は、あっという間に地面に倒れ伏す。
「つまらないね」
「そうだね。メーダイルの精鋭なんでしょ? 一応」
「うっわぁ。変な臭い! 血が薬臭い!」
青年というより、少年のような高く軽やかな声。よく似た声だが、少し雰囲気は違う。
自分の仕留めた襲撃者が、あまりに弱くて肩透かしを食らったのだろう。声は明るいが落胆と失望が混じっている。
そんなテンポ良い会話に、落ち着いた別の声が割って入る。
「二人ともさっさと回収する。殺していないだろうね?」
その言葉に、先ほどまで暗闇で陽気に喋っていた二人の雰囲気が変わる。
「「そんなへましないよ」」
あのヨルハが誰かに頼るなんてめったにない。最強にして最高の獣人。今代に彼を超える獣人は現れないだろう。
ヨルハの護衛なんて形だけのモノだ。何せ、本人が一番強い。ヨルハもそれが分かっているから、今まで何かを任せることもなかった。
そんな彼が、直々に下した命令――それは、彼にとって一番大切なものを守れというもの。
それは最大の賛辞だ。黒豹の姉弟たちはもっとも護衛能力に優れ、信頼が置けるという何よりの証明だ。
獣人の中には人間を見下す者もいるが、彼らは人間を守るのに不満はない。ユフィリアは聡明で、繊細な心配りのできる。強くはないが、嫋やかな気品がある。
ヨルハを心の底から笑顔にできる、代えがたい存在。
会ってもいない獣人たちの窮地に、心を痛めて尽力したユフィリア。
尊い身分なのに鼻の曲がるような量の薬草を、すり鉢で磨り潰していた。
ソリハリ除虫菊――嗅覚が鋭いミオンたちには相容れぬ存在だ。あんな不快な雑草で薬を作れるなんて、尊敬する。
どんな美しい毛並みもズタボロ雑巾にする、恐ろしい病を治す薬に変えるなんて。
((そしてできるなら……一時的伸ばせる美髪剤じゃなく、永久的にキープさせる美髪剤を開発していただきたい!))
あれは素晴らしい。結婚式には護衛も着飾って職務に当たる。最高の毛艶で臨めそうだ。
ただ、美髪剤は即効性があるが持続性がない。
「馬鹿二人。雑念出ているわよ」
双子の黒豹は憧れの角耳ライフを想像して、なんとも腑抜けた顔になるが、ミオンの鋭いツッコミに、現実に戻されるのだった。
読んでいただきありがとうございました。




