予定は未定
ヨルハさん、我慢しています。
ぞくぞくと抑えきれない歓喜と大きな何かが覆る気配を感じる。ゲットの本能が、大きな予感を告げていた。
その時、鋭敏な彼の耳が無粋な音を拾った。
(……はあ、まったく間の悪い。空気の読めない連中はどこにでも湧くものですね)
せっかくの感動に水を差されてしまった。
思わず不機嫌になったゲットの変化に、ユフィリアは気づいた。
「どうなさいましたの、ゲット様?」
「いえいえ、なんでもございません。ユフィリア様はこれからどうなさるのですか? 朱金城でご公務を? それともお帰りになられるのでしょうか」
「朱金城で引き出物の確認を。お恥ずかしながらまだ決めていなくて。一度は決まりかけたのですが、保管倉庫が火事に見舞われたらしく選び直しに……」
「なるほどなるほど」
これはどこかの一族か、派閥で諍いが起きているのだろう。そんな手落ち、早々起きるはずがない。
引き出物候補は火の気のないところで厳重で保管されているはずだ。引き出物に選ばれたのも栄誉だが、それをきっかけにユフィリアやヨルハが愛用すれば皇室御用達になれる。
神獣とその番はゼイングロウの敬愛と羨望の的だ。真似したがる国民は多く、需要が増えることは間違いない。
「物騒ですなー。どうやら、南西でも騒ぎが起きるそうですし」
「南西、ですか?」
南西にはどの部門や建物があっただろうと、ユフィリアは首を傾げる。
確か、数年に一度使うかどうかの祭具が置かれた場所だった気がする。余り通ったことがなかったので建物の記憶も薄らぼんやりしていた。
ユフィリアの知らないところで、護衛たちに目配せをするゲットは、何やら俯き出したと思ったら懐を漁り始める。
「して、例の美髪剤の販路ですが、是非とも我が卯の一族にお任せいただけませんでしょうか。これは孫は関係なく、貴女様の腕を見込んでのことです」
この期に及んで諦めないゲットである。
商魂たくましい一面、また似たようなことが起きてしまった際にユフィリアとのパイプを作りたいというのもあるのだろう。
薬学分野は未発達なゼイングロウ。その遅れ分を開拓していけば、ゲットにも十分な利益の見込みがある。
「シンラ様に、苦くない大変飲みやすい胃薬の作り方もご存知とお伺いしまして、そちらの件に関してもご一考を」
ゲットはそのラブリーさを前面に押し出して距離を詰めてくる。もふもふが頬につくのではないかというくらい近づいてくる。興奮でひくひくした口元で髭が揺れてくすぐったい。
「えーと、そのぅ……」
ユフィリアの乙女心が、ラブリーラビットのビジュアルモンスターに屈しかけている。
ゲットのこの押し売りは同族にはうざいしあざといと不評だが、人間には効くのは経験上よく知っていた。
その時、べりっとユフィリアから引きはがされるゲット。ユフィリアが困りながらも、心が揺れていたのであと一歩だったというのに。
「ゲットや……ユフィリア様に何をしている。このお方はヨルハの番様であるぞ?」
死にたいのか、と呆れと怒り半々のシンラが立っていた。
白髭を蓄えた老人だが、かくしゃくとして隙が無い。薄墨と青で山河を模した羽織の下に、白い胴衣を着ており、翡翠の勾玉の帯留めが赤い飾り紐と揺れている。
シンラは巳の一族の長。蛇ではなく、イグアナの獣人だ。幻獣の格を持ち、コクランに並びヨルハの側近兼相談役でもある。
「ユフィリア様、申し訳ない。こやつ、獣人の中でも商売上手なんだが、どうも利益に目がない奴でな。特に自分の見た目に弱い人間が多いと知るや否や、けったいな売り込み方を覚えよって」
「需要に敏感だといってくだされえええ! 売れますよ! 知ってますからね! アンタがユフィリア様の薬が安定して手に入れたいからって、こっちにそれとなく情報流しむぎゅうううー!!」
「ほっほっほっほ」
ユフィリアの薬の情報源はシンラだったのか。
シンラの両手に顔を掴まれ、主に下半分をぎゅっと塞がれたゲットは鮮度抜群の活魚のようにびちびち揺れている。
「まあ、シンラ様。それくらいのこと、いつでもご用意しますのに」
「いえいえ。私だけが使うのももったいないと思っていたのです。良いものは広がるべきでしょう。これを切欠に、薬を上手く飲めない子が苦手意識をなくし、薬学に興味を持つ子が出ればさらに良い」
静かに頷きながら願わくば、と語るシンラ。
いい年した大人どころか、老齢に差し掛かっているシンラですらゼインアロエの苦みに耐えるのはきつかった。あれは立派な苦行である。
ユフィリアがゼインアロエの花びらの苦みを失くしてくれたので、えづく回数は一気に減った。
「しかし、ゼインアロエの赤い花は稀少なので量産は難しいでしょうな」
「葉よりも花弁は高級品ですよ」
花は不定期な開花だ。ゼインアロエの葉よりも収穫が難しい。
だが、ユフィリアは曖昧な笑みを浮かべてしまう。ユフィリアの育てているゼインアロエは、ぽこぽこ花を咲かせているのだ。稀少な赤い花もストックがいっぱいある。
「材料に余裕はありますから、ある程度なら作れますよ。ただ、時間が取れそうなのが結婚後になるかと」
ぼとり、と音がした。シンラがゲットを落としていたのだ。
奇妙な空気が流れる。
「………………さようですか」
真顔になったゲットは、気の抜けたような声でカクカクと口だけを動かして答えた。何とか絞り出した感じである。
ユフィリアににこりと笑うと、つつつとすり足気味にシンラに近づく。
「えーと、えっとー、ユフィリア様は結婚後のご自身が出歩ける身でないことを分かっていらっしゃらない?」
「ヨルハはユフィリア様を溺愛しておるからな。忠告もあってか、一つ屋根の下で同衾しても、婚前交渉はせんと言い切っておる。……うん、まあ。その後は、我慢した分、そうなるだろうな」
紳士二人は何とも歯切れ悪く言葉を濁している。
ヨルハは貴族令嬢のユフィリアの貞操観念に合わせて自重している。
恐るべき自制心だが、何もかもが『番のため』の一言で収まってしまう。
ユフィリアは下世話な考えに辿り着けないようだが、結婚後の公務を半年は融通が利くように調整を進めている。
自由奔放なヨルハが、ユフィリアの前では大人しくしているのが嵐の前兆にしか見えない今日この頃。
知らぬは本人ばかりなり。
そんな話をしているうちに、少し持ち場を離れていた護衛たちが帰ってきた。
ユフィリアの近辺にやや離れて配置された者たちだ。もともと室外にいたので、当然、護衛されている本人は離れたことも、戻ったことにも気づいていない。
どうやら、ゲットの助言通りに『物騒なもの』を見つけて来たようだ。
(このやり口、辰の性質とは違う。ヒヨウの残党の仕業か)
必死に泳ぎ回って空ぶっているので、余裕がなくなっているのが分かる。
結婚式は近づいているのに、成果は上がらないのだから焦っているのだろう。
詰将棋のようにこつこつとヨルハは駒を変えている。ヒヨウの手下が重役から締め出されていき、自身の足元も崩れ始めていた。
一気に刈り取ることも可能だろうけれど、彼らしくない弄び方をしているのは今後のためだろう。ユフィリアの寵愛を示すと同時に、ヨルハの冷徹な性質は変わっていない――むしろ、その爪は鋭敏に研ぎ澄まされている。
逆らって、お前らもこうはなりたくないだろう。
ヨルハの声なき声が聞こえてくる気がした。
読んでいただきありがとうございました。




