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ミストルティンでの明暗

歯車が狂って残されたほう



 ユフィリアたちが卯の一族の問題に直面していた頃、ミストルティン王国のとあるパーティが催されていた。

 皆が趣味の話で盛り上がる者たちがいる一方、互いの腹を探り合い、笑みで躱し、戯れに約束をちらつかせる。いつも通り、それぞれの思惑が飛び交う紳士淑女の社交場だ。

 そんな貴族たちの間では、あることで話題が持ちきりだった。

 ゼイングロウの皇帝の婚姻にどこの家が呼ばれているのは誰だろう。ミストルティンからは王家とどこの貴族は確定らしいと情報合戦が繰り広げられていた。

 そんな中、ひときわ大きな人垣の中心にいるのは明るいピンクの髪をした可憐な令嬢だった。


「バンテール侯爵令嬢、かの国から招待状をいただいたって本当ですか? 羨ましい!」


「親交のある商人から聞いた話ですが、今のゼイングロウは結婚式の話題一色だとか」


「皇后になられるユフィリア様がお使いになった、飛竜のゴンドラで出迎がくるんじゃないかって……」


「ゼイングロウと言えば、ユフィリア様がお召しになっていた毛皮のコートが――」


 ゼイングロウ。

 番。

 ゼイングロウの皇帝夫妻の結婚。

 ユフィリア。

 この話題が尽きることはない。内心飽き飽きとしながらも、マリエッタ・フォン・バンテール侯爵令嬢は笑顔をキープしていた。

 ユフィリアの親友であり、いまも交流が続いている唯一がマリエッタ。彼女をきっかけに、ゼイングロウの上流階級とコネクションを作ろうと接触してくる。

 現にマリエッタの家はゼイングロウとの交易で、多くの融通が利いている。優先的に取引がされるし、大口の契約がいくつも結ばれた。事業経営は順風満帆どころか、史上最高トップスピードをぶっちぎっている。

 ふと、遠くに壁の花というか、壁のシミのようにぼんやり立っている人物を見かける。

 華やかなパーティーの中、眼鏡越しでもわかる精彩を欠いた表情と曲がった背筋。近づくだけで辛気臭さが移りそうな、亡霊じみた様子を皆が避けている。

 彼はブライス・フォン・ハルモニア。ユフィリアの実兄だ。

 ユフィリアの実家なのに、彼の周囲は寂しいものだ。何せ、彼――否、彼らは悪い意味で有名だ。

 長年にわたりユフィリアを冷遇し、コネと金目当てに酷い婚約者をあてがい続けた。それには飽き足らず、金でユフィリアを売り飛ばすようにゼイングロウへ送り、持参金を事業と妹に食い潰させたともっぱらの評判だ。

 しかも妹のアリスは、ユフィリアの元婚約者を奪ったという疑惑がある。その後にユフィリアの新しい婚約者が皇帝だと知ると、彼女がミストルティンに戻ってきた時に誘拐して殺そうとした。

 連座責任に問われるのを畏れ、ハルモニア伯爵家はアリスを勘当し、貴族として庇護の受けられないアリスは平民として処刑された。

 やり方は違えど姉妹とも見捨てたハルモニア伯爵家は、人でなし呼ばれ視線に晒され続けている。

 それでも爵位や領地の没収はされていないだけマシだろう。


(そういえば、ハルモニア伯爵夫妻の姿を最近見ないわね。特にソフィア夫人……あの方はアリスを溺愛していたから、処刑はさすがに堪えたのかしら)


 誘拐事件に巻き込まれていたマリエッタ。あれは自身の迂闊さもある。

 ユフィリアに久方に会えると浮かれて、友人たちに喋ってしまったのをアリスに聞かれていた。そのせいで、ユフィリアをおびき寄せるための囮に利用された。

 思い出すだけで腹立たしい。

 あれだけ冷遇しておいて、今ではユフィリアにすり寄ろうと必死らしいが、これまでの所業もあり上手く行っていないと聞く。


(遅いのよ、お馬鹿さん)


 ユフィリアほど素晴らしい人はそうそういない。マリエッタは自分の目を信じているし、事実その通りになった。

 心の中で酷評していると、視界の隅で辛気臭い男が会場を後にするのが分かる。

 きっと、今回もまともな商談どころか、その切欠すら掴めず空振りしたのだろう。

 ブライスは伯爵家の次期当主なので、以前までは女性が周囲から絶えなかった。今では、扇で顔を隠されながらこそこそと何かを言われるような有様だ。

 縁談なんて、以前と同じ条件では無理だ。かなり格式の低い家か、問題のある家、下手すれば持参金目当てで商家からも選ばなくてはならないかもしれない

 ユフィリアがいなくなった瞬間から、大事なネジを失ったように、すべてが瓦解して転がり落ちていったハルモニア伯爵家。


(……あの噂、本当かしら。ブライス様の様子を見る限り、あながち嘘ではなさそうだけど)


 淑女の笑みを絶やさないまま、マリエッタは思考を巡らす。

 だが、自分には干渉するべきことではないと、頭の隅に追いやった。




 ハルモニア伯爵家の紋章が描かれた馬車が、閑静な高級住宅街を走り抜けていく。

 その中の一つの前で馬車が止まると、ややあって城門が開いて入って行く。窓から見える庭はぱっとしない。よく見れば庭木は不揃いに伸び、咲き時の花が少ない。理由は分っていた。庭師を減らしたからだ。

 今は正門から入ってきたからまだ見目が整っているほうである。

 裏手に回れば、雑然となっている。木の枝葉が伸びすぎて薄暗く、ほとんど緑一色で、彩にかけている。通路の石畳には細かな隙間から出る雑草や落ち葉が目立ち、掃除が行き届いていないのが分かる。

 暗いのは庭だけでない。家の中はさらに陰鬱としている。


「おかえりなさいませ、ブライスお坊ちゃま」


 ブライスの帰りを待っていた執事が一礼する。

 少し前なら、従僕やメイドたちも並んで出迎えていたが、今は寂しいものである。それも仕方がないことだ。庭師だけでなく、使用人の数もかなり減らしたのだ。

 必要最低限で回しているので、ブライスの帰りを歓迎する余裕すらもない。


「父様と母様は?」


「イアン様は執務室。ソフィア様はいつも通り、自室に居られます」


「出かけていないだろうか?」


「メイドたちにはくれぐれも一人にはしないよう言い含めております」


 ブライスの言いたいことは承知しているのだろう。執事の返事は淀みない。

 それは同時に、この屋敷に何ら変わりはないということ。良くも、悪くも。

 隣国の皇后を輩出する家だというのに、ハルモニア伯爵家には薄暗い靄がかかっているようだ。家人も、使用人たちの表情も鬱々とした雰囲気を隠しきれない。

 ハルモニア伯爵家は斜陽貴族になりつつある。事業は不調続きで、融資も断られるばかり。新しい人脈の開拓も芳しい結果は得られていない。

 次期当主の婚約者探しすら難航する有様なのだから、ブライスでハルモニア伯爵家は途絶えるかもしれない。分家や親戚筋も、没落した家をわざわざ継ぎたくはないだろう。

 イアンは社交場に嘲笑されるのを厭い、外出しなくなった。かといって、積極的に執務をするわけでも、領地視察に赴くわけでもない。

 色よい返事の貰えない事業提案の結果や、領地から上がる報告書を見て項垂れるばかり。最近では、執務室で酒に溺れていることもある。

 ソフィアも似たようなものだ。部屋に閉じこもってばかり。


(いや、母様はもっと悪い)


 イアンは酒の力を借りて現実逃避しているが、ソフィアは素面でそれより酷い状態だ。

 古ぼけたぬいぐるみな人形を抱いて死んだ娘の名を呼び掛けているならまだいいほう。もっと最悪なのは、外出している時だ。

 思い出すだけで気が重い。従僕に上着を預け、ため息を漏らすイアン。その時、悲鳴が聞こえた。

 何事かと思ったが、ソフィアの部屋のほうからだと気づくと慌ててそちらへ向かう。ソフィアはイアンかブライスの言葉なら、比較的耳を傾ける。

 部屋の前には、ティーワゴンが放置されていた。部屋の中には、血を流しているメイドが倒れている。死んでいるのかと青ざめたが、揺すっていると呻いて目を開いた。


「おい、どうした? 何があった? 母様は?」


「ソフィア様がアリス様を探しに行くと急に暴れ出し、止めようとしたら突き飛ばされて……」


 メイドが昏倒している間に、ソフィアは逃げたのだろう。

 また醜聞が増えると思うと、ブライスはぞっとすると同時に気が重くなる。イアンは当てにならない現状、自分が動くしかない。

 社交も、事業も、領地も、家のことも全部ブライスの肩にのしかかってきていた。

 すべてが上手くいっていないのに、家族はばらばらだ。協力も連帯もあったものではない。


「探しに行くぞ! 手の空いている者をかき集めろ! 一部は屋敷や庭をくまなく探させ、残りは私についてこい! 急ぎの仕事をしている者以外、すべてだ!」


 ブライスが声を荒らげて指示を出すと、執事もそれに従い采配をする。

 大量解雇があだになったのだろう。それなりの大きさの屋敷なのに、少ない人数で回しているから管理が行き届いていない。伯爵夫人がふらふらと出て行っても気づかないくらいだ。

 正門から玄関で会わなかったから、裏口から出ていった可能性が高い。

 鬱蒼とした裏庭の雑草の一部に、人が通った形跡がある。けもの道のように、背の高い草が割れているのだ。

 それを辿るように走っていくと外に出た。


(もう使っていない裏口か……)


 正門から続く玄関は家人や、来客用の出入り口だ。食料などの出入り口は別にある。屋敷の改修で利便性の悪い古い裏口は使われなくなった。

 ソフィアは誰かに見つかると連れ戻されるのは分かっているのか、人目を避けてこちらから出ていったのだろう。

 苛立ちながら外に出ると、そう離れていないところで何か騒ぎが起きている。


(ああ、クソ! 間に合わなかった……)


 落胆と脱力を覚えながらも、顔を上げてそちらを向く。

 簡素な部屋着に方にケープを引っ掻けただけのソフィアが、若い女性に絡んでいる。


「ああ! アリス! 私の可愛いアリス……! 心配したのよ。ここにいたのね? もうイアンも怒っていないわ。おうちに帰りましょう」


 ソフィアは早口で急かしながら、女性の腕を掴んでいる。

 その女性はどう見ても平民だ。髪が落ちてこないように頭につけた頭巾、着古したブラウスとつぎはぎのあるエプロンとスカート姿。

 髪はこげ茶で、瞳は黒。日に焼けた肌にそばかすが散った愛嬌のある顔立ちだが、美人でもない。ほっそりとした腕や体つきもそうだが、どこもアリスには似ても似つかない。


(……以前は金髪や髪色の明るい少女を選んで声をかけていたが、もう見境がないな)


 アリスは金茶の髪に赤い瞳でふくよかな少女だった。顔立ちは可愛らしいほうだと思うが、表情や仕草に高慢さや性格の悪さが端々に滲んでいた。

 兄の自分ですら、そう感じる妹だったのだ。

 だが、そんなアリスをソフィアは溺愛していた。アリスを可愛がるあまり、もう一人の娘であるユフィリアを蔑ろにするくらい。

 同じようにブライスもアリスを優先し、ユフィリアのことをろくに気にかけなかった。

 イアンも、器量の悪いアリスを可愛がっていた。あれは愚か不出来な娘を愛する、慈悲深い父親を演じることに酔っていたのだろう。憐憫ですらなかった。


「母様、帰りますよ。彼女はアリスではありません」


「あら、ブライス。何を言っているの? アリスは、アリスはここにいるじゃない」


「その平民が? アリスは伯爵令嬢ですよ」


 なんてくだらないやり取りだ。確かに生まれはそうだったが、アリスは罪を犯して貴族籍を剥奪され、平民の罪人として裁かれた。その遺体を引き取りもしなかったし、焼かれた後の骨すら拾っていない。

 ソフィアの中のアリスは伯爵令嬢で、可愛い娘のままだからそれに合わせただけ。

 ブライスの言葉に、ソフィアはしばらく考えて、腕を掴んでいた女性を見る。

 女性のほうは、見ず知らずの相手に付き纏われて困惑していたし、恐怖を感じていている。

 早く解放されたい。だが、相手は貴族だから迂闊なことはできず、困っていたのだろう。


「……ああ、嫌だ。何を勘違いしていたのかしら。全然違うじゃない」


 嫌悪の視線もあらわに、先ほどの不自然なほどの笑みをかき消したソフィア。女性を掴んでいた腕を離すと、素早く払った。まるで、汚いものを触ったように。

 ソフィアは良くも悪くも貴族の夫人らしい女性だ。選民志向が強い。貴族は平民より偉く尊い。人間は獣人より優れ、聡明な存在。人間であり、貴族の己はとても高みにいる存在で、その辺にいる烏合とは違う。

 ごく自然に、そう考える人だった。


「家に帰らなきゃ。アリスが待っているわ。アリスはお肉とデザートが大好きだから、メイン以外にも肉料理の用意を忘れずにね。二種類は必須よ。デザートは甘めで、料理長のパン・プディングとケーキを三つは用意しなきゃ……」


 ぶつぶつと虚ろの空を見上げながら、早口でまくし立てるソフィア。髪は乱れたままで服は草の汁や土で汚れている。足元に至っては素足だった。

 運よく怪我はしていないようだが、こんな姿を知り合いに見られたら不味い。多少言動がおかしくとも歩くなら何とかなる。ブライスはすぐに屋敷へと連れ戻した。





読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
アリス処刑されてたのですね。
ゼイングロウの皇帝の婚姻にどこの家が呼ばれているのは誰だろう ↓ ゼイングロウの皇帝の婚姻にどこの家の誰が呼ばれているのだろう かな、、、。
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