祝いの準備
ちゃんと仕事もする
透き通る水面の上に、朱塗りの柱と黒い瓦が印象的な建物。ミストルティンではお目にかかれない建築様式で、装飾や配色の基本も違う重厚さある。
ミストルティンで生まれ育ったユフィリアには、異国情緒が色濃く感じられた。
本来はかなり離れているのだが、ユフィリアたちの住む精霊の木から直通で行けるので便利だ。
二人が到着すると、朱金城ではすでにいそいそと役人たちが働いていた。
神獣ヨルハの結婚式が近い。お相手も番と言う大変めでたい式に、皆は大張り切りだ。
ヨルハとユフィリアに気づくと、体の前に手を揃える独特の一礼をする。その手の形や位置によって、玄妙な意思表示がある――のだが、ユフィリアには理解しきれない。
裾の長い上着を着ていると分かりにくいのに、服の問題以外にもサイズ感以外はほぼ動物(二足歩行)もいるのだ。手の揃え方が判別しにくい。
何か手に持っているか、手を擦る癖がある獣人もいる。主にげっ歯類系にその傾向が多い。
「おお、ヨルハや。ユフィリア様もおいでか。ちょうどよい」
やってきたのはイグアナの獣人シンラだ。深緑色の上着に、抽象的な雲の模様が染め描かれた白い着流しを黒い帯で締めている。
好々爺とした穏やかな顔だが、悠然として風格があった。白髭に触れながらゆったりとした足取りでやってくる。
「何かあったのか?」
「婚礼衣装で少々トラブルがあってのう」
「ユフィの着るものに何かされた?」
「いんや。糸の手配の関係で諦めた帯があったじゃろう? 手に入ったそうじゃ」
普通なら形式に則った挨拶が入りそうなのだが、それを飛ばして本題に入る二人。
ユフィリアはその感覚が慣れず、聞いているだけで少しどぎまぎしてしまう。
ゼイングロウはその辺の感覚がフランクだ。最高格の神獣であるヨルハとそれに近しい幻獣のシンラとコクランは、他と一線を画す。
「そうか、手に入ったか。番探しをするまで、目標額を貯めることしか考えてなかったからな」
入手は難しいと諦めていた分、嬉しい誤算だ。静かに喜色を浮かべるヨルハ。
当初は他の番持ちから「とにかく金は貯めておけ」と言われ、嫌々やっていた。そもそも乗り気でなかった番探し。見つけてからは手の平がくるっくると回りに回った。
番への贈り物にお金は足りたものの、疎かになっていた品物探しや素材の確保に苦労をした。資金があっても現物入手が間に合わないのがまだまだある。
「ユフィに絶対に似合うと思ったんだ。十年以上前にコクランの細君が祭事に着ていた召し物が本当に綺麗で――」
振り返り、ユフィリアに身振り手振りで話し始めるヨルハ。それを笑顔で聞きながら、内心では冷や汗が出てくるユフィリア。
獣人の特性なのか、格持ちの傾向なのか、ヨルハの愛情は激しく重い。それに苦しさを感じたことはない。ただ、自分に不相応なのではないかと不安になることはあった。
格というのは力の敷居であり、獣人では身分に近い意味を持っている。
ミストルティンでは王族、貴族、平民と区切られる。さらに貴族は爵位で序列が決まっていた。
血筋による継承が大半で、長子だからと引き継がれるのも多い。その個人の能力や器量が鑑みられないことも散見される。
(……やっぱり族長は格持ちが多いのかしら? お名前は聞いているけど、詳しくは知らないのよね)
霊獣、幻獣、聖獣、神獣と後半に行くにつれて強靭な獣人だ。もちろん、格によって段違いの力を持つ。
獣人は大きく分けて十二支族と言う、大家が存在しており領主のよう土地と住まう民を治めていた。ざっくりとした分類なので、グレーゾーンもあるが大半の種族がそこに分類されている。
梟のヨルハは酉の一族。イグアナのシンラは、巳の一族だ。
ヨルハは皇帝なので国の仕事を優先し、酉の一族の実質管理は次席に任せている。
「引き出物を選ぶのは衣装の確認の後でよろしいでしょうか、ユフィリア様?」
「ええ、わたくしは構いません」
「それはありがたい。では案内をさせましょう」
ユフィリアが了承すればシンラはにこりと笑って、別の者に引き継いだ。
年長者である彼は、色々な経験があるので周りから頼られるのだろう。かなりお年を召しているが、かくしゃくとしている。ずっと動きながら指示を飛ばしている。
去り際にヨルハと小さく言葉を交わして、シンラは一礼して去って行った。
「ヨルハ様、新しい帯とは……」
「蚕の中でも特別な個体から紡いだ糸でできた帯だよ。ここ数年、蚕の餌である樹木が病気になって、生産が激減していたんだ」
「まあ、そのような貴重なものを使ってよろしいのですか?」
「当然だよ。ユフィが着たら生産者も喜ぶ。なんせ、ユフィは俺の番なんだから」
甘い美貌と共に、ユフィリアの杞憂を否定するヨルハ。ユフィリアにはそれを纏う価値が十分ある。
「しかし樹木の病気ですか……」
「古木だから、どうしても弱ってしまう。しかも前任者からの引継ぎに失敗があったみたいで、新しい木の栽培も上手くいっていないようだ」
それは由々しきことなのではないだろうか。
ユフィリアはちらりとヨルハを見るが、必要な帯が手に入った以上それ以上の興味はなさそうだ。
広い国土を持つゼイングロウでも特別と称され、番のユフィリアに贈るほど高級品となれば嗜好品としての価値は高いのではないだろうか。
(現状では量産が困難。布にするだけの生産力はなくても、美しい糸のままでも価値できそうね。稀少性を売りにして、単価を上げるのもいいかもしれない……)
それに、ユフィリアが纏う婚礼衣装は要人たちの目に留まるはずだ。
ゼイングロウの絹は質がいい。その中でも上澄みならば、手に入れたいと求められる可能性は十分にある。
貴族の中には、稀少性やこれだけの金額をはたいたという点に重きを置くタイプも多い。
貴族の衣装に絹は定番だ。馴染みのある絹糸ならば、万人受けもしやすい。
(とにかく帯を見て、糸の具合を確認ね)
だが、絶対に良い品だと言う確信がある。
ユフィリアにと願っていた帯が手に入ったと知ったヨルハの顔は、嬉しそうだった。それだけで、十分なくらい。
シンラから引き継いだ派鹿の角と耳を持つ男性。彼に案内された部屋には、白い婚礼衣装と鮮やかな帯があった。
色鮮やかで艶やかな絹糸が描く艶やかな色彩。緻密な刺繍で描かれた花が大小に描かれている。
もともと予定していた帯も花柄だったが、こちらのほうが段違いだ。他の帯がぼやけて見えるほど、格別に美しかった。
「どう、ユフィ?」
「綺麗……とても綺麗です。こんなに美しく鮮やかな柄……布も糸も、初めて見ました」
優しく問うヨルハに、感嘆にため息とともにユフィリアは答える。
ミストルティンでも花柄の刺繍は見たことがあるが、それとはまったく違う。繊細で大胆で奥行きがあるものではない。
貴族令嬢として十七年間生きてきた。シルクドレスに袖を通すことは何度もあったし、それを纏う貴人たちも何人も見てきた。
物心ついた頃には、ユフィリアが一番を貰うことはなかった。家の中では、常に優先されるべき妹がいた――その妹はもういない。そして、ここはハルモニア伯爵家ではない。
いつも欲しい物を黙って見ていた。我慢して微笑んで、奪われ続けていた。そうすることを求められ、強要されていたから。
今は違う。両親や兄はいないし、ヨルハはそんな卑屈な反応をされたら悲しむ。
審美眼だってそれなりだけれど、とても素晴らしい物だってすぐ分かった。
「これを、本当に私が着ても良いのでしょうか?」
「当り前だよ」
「嬉しいです……ヨルハ様、ありがとう」
素直に嬉しいと言える。欲しいと求められる。得た後に奪われる恐ろしさや悲しさではなく、満足感がある。
ユフィリアの中で幼いユフィリアが泣きながら笑っている。
ヨルハといると、昔の傷がゆっくり薄まって癒えていく。
「ユフィ、嬉しい?」
「はい」
「お色直し、増やす?」
「増やしません」
ワンチャン行けると思ったが玉砕。ヨルハが少ししょんぼりした。良い感じの流れだったが、ユフィリアは感極まっている状態でもしっかり者のままだった。
「……行けると思ったのに」
その後ろで、予定を変えられそうだったと知った役人たちは安堵する。
あの冷徹なくらいマイペースなヨルハが、ユフィリア相手にはこの通りだ。
ユフィリアは知らないが、彼女の配慮により救われた獣人は多い。主に仕事面で、隙あらばお色直し増量や演出をグレードアップしようとするヨルハに、さっくりとてこ入れをしてくれる。
(ユフィリア様が番様で良かった……!)
(もしフウカ様みたいな美人なだけで派手好き浪費家だったら終わってた)
(しっかり者で聡明で、気性も穏やか! 番様最高!)
口に出したらヨルハの殺気と眼光が飛んでくるので、心の中で拍手喝采を送る。
高位の格持ちほど番率が高い。ヨルハが性格最悪の番を迎えてしまったら、ゼイングロウ帝国は揺れた可能性が高い。
ユフィリアが来るまで、ヨルハに言い寄っていた女性は多かった。
だいたいは十代半ばから二十代半ばで、ヨルハとの釣り合いを考えていたが、中には攻めた年齢層もいた。
下はロリコンを疑われる十代前半、上はもはや母親と言っていい四十近くと幅広い。
強引な縁を望む者は家柄や美貌自慢を拗らせている者が多かった。
しかしユフィリアを見て、彼女を溺愛するヨルハを見て諦めた。人が変わったように愛情表現を惜しまないヨルハは、以前の彼を知る者からすれば青天の霹靂だった。
人目を憚らず愛を囁き、溢れて零れるほどの寵愛を注ぐ姿。
同時に、ユフィリアの敵に対する冷酷な一面。
賢い者たちはすぐに身の振りを決めたが、愚かしくも絶望的な可能性に縋った一部もいる。
「気に入ったみたいだし、こっちに変更しようか」
「はい」
「前の分は家に運んでおこう。何かに使えることもあるだろうし」
「え、それはよろしいのですか?」
これは国税で賄われたものではないのだろうか。宮殿に皇后用として残すならともかく、あの個人宅であるスペースに持ち帰って良いのだろうか。
皇帝の家であるのは確かだが、アットホームな雰囲気があるので違和感が拭えない。
困惑するユフィリアに、目を丸くして首を傾げるヨルハ。その仕草は彼が梟だと思い出させる。
「婚礼の反物関係は、俺の私財から出したものだから」
「国庫からではなくて?」
「俺の番を美しく着飾らせるのに、他人の財布から出た金を使うほうが分からないよ」
ユフィリアがなんとも言えない気持ちなると、周囲の獣人たちは首を振る。
番を得た獣人は独占欲が半端ない。何から何まで、自分が集めたもので番を囲い込みたがる習性がある。これくらい『よくあること』なのだ。
「ヨルハ様がそうおっしゃるなら、持ち帰らせていただきましょう」
「それなりに上物の帯だから、合わせる着物を今度選びに行こう。花嫁衣裳と同じ白もいいけど、淡い水色や黄色も相性が良さそうだ」
ユフィリアのこめかみに唇を落とすヨルハ。
水色はユフィリアの瞳に近く、黄色はヨルハの瞳の色に近い。白は二人ともが持つ色だ。見え隠れするヨルハの執着だが、ユフィリアは「もう白も水色も黄色もたくさん持っていますわ」と窘めている。
またもや貢ぐ機会を失い、しょんぼりするヨルハ。
「それに、まだ袖を通してない着物やドレスもありますの。お気に入りもたくさん。クローゼットの中でさえ、色々試したい組み合わせがあって迷ってしまいます」
ヨルハはユフィリアの着る物、身に着ける物をこまめに褒めてくれる。ユフィリアもおしゃれのし甲斐があると言うものだ。
そんなユフィリアの可愛らしい反応に、自分のプレゼントがお気に召していると分かってご機嫌のヨルハ。
(ユフィが、番が可愛い。こんな可愛くて大丈夫なのだろうか)
ふらふら近づいたところで、ヨルハの首根っこが掴まれた。
「衣装確認は終わったな? ユフィリア様は予定通りに、ヨルハは俺らと楽しい書類決裁だ」
現れたのはジャッカルの獣人コクラン。
褐色の肌と黒髪が印象的な、背が高く逞しい男性だ。若々しく見えるが年齢は四十を超えていると言う。こざっぱりとして気風の良さそうな、雄々しい美貌である。
迎えに着たコクランに、若干迷惑そうな顔をするヨルハ。
「何が楽しくてお前みたいなむさくるしい奴と」
「新婚生活を楽しみたかったらさっさとやれ」
ユフィリアと引き離されると分かり、露骨に顔を顰めるヨルハ。それでも抵抗しないのは、やらないといけないのは重々承知しているのだろう。
「ユフィ、ユフィ。俺のユフィ。すぐ終わらせて、迎えに行くからね」
「おー、ガンバレガンバレ。ちゃきちゃき仕事を片付けてくれや」
ユフィリアに哀愁漂う別れを告げるが、手慣れた様子で引きずるコクラン。
不貞腐れるのが年相応どころか、子供っぽい。普段は泰然か溺愛モードの極端なヨルハの可愛らしい(とユフィリアは少なくとも思っている)一面だ。
「いってらっしゃいませ。お仕事頑張ってくださいね」
そんな二人を見送り、ユフィリアも笑顔で手を振った。
正直、ヨルハはユフィリアと別れるたびにこんな感じなのでいい加減慣れてきている。今生の別れのような悲哀だが、数時間後にはとびきりの笑顔で戻ってくるのだ。
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