誘拐犯の正体
戻れるわけないのにね
駄馬の歩調は苛つくほどゆっくりで、粗末な荷馬車は狭くアリスの座れる場所はほとんどなかった。
御者席にいる男は不潔で間抜け面をしていて、視界に入れるのも嫌だ。
細い裏路地なので通れる幅もギリギリだ。だが、さすがのアリスも自分が悪いことをしているのは理解している。
ふと、先ほどのユフィリアを思い出す。
美しいドレスだった。よそ行きの軽やかな装い。ふんわりと優しい黄色に可愛らしいパフスリーブとAラインの広がりが綺麗だった。
首から胸元、裾にあしらわれた繊細なレースとフリル。真珠を割った金細工のボタンが使われていた。歩きやすいように靴こそ編み上げブーツだったけれど、それもピカピカのおろしたてに見えた。傷どころかくすみ一つない滑らかな革だ。
すっかりみすぼらしくなったアリスとは大違い。
目的地に着くと、いつもは立っている門番がいない。
「どうします?」
当然のことを聞く愚図な御者に苛立つアリス。
「入るに決まってるでしょ。見張りが来る前にさっさとして!」
運がいい。ぐるりと囲う塀の割れ目から入らずに済む。出口は薔薇の茂みの近くで、出入りするとチクチクして痛いのだ。服も汚れる。
門をくぐって中に入ると、屋敷は閑散としていた。
ここはエリオスの療養のためだから少ないとは聞いていたけれど、本当に最低限の使用人しかいない。今日は一層静かで不気味だ。
玄関を入ったところまで運ばせ、ユフィリアを降ろさせる。残りの金を貰うと、ごろつきはさっさと帰って行った。
ユフィリアを袋から出す。目隠しや猿轡も外した。
乱れても艶のある白銀の髪に、白磁のような滑らかな肌に薔薇色の頬。血色の良い唇に、小作りな鼻に、けぶるような長い睫毛ですら美しい。
黄色のドレスもあってたんぽぽの妖精のような可憐さだ。
「なんでよ……お姉様は売られたのに、なんでそんなに綺麗なの? 獣人なんて、野蛮よ。どうして不幸じゃないの?」
無様なユフィリアを見たら、きっとアリスの心も穏やかになる。
そう思ったのに今のユフィリアは、家にいた頃よりずっと美しい。ぼんやりとした月ではなく、夜空を照らす満月だ。
屈辱で震えるアリスだったが、ユフィリアが身じろぎして目を開いた。
最初はぼんやりしていたようだが、すぐに見知らぬ場所と判断して警戒を強めた。そして、手足が縛られていると気付き、立っていたアリスを見ると怪訝な顔した。
「……お久しぶりね、お姉様」
「貴女……まさか、アリス?」
ぼさぼさの髪に薄汚れた肌と服。僅かに異臭すら漂っていた。胡散臭い灰色のローブを着て立つ姿は不気味以外の何ものでもない。
その荒み具合は浮浪者と言ったほうが納得できる。
「マリーはどこ?」
ぴくりとアリスの体が震えた。気に障る質問だったのだろう。
長年の経験で、すぐに察したユフィリアだが強く睨む。いつもなら自分が折れていたが、この時ばかりは譲れない。
目を逸らしたのはアリスだった。
「エリオス様がお呼びよ。大事なお話があるから、それが終わったら教えてあげる」
嘘は言っていない。
だが、マリエッタがどこへ行ったか、どうなったかは知らない。
大事な友達が無残な姿になったら、ましてや自分との約束に向かう途中での出来事だったら、ユフィリアはどんな顔をするだろう。
それが楽しみだった。
ユフィリアは嫌に静かなアリスに不吉なものを感じながらも、マリエッタの行方を辿る手掛かりはアリスしかいないので従った。
寒々しいほどの静寂が支配する屋敷。人の気配はない。おかれた調度品も、埃がかぶって曇っているし、どこか空気も黴臭い。
階段を踏むと少し軋む。二階に行くと、壁に大きな紋章が描かれていた。赤い部厚めの羅紗に、金粉の塗料で描いた家紋。半分以上が剥げかかっているが、これはアクセル公爵家の家紋だ。
(……アクセル公爵家の別邸ね。予想はしていたけれど、場所は分らない。少なくとも長い間、社交にも使われていない)
意識がない間の道筋は分らないけれど、おそらく王都かその近郊であろう。
外の明るさと空腹具合からして、日付をまたいではいないはずだ。
(この婚姻はミストルティンとゼイングロウ、双方望み。この誘拐劇は貴族らしい考えのアクセル公爵の意図するところではない。きっと、二人の独断なんでしょう)
遅かれ早かれバレるはずだ。
頭では冷静に分析する一方で、ユフィリアは恐怖を感じていた。緊張で手足は冷たく、鼓動は早鐘状態が続いている。
ユフィリアが通されたのは、それなりの重厚で高価な調度品だが、どこか埃っぽさがある。そして籠った空気を感じる。換気がちゃんとされていないのだろう。
歩いている途中、誰も会わなかった。アクセル公爵家の騎士や使用人なら、この騒動を訴えて味方につけることもできたのに。
「この部屋よ」
そういうと、アリスは元来た道を戻っていった。
ユフィリアはなぜ入らないのか少し疑問だったが、それを追及している暇はない。
アリスはアリスで事情があった。勝手に入ったのがバレたら危ないので急いで退散したのだ。
ユフィリアはノックをするが声は返ってこない。不在なのかと思ったが、一応確認のためドアノブを捻る。
嵌め殺しの窓に張り付くようにして立っていた人物は、ドアの開いた音に振り向いた。
エリオスだ。この前見た時よりそげた顔は少し戻ったが、どんよりとした瞳は変わっていない。ユフィリアを見つけると、その顔を不気味に歪めた。
「……ユフィリア! お帰り、ユフィ! やっぱり帰ってたんだね! お前は不愛想だからなぁ! あの鳥野郎にも振られたんだろう?」
最初は驚いていたが、すごく嬉しそうに近づいて無礼な言葉を吐く。
相変わらず思い込みの激しいエリオスに、ユフィリアは冷たい視線を返す。マリエッタを誘拐しておいて、よくそんなことを言えたものだ。
「アリスに連れられてきたの。それに、明日にはゼイングロウに帰るわ」
不躾に手を伸ばすエリオスを避けながら、ユフィリアが言い放つ。
その言葉は、エリオスにとって都合が悪かったのか明らかに空気が変わった。
「ふざけるな! お前は戻って俺と結婚するんだよ! そうすれば父様だって全部許してくれる! あんな小汚そうな獣だらけの国より、ミストルティンの貴族に嫁ぎたいだろう!?」
「全然。もし相手があなたなら、絶対嫌です」
エリオスの熱弁を氷の刃で一刀両断するユフィリア。
勝手な妄言を聞くたびにエリオスはこうだったと思い出して、ユフィリアの心は冷めていく。今までお休みしていた完璧淑女の絶対零度が戻ってきた。
「生意気言うな!」
「うるさい、ろくでなし。学もない、品もない、手に職もないヒモ野郎を養うなんてお断りです」
叫んだエリオスのほうが、何倍にもなって返ってきた罵倒に怯んだ。流れるようにエリオスを扱き下ろしている。
いつものユフィリアなら大人しく引き下がり、謝罪するなりしていたのにそうならない。
エリオスは狼狽が見えてきた。
「お、お前は俺を何だと思っていやがる!?」
「血筋と顔が取り柄の穀潰し」
エリオスは忘れているようだが、ユフィリアの地位は高い。この国で言う王妃で、絶対的な寵愛を得ることが確定している番様だ。
今まで伯爵令嬢だったので、婚約者の公爵令息のエリオスに従っていた。
この前は暴力に驚いたが、今はとにかく怒りが勝っている。
「お話はそれだけ? マリーを返して」
「マリー? バンテール侯爵令嬢のことか?」
「それ以外いないでしょう」
「何の話だ? お前を連れて来いとは言ったけれど、そんなの知らないぞ」
不機嫌そうに言ったエリオスに、今度はユフィリアが青くなる番だ。
てっきり、この屋敷のどこかにでも捕らえているのかと思ったが違うかもしれない。
エリオスが関与していないとなると、手掛かりはアリスだけ。そのアリスもどこに行ったか分からない。
あのまま逃げられたら、万事休す。
こんな奴の相手をしている場合じゃなかった。
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