不吉な呼び出し
往生際の悪い人たち
時を遡ること、数時間前。
無事に午前の部、午後の部を終えたユフィリアは確かな手ごたえを感じていた。
学園にも試験はあったので、なんとなく感覚が分かる。
筆記試験では問題の意味も、示す意図も、求められている答えも分った。全部埋められたし、三度見直しをした。
実技試験はゼインアロエを使った栄養剤。ゼインアロエの扱い方は熟知していると胸を張れるほど、多くの薬を作った。収穫から加工までお任せあれだ。
ユフィリアの作った薬は特に評価が高く、匂いや味の飲みやすさに試験官からの質問が飛ぶくらいだった。
(マリーとはカフェで待ち合わせなのよね。懐かしいな)
先にカフェについたのはユフィリアだった。
紅茶を頼んで先に待っているが、マリエッタが来ない。
時計の分針がぐるりと一周し、時針が示す数字が変わろうとした時、店員が来た。
「お客様、失礼いたします。ユフィリア様でしょうか?」
「ええ」
「お手紙を預かっております」
何かトラブルでもあったのだろうかと、心配になりつつも手紙を受け取る。
妙に厚みがあり、細長く柔らかいもの入っていた。
(手紙……? 便箋以外に何か入っている)
白い上質紙の便箋には何の特徴もない。差出人すらなかった。封蝋は押されているが、あくまでデザインであって家紋などの情報は得られない。
和やかなカフェなのに、ユフィリアは嫌な予感に落ち着かない。
最初はマリエッタからの連絡かと思ったが、彼女だったらもっと便箋に気を使うし、名前を隠さない。封蝋も彼女の使うものではなかった。
手紙と一緒に渡されたペーパーナイフで、便箋に切り口を入れる。
中に入っていたのは、見覚えのある組紐。
マリエッタに贈った、ユフィリアの手で作ったものだ。
『この手紙を見たら、すぐに店を出てナシウス骨董店へ向かえ』
メモの内容にユフィリアは口を押えた。
悲鳴を上げかけたが、ざわめきにかき消される。震えながら、ユフィリアは必死に考える。
(手紙の送り主か、その使いは店の傍に来たのは間違いない。ナシウス骨董店って……あのうさん臭い裏通りにあるって噂よね)
もし下手な真似をすれば、マリエッタに何をされるか分からない。
マリエッタは貴族令嬢だから一人で来るはずがない。きっとメイドや馬車の御者などの使用人もいたはずだ。
相手は複数の可能性が高い――貴族令嬢の誘拐なんて危険性の高いことをするなんて、余程自信があるか愚かな人間だろう。
今日はユフィリアを招いての晩餐会がある。娘の帰りが遅ければ、必ずバンテール侯爵が探そうと動く。
実家のハルモニア伯爵家だったら、ユフィリアが帰らなくても気にも留めなく、事件の発覚は遅れていただろう――皮肉なことだ。
(ぐずぐずしていたらマリーが危ない。それに……私が行方不明になれば絶対にヨルハ様が来てくれる)
ヨルハは強い。ユフィリアには優しい紳士だが、敵対者には容赦のない人である。
それに、マリエッタはユフィリアを誘き出すために掴まった可能性が高い。なおさら、彼女を早く見つけなければ。
ナシウス骨董店へ向かい、ユフィリアが明るい大通りから一本細い道へ入っていく。
そこは途端で薄暗くなり、生活感と荒廃感が支配していた。
ごみを入れるバケツに痩せた猫。その猫を追い払う浮浪者。失職者やごろつきがたむろしており、ユフィリアは一瞬怯む。
(マリー……! マリーはもっと怖い思いをしている!)
足を踏み出そうとしたユフィリアだが、後ろから両腕を拘束されて薬を嗅がされた。
くらりと平衡感覚を失い、意識が遠のく。
(この生臭さはシビレウオ! あとネムリ、ナナカマ……ド?)
強烈な臭いなので、素材が分かる。これは即効性の眠り薬だ。
ぐったりとしたユフィリアは意識がない。
それを見下ろす人物は、目深にローブを被っている。ユフィリアを軽く蹴り、起きないか確認するとようやくフードを払った。
「……やった、やったわ! お姉様を捕まえた……! あとはエリオス様のいる屋敷に届ければ……!」
すっかりくたびれて肌艶を失ったアリスは、嫌そうに自分を見下ろす。
地味な灰色のローブに、すっかり汚れた学園の制服。擦り切れる寸前の靴は、裏路地のゴミを踏んで汚い染みができていた。
「さあ、アクセル公爵家まで運びなさい」
そう言って、アリスは横柄な態度でごろつきに命じる。
なけなしの宝石を売り払って雇ったが、見るからに不細工で柄が悪い。下僕としてもアリスに相応しくない。この臭くて薄暗い裏路地がお似合いだ。
「おい、最初に捕まえた女は貰っていいんだよな?」
ごろつき見るからに下品な笑みで聞いてくる。
「いいわよ。好きにすれば。でもバレないようにしなさいよ!」
マリエッタなんて大嫌いだ。
ユフィリアがいなくなった後、マリエッタが脚光を浴びるようになった。社交界でも学園でも、彼女に近づきたい人たちばかり。
(エリオス様は言っていた……! お姉様さえ連れて帰れば公爵家に戻れるって!)
消息不明になったエリオス。ゼイングロウで保護されたらしいが、蛮族の国で散々な目に遭ったらしい。端正な顔立ちがくたびれた中年のようになっていた。
だが、家を追い出されたはずのエリオスはまたアクセル公爵邸に戻された後、学園は休んでおり、別邸で療養している。
お見舞いとしてアリスが訪問した時、言っていたのだ。
『――ユフィが戻ってくれば』
すべてが上手くいくのに。
(その通りだわ。お姉様がいなくなったせいで、全部めちゃくちゃよ)
そんなわけがないのに、今の生活に疲れ果てたアリスはその甘言を信じた。
ずっとユフィリアと接触を狙っていた。だが、事実上の絶縁であるハルモニア伯爵家は頼れない。家の力がなければ、情報収集も難航した。
アリスには行ける社交場が、学園しかなかった。その中で、ユフィリアと交流が残っていそうなのはマリエッタのみ。
そんな時、学園でマリエッタが「ユフィが一時帰国するの!」と浮かれていたのを聞いて、ずっと彼女を尾行していた。
ユフィリアは国家錬金術士の試験に合わせて帰国するそうだ。
マリエッタはその日を心待ちにしており、その日が来るのを指折りに数えていた。アリスでも日付や場所を突き止められた。
当日、マリエッタは待ち合わせの場所に向かう。人が多い通りを狙って彼女の乗った馬車の車輪に大きな木片を投げた。
それが障害物となって乗り上げ、大きく揺れた馬車。運悪く車輪は損傷してしまい、マリエッタは自分の足で約束の場所に向かった。
久々に会える親友を待たせてはいけないと、彼女は護衛や御者も置いて走ったのだ。
一人になった貴族令嬢なんて、無力なものだ。雇った人間に裏路地に引き込ませ、そのまま捕まえた。
まさかそこまで上手くいくとは思わなかったけれど――運はアリスに向いている。
猿轡をさせられ、手足を縛られた少女が袋に入れられる。さらに積み荷に紛れ込ませるために、似たような麻袋と共に並べられた。
仲間の一人は駄馬を操り荷車を曳いて、依頼人の少女も一緒に消えていく。
まだ十代半ばいくかどうかだと言うのに、相当な根性曲がりなのは短い間で察せられた。
残った仲間が数人、未練がましそうに荷車の消えた方向を見ている。
「は~、にしても美人だったなぁ。お姉様って呼んでたよな。アレとは似ても似つかねえ」
「もったいねーよな。いいのか、あんな美人滅多にお目にかかれないぜ?」
「やめとけ。あの女が連れて行くのはお貴族様でも偉いアクセル公爵家の別宅だぞ。俺らみたいなのがちょっかい出したら、住んでる場所ごと燃やされる」
グダグダ文句を垂れる仲間を止める。こういう吹き溜まりの連中は引き際が肝心だ。
カモれる奴らからしっかり貰って、ヤバそうな連中からはすぐに尻尾を巻く。そうやって生き残るのだ。
貴族に雇われても必要以上深入りは厳禁。金払いが良くても、危険な気配があったらずらかるのが賢い負け犬の生存戦略だ。
「そうだな、こっちもかなりの別嬪だ。売り飛ばす前に味見しようぜ」
ゲスい提案をする仲間に「オイオイ」と言いながら、皆の顔はにやけている。
美しい顔立ちに艶やかな髪。若々しい肢体を包む美しいドレス。間違いなく貴族で、ごろつきには一生縁のないと言える相手だ。
「そうだな。この辺で売り飛ばすのはまずい。だったら道中楽しんでからにしよう」
そう言って気絶したままのマリエッタに、汚れた男の手が伸びる。
興奮で息は荒く、欲情に血走った眼をしていた。急いで移動するべきだと分かっているのに、幼く癇癪持ちの依頼人に鬱憤も溜まっていた。
ちょっとくらい、と欲をかいた。
ぼとり、と質量のある何かが足元に落ちる。
それは中途半端に開いた人間の、先ほどマリエッタに延ばされた手だ。
「すごく悩んだけど……師匠が酷い目に遭ったら、ユフィが悲しむから仕方ない」
玲瓏たる美声。どこか億劫で憂鬱で、不満げだ。
上から発せられた声と共に顔を上げたごろつきたちだが、その視線と入れ違いに人影が舞い降りた。
さらに目で追おうとしたが、それは叶わない。ごろつき全員の首がぐるんと回ったのだ。
一瞬で物言わぬ骸となったごろつきたちは、その場に倒れた。
「まずは師匠」
そう言いつつ、ヨルハの視線は荷馬車の消えた方向に向かっていた。
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