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ヨルハの油断

ヨルハだってたまには動揺する

 天気も良く風も少ない、麗らかな日和。今日は二人でデートである。

 女性が好きな場所など知らないヨルハなりにリサーチし、好みそうな店に誘ったのだ。

 大きな角の生えた牛に揺られ、ゆっくりと街並みを眺めながら進む。

 前に御者が座り、その後ろには幌付きの牛車だ。見事な赤漆に螺鈿と黄金の装飾が施されている。

 前の部分は空いているので、ミストルティンの馬車より開放的だ。

 見える風景は賑やかでみんな笑顔だ。それだけこの国は平和で豊かなんだろう。

 護衛がついていないのはヨルハがいるからなのだろう。彼がいると気付くと、どんなに大きな人垣も割れる。

 それを見極めながら、御者役のリス妖精は器用に手綱を操っている。

 興味深そうにみまわすユフィリアに、ヨルハが穏やかに街並みの説明を入れる。

 ゼイングロウはメーダイルから汲んだ文化と、獣人文化が融合した独特の街並みになっている。

 牛車もそうだが、瓦などはミストルティンにはない。

 

「ここだよ。さあ、ユフィ。俺に寄って」


 軽く引き寄せられたと思ったが、あっさりと体が浮いて牛車を降ろされた。

 片手にユフィリアを抱きながら、なんでもない顔で店に入ってく。

 お店はレトロな木造で、店の中は香ばしく甘い香りが漂っている。外観と同じく店内の調度品も、年季の入った艶のある木製のテーブルや椅子で揃えられている。

 案内をしに来た店員は猫耳を揺らした女の子だ。看板娘らしく、白いエプロンとお揃いのホワイトブリムが似合っている。「いらっしゃ……」と明らかに二人を見て、声が消えた。

 だが、それは一瞬だった。


「らっしゃああせー! ヨルハ様が番様とご来店です、コルァー!」



「馬鹿娘ぇえええ! もっとお淑やかにご案内しやがんな、オルァアアアア!」


 やたらとキレッキレの巻き舌に、二人の血筋を感じた。奥のほうから店主らしき巨猫が声を張り上げる。

 互いに全力で叫び過ぎたせいか、肩で息をしてゼイゼイと背中を丸くしている。

 そして、咳払いした後にとびきりの笑顔とともに振り返った。


「ではお席にご案内しまぁ~す!」


 今更取り繕っても遅いが、二人とも気にしなかった。

 なんというか、互いに普通のゼイングロウの喫茶店や甘味屋の概念がなかった。ヨルハは好んで外食をしない。ユフィリアはミストルティンの貴族令嬢だ。


「なんか元気な子だね」


「そうですね」


 席について、ようやくユフィリアを降ろしたヨルハ。

 メニュー表を取ると、ユフィリアが見やすいように広げた。あくまで自然に、かつスマートにユフィリアを優先する。


「何がいい?」


「ええと……まっちゃ? と言うのは何でしょうか」


「お茶の粉末だね。独特の苦みと香りがある。好みが分かれるとも聞く」


 苔むしたような緑に首を傾げるユフィリア。ミストルティンでこんな色のお菓子は見たことがない。

 ゼイングロウ独自のフレーバーなのだろう。いきなり大きいメニューを頼むのは冒険のしすぎだろう。

 そういえば何かフェアをやっていると言っていた。

 ページをめくるとどーんと梟とロングヘアの可愛らしい女の子が一緒に描かれたパンケーキが並んでいる。

 ハート形の生クリームで囲い、さらにイチゴやブルーベリー、オレンジなどで華やかに装飾が施されている。

 その名も『運命の番パンケーキ』である。

 二人の間に沈黙が下りる。


「……ユフィはもっと可愛い」


(そこですか!!? ツッコミどころはそこじゃなくないですか!?)


 メニュー表をめくる手を止め、恥ずかしさに硬直するユフィリアである。

 だが、大繁盛のお店のそこかしこから『運命の番パンケーキ』のオーダーが上がっている。


「嫌だった? 別のところにする?」


「いえ、……………その、これを頼んでいいですか?」


 物凄い迷ったが、フルーツもたっぷりな狐色のパンケーキが美味しそうだと思ったのも事実だ。

 以前のユフィリアだったら、絶対無理な注文だっただろう。


「うん。俺は山菜おやきと緑茶。ユフィの飲み物は?」


「紅茶をお願いします」


 紅茶の茶葉は指定できないらしく、その時のお勧めブレンドが出てくるそうだ。

 注文を入れると、丁度時間ができた。


「あの、ヨルハ様」


「なぁに、ユフィ?


「お願いがありまして」


「君の頼みなら何でも」


「ミストルティンに行きたいです」


 その時、店内が凍った。

 ユフィリアが焦って気不味い顔をしながら、視線を泳がせている。

 ずっとふやけていたヨルハから笑みが消えて、瞳がまんまるに見開かれている。

 周囲は誰もが手を止め、足を止めて固唾を飲んでいる。


「その、どうしてもミストルティンでやりたいことがあるんです」


 必死に言い募るユフィリアに、本気を感じたヨルハ。ぐっと奥歯を噛みしめながら、無理やり笑みを作った。

 絶望が腹の底からふつふつと湧いてくる。

 ミストルティンに戻る。ユフィリアがゼイングロウから離れ、帰ろうとしている。

 こんなにも必死にヨルハに頼んでいる――それなら、答えは一つだ。


「それは、ユフィにとって大切なことなんだね?」


 ユフィリアは泣きそうな顔をして頷いた。

 その健気な姿を見て、ヨルハはせり上がる黒い感情を押さえつけた。

 きっと、ヨルハが強く反対したらユフィリアは受け入れるだろう。一緒にいて分かった。ユフィリアは優しくて、素直で、すごく一生懸命で――諦めることに慣れている。

 悲しいくらい、自分の心に上手に嘘をつく。

 帳尻を合わせて、何事もないように日常を演じる。その裏で、心にどんな大きな棘が刺さっても、傷が残っても笑顔を作る。


「分った。行ってらっしゃい。でも、陸路には最近盗賊も出るらしいから、飛竜のゴンドラを出して貰おう」


「あの、そんな大事な騎獣を動かしてもらって大丈夫ですか?」


「ユフィの安全が一番だ」


 そう言ってヨルハはユフィリアの旅を後押しした。

 上手く笑えているだろうか。他人の好意に鈍感で、他人の望みに敏いユフィリアを騙せているだろうか。

 本当は今すぐにでも反対する言葉がせり上がってきそうだった。


「気を付けて、行っておいで」


 その後、ヨルハは出されたおやきの味も、お茶の風味も分らない。

 一大報告を終えたユフィリアは、いつもより楽し気だ。ユフィリアは番が理解できないと言うけれど、自分がヨルハにとって重要な場所を占めているのは知っている。

 いつだって彼女の傍を離れたがらないヨルハに伝えるのは、他人に我儘を言うのはとても勇気が必要だっただろう。

 笑っているユフィリアが可愛くて、愛おしくて、縛り付けてしまいたかった。

 雑念だらけの帰りの牛車で、ヨルハは別の店で馬車を止める、そこではお守りなどを販売している。旅の安全祈願に、と心無い言葉でお守りを買ってやる。

 完全に思考が囚われていたヨルハは、ユフィリアに忍び寄る魔の手に気づかなかった。

 綺麗な簪を手に取り、艶やかな柘植と蜻蛉玉が鮮やかだ。


「ユフィ、これも――」


 そう言ってヨルハが振り向いた時、愛おしい白銀が消えていた。

 ほんの一瞬、僅かな油断。

 人込みの中、ヨルハは呆然と立ち尽くした。




 ねっとりと怨念じみた視線が追ってきている。その先にはユフィリアがいた。行きかう人の中、薄汚い旅人らしい人物がいた。

 不精髭に埃っぽい茶色の髪。目だけが血走って爛々としている。

 店の外側に置かれた商品を見ていたユフィリアの口を塞ぎ、強引に人込みに紛れて細い通路に連れ込んだ。

 近くにヨルハがいると、ユフィリアも完全に気が緩んでいた。


(だ、だれ!?)


 口を塞がれているので、叫べない。痩せた男だが、腕力で負けている。

 異様な眼光でユフィリアを見て、歪めるようにして口角を上げた。


「ひ、久しぶりじゃないかユフィ。ず、ずいぶん楽しそうだったじゃないか! 俺と言うものがありながら、鳥なんかと!」


 だいぶかすれていた、その声に覚えがあった。痩せこけているが面影は残っている。

 体を捻って、強引に拘束を逃れて距離を取る。


「……エリオス様?」


「そうだ! そうだよ、ユフィ! 迎えに来た! 一緒にミストルティンに帰ろう! い、いまなら父様も、ハルモニア伯爵も許してくれる! 俺も、あんな男と婚約したお前を許そう!」


 唾が飛ぶ勢いで捲し立てるエリオス。

 まだ十代だと言うのに、三十歳くらいに見える老けこみようだ。肌も服も異臭がするので、しばらく風呂にも入っていないのだろう。埃や垢のせいで、鮮やかなオレンジ色の髪がくすんだ茶色になっている。

 だが、そこまでしてゼイングロウに来て、ユフィリアとの復縁を望んでいる。

 彼がそれだけ現状に不満を抱え、追い詰められているのだろう。


「さあ、行こう! なあ、あの男、裕福そうだったな! 何か金目の物を貰ってないか!? 何か買っていただろう!」


「あっ!」


 そう言って、ユフィリアから紙袋をひったくる。中から出てきた小さな布袋に怪訝な顔する。布袋を強引に開けると、中には小さな木の板が入っていた。安全を祈願した印が彫られている。


「……なんだよ。こういう時は金細工や宝石だろう。チッ、やっぱり使えない女だな。

 おい、住んでいる家から金目の物を持ってこい! 金! とにかく金だ! 路銀もねえんだ! こんな生活うんざりだ!」


 お守りだった物を地面に叩きつけると、思い切り踏みつけるエリオス。その行動は何度も執拗に繰り返された。

 お守りを壊されたショックもあるが、エリオスの異常な攻撃性に背筋が寒くなる。

 貴族子息ではなく、ごろつきを相手にしているようだ。

 そうだ。いつだってこの人はユフィリアを都合の良い相手としか見ていない。ユフィリアの心も、感情も当然のように踏みつけるのだ。

 呆然と立っているユフィリアを見ると、エリオスはふと茫洋とした顔つきになって手を伸ばす。


「そういえば、この国ではツガイサマなんて呼ばれていい気になってるらしいな。

 そのしみったれた銀髪を切り刻んでやったら、獣人野郎はどんな顔するんだろうな?――俺が苦労している間、幸せそうにしやがってムカつくんだよ!」


 その手はユフィリアに届く前に止められた。

 エリオスの手首をつかんだヨルハが、いつの間にか真横に立っていた。

 その顔立ちには感情が浮かんでいない。気が狂いそうな黄金の双眸が静かにエリオスを映していた。


「お、おい。何だよお前、離せよ! 誰だよ!」


 抵抗してもびくともしない腕にエリオスは苛立ち、次第に恐慌状態に陥る。

 ヨルハは何も言わなかったが返事の代わりに手首を握る力を強めた。ミシリと鈍い音がして、エリオスの手首が反り返った。


「ぁっがあああああああ! 何をするぅ! 俺はアクセル公爵家の人間だぞぉ!」


「ああ、やっぱりそうか。臭くて随分貧相になっていたから、判断しかねていたんだ。それなら処分してかまわんな」


「は!? 俺の話を」


「かなり前にミストルティンからお前の指名手配の依頼を受けていた。人相書きとかなり印象が変わっているから、捜索をすり抜けたのか」


「し、指名手配!? なぜ俺が!? 父様がそんなの許すはず……」


「処分していいと言ったのは、その父親だ。ユフィに汚いものを見せたくないから、ミストルティンに返品してやる」


 そう言って、投げやりにエリオスを壁に叩きつけるヨルハ。

 自分の油断がユフィリアを危険にさらしたのだ。動揺していたとはいえ、その無様で無能な有様に自分で自分に呆れる。

 一連の出来事に立ち尽くしているユフィリア。顔が真っ青で、押さえられたらしい手首や、口の周囲が少し赤い。


「ユフィ、ごめん。ごめんね。怖かったね。怪我はない? 痛くないかい? 俺のせいだ。目を離してしまった」


 ふわりとヨルハが抱きしめると、そこでがくりとユフィリアの膝が崩れた。

 それを支えるヨルハは優しく背中を撫でる。エリオスとは打って変わって慈愛に満ちた対応である。

 ヨルハに抱き着いたユフィリアは、ようやく恐怖の実感がわいてきたのか震えている。最初は小さな声だったが少しずつ大きな声になる。


「――怖かったです……」


 大丈夫、と言おうとしたのに出てきたのは真逆の言葉だった。

 ヨルハが優しく頭を撫でると安心する。一度出てしまうと、堰を切って溢れだす。

 ヨルハは違う。エリオスやハルモニア家とは違うんだと知ってしまったのだから、頼っても、本当のことを言ってもいいのだと分かってしまった。

 ユフィリアだけを非難しない。否定しない。受け入れて、理解をしてくれる。

 完璧じゃない、ただのユフィリアの声を聴いてくれるのだ。


「また地獄に連れ戻されるんじゃないかって、嫌なのに、声が出なくて……っ!

 ヨルハ様悪くない! なにも、なにも……! 私は私の意思で、彼を拒絶した! あの人を怒らせるって分かっていても……っ」


 そんなに怖いなら、ずっとゼイングロウにいればいい。

 ユフィリアの体は震えている。当然だ。あんな感情任せに暴力を振るうなんて、力で負けるユフィリアには恐怖だろう。

 ヨルハの可愛い小鳥でいればいい。寵愛を受け入れるだけの、飛べない鳥。ヨルハはそれで構わなかった。


(でも違う。ユフィはそういう人じゃない)


 慣れない場所に来ても一生懸命だった。役に立とうと奮闘していた。

 空を飛べなくても、自分の足で歩いてく。


(ユフィ、愛している。どこにいても、愛している)


 そうやって、ヨルハは自分に言い聞かせた。




早とちりのヨルハさん。

読んでいただきありがとうございました。

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