元婚約者と現婚約者
ユフィはどちらが好きとか言うまでもない。
ヨルハが夜空のドライブを楽しんでいた頃、アクセル公爵が頭を抱えていた。
執事から不審な請求があったと、報告が上がったのだ。
「……エリオスの馬鹿が、ゼイングロウ行きの馬車に乗って行っただと!?」
エリオスが最近また学園をさぼりがちなのは知っていた。
今後は平民になる息子。もう援助はしないが、最後の情けで最低限の学歴だけは残してやることにした。
今後に備えて質の悪い寮に入れて、身の程を弁えさせるつもりだった。しばらくへそを曲げるとは思っていたが、まさか国外に向かっていたとは。
「追え! なんとしても連れ戻せ! もしユフィリア様に何かするようであれば、切り捨てろ!」
婚儀を待っているヨルハが、大事な番を失ったらミストルティンを滅ぼしかねない。
アクセル公爵は、事の重大さを理解していた。
そして、息子の愚かさも。
「……仕方あるまい。王宮に早馬を出せ。内密に指名手配もしてもらおう。ヨルハ様にも連絡せねば」
これは苦渋の選択だ。ゼイングロウに借りを作りかねない。
エリオスがここまで愚かだとは。家を追い出されておいて、実家の名前でツケをするとは思わなかった。
恥知らずとは思っていたが命を奪うまではないと考えていた。やるとしても学園を卒業後、平民に落としてからのほうがアクセル公爵側への影響も少ない。
だが、そんな悠長な状況ではなくなってしまった。今後の憂いを断ち切るためには多少の犠牲はやむを得ない。
国内にいるうちに捕まれば、何とかなる。
アクセル公爵は眠れない夜を過ごす羽目となった。
とある国境の峠。
宿屋もなく野宿で一夜をしのごうとしていた団体がいた。
装飾がなく実用性メインの広さ優先で座り心地はいまいちの団体の乗合馬車だ。今日はここで一晩――であるが、騒動が起きている。
そこで焚火の前で騒ぐ若者が一人。
馬車の御者が耐えかねたように彼を突き飛ばす。
「そんなに不満なら、お貴族様らしくおうちの馬車に乗って行きな!」
身なりの良いお坊ちゃんが、ツケで乗せろと言ってきた。
もし本物なら、後で手打ちにされかねない。仕方ないので乗せたら、マナーは悪く愚痴三昧。同乗客への迷惑も酷く、御者に毎日要求の嵐だ。
やれ尻が痛いだの、揺れが気持ち悪いだの、狭いだのときりがない。
今日は何の準備もしていないのに、焚火の特等席を広く陣取って寝ようとするものだからいい加減腹が立った。
「ふざけんな! あの平民!」
戻るに戻れなくて、仕方なくゼイングロウへの国境へ向かうエリオス。
満足いくグレードの馬車に乗れず文句を垂れていたら追い出されただけの話だ。エリオスが悪いが、どこが悪いのか理解できないのが彼である。
ずっと山道で、最後の人里は昼前だ。歩いて向かえるはずもないので、ゼイングロウ側の宿を探したほうがいい。
ポケットを漁って袋を取り出す。中を見るが、小さな金貨が数枚と銀貨や銅貨ばかり。
「はぁ……シケた路銀だな。アリスの奴、散々自慢しておいてはした金にしかならなかったじゃねーか」
これはアリスの髪飾りを売ったものだ。旅に出る前、アリスの部屋に忍び込みくすねておいた。
オパールの嵌った銀細工のバレッタはアリスご自慢の一品だったが、思ったより金にならなかった。
値段の理由は雑な扱いでせっかくの細工や宝石に傷があったからだ。無傷だったら金額は数倍に跳ね上がっただろう。
「はあ……ゼイングロウについたらユフィに金の用意をさせないとな。風呂と飯と、帰りの馬車。観光もしたいから、路銀は多めがいいな。あっちの娼館ってギローとかユーカクって名前だっけ?」
この状況においても、相変わらずエリオスは下劣だった。
そんな彼を、森の奥から一羽の梟が見つめていた。群れで行動しない梟が、点々と距離を置きながら皆同じ方向を見ている。
凝視されているとは知らず、エリオスはまだ見ぬ異国の美女に鼻を伸ばしていた。
ユフィリアの眠る我が家に戻ったヨルハは、普段は森で監視役をさせている梟が待っているのに気づいた。
一羽が腕に飛び乗ると、ヨルハをじっと見つめる。
「……馬鹿な子供を持つと、親ってのは大変そうだな」
はあ、と小さくため息一つ。合図のように梟は飛び去った。
アクセル公爵は利己的なところはあるが割と常識人である。特に目上に対しての配慮はできる。仕事もそれなりにできる。
だから、エリオスよりもアクセル公爵を警戒していた。
幸い、ミストルティンに残した監視の報告では、順調にエリオスを平民落としする準備を整えているとあったのに――エリオスはアクセル公爵やヨルハの考えを上回る馬鹿だった。
「まあいい、折角だ。式も近いことだ。見学だけはさせてやろうじゃないか」
馬車から追い出されて国境越えなんてご苦労なことだ。
翼もなく、一夜で千里を駆ける健脚もない貴族のボンボン。
そんな凡人の足だとかなりかかる。
奴はまだ自分のものだと思っているユフィリアが、ヨルハに愛されて可憐に美しく変わったことに気づくだろう。
ユフィリアの心にエリオスはいない。ただ、不快な過去の幻影しか残ってない。
ふとした瞬間、彼女の空色の瞳に灯る熱をヨルハ知っている。
彼女はエリオスには持たなかった感情を、ヨルハに抱き始めている。
「俺の番に近づく寄生虫が……」
エリオスはユフィリアを利用することしか考えていない。
あんな男にユフィリアはもったいない。あの性格の悪いドブメスがお似合いだ。
切り刻んで刳り貫いて痛めつけて――残骸すら磨り潰してやりたい。畑の肥料になるのすらもったいなく、ゼイン山脈の暗く寒い峡谷にばら撒くのがお似合いだ。
ヨルハは他人に関心が薄いが、エリオスには明確な憎悪と殺意を持っていた。
番を苦しめ続けた一人。また煩わせ、傷つけるようなことがあれば許さない。
「ああ……、そうだ。ユフィだ。起きてないかな。たまにだけど、喉が渇いて起きてしまうから」
気になって部屋に戻ると、寝返りの形跡はあったが水差しは減っていない。リス妖精を呼ぶベルもナイトガウンの位置も変わっていなかった。
ゆっくりとした呼吸から、ユフィリアが深い眠りにいることが分かる。
「おやすみ、ユフィ。良い夢を」
その額にキスを一つして、隣に体を横たえたヨルハだった。
「キュッキュッキュッ!」
見覚えのあるチェックのエプロンを着た、ちょっと小柄なリス妖精がガラス瓶を磨いている。
気合いの入った鳴き声と共にピッカピカになるガラス瓶。
仕上がりをリス妖精は、満足げなため息とも棚にしまいに行った。
「……あの子、もしかして昨日の?」
「うん、契約書を無効化したらうちに流れてきた」
ナイトガウンを羽織ったまま、いつもより少し遅めに起きてきたヨルハが後ろから答える。
鍛えられた肉体が開けた服の合間から見えて、何とも言えない色香がある。少しかすれた声もあり、強烈なインパクトだ。
「お、おはようございます」
「ん、おはよ。ユフィは今日も綺麗だね」
愛してるのハグと額にキス一つ。
ハグもそうだが、ヨルハは意外とキスが好きで何かとユフィリアにする。
今日はそれだけでは足りないのか、すりすりと頬擦りまでついてきた。あくまでソフトタッチなのだが、スキンシップの多いヨルハに慣れつつある自分が怖い。
「朝の薬草園の世話もほどほどにね?」
「はい、朝食には戻ります」
これはこの国に来てからできたユフィリアの習慣だ。
植物によって一番良い収穫時間がある。夜の薬草もあるが、大半が早朝に一番鮮度や効能が良くなる。
(シンラ様にいただいた種も順調に育っているし、楽しみなのよね)
薬草の中には香草もある。料理やハーブティーにも良いだろう。
この辺りでは薬草茶は珍しくないらしいし、ヨルハと一緒のティータイムにも使えるかもしれない。
仕事や用事があっても必ず帰ってきて、その時間は絶対死守しているヨルハ。終わると名残惜し気に、去っていく。
空き時間はほぼ家でユフィリアを愛でている。趣味がユフィリアと言っても過言ではない。
(ヨルハ様のお仕事……謎だわ。皇帝同様の立場なのだから、デスクワークもあると思うのだけれど)
視察なら彼は強いので下手な護衛は不要なうえ、自前の翼で飛んでいける。
最近は渋々ながらも向かっているのだが、この樹木の家の摩訶不思議空間で必ず見失ってしまうのだ。
(今度、聞いてみようかしら?)
そう思いつつ畑に向かうと、輝くような緑の若葉を見せる苗と――ちょっとトチ狂ったような繁茂を見せるゼインアロエが。
花まで咲いて、隙あらばと言わんばかりに脇芽からもにょきにょき出ている。
このままだと、他の植物の日差しを奪ってしまう。
「……剪定もかねてゼインアロエでいろいろ調合しようかしら」
このゼインアロエ、火傷以外にも消化器系にも効能がある。
ミストルティンでは高級素材だったが、ありがたみが無くなるくらい元気に広がっている。
その後、一週間にわたり薬草を守りたいユフィリア&お手伝いリス妖精VSどこまでも成長したいゼインアロエの採集戦争が始まるのだった。
読んでいただきありがとうございました。




