いざゼイングロウへ
ヨーソロー! 空路だけど。
ゼイングロウ帝国には馬車で行くかと思ったら、巨大な翼竜が釣り上げたゴンドラで移動するようだ。
滑らかで艶のある白磁のゴンドラに、黄金と色とりどりの宝石で装飾が施されている。
花を持った鼠、草原で寝転ぶ牛、蝶と戯れる虎に、月を見上げる兎……と、十二支族をはじめとするあまたの動物たちと、縁起物の植物や風景が移り変わるようにして連なっていた。その緻密な彫金や細工も見事である。
さすがに吊り上げる金具は耐久性の問題から別の金属だろうけれど、装飾に合わせて真鍮のメッキが施されていた。
見送りの人数が少ないと思ったが、竜やゴンドラ見たさに二階や三階、はたまた遠い尖塔にまで人々が身を乗り出して見ている。
一番興奮しているのは、国王夫妻である。
「番様のお輿入れの際は、毎回見事なゴンドラが来るとは聞いていたけれど……私たちの世代で見れるなんて!」
「素晴らしいけど、どさくさに紛れて金細工や宝石を剥がす愚か者が出たことがあるので、見送りは最小限なのよ。王宮の庭園から出発するので、警備はしやすいけどそういうのは稀に湧くのよね」
ゼイングロウへの見送りに便乗し、盗人が出るとは嘆かわしいことだ。
ゴンドラの周囲をうろつきながらはしゃぐラインハルトに、呆れつつも微笑まし気な視線をおくるバーバラ。
逆に落ち着かないのは王子や王女たちだ。ハラハラしながら見ている。
ユフィリアは恐々とゴンドラと竜を見る。ゴンドラは馬車のように扉が横についており、窓もあった。中にはベルベット張りの座席があり、屋根もちゃんとあるので風雨の心配はなさそうだ。
物凄く高いだろう。王都にタウンハウスが数件建ちそうだ。
下世話な計算を仕掛けたユフィリアに、マリエッタが近づいてきた。彼女もバンテール侯爵とともに、見送りを許されたのだ。
「馬車だと天候や道の状況もあって結構かかるんだけど、このゴンドラなら数時間で着くそうよ。景色を楽しんだり、ゆっくり会話を楽しんだりもできるわ」
「マリー……」
「ユフィ……幸せになるのよ。絶対に。ユフィの家族なんか比較にならないくらい、楽しく過ごすの! もう自由よ!」
両手を広げユフィリアに語り掛けるマリエッタ。
太陽が明るい蒼穹。旅立ちを言祝ぐような晴天。彼女の瞳が涙の膜で輝いている。いつもは綺麗な弧を描いている眉が歪みかけ、頬が赤くなっていた。
彼女は笑顔でユフィリアの門出を祝いたいのだろう。
それとは別に、遠くに行く友人に寂しさを感じているのが分かる。
どちらともなく抱き合って、わんわんと声を上げた。その子供のような泣き声を誰もが咎めない。
だが、皆気付いている。この場において本来いるべき存在がいない。
ハルモニア伯爵家は誰一人として来ていなかった。ユフィリアの実家なのだから、来ることができたはずだ。
ハルモニア伯爵家は暗に伝えているのだ。
ユフィリアはもう伯爵家の娘ではない。
貰うものは貰ったのだから、そちらの好きにすればいい。
その娘をゼイングロウでどう扱おうがこちらは構わない。
それは無言の絶縁だった。
そのことに感づいた一部の貴族は、密やかな冷笑を浮かべる。
彼らはユフィリアではなく、自分から金のガチョウを捨てたハルモニア伯爵家を嘲笑っていた。
「マリー、たくさん手紙を書くわ。元気でね」
「ええ、もちろん。結婚式には呼んでね。飛んでいくから」
ゆっくりマリエッタから離れたユフィリアは、見送りに来てくれた王族にも挨拶をした。そして見送りに入れなかった人たちにもお辞儀をし、礼儀を尽くす。
やはり最後にマリエッタを向く。別れがたいのか、もう一度手を握り合う。
美しい友情を見つつ、うんうんと無表情ながらヨルハも頷いている。
番への執着が激しいヨルハだが、マリエッタ師匠は別枠に君臨しているのだろう。
「いいのか、ヨルハ」
「師匠は大事だ。ユフィリアがミストルティンの結婚式がやりたいと言ったら彼女が頼りだ」
コクランがこっそりと聞くが、ヨルハは即答する。
式がミストルティン風だろうが、ゼイングロウ風だろうが構わない。ユフィリアの満足な式にさえなれば。
ヨルハも肌で感じたがミストルティンとゼイングロウでは大きく異なる。
結婚式での演出もそうだ。ミストルティンは宝石やドレスに力を入れるそうだが、ゼイングロウは髪質や瞳の美しさで魅せようとする。服はその二つを際立たせる補助なので、当然ながら趣は異なる。
ユフィリアの白銀の髪や紫がかった空色の瞳はゼイングロウでも、美しいと評されるだろう。
だが、異文化に囲まれて祖国が恋しくなる可能性も否定できない。
ユフィリアがミストルティンのやり方を望んだ場合、そちらの文化に詳しい人が必要だ。王家相手だと、ユフィリアは気を使うだろう。それなら、マリエッタを招待したほうが安心できる。ユフィリアも気兼ねなく意見を言えるし、マリエッタのユフィリアへの親愛や友情は本物だ。
ユフィリアの望む結婚を、式を、生活を用意してあげたい。それはヨルハの心からの願いである。
「お待たせしました、ヨルハ様」
「別れは済んだ?」
「ええ、お時間ありがとう存じます」
少し目元を赤くし、潤んだ瞳のユフィリア。
ヨルハは屈んでその目元にキスを落とし、指で優しく撫でた。
(……ハルモニアは、本当にどうでも良いんだな)
ユフィリアの中でそれほどに縁遠い存在だったのだろう。
今まで生きてきた十六年間、家族であっても惜しむだけの記憶がないのだ。
「ユフィ、空の上で寒いといけないから」
ゴンドラに入る前に、見事な雪豹の毛皮のマントを渡された。
だが、その毛皮がやけに長く輝いていることに気づいたユフィリア。その滑らかで柔らかな暖かさに包まれながら、首を傾げる。
「それはゼイン山脈の牙雪豹の毛皮だよ。特殊な性質を持つ魔物で、寒い場所では暖かく、熱い場所では涼しくなる。汚れにも強いし、魔法も防ぐ。特殊な剣や矢でも使わない限り刺さるのすら難しいから着ているだけで快適で安全だ」
ユフィリアは目が点になる。
牙雪豹と言えば『白い絶望』と呼ばれる、危険な存在。ゼイン山脈に住んでいるが、万一にでも人里に下りれば国が亡びると言われる凶悪な魔物である。
攻撃的で気性が荒い反面、その姿は非常に美しい。
確か毛皮コレクターの公爵夫人が、ギリギリ肩にかかるサイズのティペットを身に着け、体が反り返るくらい鼻高々に自慢していた記憶がある。
ユフィリアの体がすっぽり入る、裾を引きずる長さとフード付きのマントだ。そのティペットが十以上軽く作れるだろう。そもそも毛皮も切れ端より、一繋ぎのほうが価値もある。
自分は今、金貨何枚分を肩にかけているんだろう。
そう思うと、無意識にキュッと口を引き結んで肩が強張った。
「あれ? 毛皮は嫌い? 猫が嫌いなの? 燃やす?」
「燃やさないでくださいませっ!」
ユフィリアの反応を嫌がっていると勘違いしたヨルハが、とんでもない提案をする。
こんな国宝級を目の前で焼却されたら、それこそしばらく魘されてしまう。
ぶんぶん首を横に振ったユフィリアは、ヨルハをぐいぐいゴンドラに押していく。ヨルハは物理的にぐいぐい押されて、緩んだ顔でゴンドラに上る。
ゴンドラの扉が閉まったことを確認し、ヨルハに向き直った。
「その、マントは気に入りました。暖かくて、肌触りも気持ちよいです。珍しい毛皮に驚いただけです」
「そう? もう一着作ろうか。すぐに獲ってくるね。たまに青や黒もいるんだよ」
「お気持ちだけで結構です……」
散歩行く? と聞くような気軽さで、とんでもないことを言うヨルハ。
もしや、この毛皮の材料もヨルハが調達したのだろうか。
服越しでもわかる鍛え上げられた巨躯を見つめ、ユフィリアは未来の夫の計り知れなさに悩むのであった。
(……私ってこんなに振り回されるタイプだったかしら?)
ふと、そんなことを思う。
いつも何があっても、どこか他人事のように凪いでいた。
アリスに何か奪われた時も、エリオスが浮気をした時も、両親に八つ当たりのような叱責をされた時も、いつも氷が張ったように心は動かない。
面倒だな。仕方がない。何を言っても無駄。
そう思って諦めて――そこまで考えて思い当たった。
(ヨルハ様は、私を見ている。私を尊重してくださって、行動してくださるからこんなにも――)
彼が気になるんだ。その言葉が、行動が、視線も声もすべてが。
ずっと責任を押し付けられいつも後回しにされていたユフィリアは、周りに期待をしていない。無駄なことだと諦めていた。
そんな今までとは真逆のこの状況に慣れていない。
困惑して、でも気になって、信じてみたいと思い始めている。
認めるしかないのだ――ユフィリアは、ヨルハに期待をしていた。
ユフィリアが幼い頃に諦め、閉じ込めた願いを彼なら、彼となら叶えられるのではないか、と。
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