その後のゼイングロウでは
それぞれのフォロー
ゼイン山脈の森の奥地は暗い。そんな狂暴な生物の息づく深い山林の奥に数人のエルフがいた。いつもならあるはずのない人の声が響く。
一人は二十代にみえる若いエルフが立っており、その近くに五人ほどの老人のエルフがいた。
涙と鼻水塗れの老人たちが泣き叫ぶ。振り乱される金髪と充血した碧眼、そして長く尖った耳が光に包まれるにつれて輪郭が朧になる。
「嫌だ! 嫌だ!」
「それは無理だ! 勘弁してくれ!」
「お許しください、族長! モルガナ様! 二度といたしませんゆえ、ご慈悲を……!」
老人たちが、若者――モルガナに慈悲を乞う。それを冷たく一瞥し、モルガナは当初の予定通り魔法を行使し続ける。
エルフをハイエルフに進化させる秘術。エルフの中でも高みに上った者たちが行きつく究極の一つだ。モルガナのように生まれながらのハイエルフもいるが、普通のエルフからもハイエルフは生まれる。
本来、これは修業を積んだ者が挑むもの。このように堕落したエルフが手を出していいものではない。
何故なら、失敗すればエルフですらなくなる。肉体を失い、別の何かになってしまう。研鑽を怠り、権力に驕ったエルフがなるべくしてなる姿だ。
「お前たちこんなちんけになって……ろくな生活をしていなかったな?」
光が終息した後に残るのは、小さな光の玉。綿毛のような心もとなさで風に攫われ、どこかへ流れていった。そうでなければひょろりとした苗木となっていた。
それぞれ二つずつ――どう見てもハイエルフではない。人の形ですらない。
退化するにしてもこれは酷い。エルフの寿命からしてもそれなりの高齢だったはずだ。今まで何をしてきたのだろう。
「ああっ! 嫌だぁ、嫌だあああ!」
一人残ったのはアルザスだ。彼を拘束するロープはモルガナが魔力を通し、非常に頑丈な蔓となっている。魔法も封じられて使えないアルザスは、芋虫のように地面を這いながら逃げ惑うしかない。
「うるさいよ、お前。修行をさぼったり、試練から逃げるのはまだいいとしよう。だが、どうして人間を巻き込み、獣人たちを脅かした?」
「親父殿に何が分かる! あのケダモノのせいで私のユフィはいなくなった!」
「お前のモラルがハラってるからだろう。自分は浮気しておいて、散々文句を垂れてほったらかしにしておいて」
「私は認めてない! 少し待たせただけだろう!」
「あんな態度をされたら、エルフより寿命の短いユーフェミアが別の相手を探すのも当然だ。エルフにはたかがと思う年月でも、人間にはとって大きい。
人間なら五年もあれば少女が誰かの妻になって、子供くらいできるだろう。同じ時間が良かったなら、エルフと婚約すればよかったんだ」
「私は……私はユフィが良かったんだ。人間でも、寿命が短くても、生まれてくるの子供がハーフエルフでも……!」
「じゃあ浮気したのは?」
そこまで言うくらい、覚悟を持って愛していたなら余所見をしていた理由が分からない。
モルガナの問いに、一瞬言葉を詰まらせるアルザス。ややあって、絞り出したのはくだらない内容だった。
「……嫉妬してほしかった。もっと私を見て欲しかった」
「屑が」
どうしようもない馬鹿である。思わず耳をほじりながら呆れかえるモルガナ。
結果が嫉妬どころか愛も情も砕け散って、婚約が消えた。そこで恋愛猛者の獣人が口説いてきたのだから、ユーフェミアがそちらに気持ちが傾くのも仕方がない。
モルガナの放蕩息子アルザス。この馬鹿息子は頭が足りないところがあるとは思っていたが、目を離したらやらかしていた。本当に、ろくなことをしない。
「アルザスよ。その愚かさ、その罪の重さを命ある限り抱えて償え」
進化の魔法は失敗すれば、圧倒的に退化した何かに変わる。
それでも意識はあるのだ。大半がその意識レベルの肉体を取り戻す前に死んでしまうか、消えてしまう。
万に一以下の可能性で、再び姿を取り戻してもかつての状態にはならない。そこに至るまでの膨大な時間と、失った肉体の代償は大きい。その頃には別の存在となっているだろう。
「ま、待ってくれ……私は実の息子だぞ!」
「己の所業がまだ見えないのか。貴様らの行いのせいで、危うくエルフは迫害対象になるところだったのだぞ。
メーダイルはまだいい。ゼイングロウから目の敵にされて見ろ。彼らが怒れば、奴隷にもせず鏖殺するだろう。この大馬鹿者め、エルフという種を消すつもりだったのか?」
なんとか処刑を回避しようとするアルザスを、冷たく突き放すモルガナ。その目はいつもの適当でひょうきんなハイエルフではなく、エルフの族長としての冷徹さが宿っていた。
エルフは権力に固執しないことが多い。アルザスたちのような者たちが稀だ。
大半が魔法の研鑽や、自然や精霊との交信にその生涯を捧げる。そちらのほうが楽しいし、奥深いと感じるからだ。
モルガナが手を横に引くと、アルザスの下に魔法陣が発現する。行使された魔法が進化の秘術だと分かり、アルザスの顔が絶望に染まる。
アルザスは自分の力量を理解していた。権力に溺れ、研鑽を怠り続けた日々。そんな自分は妖精とも精霊ともつかないような弱小なエネルギー体になるか、その辺の虫や動物に喰われるような小さな植物になるかの二択だ。
先ほどの、かつてのアルザスの仲間のように。
己の順番が回ってきたと、アルザスは泣き始める。今更の後悔だ。
「違う、そんなつもりは……あああ! そんな、こんなはずでは――」
ゼイン山脈の広大な空と大地に、一人の老いたエルフの嘆きは消えていった。
意識ある限りは弱者として怯え続け、いつかは虚無に飲まれる。出口すら分からない、永劫の中を彷徨うのだ。
ただ何も残さず、高みに至らず、己が何者すらも忘れて消える。
どんな生き物だっていつかは自然に還る。形あるものは崩れるし、生きていればいつかは死ぬ。
「さーて、帰ろっかなぁ。ヨルハには首尾を報告しなきゃねぇ」
くるりと方向転換した時には、いつものモルガナに戻っていた。
彼の見下ろしていた場所には、小さな苗木が残っている。少しだけ魔力があるが、あれが力を取り戻すには数百数年の時間が必要だ。
その間に、アルザスは己を忘れて木の意識に飲まれる。
プライドの高いアルザスがきぃきいと喚いている気配がする。それを感知できるのは、ハイエルフのモルガナくらい。彼がいなくなったらもう誰もアルザスを認知できない。
今後アルザスは、孤独にただ森を構成する一つの木としてその生涯を終えるのだ。
出来の悪い息子だったアルザス。それでも彼なりに努力をしていれば、モルガナも情を残しただろう。
アルザスはやりすぎた。彼は過ぎた失態に囚われ、離れた女性に拘り、ずっと立ち止まって周囲を巻き込んだ。その規模はあまりに大きく、身内で収めるには不可能となっていた。
モルガナにできるのは、最期はエルフの流儀で終わらせてやることだ。
ユフィリアが安静になった後、ヨルハは夜な夜なゼイン山脈のどこかへ消えていった。ただの憂さ晴らしならいい。
もし、別の目的があったらどうだろうか。
どんな悍ましい処刑法を考えていたかは知らないが、アルザスの処罰を聞いて何も言わなかったのだから、及第点の対応はできたのだろう。
ヨルハの求めるラインに達さなかったのなら、エルフの集落ごと潰されていただろう。獣人の番関連の気性の荒さは、甘く見てはならない。
今のヨルハはかなり大人しい。番となった心優しい少女だ。そのユフィリアを慮り、なるべく穏便にしているだけで本質は冷徹である。
がしがしと頭を雑に掻いたモルガナは、横目で森を見る。この緑の中に、いったいどれだけヨルハの目となり耳となっている鳥たちがいることか――考えたくもない。
シンラとコクランは、報告を聞いて戦々恐々としていた。
自らも番持ちだから自覚がある。番の怪我は、凄まじいストレスなのだ。自分が骨が折れようが流血しようが構わない。番だと突き指一つで不安で暴れたくなる。若気の至りで、破壊の限りを尽くした己の所業を振り返り、どれだけヨルハが荒れているかと頭を抱えていた。
メーダイル帝国では結構な暴れっぷりだったと聞く。自慢の城は倒壊し、瓦礫の撤去作業に追われているという。基礎からやられた建物も多く、いっそのこと遷都も視野に王侯貴族が協議しているというのは、ゲット筋の情報だ。
(頼むから朱金城でも暴れてくれるなよ……っ!)
(ヨルハは神獣の上、飛べるから被害の規模が桁違いだからのぅ……)
もはや祈るしかない二人だ。
諦め半分で、すでに修理の予算を確保するために動いている。
「やあ、ただいま。俺のいない間、どうだった?」
すこぶるご機嫌なヨルハが現れた。あまりに予想外の様子に、ぱっかーんと口が開くシンラとコクラン。てっきり、執務室を破壊ついでにメーダイルを潰すための軍議を命ずるかと思っていたのだ。
「ユフィがね、お弁当を作ってくれたんだ。今日は、リスの手も借りずに全部自分で作ってくれたんだ……! なんて素敵な人が妻になってくれたんだろう。幸せ過ぎる。俺は感動している。デザートは後で持ってきてくれるって言っていた。一緒に食べるんだ」
手に持った重箱入りらしき風呂敷を自慢するヨルハ。結構な大きさの包みだから、かなり豪勢なのは察せられた。
シンラとコクランは内心で拍手喝采だ。ユフィリアからの渾身のファインプレーだ。きっと、朝からヨルハの機嫌を取ってくれていたのだろう。
今のヨルハは番のお弁当のことで頭がいっぱい。幸せホルモンが大盤振る舞いされている。顔が完全にふやけているし、お昼の時間のことしか考えていない。
「だから、今日は絶対会食は入れるなよ。入れたらそいつの毛皮も鱗も引っこ抜くからな」
ぴしゃりと冷たい声で釘をさすヨルハだが、想定していた苦労に比べれば軽いものだ。
邪魔されたら絶対にお礼参りに行くだろう。怒りの籠ったグーを携えて。
「分かった。手配する」
コクランは野暮なことは言わない。寝た子を起こす必要はないのである。
「午前の仕事も早めに切り上げられるように手配しとこうかの」
シンラもアシストする。これくらいで朝飯前だ。
今日もゼイングロウは平和になりそうである。
読んでいただきありがとうございました




