94話:第三階層
第三階層に登りついた王司たちは、不吉な雰囲気と、薄暗いフロア、そして、射殺すような殺気に、思わず息を呑んだ。そして、王司は恐る恐る、その姿を視認する。薄黒い龍の姿だった。なんと言っても、目立つのは、龍の額にある三日月型の模様だ。それを見た瞬間に、王司は、悟った。危険だと。あれは、危険すぎると。
「――『クロウ・クルワッハ』ッ!」
王司は、短く叫んだ。その龍の名前を。そう、その龍は、神殺しの殺戮龍。バロールが生んだ最悪の一つ。
「ほう……、吾が名を知る者か……。そう、吾こそは、【三日月の殺戮龍】。最悪の龍である!」
クロウ・クルワッハは、そう名乗った。クロウ・クルワッハは、神殺しの龍であり、神殺しの神でもある。太陽の神性を持った、なのに邪悪な存在。聖を持ち邪となった者。ケルトの神々を惨殺した龍なのだ。
「クロウ……?」
烏?と首を傾げる真希だが、クロウとは烏ではなく、「三日月」や「輪」、「頭」を意味している。クルワッハとは、「血塗れ」や「山」、「積み重ね」などを意味する。その存在は、死の神として崇められていることもある。
「あれは、……まずい」
王司は、思わず呟く。そう、クロウ・クルワッハは、王司たちにとって相性が悪いのだ。最悪と言っても過言ではない。
「『ロンギヌス』と並ぶ神殺しの代名詞だ」
ロンギヌスとは、神殺しの槍と名高い聖書に登場する槍のことである。《死古具》にも模倣品があり、かつての名前を《神滅の槍》、そして、今は《刻天滅具》と呼ばれる。蒼刃蒼天を殺した槍でもある。そして、その神殺しの特性上、神の造った《創造物》である《古具》を無効化する事ができるのだ。
そして、それは、クロウ・クルワッハにも同じ事が言える。この場合、王司の《古具》も、そして、天使である神性を宿す剣【断罪の銀剣】も無効化されてしまうだろう。同じ理由で紫苑、真希、ルラ、秋世は、役に立たない。さらに、サルディアは神性を持つため弱点でしかない。愛美は、単体ではほとんど戦力にならないだろう。特に人外が相手の場合。魔法少女は人外を相手にするものなのだが……。
そう、この場で、反撃の兆しを見せられるものがいるとしたら一人だけなのだ。神に追放された戦乙女の呪いをその身に受けた「魔性」を宿す者。
「カッカッ、吾に恐れをなすか。正常な証だ。何せ、吾は、神をも殺す龍神なのだから!」
そう言って吼えるクロウ・クルワッハ。そんな中、彩陽は、王司の焦りを和らげるように王司の肩に手を置いて、笑った。
「王司ちゃん、王司ちゃん達は先に行って。ここは、お姉ちゃんが請け負うよ」
いつもよりも神妙な面持ちで、そう言った彩陽に対して、王司は、驚きの表情を向ける。この現状を理解しているのは、王司とサルディアと紫苑くらいだと思っていたが、彩陽は、ちゃんと現状を理解していたのだ。
「ほう、吾に対して、一人で立ち向かおうとは、貴様、馬鹿か?」
クロウ・クルワッハが、彩陽に対してそう言った。それに対して、彩陽は不敵に微笑む。その様子に、さすがのクロウ・クルワッハも「む?」と顔を歪めた。
「さっき、この危機的な状況で、王司ちゃんはお姉ちゃんを見たの。それは、お姉ちゃんなら、この状況で戦えるってことだって分かっちゃうの。だから、お姉ちゃんが戦うわ」
そう言って、一歩、前へと踏み出す。その瞬間、彩陽の周囲に黒い【力場】が生まれた。そして、ギュッと凝縮される。髪の色が鮮やかに移り変わる。
流麗に靡く薄水色の髪。それを俗に言うハーフアップと言う髪型にまとめている。闇の象徴の様な一片の光も無い真っ黒な瞳。その瞳は、常軌を逸した尋常ならざるものを感じさせる。
元から美しい顔立ちが、余計綺麗に見える。儚く淡く、美しいと言うのだろうか。水色の髪が、そんな雰囲気を際立たせる。
そして、身体を包む、黒い【力場】でできた鎧。漆黒のアーマープレートは彩陽の豊満な胸にぴったりと張り付くように付いている。全身を包むように鎖のように編みこまれた帷子。腹や肩、腿などは帷子が丸見えで、さらにその奥の柔こい白い肌も見えている。黒い頑強そうな籠手が両手を包んでいる。腰も三枚の草摺がついているだけだ。足は、黒い鉄靴。一見、防御力の低そうな鎧だが、【力場】を高濃度に圧縮しているので強度もそこそこ。それ以前に、【力場】をコレほどまでに圧縮する力があるのならば、解き放てば、それこそ、鎧なんて必要ないくらいの防御力は出る。
「むぅん?!こ、これは……」
クロウ・クルワッハが唸った。流石に、濃密過ぎる【力場】に驚きを隠せなかったのだ。そして、彩陽は、《炎呪の姫剣》を呼ぶ。いや、もはやそれは《炎呪の姫剣》と呼べる代物ではなかった。
「《炎呪の棘剣》」
漆黒のレイピア。それは、【黒き炎の棘森】の写し身。《炎呪の姫剣》の真の姿だ。ここに来て、更なる真希不遇問題だ。《古具》の真の姿を現していないのは真希だけ。
「ブリュンヒルデに呪われた者、か」
王司の呟きに、クロウ・クルワッハが、少し動揺した。その様子が感じ取れた王司は、彩陽以外の面々に言う。
「行くぞ、お前等」
そう言って、スタスタと歩き出す。それに慌てて、皆が付いていく。王司は、ボソリと一言だけ。
「気をつけて、彩姉……」




