53話:消えた二人
紫苑の目の前で、二人が掻き消えた。だと言うのに、クラスの全員が、全く気にした様子がない。それどころか、先ほどまで在ったはずの彩陽の席は、空席であることを示すように椅子が逆さに机の上に乗っていた。
「どうかしました、七峰会長」
不意にクラスメイトからかけられた声に、紫苑が「え?」と呆けた声を返す。そのクラスメイトは、やはり、今の現象について微塵も疑問を抱いていないように見えた。
「少しボーっとしてますけど、大丈夫ですか?」
クラスメイト達の声。それに対し、紫苑は「大丈夫」と震える声で返し、何とか笑顔を取り繕う。
「やっぱり、大変なんですか?生徒会。だから言ってるじゃないですか、きちんと会計もそろえた方がいいって」
その言葉に紫苑は総毛立った。全身が震えるのが分かった。そう、彼女らの記憶からは、生徒会には会計職が現在不在、いや、元から居なかったことになっているのだ。会計である王司が居なければ、おそらく紫苑は会長になっているはずがないのだが、その辺がどうなっているのかはわからない。しかし、おそらく因果が辻褄を合わせたに違いない。
そこに思考が至った紫苑は、もう、朝のホームルームが始まると言うのに、駆け出す。クラスメイトに一言だけ言い放った。
「ごめんなさい、急ぎで片付けなきゃいけない仕事を思い出したわ」
それを言われると生徒会の仕事だろう、とクラスメイトは何も言えなくなる。そして、少し青みが買った風貌を隠さずに全力疾走で生徒会室に駆け込んだ。
駆け込んだ生徒会室には、秋世が居た。秋世は、寝ぼけ眼で、書類を開いたまま寝ていたが、紫苑が勢いよく開けたドアの音に驚き跳ね起きた。
「ふゃみゃっ?!」
変な声が口から洩れた。ついでに涎が口の横を垂れていく。しかし、紫苑はそれを全く気にした様子なく、秋世の向かいに腰を下ろした。そして、まずは、スマートフォンを開き、自分の連絡帳に「青葉王司」と「九龍彩陽」の二つの名があることを確認すると、生徒名簿一覧を会長席の横にある棚から引っ張り出す。
「ど、どうしたの、七峰さん?」
秋世の問いを無視し、あるはずの王司と彩陽の名前を探すが、幾ら探しても、そこには、二人の名前はなかった。
「天龍寺先生……。青葉君は、どこですか……?」
その声に、秋世が一瞬「ふぉあ?」と変な声を洩らしてから、少し考えて時計を見た。そして、ぎょっとする。
「って、もうこんな時間じゃない?!ホームルーム始まっちゃう。王司君も教室じゃないの?むしろこの時間に教室に居なかったら休みじゃない?」
その言葉に紫苑は安心する。秋世は、王司のことを覚えているのだと分かったからだ。そして、秋世にことのあらましをざっと説明する。
「先ほど、教室に青葉君が来て、そこにさらに九龍さんが抱きついて遊んでいたのですが、急に九龍さんが倒れて、そして、二人とも消えたんです。生徒名簿を見てください。二人の名前が載っていません。おそらく、元から」
「存在しなかったことにされた、ってわけね」
紫苑の言葉を先読みしてそんな風に言う秋世。そして、暫し、考えてから、紫苑に問いかける。
「王司君、消える前に何か言ってなかった?」
その言葉に、先ほどの様子を思い出す紫苑。そして、引っかかったある王司の言葉を思い出した。
「黒いの」
「え?」
急な紫苑の呟きに、秋世は思わず聞き返してしまった。紫苑は、秋世の方を見て言いなおす。
「青葉君、消える直前、九龍さんが倒れた後にそう言ったんです。『あの、黒いのが来る前に』、と」
「黒いの、ね……」
黒いのについて秋世が考えてみる。
「普通に考えると、この間襲ってきたバロールとか言う魔神かしらね」
秋世の言葉に、紫苑が頷いた。しかし、紫苑は、バロールではないと思い、秋世に言う。
「ですが、青葉君、あの時、取り乱していましたし、それに昔、九龍さんが倒れたことがあったみたいなので、そのときにも、黒い何かを見て、それで、『黒いの』と言った可能性のほうが高いと思います。あの青葉君ですから」
その言葉に、秋世は、そのほうが、得心がいくと頷いた。そして、思考に耽っていると、不意に、銀色の閃光が二人の前に舞い降りた。
「貴方は、青葉君の相棒の……」
そう、左耳に、王司とついになる耳飾りをする背中に銀翼を背負う彼女は、王司の相棒であるサルディア・スィリブローだ。
「ええ、全く、主はまた厄介ごとに首を突っ込んでしまったようですわ。それもかなり厄介な。私ですら、干渉力に押し負けて因果の狭間まで弾き飛ばされてしまいましたもの。相手は相当厄介ですわよ。天使を押し負かすなんていう芸当、そんじょそこらの呪いではありませんもの」
そう、二人を巻き込んだのは、呪いだ。神の祝福を受けた身でありながら、神を裏切った戦乙女の呪い。彩陽が、二十歳を越えるまでに殺す呪い。そう、彩陽は、二十歳までの間に命を落とせば、普通に死ぬ。優しき呪いが発動する前だからだ。だからこそ、戦乙女は呪った。運命に縛られし二つの龍を。
「そんな厄介な相手とは一体?」
それに対し、サルディアが口を開こうとしたが、それは、別の蒼い淡い発光によってさえぎられた。
「それに関しては、私が答えるわ」
そう言って顕れたのは、齢十二か十三のように見える可愛げのある何処となく清二に似た少女だった。
「貴方は……?」
紫苑の問いかけに、少女は笑った。
「あ~、もぉ~、狂った世界を調律したと思って帰ってきたら、今度は、この有様。呪われているのは私もかもねぇ~」
そう言って、皆に笑いかける少女。そして、少女は一息、間を置いて名乗る。




