日常編「リル、イムベル家にお泊まりする4」
サラの祈りが届いたのか、ウィルは一言「かくとだにという古い言葉がありますが、そうでして」と小さな声を出した。
かくとだにってなんだっけ。
「サラさん、かくとだにとは……」
サラは目を閉じて祈っている。彼女はすこぶる兄想いの妹みたい。
「ずっとお渡し出来ず、よろしくお願い致します」
そう告げたウィルは少し動いたようだけど、私の場所からは彼の背中しか見えない。
ウィルが立ち上がったのでサラと共に慌てて階段上までそろそろ移動して、盗み見していたことに気づかれなかったのでホッと胸を撫で下ろす。
ウィルが去ると同時くらいにサラに行きましょうと誘われて、一緒にリアの部屋へ。
彼女は顔をしかめて、目の前の文と箱を眺めている。
「……あの、リアさん」
「私はその、本結納に至って浮かれていたのですが、お気持ちのようなことをいただいたのもあり……」
リアはそっと文を指でなぞり、小さなため息を吐いた。
「サラさん。申し訳ないのですが、こちらは読みたくありませんので、兄君にご返却下さい」
サラは驚いたような顔になり、私とリアを交互に見て、私の手に軽く触れて首を横に振った。
「私もウィルさんの幼馴染さんに生まれたかったです……」
エリー曰くリアの悪いところ、自信がなくて自尊心が低くて、なんでも悪い方向に考えるが発動した疑惑!
「よみ、読みましょう! 読まないといけません!」
かくとだにが分からないし、リアがどういう誤解をしたのか不明だけど、私やサラといた時のウィルの様子だと絶対にリアが喜ぶことが書いてあるので、嫌がる彼女を無視して手紙を開いた。
任されたというようにサラがリアを制止したので読み上げる。
手紙は文通御申込書だった。
実は数年前からお申し込みしたくて、出来なくて、そうしたら予想外の縁談が浮上したという内容。
本結納してから文通御申込は変だけど、本結納になっても緊張と浮かれで上手く接することが出来ないので改めて最初から。
文字の方が色々書けて気持ちを表現出来そうなので。
文通御申込書に贈り物はつけないものだけど、もう婚約者なので贈る。
流行り小物の噂を耳にして、すぐに君の顔が浮かんだ——……。
「……リルさん、そのまでです! ついにお兄さんが前から好きでしたって告白しました!」
リアを抱きしめるように止めているサラが叫んだ。
びっくりしたらもう一枚の手紙が落ちて、そこには達筆な文字で「かく……」みたいに書いてあり、素晴らしく美しい絵が添えられている。
その絵は紅葉が浮かぶ二枚浮かぶ川で、周りの景色は紅葉だ。これはどう見ても紅葉草子の一場面。
「……」
両手を自分の頬に当てたリアは無表情で固まって、しばらくそのまま。
「……素敵。お兄さんったらやれば出来るではないですか。リアさんの反応が悪くないので安心して眠れます」
サラがうきうきしながら去ってもリアは固まったまま。
「リアさん」
「……はい」
「勉強不足なのでかくとだにを教えて下さい」
「……い、いえ。お恥ずかしゅうございます。だ、だ、旦那様のロイさんに……」
リアは手紙を拾って抱きしめて、またぼんやりしはじめた。
「悪いことが書いてあると思って読みたくなかったんですよね?」
「自分のこの気持ちを君は知らないなんて申されたので……」
「かくとだにがそうですか?」
「ええ……」
「数年前からなんですか? 旦那様経由で今年の桃の節句の日に一目惚れしたと聞きましたけど」
「私もそう聞いておりましたので、数年前からとは、私も存じ上げません……」
「流行りの小物を知りたいです」
開けて開けてとねだりつつ、これはルカにするみたいだな、リアは年上だから姉っぽさがあるんだなと微笑む。
リアがそっと開いた箱の中には、私が見た貝紅の絵柄違いが鎮座していた。
白い牡丹はかわゆいというよりも綺麗で、上品なリアに良く似合う。
「芍薬……です……」
そうなの? 牡丹ではないのか。
「どうか長生きで、少しでも長く共にとは……大変嬉しいです……」
良いことがあると前向き発言を出来るみたい。
リアは嬉し泣きして、貝紅を両手で大事そうに包んだ。
さて、こうして私はリアと楽しいらぶゆお喋り会、主に数年前からとは何なのかという話で盛り上がって寝不足気味。
眠くてたまらないのに清々しい朝は珍しい。
ウィルからの手紙を読んだからか、リアは朝からどう見てもポワポワしていて、無表情でも雰囲気がまん丸だと分かる。
出勤するウィルを一人でお見送りは恥ずかしいと拒否したものの、せっかく手紙とお気持ちをいただいたので、待ち伏せしたいと行動力を見せた。
ただ、待ち伏せってなんだろう。
「家のことを全て終わらせて、役所前で彼を待ち伏せしようと……思いました」
早く、とにかく早く会いたいという意味なのかなぁと考えて、それなら私も付き合おうと決めた。
ウィルの家族にもう一泊どうかと誘われたし、まだリアのらぶゆ話不足なのもあり。
飛脚に頼んで我が家と実家に手紙を送り、帰りたくないのでよろしくお願いしますと頼んだ。
それでリアと共に家事をなるべく終わらせて、ウィルの仕事終わりに間に合うようにイムベル家を出発。
せっかくなので一区でお茶をするので少し早めだ。
すれ違いになったら悲しいので、財務省本庁——すごい建物で驚き——の窓口に手紙を預けた。
リアは自分が来たではなくて、母親が来ているという手紙にしたという。
「驚いてくださるでしょうか」
「きっと。リアさん、楽しそうですね」
「リルさんに昨夜あまり悲観的なのは良くないと教えていただき、その通りだなぁと。彼のことだと良いことばかりです」
うんうん、その通り。
こうして私達は近くの甘味処を探して、お店に入ってまったり雑談。
楽しい時間はあっという間で、ウィルの定時がやってきたので役所の前で待ち伏せ。
リアが一人で来たという方がウィルは喜びそうなので、しなくて良いと言われたけど、私は少し離れて盗み見。
上品でお洒落なお嬢様が、役所の前で凛と立っているのは絵になる。
結果、リアは次々と声をかけられた。
年配者が多くて、微かに「父がお世話に」と聞こえるので、集まったのは亡くなってしまった父親の関係者達みたい。
そうしたらウィルが建物から出てきて、きょろきょろして、私を見つけて首を捻りつつこちらへ。
「母が来られなくなってリルさんに任せたのですか? 我が家に何かあったのですか?」
不安にさせてしまったし待ち伏せ失敗!
慌てて違うと否定して、リアがいるところを手のひらで示した。
「会いたくてです! 会いたかったです!」
裏返った変な声が出て、それが私にしては結構大きめで、なんだなんだと人が集まってきた。
ウィルの同期か友人らしき者達のようで、噂の婚約者さんですか? 今日はデートですか? とお祝いみたいに笑いかけてくれる。
「いや、あの違います。こちらは……」
「会いたかったですなんて熱烈なお嬢さんですね」
「その紅が噂の予約殺到の貝紅ですか?」
「ですから、違います」
「照れて否定なんて失礼ですよ」
喋れなくなった私と、あまり喋らないウィルなので誤解が解けない!
早くリア! と彼女を見つめたけど、顔見知りと挨拶しまくっている。
自己紹介が始まったけど、説明しないといけないという焦りで覚えられない。
そうだと手を挙げて、ウィルの同期らしき者達に結婚指輪を見せた。
「……イムベルさん、これは流石に。不倫相手を堂々と紹介されても困ります」
「こういうことははっきり言いますが奥様。非常識にも程があります」
「「違っ、違います!!!」」
ウィルも私も同時に大きな声が出た。それでリア達に気がついてもらえた。
「おお、イムベル君。ちょうど良かった。リアさんが私に会いにきてくれたから一緒に食事へ行く。君も来なさい」
威厳のある中年男性がウィルを呼び、彼が慌てた様子で駆け寄っていき、私が紹介して結納したという会話が聞こえたので、彼が多分、リアの世話をしてくれているクラヴィスだろう。
私はウィルの同期達の真ん中に残されて、気の毒そうな顔をされたので、慌ててリアの付き添い人だと告げた。
彼女がウィルの婚約者で私は二人の友人だと慌てて説明したら誤解は解けた。
リアとウィルが私のところにきて、同期達に二人に紹介してもらえたし、クラヴィスにも紹介してもらえた。
クラヴィスが声をかけた部下達も増えて六人で食事。
あまりにも美味しい夕食に舌がとろけるかと思った。
☆★
かくとだにが何の隠し言葉なのかを、誰に質問するか迷って、リアのらぶゆ話を共有したいエリーに手紙で質問。
この燃えるような想いを、君は知りませんよね。みたいな龍歌があるそうだ。
ちょっと複雑みたいで解説が色々あり、短い文にあれこれ隠れていると感心。
リアとウィルは文通するそうなので、今以上にすれ違いがなくなるだろう。
めでたし、めでたし。
二人の祝言日が楽しみだ。
☆★
その頃、ルーベル家——……。
大黒柱妻テルルは、嫁リルからの速達の内容が「まだイムベルから帰りません」だけだった理由を、どうせ他のことに気を取られていたからだと推測。
母親同士として親しくしているウィルの母からの手紙には、娘が懐いて離さないとか、新しい娘になってくれる予定のリアさんがどうの、なのでお嫁さんをもう一日借りたいなどと、あれこれ書いてある。
そういう訳でテルルは居間でお茶を飲みながら、おろおろしている夫をのんびり眺めている。
テルルは帰宅した夫にこんな風に伝えた。
あなたがこき使うから嫁が逃げかけている。
どこに逃げたか分からない。どうにかしなさい、と。
これは最近調子に乗っている夫への牽制である。
それでガイは居間内をうろうろしながら、困った困った、そんな気は無かった、どうしたものかと呟いている。
「ただいま帰りました」
ここへ、ルーベル家の若旦那ロイが帰宅。
彼はいきなり父親に困った、すまないと話しかけられて少々混乱したものの、冷静な母親の姿と妻はイムベル家へ行っているという情報があるので状況を把握。
「母上、リルさんの実家へ行ってみます」
「そうしなさい」
明日も仕事なのになぁと、ロイは心の中でぼやきつつ、そろそろ父を叱りたいが、効果は無いだろうと考えていたのでガイと共に家を出た。
ロイは父親に着替えや支度をすると告げて、チラッと確認したら台所に夕食が用意されていたので、やはりリルは家出していないと結論付け、抜け目のない父の慌てっぷりは身に覚えがあるからだと推測。
そういう訳で、支度を終えて父親と家を出たロイは、道中、嫁をどのようにこき使って家出するくらいまで追い詰めたのかと、やんわり問いかけた。
ロイは大体を把握しており、毎回妻のリルに確認して彼女が嫌がっていないか確かめていたが、知らない話も出てきて呆れたというか若干腹を立てた。
「父上は味にうるさ過ぎです。いくら母上の味付けを好んでいるからと」
「リルさんがもっと変えますか? と言うてくれるからついつい」
「棋譜の写本くらい自分で依頼して下さい」
「リルさんが、写師の友人が出来て、喜んで引き受けてくれると言うからついつい」
レオ家に行ったらうるさい義兄ネビーがうるさそうだから、ここらが潮時だと、ロイは父親を飲みに誘った。
リルはイムベル家にいて、親しくなっているリアと遊びたい、もう一泊したい、誘われたのだろうという推測を添えて。
「なんや。俺は母さんに謀られたのか」
「先程までのようにしかと反省して下さい。リルさんのおかげで楽だからがありがたがっている母上は、リルさんに逃げられたら一生、父上を恨みそうです」
「馬の骨なんて言うていたのにとんだ手のひら返しだ」
「引き続き、父上のわがままをリルさんが嫌がっていないか気にかけますので、自分の注意を聞くようにお願いします。でないと母上が家出しますよ」
「気をつけます。全く、ある意味厄介な嫁を手に入れてしまった」
「父上は賢いのに、とんだ誤算ですね」
「人間関係というものはな、なんだかんだ計算なんて上手くいかないものだ」
こうして、ロイは父親と飲みに行くことに。
二晩も妻が居ないなんて寂しいけれど、帰宅した彼女はきっと楽しかったと笑って沢山喋ってくれる。
なので、たまには父と二人で語り合うのも悪くないと唇の端を持ち上げた。
この週の土曜に、ロイはウィルと仕事後に会って飲みに行き、あれこれ聞いて、日頃や今回のお礼だと、音楽祭の招待券を贈られた。
そこでロイはリルに、今年はそれぞれ友人達や家族との付き合いが多いので、夫婦水入らずでデートしようと提案。
もちろんリルは二つ返事で了承。二人は月末に楽しいデートをしようと約束した。
このままデート編を書きたいです
でも他の話も書きたいです




