未来編「因果は回る糸車15」
明日は人生初の海、と考えたら全然眠れなくて、寝れないなら鍛錬と勉強だー! と明け方まで張り切った結果いつの間にか寝ていた。
「起きろティエン! お前は今日別嬪さんとでぇとだろう! 遅刻したら袖振りされるぞ!」
蹴られたし、うるさい声で飛び起きて、祖父に向かって「今何時⁈」と詰め寄る。
「さっき起きたから知らん。まだ鐘が鳴らない」
「ま、待ち合わせ! その前に花と思ったのに! 着替えて待ち合わせ!」
お申し込みしてくれた美人のルルと文通しているけど、素っ気ないというかお互い手紙だと上辺だけの話しか出来ないから、俺はずっと祖父が北地区から南地区へ引っ越ししてくるのを待っていた。祖父が来て二人暮らしになったらなるべく早くルルに簡易お見合いのお申し込みをしたかったのでそうしたら、その日その場で彼女の親から良い返事をされたので大喜びである。ただ、ルルの父親だけは猛反対という様子だった。
「遅刻しても飯は食え! お前はちんまりなんだから食うしかない! サエさんの飯も無駄にするな!」
「朝からうるせぇよ! もう少し小さい声で喋ろよ」
子どもみたいに小脇に抱えられたので、諦めて祖父に連れられて渡り廊下からラオ家へ行って、この家の大黒柱妻のサエに朝のご挨拶。二人暮らしの予定だったが、他の家族が来るまでどうぞと言われてお世話になり続けている。
「おはようございます、サエさん。今日も美人でよかな笑顔で眼福至福」
「おはようございます。褒めても食事は変わりませんよ。でも今日はティエン君のデート日なのでたまご焼きを用意しました」
「と、いうことはまだ遅刻しない時間ですか? 緊張で眠れないから起きていたけど明け方に寝たようで、今さっき起きたので寝坊すると思ったんですけど」
「ええ。まだ時間に余裕がありますよ。大事な日だから寝坊しそうなら起こします」
「おおー! 朝から海魚の煮付けだ! 南地区は最高だ!」
このジジイはあと三十年くらい生きそう、と思いながら祖父に離してもらって食卓についた。家主のラオは夜勤なのでで三人で朝食だ。家主のラオの息子は三人いて、そのうち二人は結婚後からこの家の左右の家で暮らしている。俺と祖父はその二人の息子の一人、タオ家に居候中。この家と息子家族の家二軒は渡り廊下と中庭が繋がっていて、炊事などの一部家事を三軒で共有している。俺と祖父が住むのはタオ家だけど、食事をするのはラオ家となった理由はよく分からないけど居候している身なので言われるまま。
そこへラオが帰宅して「残業は無かった。サエさん、腹が減った〜」と言いながら居間へ来て、同時にイオの「久しぶりに帰った〜、飯は要らない〜」という声もしたので食事を開始する前に二人に挨拶。
「起きてたかティエン。今日はルルちゃんとデートだろう? 秘訣を教えてやろうと思って来た」
「えっ? ありがとうございます!」
俺とルルが文通している話はワッと広がったので、同僚にちょこちょこ質問されるけど、逆に俺がルルを知っていそうなネビーの関係者に声を掛けて彼女について問いかけると「話せない」という返事ばかり。イオが俺の前にあぐらになったけど俺は正座にしておいた。ラオ家はルルの家と交友関係が深いようなので、日々言動には気をつけている。
「秘訣は一つ。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。馬はネビーだ」
「ネビーさんですか?」
「味方につけたらレオさんの説得をしてくれるだろう」
ルルの父親は可愛い娘の相手は誰でも嫌、状態らしい。そこに女たらしが多い火消しが相手だから更にだけど、俺は女遊び出来るような人間ではないと理解してくれた周りがレオの拒否っぷりを無視してくれたから、ルルにお出掛けしてもらえることになった。
「っていうか、いつネビーさんと飲めるんですか? 断られているんですか? 聞きたいことが山程あります。あと早く同じ手習先に入門したいです。その返事はまだですか? ロイさんがネビーさんが首を縦に振ったらって言うから待っています」
「その話をしに来た。猫被りかもしれないけど女とちゃらちゃら遊んでなさそうだから飲みに行くし入門も師匠に入門希望だと伝えるそうだ。そもそも入門するのにあいつは関係ない。あいつは門下生の一人なだけなんだから。単にあいつを無視して入門すると不機嫌になるからってだけ」
「いよっしゃあ! すっいじ〜ん様の加護を受け〜! 俺もロイさん、ネビーさんみたいな文武両道火消しだわっしょい! おいおいおーい!」
嬉しくてつい立ち上がって歌って踊ったらイオも似たようなことをしてくれた。
「あはは。あんな怖そうな道場に入りたいなんてお前は狂ってる」
「そうですか? 絶対楽しいです! 剣術は前からしてみたかったですし」
鐘の音が聞こえてきて今は朝七時だと判明。ラオとイオの夜勤時の退勤は朝七時なので、親子揃って早く退勤したってこと。火消しあるある、緊急出勤があるので退勤出勤時間は緩めで遅刻早退という概念はほぼない。
「非常識行為をしたら娘溺愛の父親が頼む前に妹バカのネビーにボコボコにされる。いくらルルちゃんがかわゆくても結納まで手を出すなよ」
「当たり前です。その前にそこまで行きますか? 美人にお申し込みされたことが奇跡です」
「姉さん女房でよかなのか?」
「ええ。十才も違う、とかではないですし」
「教えた通り中身はオジジだぞ。あの子は見た目詐欺だ」
「前にも言いましたけどその方が気楽です。肩書き詐欺、所詮は生粋火消しだとか下街男だって振られなくてすみそうなんで」
「結納まで手を出すなってお前は結納前に手を出したし、結納中に孕ませただろう。何を偉そうにしているんだ。このバカ息子!」
ラオがイオの頭を押さえつけたのでイオが痛い、痛い、と騒ぐ。体が硬いと怪我をするから柔軟をしろ! とラオの檄が飛んだ。
「……えっ。イオさんってあのお嬢さん嫁とそんなだったんですか?」
イオの嫁は火消しの嫁なのにほんわか癒し系で上品だと思ったら、外様嫁で平家だけど区立女学校卒という元平家お嬢さんだった。女学生は貞操観念が高めなのに結納中になにやらなんて驚きである。
「おうよ。このバカ息子はミユちゃん、ミユちゃんって尻を追いかけて、かわゆいからとちゃらちゃら手を出して、髪に触るな、頬に触るな、破廉恥でふしだらの極みだから大嫌いと言われて最初は屍だ」
「そこまで言われてねえよ! 女たらしは嫌だとか、気移りするから信じないとか、喋ってくれないとか……。いやあ。口説き落とすのは大変だった。今も油断大敵。捨てられないように気をつけている」
「こいつは浮かれ過ぎて祝言少し前に手を出して祝言時に父親になった疑惑だった。やはりそうで孫爆誕。同じ年に初孫が、男が二人も生まれて俺は感無量だった」
「一回でしかも半分まで。緊張で萎えて大失敗だったのに凄くね? つわりかもってなってすこぶる浮かれたらやっぱりそうでそのまま禁欲。新婚なのに禁欲生活。温泉旅行が消えたことだけが残念」
朝から、しかもデートの日にこんな話をされるとは。一回、しかも半分でも子どもが出来るなんて衝撃的過ぎる。
「レオやネビー君がぎゃあぎゃあ言うならいっそ孕ませちまえ! お前はええ男だから問題なーし! あはは」
「何を言うているんですかラオさん。孫が祝言前にひ孫をこさえたら故郷で宴会を出来んです」
「ああ、そうですね。やっぱり一回でも、途中まででもするな! 俺もサエさんと北地区観光だー!」
「親父、その頃に赤ん坊やちびすけがいなっかったら俺達家族も行けると思うか?」
「人手が多いからいけそうだな。孫達と温泉旅行だ!」
北地区観光で温泉旅行となるとエデュアール温泉街への旅行だろう。
「ティエン、俺は来年死にそうだからとっとと祝言してひ孫を見せろ! がはは!」
「ビシバシ鍛えてやるからそうしろ、そうしろ!」
南地区へ引っ越しして来てから火消しの知り合いばかりなので、こういう騒がしい日々だから学生時代が少し懐かしい。朝食を済ませて洗い物を手伝い、目星をつけていたところへ花を摘みに行って確保して、着替えて鏡を見ながら「この顔であの美人の横は……美女と野獣はよく見るから問題なし」と自分に言い聞かせる。遊び男は嫌だという親のようだからモテないようにしろ、と祖父に丸坊主にされたので髪型に悩まなくて済む。着物や小物などはロイの真似をして、袖の中に花を入れて、待ち合わせ場所の立ち乗り馬車の停留所へ向かった。
ソワソワして早く着き過ぎて、しばらくしたらルルの父親レオが来たので、今日来る予定だったっけ? と思いながら挨拶をしてその後は無言。
「あの。今度息子さんであるネビーさんと飲みに行かせてもらいます。それから同じ剣術道場に入門します」
「えっ、デオン先生のところですか?」
「はい! ロイさんやネビーさんみたいな雰囲気の男になりたいです!」
「……おお、そうですか」
頑張れとか、息子のようになったら娘との仲を賛成するとか何かないかと待ったけど彼は何も言わない。
「げっ。お父さん。なんでいるの?」
待ち人が来た! と思って声がした方向を見たらルルがすぐ近くまできていた。白い生地に紫陽花柄という季節を先取りした着物姿で、化粧の感じが違うからか前に会った時よりも三倍くらい綺麗で気後れ。前と違って模様のある半襟、帯揚げ、帯留めを使っているし、足元の草履の鼻緒は矢絣柄で絵草履。風に揺れる布で一本結びにしているから髪が風でさらさら、さらさら、揺れている。
(清楚可憐なお嬢様って感じなのにげって。あはは)
ルルは見た目詐欺の中身はオジジという話は多分こういうところ。
「父親に向かってげってなんだ」
「ルルさん、おはようございます! 本日は朝早くからありがとうございます」
「いえあの、長く一緒にいられるので……。それに私は早起きです」
ルルの声が一段階小さくなってかなり照れたような仕草になったので心の中で「かわよかか!」と叫ぶ。先程の「げっ」との落差のせいか、かなりドキドキしてしまった。
「お父さん。おはよう」
「おー、リル。おはよう。今日も元気そうで何よりだ。荷物は俺が持つ」
「ううん。レイスがレオおじいさんとあむものって言うていたから今度来て。あむものは花カゴみたい。お母さんが来ているから今日でもええよ」
「レイスがそんな事を言うてくれたのか。今度行く」
リルは渋い顔をした。
「今日はさ、ウィオラさんは出勤でしょう?」
「週二日くらいでええって言われているのに、最近不漁続きだから、ここのところ毎日出勤どころか宿泊中だ」
ルルの義姉ウィオラは今日行く海辺街にある神社の奉巫女だそうで、他の数名と共に年齢や既婚未婚を問わず豊漁姫と呼ばれているそうだ。なので悪天候時や不漁時こそ出勤になるという。そうルルの手紙に書いてあったけど、珍しい職業のことは気になるので耳を傾ける。
「うん。それで兄ちゃんも海辺街に出張中って聞いた」
「そうそう。ネビーは四日前から出張してる」
「昼間、誰もいないってことだよね。ジン兄ちゃんとルカが帰ってくるまでロカは一人。ええの? 放課後デートとか密会とかし放題じゃない?」
これ、リルはレオを帰そうとしていないか? と俺はリルとレオを様子見。
「……」
「区立女学生、しかも平家集団の見張りはゆるゆるでしょう? 仕事が無い日は趣味会の講師のウィオラさんと帰ってくるし、そうじゃない日はお父さんが迎えに行っているよね?」
「だからロカの迎えに間に合うように帰ってくる」
「連絡忘れをする無自覚レイは見に行かなくてええの? レイこそまた勝手にお出掛けしてそう。相手の人はそういうつもりじゃないみたいで同僚としての親切心で市場へ行く護衛をしてくれているけど。今日、レイは振り替えで休みじゃなかった?」
「……今日休み? 明日じゃなくて?」
「ガミガミおじじがうるさいから休みの日を違う日に言っておいたって言うてたよ」
品の良い卿家の奥さんの口から「ガミガミおじじ」って、このリルの妹だからルルも似たような言葉遣いをしそう。俺としてはそのくらい、平家お嬢さんくらいで良い。お嬢さん、お嬢様過ぎると「お、おう。俺もバカなことをしてはいけない」と気を揉むことになる。
「あいつは最近本当に反抗的だな。どういうことだ」
「今日お母さんが少しレイの様子を見に行くよ。素直で付き添いもいるルルと反抗期のレイ。どっちが不安?」
「ティエンさん。娘に何かしたらラオに言いつけるからな! ガイさんという煌護省からも何かあるからな! よーく覚えておけよ!」
レオはかめ屋の方角へ向かって走り出した。そのラオに妻と孫達と北地区観光や温泉街観光をしたいから朝から孕ませて結婚してしまえ、と言われたなんて口が裂けても言えない。
「お父さんは本当に失礼。ティエンさん、父がすみません」とルルに困り笑いを向けられて、この美人とどうこうなるなんて無理そうだと照れる。
「いえ! 自分にも妹がいるので気持ちが分かります」
こうして俺達は立ち乗り馬車に乗って揺られて、揺られるから舌を噛むと危ないので無言で揺られて、隣にいるルルが眩し過ぎるからひたすら窓の外を眺めながら憧れの海が見てるのを待った。そうして現れた景色はロイが送ってくれた浮絵とそっくりで大感激。
「浮絵と同じような景色です! すげぇ。トワ湖とは違って向こう側に全然ものがなくて空と混じっているように見えるところが沢山! 海だ海! 一生に一度見れたらええなってところがこんなに近くになった!」
騒いでからつい、と思ったけど後の祭りなのでこのまま火消や下街男性っぽい素の姿を見せることにする。
「トワ湖は小さいですか?」
「いえ、それなりに広いです。でも海とは全然規模が違います。砂浜ってあれですよね⁈ ネビーさんに俺が今住むところからなら軽く走って半刻強って聞いたんですけど思ったより遠かったです」
「兄ちゃんはおかしいです。実家からだと健脚で早く歩いて早二時間くらいなのでティエンさんもそのくらいかと。走り続けられても一刻はかかりそうです」
「今度ネビーさんに道を聞いて次は歩いたり走って来てみます。海祭りを開催じゃあ! 釣りだ釣り! 空は晴れてて気分良し〜」
自然と話せたし、はにかみ笑いってことは幸先良しだし、この絶景なのでつい歌ってしまった。
「よっ、よっ、よっ! さあ!」とルルが合いの手を入れてきたので驚く。それなら、と歌の続き。この歌はイオ達ト班がたまに歌っているから覚えた。
「「よっ、よっ、よっ」」
気か合うのかルルと声が揃った。
「「悩みもないから気分良し〜」」
「「よっ、よっ、よっ」」
区民を明るくさせるのも火消しの仕事なので、周りの人たちを乗せたらルルも似たことをして、静かだった立ち乗り馬車内が騒がしくなり、楽しんでいたら停留所へ到着。いきなりこんなに楽しくて良いのだろうか。
「ワクワクが止まらないんで、先にあの砂浜に行きます!」
デートだからどうこうより、今は海だ、砂浜だー! という事で頭がいっぱい。
「ティエンさん、あれを見ました? 海に来たからには先に見ないといけません」
「えっ? どれですか?」
何を見ないといけないんだ? とルルが掌で示した方を眺めたけど青空しかない。
「隙あり! 負け方がお昼代の支払いです!」
ルルはそう叫ぶと走り出した。
「うおっ! 騙された!」
子どもみたいに全速力で走り出したルルの左右に揺れる髪に少し見惚れてから、「よっしゃあ! 負けるかぁ!」と叫んで着物の裾を上げて尻端折りにして走り出した。ここで負けたら「ご馳走します」と言えるけど、俺は賭け事に負けるのは嫌いだから全力!
黙っていたり大人しいと綺麗なお姉さん、儚げなお嬢様という感じなのに今のルルは活発溌剌元気娘で足は結構速い。追いついて、追い越して、真剣な顔に見惚れて追い抜かされて、先に砂浜に到着出来ずに負けて、砂浜に足を取られて転びかけた。砂浜はふにゃってしている!
素足で感じてみたいと下駄を脱ぎ捨てて、足袋を脱いで「砂浜はすげぇ!」と叫びながら、これはもう海に入ってみるぞと股引を捲り上げてそのまま海へ向かって突撃。
「冷たい! 気持ちいい! うおわっ! ちょっと足が吸い込まれる! 引きずり込まれる!」
海の波は湖の波と全然違う!
「あはは。大はしゃぎですね。私も入ろう」
そう告げるとルルは裾を短くして下駄を脱いで揃えて立ちながら足袋を脱いで下駄の上に置いてこちらへ近寄ってきた。それでゆっくり、ゆっくり海に入って「冷たい〜」と満面の笑みを浮かべて俺に「人生初の海はどうですか?」と告げた。太陽に照らされる青い海はキラキラ光っていて、その真ん中に彼女がいて、同じような輝きの瞳で俺を見ている。
「せ……」
「せ? 世界で一番綺麗な景色ですか?」
その通りなのだ。まだ短い人生だけど、こんなに世界が煌めいていたことはない。
「正官になったら祝言しませんか!」
俺は叫んでから、自分の言葉に衝撃を受けた。俺はいきなり何を言っているんだ!
でも俺は海に呼ばれて南地区へ来た気がして、そもそも憧れの人の妹分に文通お申し込みをされるなんて縁結びの副神様の采配な気がしてならない。エデュ山にはご利益があるというように、俺はロイとリルに話しかけられた結果普通の火消しから大きく逸れ始めて、地元で一生を終えるはずの生粋火消しなのにこうして南地区で働き始めた。
「……」
俺自身がこれは口を滑らせたと戸惑っているので、ルルが驚愕顔で固まっているのは当然だ。
「い」
「い? 今は返事を出来ませんよね! そうです! 当たり前です! ついというかその、ほら、海なので」
海だからなんだと自分に対して心の中で突っ込み、彼女も俺に対していきなり「結婚して下さい」と告げたからこれでおあいこ。文通して下さいと間違えたのだから、俺も真剣な話をしていきたいですという申し込みと間違えた……のか? 俺は今の俺の発言がなぜ飛び出たのか自分でもわからない。
「今のところからあまり離れないなら。今のところ遠くへ引っ越しは嫌です」
「あっ。それはそうかもと思って上司に聞いたら番隊長を目指すなら、一年で六防へ移動して上からの指示もどんどんこなせるならありと言われているので励みます」
「そうかもと思って、ですか?」
「俺だって北地区から家族と来たから、家族親戚と仲良しそうな方は遠くへ行きたくないだろうなと。ここから上地区はサッと行けるような場所ではないです」
「六防へ移動したら……一年で、ですか?」
「あの、その、先ほどのは海だから変で、その。今日から恋人で一年後に結納はどうですか? 六防へ転属になったら引っ越しの可能性が減るので……」
衝動的に祝言しようと口にしてしまったから、このまま押し切ろう。一年恋人、半年結納、正官になったら祝言はかなり常識的なお申込みだと思う。
「何を言うているんですか。結納したら恋人です」
平家同士はとりあえず恋人になって結婚出来る相手だと思ったり、祝言日を決めたら結納するかそのまま結納しないで恋人のままどんどん結婚話を進めていくけど、格上社会だと結納をもって恋人宣言だ。つまりルルは後者の価値観で育っているいるってことである。
「えっ? あっ、じゃあ結納しますか?」
「何を言うているんですか。結納お申し込みが先です」
「そうですね。はい。します。すぐします」
「それなら破談事項の一つは一年後に六防転属が無かったり引っ越し確定時ですね。転属が決まったら祝言」
「そうなりますね」
お出掛け一回目で結納しましょうなんてこともあるのか。あるのか? そんな話は聞いたことがない。俺の親がこないと常識的な結納お申込みは不可能なので、そこから両家の話し合いになるから俺とルルの関係は何になるんだ? と思案。お互い気が合って、真剣に将来のことを考えてみたいけど恋人ではないってなんだ。ルルは両手を胸の前で握りしめて真っ赤になってふらぁっと後ろに倒れた。
「うおわ! 危ないです!」
「ひゃあ〜! さわ、触らないで! いや、びしょ濡れになるからありがとうございます……」
慌てて支えたら胸を両手で思いっきり押された。しかし俺からしたらかなり非力。見下ろす彼女の照れ顔があんまりにもかわよかなので頬に触れたら拳で頬を殴られた。非力なので痛くないけど心が痛い。
「いやぁ! 兄ちゃんの言うとおり生粋火消しは遊び人! 絶対にじゃんけんきとか女はべらしをしてる! 極悪非道な破廉恥魔人!」
「……うえええええ! そんなことしていません! なんですかじゃんけんきって!」
「勝ったら俺ときとすをしてもええってやつですよ! とぼけても無駄です! なんなのもう! 乙女の憧れを返しなさいよ!」
怒っているし破廉恥魔人! と言われたから真っすぐ立たせて離れたら、ルルは足元を見て「あっ、あさり発見。夕食にしよう」と無邪気な様子になり、先程の怒りや叫びはどこへやら。
「えっ? あさり? あさりって砂の中にいるんですか?」
「ほらほら、見てー。あさりは掘るものなんですよ。波が来ない方へ行きましょう。あさり堀り、あさり堀り」
袖を引っ張られて、ねぇねぇという仕草は妹のアンみたい。ルルはニコニコ笑いながら俺の袖を引っ張って移動して足で砂浜を掘り始めた。
「袋を持ってきたので持ち帰りましょう」
「うん。おっ。すげぇ! あさりが出てくる!」
「あっ、ヤドカリ発見」
「ヤドカリ?」
「貝を宿にしているカニみたいな生き物です」
「なんだこの生き物!」
「飼いますか?」
「飼えるんですか?」
「多分。死んでも食べたらダメです。カニと違ってお腹を壊します」
「へぇ。美味しそうと思ったけどそうなんですね」
ん?
んん?
俺の告白はどこへいった。それから女たらしという誤解もどこへいった。
「ルルさん」
「はい?」
「俺は女たらしではありません!」
すごく嫌そうな顔を向けられた。
「言い訳なんて必要ありません。先程の動きで分かります」
呆れ顔のルルにトントン、と肩を叩かれた。
「分かりますって間違っています」
「急に冷めました。兄バカ女なので硬派な男性がええです。見た目が良い女性は山程いるので他をどうぞ」
「見た目なんてどうでもよかですよ! いや、良いにこしたことはないですけど!」
冷めましたって俺は袖振りされるのか!
いや、袖振りされた!
「私はお見合い破壊魔人ですが逆は得意です。誰かいたら縁結び! よっ! イノハの白兎のルルとは私のことよ〜!」
ぴょんぴょん、とルルは自分の手で兎の耳を作った。無邪気な笑顔といい、すこぶるかわよか。
「あの、本当に女たらしではないので……」
「それなら、なぜ慣れた手つきだったんですか? 恋人ですか? 花街ですか?」
「……恋人です」
ルルに嫌そうな顔をされてしまった。しかし、嫌そうな顔ということは脈ありだよなと背筋を伸ばす。
「末の松山、と呼んでおいて置き去りですか?」
「いや、恥ずかしいしここまでが常識と思っていたら物足りないと袖振りされました。その次は肩書き目当ての避けても寄ってくる女のせいで本命に二股するのかと言われて袖振りです」
「ほうほう」
ほうほうって、嫉妬しろや。それか誤解だったようなので冷めたのは戻りましたとか。
「ここまではどこまでですか?」
「えっ?」
「ほれほれ。吐きなさい」
ヤドカリを顔の前で揺らされてルルは変な声を出して「そうです。話しなさい」とヤドカリが喋ったみたいにした。思わず吹き出しそうになる。
「中等校時代だからきとすまでです。軽いやつ。軽いのしかしなかったからつまらない、みたいに袖振りです。今思えば慎め、大事にしなさいと思います」
「ほうほう」
ほうほうって、嫉妬しろや。それか誤解だったようなので冷めたのは戻りましたとか。
「花街教育はどうでした? それで慣れました?」
「火消しは平家だから夜の寺子屋特別講座だけです」
「元服だーって、誘われましたよね?」
「火消しは女に買われるのが花で買うのはどちらかというと恥だから誘いは特に。火消しなのにお前はモテないんだな、とバカにされます。学友もお見合い時に不利になることがあるからと様子見でした」
「学校に通った方は少し知っていますが、火消しさんってそうなんですか?」
「ええ。知らないんですか?」
「ご存知のように父や兄が火消しに近寄るなー、なので。その分火消しの詳しい知識もないです。ティエンさんとの文通するから情報提供されるようになって、多少知識が増えましたけど」
「火消しは女たらしなのではなくて、女が寄ってくるの方です。寄ってこない火消し、モテない奴は遊べません。本命以外の尻を追っかけるのは恥だ恥って笑われます。活躍して追っかけが出来るとか、顔や言動でモテるとか、そういう火消しでないと女遊びは無理です」
「へぇ。つまり火消しは皆ちゃらちゃらしているのではなくて、格差社会なんですね」
「そうです。人気者や縁の下の力持ちなど色々分かれます。火消しってひとくくりには出来ません」
「ええ。他の職でもそうですが、皆それぞれ違いますからね。では、じゃんけんきはしませんか?」
「しません。何ですかそれ」
「そこのかわゆいお嬢さん。俺をそんなに見ているならじゃんけんする? とか言って破廉恥行為に及ぶことです」
「恥ずかし過ぎてそんな事言えません。そんな話誰から……。ハ組にいる……ネビーさんの友人達ならト班ですよね? イオさんだ。ああいう顔も口も上手い、愛想良しが俺ら真面目系の火消しの足を引っ張る女遊びをする火消しですよ!」
イオは今のお嫁さんと出会って百八十度行動を変えたらしいけど、その前はそこそこ遊び人だったという話は何度か耳にしている。うんうん、とルルが首を縦に揺らした。
「兄が諸悪の根源達と言うていました。硬派な兄はその誘惑からなんとか逃れて逆にお説教や監視役になったそうです」
「そうなんですね」
「ずっと潔癖硬派だと思っていたのに! ちょっと気がついて嫌な気分だったけど、確定したから心底嫌です! 兄ちゃんが、兄ちゃんがじゃんけんしてきとすなんて、そんなちゃらちゃら遊び男だった時が少しだけだとしてもあるなんて! 食らえ! 兄を悪の道へ誘おうとした火消しへの恨み!」
ルルに海水をかけられた。
「ちょっ! 冷たいしとばっちり! 俺は関係ねぇ!」
「あはは。逃げるが勝ちです。色々分かって安心しましたー。ちなみに私の唇は未使用品でーす! 少し冷めたから、熱が出るように口説いたり女性関係は厳しいと証明して下さいね。六防に転属するまで保留で最有力候補にしておきます。だからまだ恋人にはならないし結納もしません。誰かに取られたらご愁傷様です。ただ、これは今、この時の気持ちですよ」
波打ち際を小走りし始めたルルのこの発言に俺は足を滑らせて海の中へ尻餅をついて、そこへ大きな波が来て全身ずぶ濡れになった。知り合い以上恋人未満ってことで、取られたらご愁傷様って上から目線。
自分のこともルルのことも、色々愉快でおかしくて俺が大笑いしていると、彼女はまた眩い景色の中で満面の笑みを浮かべた。




