ヨハネお茶会編 5
水屋からこそっと席入を盗み見。エイラから順番に習った通りに座っていく。
今日の花は梅の枝で花は2輪だけ咲いている。花瓶は勿忘草色に似ている。
掛け軸には色紙。シホクの龍歌色紙に雰囲気が似ている。絵は墨で描かれた梅の枝に朱色の梅の花。梅の花は1つだけ咲いていて後は蕾。
崩してある文字はさっぱり読めなくて龍歌なのか文なのか不明。床の間には香合が飾られていてかわゆい猫だ。
2月は寒いから炉を使うらしいけど今日は火鉢で薬缶を使用している。
水屋の中を確認したらお茶碗も秋柄だらけ。お菓子は練り切り。薄紫色に白に黄色いお月様とススキみたいな線。それで1つだけかわゆいうさぎ。それからオーウェンの分でお煎餅のだるまさん。
お点前は茶箱の月で秋のお点前らしい。だからあれこれ秋で揃えたようだ。
ヨハネとクリスタは秋に出会ったし、3人——私は2人の後ろ——で公園を歩いて銀杏並木を見たからヨハネとしては秋はクリスタとの思い出の季節なのかも。私としてはそう感じてしまう。
そうだ。あの銀杏吹雪の日のクリスタは月うさぎの格好をしていた!
こうなると練り切りの紫には桔梗も含まれている気がしてくる。
今日は気楽なお茶会ということで、ヨハネが挨拶をしながら義母とロイがお菓子を運んでいく。
「空より舞い降りて雪と戯れるうさぎもそろそろ月に帰ろうかと月見をしたり、秋を懐かしむ頃かと思いますので本日はこのような趣向に致しました」
「つくばいを空や月と思ったのかうさぎが2匹遊びに来ていました。雪うさぎから北極星うさぎや月うさぎになりたいのでしょう」
ヨハネは考えてきただろうけどエイラは今日この台詞を考えて喋っている。すごい。これがお茶席の会話なのか。
「西の方では北極星は2つ並びというおとぎ話があるそうです。春や夏のうさぎは聞きませんから、これから迎える春夏は北極星うさぎになりたいと思っているかもしれません」
それでヨハネもこれは考えてきていない台詞のはず。
ほうほう、北極星うさぎは雪うさぎで月うさぎなのか。義母がクリスタにうさぎの練り切りを出した。
春夏は北極星うさぎになりたい……春や夏に恋人や夫婦⁈
クリスタは気がついて……ない。彼女とはまだロメルとジュリーの話をしていないから気がつかないのは当然なのかな。
エイラはすまし顔だけどクララはクリスタをチラチラ見て愉快そうな笑顔を浮かべている。
「秋は懐かしくても間もなく春でございますね。そちらの梅もついに花開いたようで」
「一塵起って大地収まり、一花開いて天下春なりと申しますが、うさぎがつついて二輪咲いたようです。春へ誘う道標のようです。秋を懐かしみつつ春を望んでいます」
北極星は迷子にならないように見つける道標。2つの梅の花は春への……らぶゆ?
春を望んでいます⁈
これにはクリスタも反応した。かわゆい照れ笑顔をしている。
「花入れはつくばいに遊びに来たうさぎと似た色に見えます。凪いだ春の海のようです」
「ええ。春に海辺で行われた雪どけ祭りで見つけた物ということでお借り致しました。勿忘草で染めたようだなと」
「無知でお恥ずかしいのですが勿忘草を教えていただきたいです」
「ご謙遜を。ご説明させていただけるとは有り難いです。必死に勉強致しました。立ち別れカドゥル山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来むと詠んだ際に贈った花だという一説がありまして、青星花のことではないかと言われています」
龍歌は分からないけど立ち別れ……お別れ⁈ でも帰りますだ。
別れても帰ってきます? 義母の話してくれたことと似ている。そういう意味の龍歌……古典? ヨハネが作ったの?
義母やロイがお菓子を運び終わって茶箱の月のお点前が始まった。私がいる場所からでは見えないから諦める。板を広げていたのは見えた。
エイラ、クリスタの分のお茶はヨハネが点てる。他は義母がお茶を点ててロイがお盆で2つずつ運ぶ。様子を見て義母がお茶碗をスッと持っていくそうだ。
ロイはヨハネが点てたお茶をエイラとクリスタにも運ぶから忙しい。
お点前は見えないからお菓子の食べ方を見学。下座に挨拶をして懐紙に乗せて菓子切りで食べている。
アルトとクララは同じお皿、ベイリー達は3人で1つのお皿だから下座に回していた。
食べ終わって少ししてから義母とロイがお菓子のお皿を回収。
「リルさん。菓子器を洗ってちょうだい。いつも通りで良いわ」
「はい」
義母にコソッと囁かれたので小さな返事をした。道具は基本触らないけど大丈夫と思われていることは任されるとロイに言われていた。
見たことのないお皿だから日常使いの物の次に大事そうな来客用のお皿よりも大切な物かもしれない。
なのでいつもより慎重に洗って拭いた。来客用のお皿みたいに重ねてはいけないか間に紙をしくべきだろう。
棚の上に切られた新聞紙の束と風呂敷発見。
くしゃくしゃなのは茶碗用な気がするのでシワの少ない新聞紙をお皿の大きさに合わせて挟んで大きい物から重ねて風呂敷で包んだ。
見学を忘れていた! と思ってコソッと確認したらクリスタが薄茶を飲んでいた。お茶碗はロイからのお土産だ。エドゥ山のご利益がクリスタにありますように?
他の人の動きを確認。お茶碗を軽く持ち上げて2回少し回して飲んでいる。
茶箱は金平糖とルシーが言っていたけど……金平糖は食べたの?
「薄茶の席ではありますが本日は気楽にとうかがっていますし大変口に合いましたのでお尋ねしたいのですがお茶の御名や御製は」
「職場から遠くない寿屋分店の春来です。抹茶ミルクや抹茶クリームのような甘味を併設茶屋で出し始めたようで気になっています。ベイリーさんはご存知ですか?」
亭主のヨハネと正客のエイラだけが会話するんじゃないんだ。気楽にだから?
「ご存知ですかとは何を言うているのですか。下見だ何だとあちこち連れ回したのはどこのどなたでしょう。ああ、床の間にいる猫ですね。猫男と足を引っ掛けられるから避ける練習をしたことがあります。秋を懐かしむではなくて学生時代を思い出してしまいました。あはは」
私の隣で義母が「ふふっ」と小さく吹き出した。私もおかしくて笑いそう。
「職場から遠くないとは場所を忘れたんでしょう。助けを求めたのにベイリーさんぶち壊し。もっとやれ。あはは」
義母と反対側にいるロイは私に囁いて肩を震わせた。私から見えるお客は全員笑っている。
「確かに猫に似ていると言われますが香合の猫は自宅で飼っている猫をこの地区では飼えないとうかがったからせめて目で楽しめればと思いました」
この町内会は犬猫を飼うのは禁止。猫……クリスタが初めて会った日の帯留め。2人でその話をしていた!
ヨハネの声は少し不貞腐れたような声色だと感じた。
「そのお話、教室に出たり入ったりする際に不意打ちでどなたかが足を引っ掛けたという話ですよね。ひょいっと避けられるまで練習を続けた……終わりを聞いたというか文通で教えていただいていません」
エリーも会話に参加してきた。
「終わる前に卒業です卒業。龍神王様は二物も三物も与えると言いますけど、朝も晩も座学に鍛錬もコツコツ積み重ねているのに頭しか伸びないとは残酷。まあ欠点がないと可愛げがありません」
「あら、欠点があるとかわゆいですか? 嬉しい」
かわゆく笑うエリーがベイリーの顔を少し覗き込んだ。ベティとベイリーは呆れ顔をしている。
エイラはすまし顔のままだけど唇が歪んでいる。オーウェンは目を閉じて微笑み。アルトとクララは似たような愉快そうな笑顔。
クリスタは頬を染めて俯いて微笑んでいてかわゆい。
「お菓子は全て自家製です。趣味の1つです。次の鐘が鳴るまではお時間ですのでここからは無礼講でご自由に拝見なりご歓談下さい。本日は末席にいるお喋り熊も同行したという釣りの大漁祝いでヒシカニ汁が振る舞われるとうかがいましたのでそちらへ行かれるのも良いと思います。本日はありがとうございました」
ご歓談下さい、の後に義母とロイがお茶碗を下げに行った。
「リルさん。お茶碗もお願い。ロイ、貴方は触らないで。何ですかあの持ち方に足の運びは。恥ずかしい。接待があるのですからたまには練習しなさい」
「はい。精進します」
義母が茶室へ入るとロイはボソッと「間違ってないのに細かい」と呟いた。拗ね顔だ。私はお茶碗を任されたのでしっかり洗って大事に片付ける。
ヨハネが水屋へ戻ってきた。義母がお客へ挨拶する声が聞こえてくる。
「ロイさん聞いていましたか? ベイリーさんのあの会話はなんでしょうか」
「事前に頼まないからですよ。あれは怒っていますね。相談しなかったって。昔から根回し不足はヨハネさんの悪いところ。あはは。ヨハネさんもお喋り熊って」
チラッと見たら今度はヨハネが拗ね顔。ロイは楽しそう。
私はお茶碗の間に新聞紙を挟んで重ねて新聞紙でさらに保護して風呂敷で包んだ。
「頼むも何も緊張で店の場所をど忘れです。ど忘れだからあらかじめ頼めません。遊び茶席だけどあの悪ふざけ。それにしてもあの方が噂のユリの君ですか。想像と違います」
「何かあったら助けてと一言頼んでおくべきでしたね。自分も百合の君のことはそう思いました。ご挨拶をするのが楽しみです」
義母が水屋に戻ってきた。お茶碗は沢山重ねると危ないので3個、2個、2個と分けた。風呂敷が余らなかったから合っているはず。
「ヨハネさんお疲れ様でした。この後はクリスタお嬢さんをお願い致します。私は夫のところへ行きますので片付けは息子夫婦に任せて失礼致します」
義母はチラッと私と周りを見た。微笑んだからしっかり片付け出来たということたろう。
「昨日からお世話になりました。ありがとうございます」
「ここまであれこれ詰め込んだのなら今日何か言うつもりでしょう。期間のご希望は?」
「1年と思うています」
「伝えておきます」
「よろしくお願いします。日程などはまた手紙でご相談します」
何?
立ち上がると義母は茶席へ立ったまま入り「アルトさん、クララさん少々よろしいでしょうか」とアルトとクララを呼んだ。
義母に目配せされた気がしたけど気のせいかもしれない。
義母に用事があるからとりあえず追いかけよう。廊下を歩く3人の後ろに続く。義母が振り返りアルトとクララが端に避けた。
「リルさん何か?」
「本日選ばれなかった招待券です。振る舞い後か後日お体が良い時にどうぞ。今月いっぱい使えます」
懐から美術館の招待券の入った封袱紗を出して義母に差し出した。
「選ばれなかった?」
「テルルさん。ヨハネさんとクリスタさんのお出掛け用にいくつか招待券を集めました」
「それはありがとうございます。あらこれ。ベラさんの行きたがっていた。本日は息子の拙い姿をお見せして恥ずかしい限りです。セヴァス家は安泰ですね」
封袱紗の中身を確認すると義母は嬉しそうに微笑んだ。
「アルトさん、クララさん、本日滞りなくお出掛けが済みましたら正式縁談へ移行します。本日どこかで少し配慮をお願い致します。エイラさんは拝見中でしたので伝言をお願いします。失礼致します」
「しかと見守り致します」
「夫と共に見守り致します」
クララの隣に並んで私も頭を下げた。正式縁談へ移行!
「リルさん、貴女はこちらでしょう。それに角度。セヴァス家のお嫁さんと違って我が家の嫁は不安だわ」
失敗。義母に睨まれた後に呆れ顔をされた。羽織り係があるので義母についていってお手伝い。それからお見送り。今も手足は痛くなさそう。
これは怒られなかったからしっかり働けたと言うことだ。
終わって振り返ったらアルトとクララが並んで私を見ていた。2人とも困り笑いをしている。
「リルさん、あのような嫌味を言われたのにすぐに動いてお見送りとは。それもニコニコと」
「クララさん、お義母さんは今朝すごく体が痛かったんです。どんどん平気になったって言うていて今も普通に歩いて痛くなさそうだからええことです」
「そうだったんですか」
「水屋で宝物のお皿とお茶碗を任してもらえました。先程は失敗したけど付け焼き刃嫁なのでコツコツ励みます」
「角度と言った時に私のことも見ましたよ。怖い。お義母さんに告げ口されそう。付け焼き刃だなんて、リルさんだからルーベル家のお嫁さんが務まっていると思います」
ひええええ、という顔をしながらクララはアルトと共に茶席へ戻っていった。
つくばいのうさぎ達はもう帰宅時間なので回収。水屋へ戻って少し並んでうさぎは壊さないで棚の上に並べてみた。北極星うさぎを私の手で壊す気にはなれない。




