23 実家の没落
ローザは父親に呼び出された。
部屋に入るなり、ローザはただならぬ雰囲気を感じ取る。あのローザに甘い父が――どんなときでも甘やかしてくれる父が、ローザをにらんでいるのだ。
セラヴァッレ公爵はいきなり張り手でローザを殴った。
ぱん、と甲高い音が鳴る。
「な……何をするの? パパ。怖い……」
ローザは本気で怯えた。
「ライ国大使のワジャ夫妻から手紙がきた」
セラヴァッレの抑えた怒声は、吹雪のように冷たくローザに降り注いだ。
「ただの手紙じゃない、国を挙げての、正式な抗議文だ! この意味が分かるか!?」
恐ろしくて口も利けないローザの頬に、セラヴァッレ公爵は手紙を叩きつけた。
「先日の会食で、お前、よりによって皇太子に『鷹はまずくて食べられない』と言ったそうだな!?」
「え……」
確かに言った。しかし、ローザには解せない。そんなの、皇太子だって笑って許してくれたではないか。
「わ……私、鷹が特別なものって、知らなかったから……」
「知らなかったで済まされると思うのか!?」
「ひ……っ」
セラヴァッレ公爵の剣幕に、ローザは口をつぐんだ。
「おまけに、国章である月を貶し、ライ国と友好関係を取り持とうとしたルクレツィアのことも貶したそうじゃないか! おまけにファルコは妹君に……! ああ、口にするのもおぞましい!」
セラヴァッレ公爵の怒りは止まらない。
「一つ二つならばいざ知らず、いくつもの無礼が重なるのでは、そこになんらかの悪意が込められているものと解釈されるのも当然だ! 『貴国はわが国を格下あるいは敵対国として遇したいように見受けられた』と言っている! ライ国と戦争が起きたらどうしてくれるんだ!? ええ!?」
「ま……待って、待ってよ、パパ」
ローザはとにかく誤解を解こうと思った。
「戦争なんてそんな……私、全然そんなつもりじゃ……」
「まだ分からんのか?」
セラヴァッレ公爵は悔しそうだった。
「ハメられたんだよ!」
ローザはショックで頭がぼんやりしてきた。怒鳴られすぎてうわんうわんする鼓膜に、父親の怒声が容赦なく突き刺さる。
セラヴァッレ公爵は怒りに任せて語る。イルミナティはアクセスのいい港町をたくさん抱えており、攻めやすく守りにくい立地にある。過去に、少なくとも四度、支配する国が変わった。そしてライ国は新型帆船と巨砲のおかげで軍事力が飛躍的に向上したため、イルミナティと戦争を起こして、港町のいくつかを割譲させようと目論んでいるのだ、と。
「開戦の口実を虎視眈々と狙っているところに降ってわいたのがお前ら馬鹿どもだ! まさかお前らがここまでとは私も思わなかったぞ! あのルクレツィアでさえ、ライ国とは無難に付き合っていたというのに!」
ローザは涙が出てきた。
少し会話しただけだが、ローザは皇太子に好感を持っていた。少々失言はあったかもしれないが、笑って許してくれる彼もまた、ローザに好意を抱いてくれていたのだろう、と、無邪気に信じていた。
それなのに、裏ではローザのことを馬鹿にして、利用していたなんて。
裏切られた気分だった。
「わ……私、悪くないよ……? ハメようとした皇太子が悪いんじゃん……ひどいよ……私、信じてたのに」
セラヴァッレ公爵は、娘の涙を見て、少しは頭が冷えたらしい。
大きなため息をつくと、先ほどまでよりも落ち着いたトーンで喋り始めた。
「国王は、私に、爵位を返還しろ、と言っている」
ローザはぎょっとした。
――爵位を返したら……私、どうなっちゃうの?
平民に落ちろ、ということなのだろうか。
「もうすぐ成人の王弟に爵位を譲る体で、自主的に返還させることで、ライ国の脅しに屈したという印象を与えずになんとか矛を収めさせたいんだろう。弱腰の国王らしい策だ。私に言わせれば愚の骨頂だが」
セラヴァッレ公爵は思いっきり国王を馬鹿にしてから、怒り冷めやらぬ顔でローザを再びにらみつける。
「来週、返還の手続きで宮廷に行く。宮廷に行くのはこれが最後になるだろう」
「うそ……」
展開の速さに、頭が追いつかない。
「わ……私とファルコ様の婚約は……!?」
「ファルコは死罪を言い渡され、逃亡した」
――死罪……なんて……そんな……
ローザは現実感が湧かず、何も言葉が浮かんでこなかった。
「元帥夫妻は慌てて帰国してくるようだが、もう遅い。息子を勝手に殺されかけたのだから、あの二人も遠くないうちに国王を見放して辞任するだろう。元帥夫妻の手腕なしで、イルミナティがライ国の挑発をかわしきれるわけがない。国民は必ず戦争を求めるはずだ。私たちも、戦争が起きる前に逃げるぞ」
ローザは放心したまま、ずっとその場を動けなかった。
次の週明け、セラヴァッレ公爵は爵位を返上し、『イルミナティ王国公子アントニオ』の名誉称号を賜ったあと、イルミナティ王国から姿を消した。
その娘、ローザも、『公女ローザ』の称号を受けて以来、イルミナティの宮廷には現れていない。
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