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中編

 死神の娘は、感情のままに叫ぶ機織りの老婆を見つめました。

「なんともまあ、おぼこいことを。世界中にその名を知られた、織匠の先生の今際の際の言葉とも思えないね」

 あきれたように言いながらも、何故か死神は嬉しそうです。

 たもとに手を入れて彼女は、その華奢なてのひらに納まるほどの、丸くて鈍い赤色をした何かを取り出しました。

「時間は戻らないし運命も変わらない。でもあんたが探していた幸せは……」

 言いながら機織りの手の中へ、その赤い何かを投げてよこしました。

「それをかじれば、多分見えてくるだろうよ」


 手の中にあるものを、機織りはまじまじと見ます。

 ひんやりとしたそれは、子供の頃に山で見かけた野生のリンゴの実のようでした。

 懐かしいと思った次の瞬間、機織りはそれに歯を立てていました。

 舌を刺す酸味とわずかな渋み、そしてその後ろからくるほのかな甘さ。

 あの頃と同じ味だ、と、さわやかな香りを胸に吸い込みながら彼女は思い……。



 ……とんからり、とんからり、とんからり、とんとん。

 とんからり、とんからり、とんからり、とんとんとん。


 機織りは幼い頃から、普通の子供なら嫌がって泣き出すくらい長い時間、機の前にすわってしんぼう強く手を動かし続ける、そんな女の子でした。

 来る日も来る日も、彼女は機を織り続けました。

 やがて機織り上手の少女は、機織り上手の娘へと成長しました。


 親は、おとなしくてしんぼう強い、そして誰よりも早くきれいに布を織りあげる自分の娘を、たいそう自慢に思っていました。

 近所に住む娘たちも、彼女の機織りの腕は自分たちの誰よりもすごいと認め、軽く敬ってさえいました。

 年頃の若者たちは若者たちで、こんな機織り上手を嫁にもらいたいものだとそわそわしていました。

 機織り上手の娘は、少し寂しそうな雰囲気ながら品の良い、きれいな顔立ちでしたから。


 特に、天蚕をたくさん育てている大きな農家の息子は、娘に気があるそぶりでした。

 自分で育てた天蚕から美しい薄緑の糸を紡ぎ、こっそりわけてもくれたのです。

(そうだ、そうだった。私の織ったものが注目された最初のきっかけは……あの人がくれた、上等の天蚕糸で織った布をたまたま村へ買い付けに来てた商人が見つけ、お金持ちのお得意様に勧めたのがはじまりだった……)

 どことも知れない所からかつての自分を眺めながら、機織りは思いました。


 しかし娘は周囲の人のほめ言葉や若者の熱いまなざしに、ちょっと困ったようなほほ笑みを返すだけで、来る日も来る日もただ、機を織り続けました。


 とんからり、とんからり、とんからり、とんとん。

 とんからり、とんからり、とんからり、とんとんとん。

 ……と。


 機を織るしか、彼女に出来ることはなかったからです。



 そんなある日。

 娘が家で昼飯を食べて機小屋へ戻ると、独特の風合いをした布地で仕立てた、不思議なデザインのシャツを着た見知らぬ男がいて驚きました。

 男は無遠慮に、それでいてひどく真剣に、機にある織りかけの布をにらみつけていました。

 ここにいて変なのは男の方なのに、娘が彼の邪魔をしに来たような申し訳ない気分になってくる、そんなたたずまいです。

「やあ」

 しばらくして、やっと男は娘に気付きました。

 鋭かった目がふっと和らぎ、これを織ったのは君かと、王様のような態度で尋ねました。

 男の態度に驚きながらも、娘はうなずきました。

 するとたちまち、男は満面の笑みを浮かべました。

 よく見ると彼は、子供のように真っ直ぐな、澄んだ目をしています。

「見つけた見つけたよ!アラクネの系譜に連なる娘が、こんな所にいた!」


 彼は有名なデザイナーで、次のショーに向けて新しいデザインのインスピレーションを求め、旅をしていたのだそうです。

 彼は、彼女が織ったものにインスピレーションをかきたてられたと言い、半ば強引に村に逗留して憑かれたようにデザイン画を描き……最終的には彼女が織った、天蚕糸を絶妙に混ぜて織り上げた綺羅で衣装を作りました。

(そうだ……そうだった。これをきっかけに、私は世間に名を知られるようになっていった……)

 やはりどことも知れない所からかつての自分を見つめ、機織りは思います。


 機織りとして運が良かったと言えますが、望んでこうなったのではありません。

 大きな流れに飲み込まれ、こうなるしかなかったとも言えます。


 彼女に出来るのは、機を織ることだけ。

 そして求められるのも、機を織ることだけ。


 恋よりも熱い憧れの目で見つめられることはありましたが、あくまでも『幻の綺羅』を織り上げるのはこの人か、という、織り手としての彼女に対するものです。

 機織りとして成功し、褒めそやされる度に彼女は、要するに機を織らない自分は無価値なのだと思い知らされます。


 機なんか織れなくていい。

 ただ君がそばにいてくれればそれでいい。

 君の織り上げる幻の綺羅より、君自身の方がずっと価値がある。


 そう言ってくれる人が現れないかと、少女の頃から機織りは思っていました。

 その思いを胸に、彼女は黙々と機を織っていたのです。


 彼女の熱い思いが織り込まれているせいなのでしょうか?

 いつしか、この綺羅を花嫁衣裳に仕立てて結婚式をあげれば幸せになれる、などと言われるようになっていました。

 彼女自身、花嫁衣装に身を包むことなどなかったのに。


 そう。

 特別に天蚕糸をわけてくれたあの人も。

 『アラクネの系譜に連なる娘』、とまで呼んでくれたあの人も。

 結局は彼女じゃない女性を選び、夫や父になりました。

 どういう訳か彼女だけが、機織り以外になれませんでした。



『じゃあ、あんたの幸せは……』

 どこか小馬鹿にしたような声がこう言います。

『こんな感じだったらいいのかい?』


 不意に目がくらみ、機織りは一瞬、きつくまぶたを閉ざしました。

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