第四十一話 突撃
木編みの籠を両腕に提げながら、グランマが男衆に指示を出す。
ボーヴォの別荘の物置から、敷物代わりに使う木板を引っ張り出してきて、泉の脇の草むらに並べていくのだ。俺も参加して、全員が座れるように木板を敷いていく。女性陣は尻に敷くであろうクッションを持ってきていた。
「グランマはすごかったわ、ジル」
見れば、いつの間にかエミリアが近づいてきて、何やら沈思に耽っている。
「私たち、何かに目覚めたかも」
「いや、何にだ」
「ご主人様。私たち、女として生きていきます」
「んん?」
これもやはり、いつの間にかエマがそばにいて、何かを悟ったような顔つきになっていた。料理の邪魔だったのだろうか、板金鎧は脱いでしまっていて、布鎧姿である。
そのまま俺の近くで何やら語り始めるかと身構えていたが、それぞれ木編みの籠と背嚢を手にした彼女たちは、板を敷いた食事会場の方へふらふらと歩いていった。
「俺が言うのも何だが、どうしたんだ、あいつら?」
ダグラスに聞いてみるが、首を傾げるばかりであった。対照的に、ヴァンダインは何やら得心した顔で頷いている。
「たまにいるんじゃよ。グランマに女の生き方を語られて、なんぞや目覚めてしまうのが。ここのところ姫以外にはとんと説教なんぞしとらんかったが、恐らくは何かに当てられたんじゃろ」
「なんだそりゃ。宗教かなんかか?」
「あながち否定しきれんのう。いつも言うことは変わらんのじゃがな。女としてどう生きるかとか、自分と向き合うのが大事だとか一般論を述べておいて、自分の体験談を引き合いに出すんじゃ。それを語られた女どもが感化されることがしばしばあってのう。悪い方向にではないんじゃが。心配かの?」
「まあ、少しな。悪い人ではないんだろうが、エマたちの様子があそこまでいつもと違うと不気味だわ」
からからとヴァンダインは笑い出した。
「帰ったらどんな話をされたか聞いてみるといい。娘どもが突拍子もないことを言い出しても真面目に聞いてやるがいいぞ」
「お、おう」
狐につままれたような気分だが、ともかく俺も、敷いた板に食事を並べ始めているエマたちのところに行く。彼女たちに付いていかず、俺の背後に控えていたエリーゼが、やはりエマたちの変化に目を丸くしていて、俺の反応が間違っていないことに少し安堵した。
「では、みな。適当に始めてくれ」
葡萄酒の樽を掲げたボーヴォの宣言で、食事会は始まった。
じゅうぶんな広さを持って敷かれた板であったが、自然とボーヴォたち、そして俺たちとに分かれ、二つの円陣が出来た。すでにあちらでは、座った男衆がグランマに頭を下げつつ、食事や葡萄酒の樽に舌鼓を打ちはじめていた。
グランマは大きな籠二つに満載された麦酒や葡萄酒などの樽のそばに座っていて、円座の誰かが飲み物を切らしそうになると、手ずから魔法で冷やした樽を渡したりしている。
「麦酒でいいの?」
こちら用にも酒が満載された籠を一つもらってきており、エミリアがその中から樽を一つ抱えあげ、上目遣いで聞いてきた。
「あ、ああ」
指先一つで、というわけにはいかないのか、エミリアは樽の上蓋にたどたどしい手つきで掌を乗せ、冷却の魔法を使ってから俺の方に差し出してきた。
俺が受け取ると、エミリアは自作の弁当が詰まった背嚢に手をかける。
「グランマに料理するところを見せてもらったら、私が作ってきたのがすごく貧しいものに思えてきて。それでも見せて食べてもらいなさいってグランマが言ってたから、仕方なく出すのよ。ううん、グランマにも言われたわね、素直に言葉にしなさいって。食べて欲しいんだけど、いい?」
ううむ、恐るべきグランマ。この短時間に、エミリアの思考や言動に大幅な矯正がかかっている。いつもの強めな口調に慣れているせいで、違和感が半端ない。悪い方向の違和感ではなく、こちらとしても少し調子が狂うというか、やけに素直で女らしいエミリアにどぎまぎしているのだが。
「ああ、もちろんだ。食わせてくれ」
グランマが作った料理も、エマたちは貰ってきていた。彩りよい食事であるそれらは、すでに円陣の中央に主賓さながら広げられていて、俺たちに食われるのを待っている。
それを横目で見ながら、エミリアは背嚢から弁当箱のようなものを取り出した。四人分ということを想定されていたのか、気合の入った三段重ねの木箱である。
「ほう」
「ちゃんと、グランマが作ったものと、私が作ったもの、見比べながら食べてもらいなさいって」
少し恥ずかしいのか、頬を染めてうつむきがちなエミリアである。
「ふむ」
料理界の重鎮であるグランマの作った食事は、無駄のないすっきりとした美しさがあるのだが、これと見比べながら食ってもらえとは、案外とグランマも指導は厳しいのだろうか。
グランマの料理は、いわゆる挟みものだ。小さめに焼いた細長い堅焼きパンに切れ目を入れ、ベーコンやチーズ、それに葉野菜が挟まれている。それがいくつかと、彩の鮮やかな酢漬けの野菜、そして何かのすり身を埋めたひと口サイズの果実めいたものだ。
「見たことがないが、最後の果物みたいなのはなんだ?」
「この湖に泳いでた魚を油漬けにしてすり降ろしたものを、オリーブの果実をくりぬいて埋めたものなんだって。かなりお酒が進むらしいわ」
「へえ、この泉には魚がいるのか」
俺は、すぐ横に堂々と広がる湖に目を移す。今まで魚介類は、迷宮の中でしか産出しないものだと思っていたが、そうでもないらしい。
「湖にも魔物が出るから、危険だからって漁はしてなかったみたいだけど。ボーヴォさんたちは魔物に遅れを取ることはないから、たまにここで魚を取って保存食にするみたい。お酒に合うらしいわ」
「手間がかかってるんだな」
魚は高級品である。それを保存食に加工した上ですり身にしたり、オリーブの果実をくり抜いたり。
「グランマいわく、もう少し大きくなったらお酒を飲みなさいって。理由を聞いたら、ジルがお酒を飲むからだって。お酒を飲む人が、どんなつまみを欲しがるか、お酒を飲まないとわからないでしょうって言ってたわ」
「ん、身体が小さいうちに飲むと身体に悪いって聞くからなあ」
忘れがちだが、俺で十六歳、エマたちは十二歳である。俺ならばともかく、エマたちの歳では飲酒は勧めがたい。
「どの料理一つ取っても、グランマなりの工夫が凝らされてるの。例えばパンは焼きたてふわふわのを開いて、パンの熱がチーズに移らないように葉野菜とベーコンで挟んだり、魚の油漬け――アンチョビって言うらしいんだけど、それのすり身に使う塩だって、ちょうどお酒が進む濃さなんだって。そればかり食べてると飽きるから、口の中を切り替えるために酢漬けの野菜を用意して、って。料理を他人に食べさせるときは、その人がどんなものを食べたいかをまず考えるのよって言ってた。今日のお客さんは酒飲みが多いから、お酒が進むように料理を作るのって」
「はああ。考えてるんだなあ」
確かに、どの料理も酒が進みそうなものばかりだった。
「どれ」
グランマの作った、手に持った挟みものをひとかじりしてみる。堅焼きパンということで、歯で削れたパン粉が散ってしまうようなものを想像していたが、弾力に満ちてふわりと柔らかく、麦の風味が香る。
噛み千切ると、パンの両脇にまでしっかり挟まったベーコンとチーズ、そして葉野菜が一口目から味わえ、美味なことこの上ない。ごく当たり前の素材で、当たり前の味なのだが、なぜかそれがとても上品というか、普段食べているような、同じ材料を使った挟みものよりも格段に美味しかった。
「美味いな」
出てきた俺の感想も、ごく当たり前のものだった。他の言葉が見つからない。
「はい、麦酒」
「お、ありがと」
挟みものを食べた後に、キンと冷えた麦酒を喉に流し込む。弱めの泡と、芳醇な香りが、喉を流れていく。視界には湖、空は快晴。森の緑が美しい。
「っくはあ」
思わず樽の半分ほども一気に飲んでしまった。
んまい。景色が良いために、遠足気分が盛り上がることこの上ない。
今日ここに来た理由は、護衛任務だった気がするが、いいのだろうか。
「おう、相変わらず気持ちいい飲み方するな、お前さんは」
向こうの円陣から、中樽を手に持ちながらダグラスが笑いかけてくる。
「って、ちょっと待て。中樽?」
普段飲んでいるような、人の顔ほどの大きさである小樽ではない。見れば、ダグラスとヴァンダイン、それにボーヴォは、エマの腰まわりほどもありそうな酒の樽でがぶがぶと飲んでいた。
「それでいいのか、依頼主」
「仕事なら気にすんな。もし魔物が出たら治癒ポーションをくれてやるから」
まあ、依頼主がいいというならいいのだろう。俺も小樽の麦酒をぐびりと飲む。
次に、グランマお手製のアンチョビオリーブを手に持って、ひとかじりする。
まろやかなしょっぱさと魚の風味、それに渋抜きされたオリーブの実の相性が良い。少し油っぽく、塩気が強めで、それが麦酒と良く合った。
そればかり食べていると飽きるので、酢漬けの野菜をぽりぽりとかじって口の中をさっぱりさせる。いくらでも酒が飲めそうだ。
「のどかだなあ」
すぐそばの湖の中や、開拓村の周囲に魔物の脅威があるなどと嘘のようだった。
念のために長剣は手元に引き寄せてあるが、人類にとっての最高戦力が揃っているのだ、滅多なことがあってもボーヴォが秒殺してくれるだろう。
もうひと口、麦酒を呷る。
飲酒すると集中力が落ちるので、昼から酒を飲むことなど滅多にない。飲酒しての迷宮探索など論外だ。こうして、ときおり爽やかな風が吹く野外で、炎帝を天に眺めながらの酒盛りなど、初めての経験で新鮮だった。馬鹿騒ぎするような夜の酒盛りもいいが、こういった遠足気分も悪くない。
「じゃあ、こっちが、私が作ったやつね」
そう言いながら、エミリアは三段重ねの木箱を取り外して、一箱ずつ板の上に広げてみせた。
横にグランマの食事を並べているせいか、色あせてしまいがちだが、それでも木箱の中身は、笹の葉で惣菜間の区切りが付けられたまともなものだった。
女性陣がはじめて挑戦する手作り料理ということで、毒物と大差ない物質を平らげることも覚悟していたので、普通に食えそうなものが出てきたのは僥倖である。ただし、見た目はあまりよろしくない。
一箱目には、主菜が詰まっている。まず目に付くのは、牛肉と思しき肉の塊だ。半生状態で、血が滴っている。
ひと口で食えるようにという配慮なのか、薄い削ぎ身にされているが、そのせいで肉汁が身から流れ出てしまい、料理同士の区分けとなるはずの笹の葉に血溜まりを作っていた。
その牛肉の薄切りが箱の半分ほどを占めている中で、もう半分は揚げた鳥肉である。屋台でよく売られている、揚げ鳥のチシャ葉巻きを参考にしたのだろう、木箱の底にはチシャ葉が敷かれていた。
牛肉の汁でやや景観が損なわれているが、笹の葉とチシャ葉の緑が目に優しい。
単純に食事を詰め込んでおくだけではなく、彩りを気にして区切りに野菜を使うのは、女性の感性であろう。
「ほむ」
手渡されたフォークで、薄切りの牛肉を一枚口に運んでみる。
「お、案外いけるな」
見た目は残念であるし、肉汁が流れ出て少しパサついてはいるが、塩胡椒に加えてにんにくの風味がして食が進む。隠し味なのか、たまねぎと葡萄酒も少し香る。
どうやら、あえて芯まで火を通さない牛肉料理のようだ。
揚げ鳥も同様である。冷めてしまっていささか固いものの、胡椒だけではない香辛料の複雑な味がした。これをエミリアが作ったとは、俄かには信じがたいほどの出来である。
「よく出来てるよ。初めてでこれを作ったとは思えないぐらいに」
俺の言葉に、エミリアは安堵の色を見せて、深くため息を吐いた。
「正確には、まだ小さいころ――親が破産する前に料理の真似事ぐらいはしたことがあったから、数年ぶりだけど」
「それで料理ができるのか。この揚げ鳥の香辛料なんて配合難しかったろうに。そもそもどこで煮炊きしたんだ?」
この街では、炊事用の施設を持っていない人々の方が多い。そういう人は、屋台の惣菜などで全ての食事を賄う。
「鯨の胃袋亭で頼み込んで、仕込みが終わったあとの暇な時間に厨房を使わせてもらったの。料理を覚えたいって言ったら快く使わせてもらえたし、お店で使う香辛料とかを分けてくれたから、厳密には私だけの味じゃないんだけど」
「いやあ、それでも大したもんだ」
二箱目の弁当箱には、粉チーズと溶かした卵を染み込ませて焼き上げた薄切りの堅焼きパン、三箱目には茹でた芋を潰して和えたものや、スライスした茸とベーコンのサラダ、それに茹でた豆類など、野菜が詰め込まれている。
さすがにグランマの料理ほど完成度が高いとはいえないものの、どれも普通に食える味であった。
俺はご機嫌になりながら、麦酒を飲みつつエミリアの弁当をつまんでいった。エマたちも、これがどうのこの味がああだの、グランマの発言や薀蓄を引用して語りつつと賑やかに食を進めている。
「エミリア、ありがとな」
突然の発言に、きょとんとした顔のエミリアである。かなり稀な表情だ。
「この弁当、俺の好物ばかりを選んで作ってくれたんだろ? 良く出来てるよ、美味いぜ」
俺が気分良く料理を食えているのも、エミリアのおかげであった。
彼女が作ってくれた弁当は、どれも俺が好んで食うものばかりが詰め込まれている。
エミリアにしては珍しく、俺の言葉の把握に時間をかけていたが、ようやく飲み込めたのか、我に返った。心なしか、顔が少し紅潮している。
「ね、言った通りでしょう?」
いつの間にか、グランマが俺たちのそばに寄ってきていた。酒が飲めないエマたちへの配慮なのか、高級品のガラスの器に葡萄ジュースを注いでくれている。ちなみに食器はボーヴォの別荘からの持ち出しである。
何の話だ?とエミリアに話を向けてみる。
「グランマがね、ちゃんとした男なら、女の努力を分かってくれるだろうって。ジル君ならきっとわかってくれますよって言われてたの」
ほほほ、とにこにこするグランマの笑顔に、喉を流れる麦酒の苦味が増したような気がした。気が付かないところで何やら試されていたらしい。
「うん、決めたわ。ねえジル、宿に帰ったらちょっと話があるわ。多分、エマもだけど」
どこか晴ればれとした顔で、エミリアはそう宣言した。
何事かわからないが、とりあえずおう、と頷いておく。
「うん、いい天気ね」
快晴なのはいまさらだとは思うのだが、にこにこしながらエミリアも料理を食べ始めた。
「ふう。終わってみれば、天国のような仕事だったな」
鯨の胃袋亭の二階、洗い場で皮鎧と布鎧を脱ぎ捨てながら呟く。湯で浸した布で身体を拭きながら、しばし解放感に浸った。
昼間の酒盛りの後、帰りの馬車が出発するころには、俺もダグラスもかなり出来上がっており、土産がわりに渡されたクッションを枕に二人とも馬車の中で爆睡してしまったものだ。
雇い主と主人がそんな有様でも、仕事は仕事だからと道中の索敵をしてくれたエリーゼには頭が上がらない。
「お、お疲れ。馬車の中じゃありがとな」
噂をしていれば何とやら、手早く着替え終わったエリーゼが洗い場にひょっこり顔を出す。
俺は上半身裸であったので、着替え中に乱入したことでエリーゼはしまったという顔をしたが、特に気にしてはいないので俺は用件を言うように催促した。用がなければわざわざここには来るまい。
「しばらく席を外しますので、そのご報告に。買い出しが必要なものがあれば買ってきますが」
「ん、何か買いに出るのか? 付き合おうか?」
「いえ、単にお邪魔虫は退散しておこうというだけです。向こうで二人が待ってますよ」
「なんだそりゃ、部屋に戻るのが怖くなるな。待ち伏せか?」
意味深な笑顔を残してエリーゼが去ってしまったので、俺は服を着込んでから、自室の扉をがちゃりと開けた。
そして閉めた。
「着替えは終わったって言ってたが、エリーゼに騙されたか? すまんな」
平静を装って扉越しに声をかける。
二人は、上着と短パンを身に着けていなかったのだ。
この時刻、一日の討伐が終わった晩飯時になると、エマたちは寝巻きを兼ねた部屋着に着替えるのが常だ。といっても、上下の下着に加え、膝丈までの短パンと薄手のシャツを着ただけの質素なものであるが。
それが今は、肩から紐で吊るした、へそ出しで胸部だけを覆う胸当てと、股間を隠す下着としてのパンツのみしか履いていない。要するに下着姿だ。
緑とオレンジ色の糸で、せめてもの彩りとして十字の縫い取りがされた、簡素で安価な下着。網膜に焼きついたそれを、俺は半ばトラウマである大ムカデの雄姿を思い浮かべることで必死に打ち消そうとした。
「あ、ジル。着替えは終わってるから、入ってきていいわよ」
特に怒っていなさそうなエミリアの声に安堵し、扉を開けて自室である大部屋に入った俺は――固まった。
着替え終わったと言っていたが、未だに下着姿のままである。今まで、いくら同室で寝起きしているとはいえ、最低限もう一枚は着て生活していたものだが。
「よいしょ」
俺が中に入ってすぐのところで固まっていた隙をつき、エマが扉を閉めてがちゃりと鍵をかけた。開けようと思えばすぐに開けられるだろうが、エマがすぐに俺の右手を抱え込んで離さない。
「さて、話があるの」
いつの間にか、エミリアも接近してきて俺の左手を抱え込んだ。
俺は両腕を引きずられるように、ずるずると仰向けにベッドに押し倒される。
「ちょっと待て、これは何事だ? そしてなぜ下着姿なんだ?」
まさか強姦されるということもあるまいが、俺の動揺は収まらない。
大の字にベッドに寝かされた俺の右腕は、エマの両腕でがっちりと押さえつけられている。左腕は、腕力値に劣るエミリアの機転なのか、肘をまたぐようにエミリア自身がずしりと乗っかってきていた。
「話があるので、逃げられないようにという配慮です」
「すごい嫌な予感がするんだが、俺が逃げるような話なのか?」
かなりがっちり俺の両腕は固定されてしまっている。全力で振り払おうと思えばできなくもないだろうが、左腕がエミリアの股間に当たっている関係上、力を入れて動かすのも妙に躊躇われた。
「どっちから話す?」
しばし目線での応酬の後、エミリアがおもむろに口を開いた。
「あのね、グランマに言われて、少しだけ自分に素直になることにしたの。照れ隠しにつんけんしてる間に、他の誰かとジルがくっついたら嫌だなって。負けるにしろ、せめて勝負をしてからじゃないと、悔いが残ると思ったのよ」
「お、おう?」
もしやここで俺が拘束されている理由は、男女関係に関わる話なのだろうか。
棚に上げておいた、いや先延ばしにしていた問題を、力づくで目の前に持ってこられた気分である。
昼間の馬車の中で話した、奴隷には手を出さないという俺の宣言が契機となった可能性もあった。
「私ね、ジルの恋人になりたいの」
深呼吸の後に、エミリアは言い切った。
「ぬお」
変な声が出てしまった。完全なる奇襲である。
もしそういう話が出てくるのであれば、普段から肉体的な接触の多かったエマからだと思っていた。
「ご主人様、エマはね」
どうも話はそれで終わりではないようだった。何となく、更なる追撃が来るような気がして身体を強張らせる。
「ご主人様に抱かれたいです」
「へあ?」
そこまでは予想していなかったので、やはり間の抜けた声を出してしまう。
帯広剣での一撃を予想していたら、闘斧を叩き付けられたような被害の差であった。
「ええと、抱かれたいというのは、今までのような添い寝的なあれだよな?」
「いえ、男女の性的な行為のことです」
俺は声を失ってしまった。こいつらは一体何を言ってるんだろうか。
そもそもエマはいつの間にそんな単語と言い回しを覚えたのだろうか。誰だ教育係は。エミリアじゃん。
現実逃避をしていては何も解決しなさそうなので、額にじわりと汗がにじんでくるのを感じつつ、俺は何とかしてこの場を切り抜けられないか考え込む。
「いや、あのな? そういうのは、まだエマには早いんじゃないかと思うんだよな。それにな、馬車の中でも言ったが、俺はそういうことをしたくて君らを買ったわけでは――」
「私がしたいんです」
ぴしゃりと言い切るエマであった。積極的な子である。
「私はまだ、そこまで一気に行くのは怖いけれど――ねえジル、知ってた? エマって貯金してるのよ?」
「貯金?」
なぜここで金の話が出てくるのだろうか。
「奴隷身分じゃなくなるためです。本当は、冒険で溜めたお金を使って、奴隷身分じゃなくなった晩に、ご主人様に抱いてくれって迫るつもりでした。エリーゼの短剣を借りて、断られたら死ぬって言えば、ご主人様なら受け入れてくれるんじゃないかと」
「こらこらこら」
発想がぶっ飛びすぎていて怖い。実に重たいエマの愛である。
「ちなみに、その日は私とエリーゼにどこかで一晩過ごしてくれってすでに頼まれてるわ。まだ貯金を始めたばっかりなのに、エマの中ではそこまで計画が出来てるみたいよ」
エミリアの説明に俺は戦慄する。なんという用意周到さであろう。
「でもね、私も貯金を始めることにしたわ。私だって、その――そういうことに興味がないわけでもなし。ジルならいいかって思ってたりもするし。だからね、ジル」
エミリアは再びの深呼吸である。
「奴隷身分じゃなくなったら、私たち、ジルとそうなりたいわ。私たちは本気よ。考えておいてくれない?」
「お、おう」
思わず俺は頷いてしまった。言質を与えたことにならないかと一瞬後悔したが、考えておくだけでこの場を切り抜けられるならとりあえず流されてしまいたい。
『こちらエマ。終了した』
いつの間にか、取り出した念話の指輪にエマが話しかけていた。指輪から聞こえる了解、という返事はエリーゼのものだろう。なぜ君たちは迷宮にいるときばりに緊張感に満ちた簡潔な通信をしているのか。
「さて、ところで、ジル」
エミリアは俺の腕に乗っかるのをやめたと思いきや、今度は腕を枕にして俺の横にごろりと寝転がる。そんな彼女を見習ったのか、エマも俺の腕を枕に顔を寄せてくる。
要するに、寝転がった俺の左右に彼女たちが横たわり、腕を枕に顔を寄せてきていた。俺の顔に、二人の顔が近い。
「チェルージュって、童顔よね。ああいうのが好きなの? 興奮したりする?」
「興奮ってお前な。もう少し別な表現はなかったのか」
「正直に言うと、ジルに嫌われたらとか、エミリアの癖に何言ってるんだって拒絶されたらって思うと、怖いわ。ジルがどんな女の子が好みとか、わからないし。可愛くないからって言われて突き放されたらどうしようって今も思ってる」
「エマは、何でもしますよ。だから、おそばに置いてください」
俺は、二人の顔を見た。どちらも真剣な表情である。
まだ少女のあどけなさが残る、化粧もしていない女の子の顔だ。
「ねえ、私たちじゃ、ダメ? 興奮しない?」
今までだって、娘とか、妹のような存在として扱ってきたので、すぐに女性扱いはできないかもしれない。俺だって思春期の男子であるからして、そんな彼女たちであっても密着していれば下半身は反応してしまうし、それが原因でそろそろエマとの同衾をやめようとは思っていたのだが。
「ひょっとしてそれで下着姿なのか?」
「うん。その気にさせられるかなって」
両腕を拘束されたまま、俺は天を仰ぐ。どう答えるべきだろうか。
「興味はあるし興奮もするだろうが、今までの関係を変えて女として見ろって言われても、いきなりそんな気分にはなれないよ。ああいや、エマたちが嫌いとかじゃなくて。今後の成長に期待というか、お友達からでお願いします?」
思わず語尾が疑問系になってしまった。
突然の奇襲であったので、瞳を通じてチェルージュへ送られる情報を遮断していないので、いまごろは笑い転げているかもしれない。友達からでお願いしますというのは、彼女の母が彼女の父へ向けて言った言葉だったはずだ。
「今はそれでもいいわ。でも、チェルージュには負けないからね」
首を伸ばして、俺の頬にエミリアはキスをした。負けじと、エマも逆側の頬へ唇を押し付けてくる。
そこへ、がちゃりと扉を開けて、エリーゼが部屋へ入ってきた。
俺たちの状態を眺めつつ、真顔で少し考え込むエリーゼである。
「もう少し、出かけてきた方がいいですか?」
「いや、いいから。そろそろ晩飯にしよう」
混乱から脱しきってはいなかったが、ともかくも俺は苦笑顔でそう告げた。




