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第四十話 湖畔

 馬車の群れが開拓村に着くと、待ち構えていたかのように人々が集まってきた。

 週に一度の輸送車は、彼ら開拓村の人々にとっても待望のものらしい。


「ようし、荷降ろしを頼まあ。運び込むのはこの先の衛兵詰め所だ。門に入ってすぐの高い建物だな」


 馬車の先頭の方を見ると、木の柵で覆われた集落めいたものと、見張り台を兼ねた櫓のようなものが見える。衛兵の詰め所とは、あれのことだろう。


「三人で箱を一つ持ってくれ。俺は一人で持っていくから」


 了解です、という三人娘の返事を待って、俺は武器を満載した木箱を持ち上げる。

 人目もあり、依頼の途中だったということもあって、ともかくも気まずい空気はいったん先送りにしてくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろしつつ、俺はずしりと重い木箱の取っ手を握って持ち運ぶ。


 いま俺が運んでいる箱には、長剣ロングソード帯広剣ブロードソードなどがぎっしりと詰まっている。重量もかなりのものだったが、平均的な成人男性の二倍を超える筋力値の俺ならば、何とか一人で持てた。


 エマが一人で持てるかどうか微妙な線だろうので、エリーゼとエミリアにも手伝わせる。もともと板金鎧プレートメイル一式を着込んでハンデがあるエマと、腕力値の低いエリーゼとエミリアをあわせて、一箱を運ぶのにちょうどいいぐらいだろう。


 楽に、とは言わないものの、俺よりも涼しい顔でダグラスも一箱運んでいた。鼻歌まじりでご機嫌である。少し迷宮に潜っていたことがあるとは言っていたが、今の俺よりもレベルが高いのか、このおっさん。


「そうだ、そこに置いてくれ――ようし」


 木組みの櫓ではあったが、一階部分は普通の家のように建てられていて、数人の衛兵が寝泊りする広さがあった。その中の一室が武器倉庫になっているらしく、俺たちはそこに木箱を運び込んでいく。


「あとは、衛兵が東西南北の各詰め所とか販売所に武器を分配してくれる。俺たちの仕事はここまでだな。あと六箱あっただろ、ちゃっちゃと運んじまおう」

 

「あれえ? ダグラスさんに、ジル君じゃない。どうしたの、こんなところで」


 櫓を兼ねた衛兵の詰め所から出てきたとき、聞き覚えのある声で話しかけられた。明るい声だというのに、少し気が弱そうな印象を受ける、独特の声だ。


「なんだ、リカちゃんか。ちょうどいいところに来た、お前さんも手伝え」


「なんだとはご挨拶だなあ。やあジル君、元気してたかい?」 


 にこやかな笑顔を浮かべる声の主は、ギルド「竜の息吹(ドラゴンズブレス)」のマスター、リカルドであった。

 いつものダブレット姿に、剣を一本だけ腰に吊っている。


「どうも。今日はダグラスの物資運搬の依頼を受けまして。リカルドさん――リカちゃんはなんでまたここに?」


「言い直した!? ねえ今言い直すところだったっけ!?」


 突っ込み力の高いベテラン冒険者である。


「おう、うるせえぞリカちゃん。こちとら仕事で来てんだ、雑談なら後にしやがれ」


「んもう、仕方ないなあダグラスさんは。これでいいの?」


 ひょいひょいと、片手ずつに木箱を持って、たたたたっと土埃を上げつつリカルドは衛兵の詰め所に駆け込んだ。すぐさま戻ってきて、また木箱を二つ両手に抱えて駆けさっていく。

 俺たちが見守る中、ものの一分ほどでリカルドは木箱の運搬を終えてしまった。


「実力だけは確かだからタチが悪いんだよなあ、お前さんは」


「ひどくない!? せっかく手伝ったのにその扱いひどくない!?」


 がーん、という擬音で表現できそうな表情で文句を言い立てる善性の人物、リカルドである。


「やあ、ジル君も久しぶり。その後、変わりないかい?」


 一転してにこにこした表情のリカルドを見て、あの日のことを思い出した。





 初めてリカルドと出会った日、長剣をさっと研いでもらい、まさに店を後にしようという別れ際、リカルドはダグラスに聞こえないよう、こっそり俺に耳打ちした。


「勝手なお願いだとはわかってるんだ。それでも、もしギルドを追放した後、彼らが心を入れ替えて頭を下げてきたら、彼らを再びギルドに受け入れることを許してもらえないだろうか。もちろん、ジル君にも誠心誠意謝らせるし、今度はギルドで責任持って監視するから。どうかお願い」


 地面に膝をつき、拝むように両手を合わせて頭を下げるリカルドである。


 彼らとは、もちろんエディアルド一行のことだ。つい先ほど、ダグラスとの話し合いで、ギルドを除名処分するということを話し合ったばかりだった。

 あんな彼らでも、リカルドは再び受け入れる気があるとは、善性の人物を通り越して聖人だろうかこの人は。


(まあ、いいか。責任持って監視するとまで言ってるんだし)

 

 少し悩んだものの、俺は了承することにした。

 甘い対応かもしれないが、この人物とのつながりを、切りたくなかったのだ。


 俺の立場からすれば、もう少し厳しい対応を取って然るべきなのかもしれないが、相手の失態を責められるだけ責めたところで、リカルドの心証が悪化するだけであろう。個人的な好き嫌いの面でいえばリカルドへのわだかまりはないし、打算の面で考えても、恩を売っておいて損はない相手であった。借りにするという言質は取っているのだ。

 

「はあ、アウェイクムにも頭下げに行かないと。マーサさん怒ると怖いんだよなあ。シグルドさんが絡むと特に」


 胃痛に襲われているのか、胸を抑えてあいたたた、などと呟くリカルドである。

 赤の盗賊団を討伐したときに、シグルドと知己を得ていることは伝えてあった。


「お、あの二人そういう関係なのか?」


「まだくっついてないんだけどね。マーサさんの態度を見てれば丸分かりさ。ギルドマスターだから部下への好悪を顔には出さないように心がけてるらしいけど、本人たち意外は全員知っててね。いつ成就するかをアウェイクムのメンバーは賭けてるよ。ちなみに僕は半年以内に一万賭けた」


「きっかけがないとくっつかなさそうだし、俺なら一年以上に賭けるかなあ」


 談笑してリカルドと別れたあの日からかなりの日数が経ち、何人かはリカルドの仲裁で俺の元を訪れ、頭を下げていったものの、エディアルド少年は姿を見せていない。竜の息吹のギルドホームを飛び出した後、行方が知れないようだ。




「ええ、変わりないです」


「そうか。わかったよ」


 俺たちの会話には、その含みがある。最後にリカルドが謝罪者同伴で俺のところに来てからは、誰も、俺の元には訪れていない。


「それじゃあジル。帰りの馬車は三時間後に出るからよ、そんときにここへ集合だ。それまでは自由行動な」


 あいよ、と俺の返事を聞いた後、ダグラスは別の商談でもあるのか、のしのしとその場を去ろうとして――ずざざざざ、とすさまじい勢いで後ずさってきた。

 すでにダグラスから視線を外していた俺は、何事かと彼の方に向き直る。


「なんじゃ、ダグラスか。あんまりにも面白い顔しとるから、誰かと思うたわい」


「し――しし、師匠!?」


 ダグラスから師匠と呼ばれた人物は、背の低い、小柄な老人だった。

 銀に似た艶やかな総白髪をオールバックにまとめていて、見事なアゴ髭が胸元まで垂れていた。


 その小柄な老人の姿が、ふっとかき消えた。

 次の瞬間には、手に持った煙管を、ダグラスの脳天に振り下ろしているところだった。


 ごどんっ、という人体が発してはいけない鈍く重い音がし、ダグラスの頭部は残像ができるほどの勢いで地面へとめり込んだ。


 死んだか、と冷静に俺が状況を把握している中、老人は何事もなかったかのように懐から新たな葉を取り出して煙管に詰め込んだ。


「お義父さんと呼べと言うておるであろうが」


 ダグラスの師匠で、義理の父と呼ばれるべき人を、俺は一人しか知らない。

 この小柄な老人こそが、ヴァンダイン氏なのだろう。


 やはり小柄であった、ダグラスの嫁を思い出す。言われてみれば目元がどことなく似てるような気がするし、何よりもダグラスへの鈍器の振り下ろし方に血の繋がりを感じた。


「少し風通しのいい顔になっておるが、どうした?」


 ダグラスの右側の顔、俺たちから見て左側のヒゲは、頬のあたりがちりちりに焼け焦げている。言わずと知れた、エミリアの作火で焼かれたものだ。よくリカルドは噴き出さなかったものだと思う。


「馬に蹴られまして」


「進歩のないやつじゃのう、お前も」 


 煙を青空に吐き出しながら、呆れ顔のヴァンダイン氏である。


「やっほー、ジルー」


「げ」


 聞き覚えのある声に、俺は思わず身構えてしまった。つい先ほど、彼女の話題で痛い目を見たばかりなのである。


 木の柵で囲まれた開拓村の内側、門のところから俺に手を振ってきているのは、チェルージュである。しかもその横には、『開拓者フロンティア』ボーヴォまで付いてきていた。他にも、初めて見る顔を何人も連れている。

 

「なんだこりゃ、ボーヴォハウスの住人勢ぞろいか?」 


「うん。今日はジルに予定が入ってるのが瞳の情報でわかってたからね。暇だーってボーヴォに言ったら、じゃあ開拓村に持ってる別荘に遊びに行くかって言ってくれたの」


「なんだか、行く先々にチェルージュがいるような気がするなあ」


 頭をぽりぽりと掻きながら俺がこぼすと、チェルージュは頬を膨らませた。


「何よ、嫌なら嫌って言いなさいよ。聞こえてたんだからね、さっき『げっ』って言ったの」


「嫌じゃないんだけどさ。様々な事情があって、今はちょっと間が悪いというか」


「そういえばさっき瞳を遮断してたね。そのときのことかな? 加護を返した理由を問い詰められてたけど、何か訳があるなら私も聞きたいな」


「チェルージュに養われてるのが嫌だったみたいよ?」


 いつの間にか、俺の右腕にエミリアが、左腕にエマが絡み付いてきていた。

 むむむ、と眉間に皺を寄せるチェルージュと、俺を挟んで睨みあう二人である。

 

 どうしてこんな状況になってしまったのだろう。すごく胃が痛い。あとエマは板金鎧を着込んでいるから絡められた腕も痛い。


「なになに、ジル君モテモテじゃない。それに有名人がいっぱい。どういう関係なのか詳しく」


 うきうきわくわくした表情のリカルドの背後に一瞬でボーヴォが現れ、その肩を両手で揉み始める。


「知りたければ教えてやろう。俺の家の住人にとって、あそこで女の戦いをしてる娘はお姫様でな。何か頼まれたら、みな喜んで言うことを聞いてしまうぐらいに溺愛しておる」


「ご、ご無沙汰しています、ボーヴォさん」


 脂汗をだらだらと流しはじめるリカルドであった。

 ボーヴォとリカルドは、面識がある様子だった。どちらも有名人だし、接点があっても不思議ではない。


「あの娘から、今回の騒動については聞いておるよ。良かったな、ジルが穏便に終わらせてくれて? 今回はヴァンダインのじいが口を出したが、話の流れ次第では、ここにいる全員が『やる気』だったぞ?」


 もみもみもみもみと肩を揉まれながら、顔面蒼白で過呼吸になるリカルドである。哀れだ。

 というか、どれだけ連中に好かれてるんだ、チェルージュは。


「とうっ」


 エマたちと睨みあっていたチェルージュの姿がかき消えたかと思うと、肩にずしりと重みを感じた。同時に、俺の視界の左右が太ももで塞がれた。


 あまりの展開に、俺の脳が理解を拒んでいる。こいつ――俺の頭にまたがってきやがった。しかも、俺の後頭部が股間に当たるという密着っぷりである。


「さあ、エリーゼちゃん。前が、前が空いてるよ! 今だ!」


 叫びながら、俺の胸元を、靴を履いたままの足裏でぺしぺしと叩くチェルージュである。

 今日も桃色のドレスめいた服を着ていたチェルージュであるが、俺の後頭部にまたがっているため、裾がめくれて太ももがむき出しであった。はしたない吸血鬼である。


「いやいやいや」


 目の前で手を振って拒絶の意を表明するエリーゼである。 

 それもそのはずである。頭部にチェルージュ、左右の腕にエマとエミリア。そんな状態の俺に飛びつけという指示には無理がある。


「エリーゼ、そこは来ないとダメだよ」


「そうね。ちょっと空気が読めてないわね」


 まさかのエマとエミリアからの駄目出しである。思わず、俺とエリーゼでハモってしまった。


『いやいやいやいや』


「で、これからそっちは何か予定あるの? なければグランマが別荘で料理作ってくれるらしいから、一緒にどう?」


 俺は今、頭の上から話しかけられるという稀有な体験をしている。


「お生憎様。お弁当は作ってきてるわ、結構よ」


 背嚢バックパックを指し示すエミリアであった。やたら膨らんでるので何かと思ったら、弁当が入ってたのか。


「むむ。エマちゃんだけかと思ったら、エミリアちゃんも本格参戦ってわけ? ご主人様のご主人様に逆らうとは、ジル、キミは娘たちの躾がなってないよ!」


「加護は返されてしまったのよね? もうジルとチェルージュには何の繋がりもないのよ?」


「もう気を使わなくてすむ。手加減はなし」


 おいお前ら、さっき馬車の中で加護を返したことを非難してた立場だろう。


「むむむむ」


 先ほどから、俺の両腕と頭上で会話がきんきんと飛び交っていてやかましいことこの上ない。なぜ俺を挟むのだろうか。きっと今の俺は、死んだ魚のような目をしているはずだ。


 助けを求めてあたりを見回すが、ボーヴォはリカルドを玩具にして戯れているし、ヴァンダイン氏とダグラスはいいぞもっとやれと言わんばかりに興味津々でこちらを眺めている。


「はいはい。そのあたりにしておきなさいな。殿方に嫌われますよ?」


 ぱんぱんと手を打ち合わせながら進み出てきた老婆が、救いの神に見えた。


 老婆の冒すべからざる威厳のせいか、はーい、などと素直にチェルージュは俺の頭から飛び降りる。エマとエミリアも両腕から離れ、俺は自分の身体を自由に動かせる解放感に歓喜した。


「いつも言っているでしょう。攻めて良いところと退くべきところを覚えなさい。最後の最後では、男性が女性に求めるのは母性と安らぎです。女として退くべきでない場面もありますが、自分を巡って女性が争うなんて、殿方の最も嫌う行為の一つですよ?」


「はーい、グランマ。気をつけます」


 なぜかチェルージュだけでなく、エマとエミリアまで横一列に並んでかしこまっていた。


 チェルージュに連れていってもらった、高級住宅街に構えた店の、やたら長いコック帽をかぶった料理長を思い出す。グランマとは、彼も尊敬する、料理界の重鎮の名称だったはずだ。


「ご挨拶は後ほどにさせて頂きますね。ジル君と言いましたね?」


 突然、そのグランマが俺の方に向き直ったので、思わず俺は背筋を伸ばして返事をした。


「自分がどうしたいのか、しっかり女には伝えなさい。ちやほやされると嬉しいのは男の性でしょう。それでも、曖昧なままに留めておくのは不誠実ですよ。何股もかけるなとは言いませんが、自分も相手も納得して付き合うのが大人の男と女です。便利な女が欲しいなら、そう言いなさい。女が納得するならそれで良し、そうでないなら便利に扱ってはいけませんよ?」


「これ、グランマ。若者のそういうやきもきを眺めるんが面白いんじゃろうて。余計な口出しをしちゃあいけんよ」


 横から口を出してきたのはヴァンダイン氏である。いや、もはや氏などと尊称を付けるのはやめよう。血は繋がっていなかろうとも、疑いようもなく、彼はダグラスの系譜である。 


「おだまり」


 けっして口調は厳しくない。人を落ち着かせるやわらかな口調と、大樹の根のような深浅とした声色だというのに、グランマの言葉には逆らうべからざる威厳がある。


「――冷静になってみれば、一理ありますね。ごめんなさいね、ヴァン。そしてジル君にも、ごめんなさい。年寄りが口を出すことではなかったわ」 


「いえ、耳が痛かったです」


 ぺこりと、俺は頭を下げた。世の中には逆らえぬ人間がいるということを、俺は心の底から理解した。こんな口調で身につまされる説教の一つでもされたら、どんな料理人でも参ってしまうに違いない。きっと、高級住宅街のあの料理長も、似たようなことの一つは体験したのだろう。

 

「エミリアさんと言いましたね? 私やチェルージュ、ここにいるみんなと一緒に、食事をしましょう。私がこれからお弁当を作りますので、それをあなたやジル君にも食べて頂きたいわ。押し付けがましいようだけど、きっとあなたには得るものがあるでしょう。お弁当を持参しているあなたには、思うことがあるでしょうけど――それでもなお、言っています。どうかしら?」


「あなたの話を聞いていると、女を試されているような気になります。不思議な気分ですよ――もちろんいいわ、グランマ。勉強させてもらうわ」


 なぜか謙虚半分挑発半分で諾意を表明するエミリアである。対するグランマはといえば、人の良さという単語を顔つきで表現するのならこういう表情だろうという邪気のない笑顔で頷いた。


「どうせですから、チェルージュも厨房にいらっしゃい。少し自覚もあるようだけれど、あなたに足りないのは家庭的な要素ですよ」


 はい、と素直に頷いたチェルージュとエミリアが歩き出すグランマに付いていく。一拍遅れて、なぜかエマも彼女たちの後についていった。


 後に残されたのは、俺とエリーゼ、そして成り行きを見守っていた男衆である。


「強いひとだな」


「それァそうよ。一代で女料理人への世間的な評価を改めさせた女傑だぞい。あやつとくっついた男が出世することでも知られておる。わしは二人知っておるが、どちらもいい男になりおった」 


「ほぉ――ああ、一応初対面でしたね、自己紹介が遅れました。ジル・パウエルです」


「出来の悪い義息むすこから聞いとるよ。お前さん、堅苦しいのは嫌いじゃろう? ヴァンダインじゃ、好きに呼べ」

 

 煙管の先でダグラスの頭をごんごんと叩くヴァンダインである。

 一体何の金属で出来ているのか、軽く叩いているように見えるのに音が重い。


「それと、そこの――名前は何と言ったかな、義息を怒らせたアホの親玉は。どうでも良過ぎて名前なんぞ覚えとらんわ」


 リカルド、通称リカちゃんですとダグラスが横からぼそりと呟く。


「おう、そうかえ。出禁ちゃん、お前もどうせだから飯食ってけ。どうせ大層な用事なんざなかろう」


「で、出禁ちゃん――」


 さらに悪化した愛称に、がくりとうなだれるリカルドである。


 ヴァンダインの口調は、どこかダグラスと似ていた。 

 言葉の端々から、このヴァンダイン翁がダグラスに与えた影響の大きさを感じる俺である。


 気難しい人物だと聞いていたが、話してみると案外そうでもない印象を受ける。

 職人肌のダグラスは気に入らない人物には冷淡であるから、恐らくこのじいさんも人の好き嫌いが激しいのだろう。


「うむ、しかしジル君の連れていた女どもは丸みに欠けとるのう。しっかり飯食わせとるか? ケツも胸も平とうて、鑑賞するにもちと風情が足りんわい」


「ししょ――義親父おやじ。ああいうつぼみが花開いてく過程がいいんじゃねえか」 


「む、これは一本取られたわい。然り、然り。最初から熟れておってもつまらんのう」


 げはげはと笑いあうダグラスとヴァンダインである。

 ヴァンダイン一門というブランドの価値が俺の中で急降下した一瞬であった。


 唯一この場に残っていたエリーゼは、二人から見えない角度でさりげなく短剣に手を伸ばしている。


「やめとけ。気持ちはわかるが、短剣を脳天に刺した程度でこいつらがくたばるとも思えん」


 俺の台詞を聞いて、やれやれと言った体でため息を吐くエリーゼであった。





「おお、こりゃすげえな。こんなでっかい泉があったのか」


 彼方の山脈から、森を縫って細い川となった水が流れこみ、泉となっていた。

 泉というより、湖と呼ぶべきかもしれなかった。四方を森で囲まれている。


「二百メートル四方になろうかっていう大きな湖さ。これがあったから、第二の開拓地に選ばれたんだ。水資源がないと、街を作ろうにも人々が暮らしていけないからね」


 得意げな表情で説明をしてくれているのは、リカルドである。

 女性陣はまだボーヴォの別荘から出てきておらず、暇を潰しがてら、リカルドに

開拓地について話を聞いているというわけだ。


「一個目の開拓地は知ってるかい? ここよりも少しだけ街に近いところにあるんだけど」


 俺は首を横に振った。開拓地にはほとんど関わってこなかったので、知識は無いに等しい。


「あっちは水源が小さくてね、発展が頭打ちなんだ。柵とか、魔物から開拓地を守るための設備は完成してるから安全なんだけどね。水利権とかの争いが起き始めるぐらいに人が増えて、これ以上広げきれないってところまで来て、新たに冒険者ギルドが目星を付けたのがこの湖周辺。僕が駆け出しのころに工事に着手したから、もう十五年は昔のことになるのかな。どうだい、発展したろう?」


 発展したろう、と言われても、初期の姿を知らないため俺にはコメントしにくい。


 俺たちが座っている岸は整地されて、綺麗な湖畔となっているが、開けた草むらであるこの湖畔が、元は鬱蒼と生い茂る森林であったというのだから、そこを切り開くというのは確かに並大抵の労力ではなかったのだろうが。


「途中まで一つ目の開拓地への道を使えたとはいえ、ここに来るまでの道を作るのだって大変だったんだよ。森を伐採して、道をならして、それを魔物の襲撃がある中で少しずつやってくんだ。もう討伐されたけど、ここ最近なんて盗賊団に輸送隊が襲われたりもしたし。だからね、開拓地の人間にとって、ジル君が赤の盗賊団をやってくれたのは本当に嬉しいことなんだ。エディの一件で迷惑をかけたけどね、そこはしっかりお礼を言っておくよ」


「投資が無駄にならずに済んだ、の間違いじゃねえか? リカちゃんよう、お前さんはここらの土地、ずいぶんいいところを確保してたそうじゃねえか。それもかなり昔からよ」 


 鼻の高いリカルドに皮肉を言うダグラスである。


「その通り。泉に近くて一番人通りが多いであろう一等地に目星を付けて、安いうちに土地の権利をいっぱい買っておいたのさ。もしこの開拓地が成功して順調に発展したら、すごいいいところに住み暮らせるからね。その苦労が実ったのがここ最近さ。見てくれこの家を」


 リカルドが指差した先――俺たちの背中には、煉瓦仕上げの屋敷が堂々と建っている。鯨の胃袋亭のような小さな家など、三軒並べても足りないほどの大きな屋敷だった。しかも背の低い柵で囲われた広い庭まであり、なるほど、リカルドが自慢するだけのことはある。

 

 よほど嬉しいのだろう、ダグラスの皮肉ですらリカルドの鼻柱を折るには至らないようだ。


「順調に開拓が進んで、屋敷も建てて、冒険者のころから付いてきてくれた女の子と正式に籍を入れて――それはまあ、有頂天にもなるとね、僕は思うんだ。だって僕、ここの開拓にかなり貢献してるから、周囲にいい顔もできるしね。ここの生活が居心地良すぎて離れたくないって思うのは自然なことじゃないかな?」


「だからギルド放置してたのを許せってか。なんだその揉み手は」


「いやいや。ただね、経緯ぐらいはわかって欲しいなって」


 知るかバカヤロウ、とリカルドの脳天に拳骨を落とすダグラスである。肉体言語の多い一族だ。


「そういえばジル君はまだ、宿暮らしかい? 自分の家っていうのはいいよ、貯金して買ったらどうかな? ここの開拓地はお勧めさ。今はまだ、ほとんど小屋みたいなものしかない街並みだけど、すぐに発展すると思うよ。地価もかなりの勢いで上がると思うし、個人的には早いうちに買っておくべきだと思う」


「家かあ。考えたこともなかったなあ」


 鯨の胃袋亭での暮らしに不満を感じていないというのもあるが、家とは高いものだという固定観念があり、自分のような駆け出し冒険者に縁のある代物ではないと思っていたのだ。


「不吉なことを言うようだけどね、冒険者って先の見えない仕事だろう? いつ死んでもおかしくない。そうすると、好きな女の子がいても中々結婚には踏み切れないのさ。でも家があれば、自分が死んでも家族に住むところだけは残してあげられる」


 そう言われると、多いに気持ちが惹かれてくる。俺が死んでしまったときに、エマたちに家を残してやれるというのは魅力だった。ただ、エマたちを奴隷身分から解放するのが先ではある。


「そういえばさ。ダグラスさんから聞いたけど、ジル君って成長早いんだって? 今何レベルぐらいなの?」


(――まあ、リカルドならいいか)


 血の紋章を起動させ、リカルドに放り投げてやる。


「ほうほう――あれ、意外と大したことないというか」



【名前】ジル・パウエル

【年齢】16

【所属ギルド】なし


【犯罪歴】0件

【未済犯罪】0件


【レベル】812

【最大MP】27


【腕力】30

【敏捷】25

【精神】26


『戦闘術』

 戦術(40.6)

 斬術(37.5)

 刺突術(32.3)

 格闘術(18.9)


『探索術』

 追跡(16.3) 

 気配探知(20.7)


『魔術』

 魔法(29.4)

 魔法貫通(21.2)

 マナ回復(43.8)

 魔法抵抗(1.2) 


『耐性』

 痛覚耐性(22.6)

 毒耐性(3.1)




「魔法と剣術、どっちも使う司令官コマンダースタイル? ベテランならそこそこ見かけるけど、中層冒険者では珍しいね。普通は、どっち付かずの戦い方だと攻撃力が足りなくなるんだけど」


「一人で迷宮に潜ることが多かったからな。ダグラスの剣と、フィンクスの銀蛇の皮鎧があったから、恐狼なんかも相手にできたし、不便を感じたことはないな」


「それでもレベル800なんだね。ダグラスさんが見込んでるっていうから、もう少しあるものかと。いや、気を悪くしないで欲しいんだけど」


「リカちゃんよ、そりゃお前さん、こいつの冒険歴を知らんからそんな顔ができるんだ。こいつ、三ヶ月の新人ニュービーだぞ?」


 またまた冗談言っちゃって、とリカルドは笑う。

 

「僕が中層に行くまでに二年はかかったよ。いくらなんでも三ヶ月は盛りすぎでしょう」


「それがマジだから見込んでるんだよ。こいつ、一ヶ月で鉄の長剣使い潰したんだぞ? ほとんど毎日砥ぎに持ってこられてみろ。感心するのを通り越して、職人として勝負挑まれてる気になったもんだ」


 絶句したり、奇声を上げて驚いたりと忙しいリカルドを横目に、ヴァンダインの爺さんが進み出てくる。


「ジルよ、ちょいと使っとる剣を見せてくれんかのう」


 その台詞が聞こえるや否や、リカルドをいじっていたダグラスがぴしりと固まってこちらを見てくる。

 差し出された長剣を握り、炎帝の陽光に晒しつつヴァンダインは目を細めた。


「ふむ。奇を衒わず、実直な剣じゃ。金勘定が苦手なお前のことだ、店を持つと聞いたときは少し心配しておったが、性根は曲がっとらんようだの」


 ありがとうございます、と叫ぶように言って頭を下げるダグラスである。

 くっきり直角に見えるほどの急降下の辞儀をするダグラスなど初めて見た。 


「ジルよ、腕力値30なら、長剣ぐらいなら魔鋼ダマスカス製でも振り回せるじゃろう。一本打ってやろうか? 人物が気に入ったら武器作ってあげてって姫にも言われとるしの」


 長剣を俺に返しながら、流れるようなアゴ髭を撫でるヴァンダインである。

 なぜかダグラスとリカルドがうおおおお、と叫びながら驚いた。


「ジ、ジル。すげえぞ、師匠が剣を打つなんざ滅多にねえんだ。ボーヴォ以来、ほとんど認めた冒険者なんて出なかったっていうのに」


「ボーヴォさんの愛剣『切り開き(ハッカー)』に続く魔法武器マジックウェポンが産み出される日が――!」


 二人の反応とは裏腹に、俺は冷めたものである。


「いらないな。魔鋼製の武器なんて作ってもらう金がない」


「金は取らんよ。末永く使ってもらえりゃそれでいい」  


 先ほどから、打ってもらえって!とか、お金がなければ僕が貸すから!などと外野の二人がやかましい。


「いらんよ。俺にはダグラスの剣で十分だ。それに、ヒモからの脱却を目指してる最中でな。ボーヴォハウスの住人には頼らないことにしてるんだ」


 かっかっか、と高らかに笑うヴァンダインである。後ろで盛大にずっこけている二人は何がしたいのだろう。


「気に入ったぞ、小僧。独り立ちできたと思えたら、わしのところに来い。そのときに剣を打ってやる。わしが生きてるうちに来いよ」


「まあ、覚えておくよ、爺さん」


 うむうむ、と上機嫌のヴァンダイン翁である。

 そこで、隣家の扉が開いてチェルージュたち女性陣が出てきた。世間とは狭いもので、リカルドの屋敷の隣がボーヴォの別荘なのである。先にあったのはボーヴォの別荘らしいので、隣の一等地をリカルドが買い占めたというのが実情だろう。


「もう少し大きゅう作ってもらえば良かったかのう。出禁ちゃんに負けとるというのは、何とも癪じゃな」


 ヴァンダイン翁が渋い顔をしているのは、ボーヴォの別荘の大きさである。

 街にある本宅のボーヴォハウスを見慣れていると、確かに小市民的なサイズに感じてしまう。


 それでも普通の家よりは断然大きいのだが、一等地を買い占めて建てたリカルドの家がさらに大きいのだ。


「なにを子供みたいなことを言ってるんですか、ヴァンダイン。食事が出来ましたよ」


 木編みの籠を両腕に提げながら、呆れ顔のグランマであった。

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