第二十七話 親心
翌朝になって、俺が最初にしたことは、財布の中身を確認することだった。
ここのところ、大きな収入と出費が入り混じっていたせいで、金銭感覚が麻痺していたことは否めない。しばらくは金の心配はしなくていいな、などと楽観的に構えていたのである。俺は、自分の財布の中に、いくら入っているかすら、確認していなかった。
しかしここにきて、急な出費が発生したわけである。エマたちが迷宮に潜るための準備が必要だった。
もちろん、エマたちはいま、何の装備も持っていない。着のみ着のままである。
どれほど下準備をしようとも、命の危険が往々にしてあるのが迷宮だ。彼女たちには、できる限りのことをしてやりたい。具体的には、少しの間、生活に困窮しないだけの現金を残して、すべてエマたちの強化に費やすつもりでいる。
考えてもみろ、例えば、防御力の不足や物資の欠乏から、誰か一人でも消えない傷痕を負ったら?
エマが、エリーゼが、エミリアが、大事な年頃の少女だというのに、顔に傷でも付いたらどうするのだ?
それどころか、運の良し悪しだけで、簡単に人が死ぬのが迷宮だ。
俺は、家族から人死にを出したくない。当たり前の話だ。
迷宮に潜っているうちに、過酷さに気づいて、冒険をやめてくれればいいと思っている。しかしそのきっかけが、取り返しの付かない傷や、死者であって欲しくはないのだ。
手持ちの残金、486,220ゴルド。バンクには1ゴルドたりとも預けていないので、これが俺の全財産だ。
エマたちに小銭を数えている姿を見られないよう、鯨の胃袋亭の階段で、財布がわりの小袋の中身を調べた結果が、これだ。向こう二週間、宿屋の大部屋に滞在する費用は前払いしてあるが、念を入れて向こう一ヶ月分の代金は差し引いておきたい。
大部屋の宿泊費用が、月払いで150,000ゴルドである。これに、エマたちに渡す食費や入浴代が、3,600ゴルド毎日かかる。三十日間で計算すると、108,000ゴルド。これに加えて俺の食費や、冒険に使う各種指輪の代金もかかるから、来月末までの生活費は、最低でも300,000ゴルドを見込まねばならない。
つまりは、180,000ゴルドほどが、生活に困窮せず、安全圏を確保しつつ使える計算になる。
(よし、安全圏を確保するの、やめたっと)
長々と計算したが、それだけでは、俺が思い描くだけの、最低限の準備を、エマたちに用意してやることができない。足りない分は、俺がひたすら豚人やら矮人を狩れば捻出できる。無理をしてでも、ここは金を使わねばならない。
もし何かしらの事故があって、エマたちが五体満足に帰ってこれなかったら、悲しむのは俺なのだから。
「ダグラァァァス! いるかッ!」
「おいやめろ、二日酔いで頭が痛ぇんだ。どうしたこんな朝っぱらから、別嬪さん三人も連れて」
店を開く時間を三分も過ぎているのに、この糞親父は一体何を言っているのだろうか。この重要なときに二日酔いとは、友達甲斐のない奴である。
「その、ご主人様。秒単位で時間を計りながら、開店時間と同時に全力でお店の門を連打するのは、控えめに申し上げて迷惑な行為だと思うのですが」
エリーゼの困惑顔もそれはそれで珍しいが、こっちはそれどころではないのだ。
「職務怠慢だぞダグラス。こちとらせっぱつまって九時前から店前で待機してたんだ。相談があるんだ、さあ乗れ」
「乗らなくもねえけどよ、一体どうしたってんだお前は。昨晩は酒入れて帰ったら母ちゃんが不機嫌でよ。詫びに、二次会ってわけじゃねえが、ずっと嫁の相手してたんだ。勘弁して欲しいんだがよ」
カウンターの中で、頭を抑えながら呻くダグラスである。
「前から思ってたんだ、夫婦喧嘩は客の見てないところでやれ――そうじゃなかった、相談に乗ってくれ。非力な、迷宮に潜ったことのない女の子でも着れる、防御力の高い防具が欲しい」
「てめえ鍛冶屋なめてんのか。二百万持って向かいの仕立屋に行きな、銀蛇の皮鎧を取り寄せてくれるだろうよ」
「そんな余裕がねえからこうしてダグラスんところに来てるんだろうが。何かあるだろ、初心者にお勧めのいい防具」
「そこの姉ちゃんの方が話が通じそうだ。こいつ、一体どうしちまったんだ?」
エリーゼに話を向けるダグラスである。
「そんなこと言ってる場合か。こっちは真面目に頼ん――」
「すみません、ご主人様。私から話させて頂けますか?」
そんな悠長なことを言ってる場合か、と口に出そうとした俺は、エミリアに首根っこをつかまれてずるずると店の外へと引っ張られてしまう。相手が相手だけに、腕力で抵抗するのも躊躇われた。
「あんた、うろたえすぎ。邪魔だからちょっとここで待ってなさい」
などと言われてしまっては、俺も立つ瀬がない。ダグラスも、エマたち三人もそれに同意していて、俺が店の中に足を踏み入れようとするたびにエミリアの鋭い視線に晒されるので、俺は店の外から、入り口の戸にしがみつき、中で間違ったやり取りが交わされないかと気を揉むのであった。
「なるほどねえ。そこの(頭がおかしい旨の侮蔑用語)の役に立ちてえから、奴隷のお嬢さん方も迷宮に入ることにしたと。見上げた話じゃねえか、いいぜ、相談に乗ってやる」
俺の心痛はどこ吹く風で、ダグラスは妙に嬉しそうな顔である。口を挟もうとすると、エミリアが睨みつけてくるので、物も言えない。
「お前さんら、三人でまずは迷宮に入るんだよな。前衛はどいつだ?」
はい、とエマが迷いなく手を挙げる。
エマが前衛だということが、何よりも驚きであった。最も小柄で、身体も丈夫ではないだろうエマが前衛だと!?
「よしよし、お前、腕力値はいくつだ? というか、血の紋章は作ったのか?」
ぷすりと、懐に持っていたらしい針で指を刺すエマである。ああ、血が出てるじゃないかもう、早く止血しないと。
「腕力値は5か。まあ迷宮に潜ったこともない、年端の行かねえ女子供ならこんなもんか。ちょっとここで待ってろ。おうい、サフラン、ゴキ鎧あるかあ?」
店の外で隠れるように待機していた俺には目もくれず、どすどすと店を出たダグラスは、向かいの仕立屋に入っていく。数分も経たないうちに、何やら小柄の鎧を手にして戻ってきた。一見すると皮鎧の上下に見えるが、何やら黒光りする、鱗のようなものを貼り付けた鎧だ。
「これ着てみろ。鎧の大きさは後で向かいで手直ししてもらえ。それと、重すぎる剣は振れないだろうから――これだな。鉄の帯広剣だ。あとは兜を被ってみて、普通に動けるかどうか、ちょっと飛んだり跳ねたりしてみろ」
言われるがまま、エマは鱗鎧らしき上下を身に付け、ぶかぶかの兜を頭に乗せ、鞘に入った剣を持ったまま店内を歩いたりちょっと跳んだりしている。
「ちょっとおもいけど、へいき」
「じゃあ、それでいいな。一応説明しとくか。外のアホも一応聞いておけ」
誰がアホだ。
「兜は卵形の、簡単な奴だ。薄い鉄で作ってあるから、これが通用するのは迷宮の下層、それも最初の頃までだ。ちょっと前にそこのアホが、これより分厚い板金で作った兜を恐狼に食いちぎられてるから、豚人以上を相手にするようになったらまたここに来い。面頬が降ろせるからな、矮人の持ってる鈍器ぐらいまでなら耐えれるだろうよ」
「はい」
エマは、素直にこくりと頷く。
「鎧は、鱗状鎧って奴だ。甲殻蟲っていう魔物の素材で作ってある。甲殻に穴を開けて、紐で通したものを布鎧の上から貼り付けて作ったもんだ。軽い割には丈夫だが、マナ回復は阻害するから気を付けろよ。武器は鉄製の帯広剣だ。刺突もできるようにはなってるが、長剣なんかと比べると華奢な作りだからな、無理な扱い方や、硬いものを殴ろうとすると折れるぞ。その分、そこそこの切れ味はあるから、叩きつけるようにじゃなくて、斬りたいものに走らせるように使いな」
「わかりました」
帯広剣を手に、軽く振ったり、握り具合を確かめたりするエマである。
「次は、残りの二人だな。役割分担は決まってるのか?」
「はい。私が狩人をやるので、エミリア――そっちの子は魔術師を担当することになりました。私は、ご主人様が持っている鋲皮鎧を頂けることになっています」
「よくできた娘だ。俺もガキが授かるなら、お前みたいな奴がいいな。そっちのお前、エミリアって言ったか、駆け出し魔術師の装備なんざ皮鎧と相場が決まってる。帰りに、向かいの仕立屋で子供用の皮鎧を見繕ってもらいな」
「私は子供じゃないわよ」
「大人の男からしたら同じようなもんだ。大体の店は、平均的な成人男性に合うように鎧を作ってるからな、手直ししなきゃ使えないはずだ。狩人のお前さん、エリーゼって言ったか? 武器は何を使うつもりだ? 隠身からの暗殺なら短剣、遠距離で先制したいなら弓、普通に前衛二枚で魔物と戦うなら帯広剣がお勧めだが」
「狩人が使う、最低限のスキルを覚えていますので、短剣でお願いします」
「よしよし。取り回しがいいっていうのは重要だからな。体術で魔物を組み伏せたりできるなら、すぐに取り出せる短剣は良い選択肢だ。んじゃこれだな、ごくありふれた、鉄製の短剣だ。両刃だから斬りつけることもできなくはないが、刺突用に使った方が本来の威力が出る造りになってる」
革の鞘に入った短剣を受け取って、嬉しそうなエリーゼである。
「最後に、魔術師担当のお前さん、エミリアって言ったか。お前さんは、武器は持たなくていい。お前さんのところに敵を寄せ付けないようにするのが前衛中衛の役目だからな。もし奇襲とかされて、近接戦闘に持ち込まれたときでも、何とか魔法だけを使って撃退できるようになっておけ。護身で使うにしろ、付け焼刃の剣術なんかじゃ身は守れんからな。心配だったら、体術ぐらいは覚えといてもいいかもしれんが」
「エミリアには、フィンクスたちの来てた銀蛇の皮鎧を着てもらおうかと――」
店内を覗き込むように口を挟んだ俺の意見は、一瞬で却下された。
「二百万の装備を新人に着せようってのか、お前は? 危機管理が疎かになってろくでもねえ死に方をするのが落ちだ。そもそも、そんな装備をして低階層に潜ってる新人なんざただのカモだ。装備狙いの人殺しが寄ってくるぞ?」
「私の値段よりも高い鎧、ですって」
わなわなと震えるエミリアである。確かに、相場を考えると、銀蛇の皮鎧一式があれば奴隷を一人買える。
「その、ご主人様。クォンバイト家の聖女様のお話なら、私も聞いたことがありますし。私たちを心配して下さるのは有難いのですが、何事も行き過ぎると、その、迷惑ですので」
迷惑、という言葉の岩が、俺の肩にずしりとのしかかる。思わず地面に倒れ伏して重みに耐える俺であった。
「そこのアホ、お前さんもディノあたりに聞いたことがないか? クォンバイト家っていう、裕福な家庭が何十年か昔まではあってな。そこの姉弟が冒険に行って箔を付けたいって言うんで、親が金に飽かせて最高級の装備に加えて大量の魔石を用意してレベルを上げてな。家庭教師に剣の手ほどきまでされたそいつらは、性能だけなら当時の最先端だったんだが、意気揚々と迷宮に向かった先で、一月と経たず罠に嵌って弟の方が死んだらしい。誰かに嵌められたんだろうって話だが」
確かに、ディノ青年にも、似たような話を一度、されたことがあった。金の力で魔石を買えば、迷宮を楽に探索できるんじゃないか?と聞いたときだ。
「で、そのクォンバイト家だが、弟が死んで以来、姉の方も冒険者は引退しちまってな。しばらくは細々と暮らしつつ、資産を使って孤児院やらを経営して聖女様って呼ばれてたんだがな。ある日を境にその姉ちゃんの方も誘拐されたかで姿を消して、哀れ一家は断絶ってわけだ。分不相応な力は身を滅ぼすっていう教訓として今でも語られてるぐらいだが、お前さんがやってるのはまんまそれだぞ?」
「でもよ、無事に帰って来なかったらどうするんだよ」
「迷宮は死ぬも生きるも自己責任だ。お前さんがやることは、死んでも後悔しないかこの子らに念を押して脅かすところまでだろう。見たところ覚悟も決まってるようだし、後は放っとけばいい」
「うるせえ馬鹿野郎。みんな俺の家族なんだ。迷宮なんざ行かせたくないし、行くなら無事に帰ってきてほしいんだ」
「処置なしだなこりゃ。良かったなお前さんら、ずいぶん愛されてるぞ? 言っちゃ何だが、ジルの言うことも正論だ。なんでまた、迷宮に入ろうなんて思った?」
「私に関しては、お金を稼げたら家計の足しになる程度の考えで、エミリアもそう大差ない動機ですが。この子――エマが乗り気でして。一人で行かせるのも危険ですから、私たちも付いていこうと」
「ほう? そこのちっこいの、エマって言ったか。お前さん、何で迷宮に行きたいんだ?」
鞘に入れたままの帯広剣を、軽く振ったり、柄に手をかけたりしながら、エマは笑顔を浮かべた。
「わたしはね、ごしゅじんさまがすきだから、たいとうになりたいの。わたしがごしゅじんさまをまもるんだ」
返答を聞くなり、がははとダグラスは笑い出す。
「そいつはいい。いい覚悟してるなお前さん、気に入ったぞ。武器が壊れたり、砥ぎが必要になったら俺のところに持ってこい。何だったら出世払いのツケで装備を見繕ってやる」
「ダグラス、お前そんな安請け合いして――甘やかされても困る」
しぶしぶながら、懐の小袋から金貨を数枚取り出して、ダグラスに渡す。帯広剣と、短剣の代金だ。
「どの口で甘やかすなとか言いやがる。ああ、それと、髪の毛くるくるした茶色のお前さん、エミリアって言ったか?」
「誰が茶色よ」
「あと、エリーゼって言ったか、背の高いお前さんも、少しだけな、忠告だ」
忠告と聞いて、二人は顔を見合わせる。
「お前さんら、今はこのちっこい子のお守り気分だろうが、中途半端な覚悟だとそのうち足引っ張るようになるぜ? 熱意の差は実力に表れるからな。パーティ組むんだったら、そこらへんのすり合わせはしとけ。このちっこい子はやり過ぎるだろうし、エミリア、お前さんは手を抜きすぎて、気がついたら置いていかれそうだ。背の高いエリーゼ、お前さんはその調整役かな。一緒のパーティを組むっていうのは、案外と大変なんだぜ? 生き方の違いが出てくるからな」
思い当たる節があるのか、エミリアはちょっとばつが悪そうな表情である。
「肝に銘じます」
対外的に、殊勝な態度を取っているエミリアというのも、珍しい。
「まあ、無事に生き残ったらの話だがな。ジルの言う通り、迂闊な奴、下準備の足りてない奴、迷宮をなめてる奴、そういうのからどんどん死んでいくのが迷宮だ。生きて帰って来いよ」
話は終わりだとばかりに、手をひらひらさせるダグラスである。
何やら通じる物があったらしく、エマたちは三人してありがとうございました、などとダグラスに頭を下げている。
ずっと蚊帳の外で、少なからぬ疎外感を味わっていた俺であるが、ここで心を折ってはいられない。まだまだ、彼女たちに必要なものは多いのだ。
「よし、次は魔法ギルドだ。みんな、行くぞ!」
意気揚々と鍛冶屋を後にする俺に、ダグラスの気の抜けた声が追いかけてくる。
「ほんと、何とかに付ける薬はねえなあ」
ほっとけ。
全員に、火矢の魔石を吸収させる。前衛であれ、酸水母への対策として火矢は覚えておくべきであるからだ。
本当は小回復の魔法もエミリアに覚えさせたかったのだが、あれは値段がさらに高くつくので、断腸の思いで諦めた。早いところ、豚人たちを虐殺して資金を溜めなければならぬ。
もちろん、帰還の指輪と念話の指輪も買って持たせている。等級が低い念話の指輪は、数回使うと魔力が切れるが、とっさの状況で使うには十分だろう。複数人で行動するなら、迷宮ではぐれたりする危険もあるのだ。
他にも、低級回復薬を五本ずつと、解毒薬、鎮静薬も一本ずつと、背嚢も全員分買って、身につけさせる。
「よし、もういいか。何か、何か忘れていることはないか」
めまぐるしく頭を回転させるものの、最低限の装備に関しては、取り揃えることができた、と思う。
「もう大丈夫ですから、ご主人様」
苦笑し続けたエリーゼは、表情筋を使うのも疲れてきたようで、だんだんと表情の起伏が減ってきている。
「よし。じゃあ、今日のところは、一度、家に帰ろう。な?」
「エマ、めいきゅうにいくね」
彼女たちを迷宮に入れたくないという、俺のささやかな願いと努力を踏みにじって、エマは満面の笑顔で宣言した。
「だめよ、エマ。まだ布鎧を装備していないし、ローブやベルトだって買ってないでしょう?」
「うん。わかった」
思わぬエリーゼの援護に、俺は顔を綻ばせる。
「だから、今日迷宮に行くのはいいとしても、一度、サフランさんの仕立屋に寄ってからよ?」
そして、再びどん底に叩き落される。
「なあ。せめて、せめてエマに、戦士ギルドで講習を受けさせてからじゃ、ダメか?」
初めてこの街に足を踏み入れたとき、商店街の雑多な呼び声や客引きの中で、戦士ギルドで近接武器の扱いを教えているという触れ込みがあったことを、俺は覚えていた。まるで剣を振ったことがないエマでも、あそこで習いさえすれば、最低限の扱いだけは教えてくれるのではなかろうか。
「戦士ギルド、ですか。それはいいかもしれませんね。ご主人様の言う通り、確かに焦りすぎてはいけませんから」
「だろう? よしよし、一度行ってみよう」
三人の背を押すように、戦士ギルドへと向かわせる。
戦士ギルドは、冒険者ギルドや商業ギルドなど、大型の建築物が並ぶ街の中心地にある。お偉いさんは役人だが、所属する職員は、冒険者ギルドからの出向という形で、衛兵が担っている。それなりの金がかかる衛兵隊の維持費用を、ここで働かせることで少しでも浮かせようという試みがうまくいき、続いているらしい。
元々、冒険者出身などで、剣の扱いには習熟した衛兵が多い上に、息抜きの仕事として、衛兵からも好評なんだとか。
ちなみにすべて、ディノ青年の受け売りである。
戦士ギルドの本部は、本庁でもある冒険者ギルドの石造りの建物ほど華美ではなく、安物の木材で作られていたが、宿舎にも使っているというだけあって大きな建物で、天井が高く、横に広く作られていた。
衛兵の宿舎になっているのはそのうち三分の一ほどで、残りは運動場として使われているらしい。
受付で用件を告げると、鋲皮鎧を着込んだ壮年の男性が、朗らかな笑みを浮かべつつ、俺たちを案内してくれた。
身体は細身だが、彼はかなり腕が立つようだ。普通に行動しているだけなのに、隙が見当たらない。
「三人の基礎技術の講習だな、了解だ。兄さんはどうする? 見たところ、そこそこ剣は使い慣れてるようだが?」
「俺はいいや。迷宮に潜って、実戦で剣の使い方は覚えたから」
そう俺が言うと、形良く揃えられたあご髭がシブい彼は、シブい顔をした。
「剣の型や足運びなんかは、最初のうちにしっかり覚えておいた方が、変な癖が付かなくていいんだぜ。なまじ使い込んで慣れると、矯正も大変だからな。どうせだから、兄さんも見ていきな。触りだけやって、やっぱり必要ないと思ったら帰ればいい。その場合は金は取らないから」
「わかった、じゃあそうするよ」
誰が講習をしてくれるのかと思っていたが、目の前の彼が担当者になるらしい。
受付の鈴を鳴らすと、詰め所らしき奥の扉が空き、別の衛兵が出てきたかと思うと、後任として受付に座った。
衛兵の宿舎と、戦士ギルドの受付を兼ねた入り口付近を素通りし、奥の方へと案内される。修練館という、木片の看板が掲げられている扉をくぐると、そこは屋根つきの広大な建物だった。
ざっと三十人ぐらいだろうか、少なくない人数がそこにはいて、あちこちで、鎧を着たまま剣を打ち交し合っている金属音や、軽装のまま、新人の冒険者に身体の動かし方を教えている姿なども見える。
これだけの人数がいてなお、この運動館は広さに余裕があり、周囲の人間と、じゅうぶんな距離を取って場所をとれる。
「いい運動場だろう? 屋根つきで、壁と床は分厚い木材で頑丈に作られてて、だだっ広い。暇な衛兵が自己鍛錬をするときにも使うんだ」
「すげえな、こりゃ」
端まで全力で走っても、十秒そこらでは到達できそうもない。端の方では、弓矢の遠当てを練習している空間もあった。
天井を見上げると、ここだけは冒険者ギルド本部の広壮な建物にもひけを取らないほどに高い。
「さてと。兄さんとそこの子が剣術で、背の高い子が短剣、魔術師の子が格闘術か。剣術からやろうかな。残りの二人は、少し退屈だが待っていてくれ」
エリーゼとエミリアは、素直に頷いて待っている。
「じゃあ、基本の構えからだ。兄さんも、基本の型だからって馬鹿にせずにやってみるといい」
言うや否や、ダンディな彼は、刃引きをした鉄の長剣を、鞘から抜く。
「まずは、剣の持ち方からだ。柄を握るときは、左手を下に、右手を上になるように握る。次に足さばきだ。左足を前に出して、つま先は相手に向ける。右足は、肩幅ぐらいあけて、右方向に斜めにつま先を開く。剣先は、相手の喉元に向けて、真っすぐ突き出す。肘も膝も、かちこちに伸ばさず、余裕を持たせておくんだ。これが、正面から相手に剣を向ける基本の型、屋根の構えっていうものだ」
エマがしっかりと構えているかを横目で見つつ、俺も型を作る。
わかりやすく実演形式で教えてくれているが、いざやってみると、ぎこちない構えになってしまい、中々上手くいかない。
「先に言うのを忘れていた。今教えているのは、いわば、対魔物用の剣術だ。相手にするのが人か魔物か、盾を持つかどうか、武器が両手持ちか片手持ちかなどで、基本の型っていうのはずいぶん違う。長剣両手持ちでの講習になってるが、そこらへんは大丈夫か?」
俺もエマも頷く。俺の使っている長剣よりも軽い帯広剣をエマは使っているが、片手で振り回す筋力はまだない。
「よし、いいぞ。魔物の種類によっても戦い方なんていうのはもちろん変わってくるが、重要なのは二点。いかに体重の乗った、威力のある攻撃を出せるかと、攻撃した後の隙の少なさだな」
頷きながら、この講師は当たりかもしれないと俺は思い始めていた。教え方が、わかりやすいのだ。
「先ほどの屋根の構えからだと、てっぺんから真っすぐ斬り下ろす、右斜めに肩のあたりを斬り下ろす、横に薙ぐ、の三通りの斬り方ができる。左方向からも斬れなくはないが、左足を前に出してる関係で、右方向からの攻撃の方が威力が出るな」
彼はそう言いながら、上段、右斜め、右からの横薙ぎの三種類の斬撃を実演してくれた。
「左足を前に出して、相手に近づきながら、斬る。右足は、斬った後に、肩幅の広さに戻すように、同じだけ前に歩く。この、斬った後に戻すっていうのが大事だな。移動し終わってから斬るんじゃなく、左足、斬る、右足の順番だ」
彼がやっていたように真似をするが、意識しながら動こうとすると、どうしてもぎこちないものになってしまう。上手く力を乗せようとすると、重心が崩れたり、逆に腕だけで振って、上手く体重が乗っていない一撃になるのだ。
「攻撃が命中する瞬間に、布を絞るように、柄を持った左手を絞ると、より威力が出る。剣に重さを乗せるコツは、やりながら覚えてもらうしかないが、上段と右斜め上からの斬り下ろしは、剣を基点にして、相手に体重をかけるようなイメージだな。横薙ぎは、腰を回しながら斬る感じだ」
エマは、真剣に練習をしている。買ったばかりの抜き身の帯広剣を、身体を動かしながら、何度も振っていた。
「見たところ、兄ちゃんは、我流でやってたせいか、剣に体重を乗せるのは問題なくできてるな。でもな、型をしっかり身につけておけば、最小限の力で、目一杯力を篭めるのと大差ない振り方ができる。もちろん、身体ごとぶつかっていって斬る、みたいなやり方より、剣を振り終わった後も、すぐに元の体勢に戻れる」
「やってみると、その通りだと実感するよ。今まで、大きな一撃を加えることばかり考えてて、振り終わった後のことは、あまり考えていなかった気がする」
「それなりに場数を踏まないと、そうやって実感できないもんだから、今までの経験は無駄になってないさ。正しい型を身につけると、今度はその経験が生きてくる。どうだい、講習、兄ちゃんも続けるかい?」
「もちろんだ。やる前は俺にはいらないなんて思ってたが、知ってると知らないとじゃ大違いだ」
心底からそう思っていた。今は物にできていないが、型と、剣の振り方をしっかり覚えれば、より無駄のない動きができるようになるだろう。
「それは良かった。次の構えを教える前に、短剣と格闘術も教えてくるから、そこで剣を振って待っててくれ。型が崩れ始めたりしたら、しっかり指摘するから」
「わかった」
俺が頷く横で、エマは一心不乱に剣を振っている。
「短剣は、基本的に、普通の剣よりも弱いことを、まず頭に叩き込んでくれ。射程が短いから、相手の懐にもぐりこまないと致命傷を与えられないし、敵の攻撃をさばいたりも、しにくい。それでも短剣を好んで使う狩人が多いのは、かさばらないから移動が楽だからだ。つまり、普通の斬りあいではなく、相手に気づかれていない状態から始めることを前提としている。もし、相手に気が付かれていて、正面からの戦闘になってしまったら、相手の攻撃を受けようとは思うな。すべて避けて、相手の隙をついて、急所を狙うんだ。目でも首でも心臓でも、足の腱や手首なんかでもいい。いわば、回避の力量こそ、短剣使いの真骨頂と言い換えてもいい――」
ダンディな彼の講習は、続く。
戦士ギルドの建物を出たころには、おやつ時を過ぎていた。
ダグラスの店の門を叩いたのが朝の九時であったことを考えると、かなりの時間が経ってしまっている。
「やあ、来て良かった。みんなを迷宮に行かせたくない一心で来たけど、正解だったな。俺も一つ、強くなれる気がする」
「私たちも、そう思います。最初をしっかり教わるのは、重要ですね。身体が動きに慣れるまで、迷宮に潜るのが怖くなってしまいました」
「私もそう思うわ。魔物の攻撃が自分に向いたとき、とっさに避ける足さばきや身体の使い方、すごく参考になったもの。きっと、知らないまま迷宮に行って、いざ魔物に襲われたら、足が動かなくてあたふたしてたと思う」
一通り、基礎技術を教え終わって衛兵の彼が帰ってからも、俺たちは運動場に残り、そのまま身体を動かしていた。みな、黙々と身体を動かし、一時間そこらが過ぎたときには、もう汗みずくだった。
エマだけがまだ残りたそうにしていたが、やり過ぎも良くないとの三者一様の意見により、風呂屋に寄り道してから帰ってきたところである。
「なあ、やっぱり明日、迷宮に行くのか?」
「いく」
エマが即答する。他の二人も、遅れて頷いた。
「自分たちで決めたことですから。自分たちで決める――私たち奴隷が、そうできることが、望外の配慮なのはわかっていますが、認めて頂けませんか?」
「そうしないといけないとは、思ってたよ。それでも、心配なものは心配だからなあ。みんな、しばらくは魔物から出た魔石、売ろうとしないで使ってさ、レベル上げてくれよ? レベルがあれば、何か想定外の危機に陥っても、打開できたりもするから。無事に帰ってきてくれるのが、何より嬉しいんだからさ」
「お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
四人で連れ立って、炎帝が沈みかけている、夕焼け空の下を帰る。この日常を失いたくないと、心底から思った。




