第十六話 遠征 その3
走り出したものの、近くに、戦闘音はない。
まさか、俺たち以外は全員やられてしまったのだろうか?
冷や汗をかいたのも一瞬のことで、道を挟んだ逆側の森で叫び声があがる。前を走る鎖鎧の冒険者は、それを聞いて、森を駆け下り始めた。俺もそれに倣う。
三台の馬車がある道まで一旦降り、逆側の崖に取り付いて登り始める。
前を行く彼は、人の背丈に近いほどの崖に、鎖鎧を着たまま飛びかかると、巧みに足を翻らせて、軽やかに登りきる。
(うへぇ)
熟練者の身体能力はすごいもんだ、などと感心している暇はない。もう彼は、戦闘音のする方へ走っていってしまった。俺も苦労して崖を登りきると、彼の後を追う。
いくばくか走ると、味方の一団が、坂上の高所に陣取った敵に囲まれているところだった。半包囲の陣形で、打ち降ろすように矢を射られている。
味方側にも、敵側にも、いくつかの亡骸が転がっていた。
味方の生存者は――鎖鎧の彼と、俺を加えて、七人。
敵は、樹木の陰から顔を出しているやつだけでも、十人近くはいるだろう。
「加勢か、助かる! 他の仲間はどうした!?」
木を背にした狩人の冒険者が、弓を引き絞って狙い打つ。
敵も木に隠れていて、幹に刺さっただけで当たってはいない。お互い、木に隠れながらの膠着になっていたようだ。
俺も、木の背に隠れながら、状況を叫ぶ。
「一人、フィンクスとやりあってる! 逆側の森にはもう冒険者の生き残りはいない!」
「くっそ、じゃあ生き残りは俺たちだけかよ! 今まで狩人四、戦士一で持ちこたえてた。お前らがきて七人だ!」
「味方の魔術師はどうした!?」
俺の横の木に隠れながら、鎖鎧の彼が怒鳴る。
「お互い戦士の数が少なかったからな、射撃戦になっちまった! そのへんでいい気分で寝てるのがそうさ!」
見ると、俺たちの隠れている木からさらに後方に、幾本かの矢が突き立っている、ローブ姿の死骸があった。元が何色かわからないほど、ローブは血で染まってしまっている。
今回の討伐に参加した魔術師は二人。もう一人は、馬車から出てくるときに絶命したはずなので、味方の魔術師はこれで全滅である。
「くそ、矢戦じゃあ魔術師は格好の的だっただろうな。味方の戦士はどこにいった!」
「正面から行こうとして二人食われた! 二人は側面から斬り込んだが、帰ってこねえ!」
鎖鎧の冒険者は舌打ちをした。
「賊め、対人用に特化させてるのか。戦闘を想定していた俺らより弓が多いとは」
迷宮では誤射の危険があって使いにくい弓も、開けた場所でならその威力を発揮する。魔法と違って即時発射できる弓は、中距離での戦闘には強い。
先ほどから矢の脅威に晒され続けて、そのことが骨身に沁みてわかっている。
「俺が遊撃をやる! 援護ミスるんじゃねえぞ!」
「俺も出る!」
鎖鎧の彼に負けじと、気がつけば俺も叫んでいた。彼が俺をじっと見てくる。
遠距離攻撃の手段を持っていない俺は、ここにいても役立たずだ。
「即席のパートナーというわけだな。俺はエヴィだ、お前は何が得意だ?」
「ジルだ。魔法は火矢が何とか、剣術も15,0あるかどうかってところだ。シグルドと組んでたときは足止めに専念してた」
「腕前は残念だが自覚があるのは及第点だ。足止め役を頼む」
「了解!」
呼吸を合わせて、木の陰から走り出す。たちまち矢が俺たちに殺到した。風切り音が、恐怖を煽る。
どっ、という音と、腰のあたりで軽い衝撃。遅れて、焼けつくような痛み。
(ぐおっ)
たまらず、次の木に滑り込むように隠れる。皮鎧を貫通して、矢が横っ腹に突き立っていた。ここでもたついている暇はない。俺は矢の柄を掴み、引き抜こうとした。
骨や内臓には刺さっていないようだが、深めに突き立ったようで、鏃はなかなか抜けない。無理に抜こうとすると、肉を切り裂く鋭い痛みが走る。
「おおおああ!!」
咆哮とともに、渾身の力を込めて矢を引っ張る。どろりと傷口から何かがこぼれてくるような感触と共に、矢は抜けた。
矢を投げ捨て、ポーチから回復薬を取り出し、飲み干した。
すでにエヴィは、賊の布陣の端に斬り込んだようだった。上の方で、賊の戦士と剣を交えている彼の姿が見える。俺も合流すべく、斜面を駆け上がった。矢は飛んでこない。味方の狩人達が牽制で弓を射こんでくれている。
ある程度斜面を駆け上がったおかげで、敵の陣形が見てとれた。
狩人が六名、これは木に隠れながら冒険者たちと射ち合っている。戦士が二名、これは狩人に接近する戦士を迎撃する役目のようだ。合計すると、賊が八名、冒険者が七名での対峙である。
(これなら、勝てる)
個々の質で上回る冒険者たちに、じゅうぶんな勝ち目があった。
同士討ちを警戒してか、敵の狩人も、二人の賊と切り結ぶエヴィに矢を射込めないでいる。
なら――俺の仕事は、いつも通りだ。一人引き受けて、時間を稼いでいれば味方が敵を倒してくれる。
「うお――らあ!」
エヴィにまとわりついている賊の片割れに、肩で武器を担ぐように長剣を振り下ろす。賊は背後に跳んで避けるが、構えていた帯広剣を叩き斬ることができた。
そのまま追撃に移ろうとするが――武器を失った賊は、俺に飛びついてきた。
「うおっ!?」
武器を持つ手を捕まれるなり、賊は俺の懐にもぐりこむと、体全体で俺をかち上げるように突き飛ばしてきた。上半身が泳ぐ。体勢を整えるべく下がろうとするが、木の根に足を取られて俺は尻餅を付いた。
(しまった!)
その隙を見逃さず、賊は俺に覆いかぶさってくる。倒れた拍子に、俺の長剣は手放してしまっていた。賊は、馬乗りの体勢で俺を抑え込むと、間髪入れずに短剣を抜き、俺の胸へと振りかぶった。
短剣を握る手を抑えようとしたが、腕力の差は歴然である。力任せに押し切られ、切っ先が俺の胸に突き立てられようとした時――
賊の胸に、剣の切っ先が生えた。すぐさま、引き抜かれる。
エヴィが、相手をしていた賊を一瞬だけ振り切って、手助けしてくれたようだ。
「助かる!」
血を吐き出す賊を引っぺがし、取り落とした短剣を使って、賊の喉に突き立てる。短剣はそのままに、取り落とした長剣を拾って、いざ加勢に入ろうとして――
弓を構えて俺に狙いをつけている、二人の狩人の賊が目に入った。
「やばっ――」
とっさに木の陰に転がり込む。一瞬前まで俺がいた場所に、矢が突き立った。
「弓だ!」
今まさにもう一人の賊の戦士を組み伏せ、とどめを刺そうとしていたエヴィは、俺の叫びに即座に反応し、横っ飛びに跳んで矢を避けた。
「くそっ、味方の弓は何をしてやがる!」
忌々しいとばかりに吐き捨てた彼の台詞が、皮切りとなったのか――
ぎゃあっ――
聞こえてきたのは、味方がいるはずの、下の方からの、絶叫であった。
エヴィが、息を飲む。
味方がいるはずの方向を見おろすと――ちょうど、戦斧が一閃され、最後に残った狩人の首が飛ばされているところだった。
首なしで転がっている、五人の死体。先ほどまで生きていた、冒険者側の生き残りの五人で間違いなかった。
彼らを手にかけたと思われる男は、『槍の』フィンクスと同じ、魔鋼の板金兜と銀色の皮鎧を装備していた。
だが、フィンクスと違ってマントを羽織っていないし、それに――手にしているのは、血に濡れて禍々しく光る、黒い戦斧だ。
黒い刃、それはすなわち、魔鋼製の武器であるということだ。フィンクス以外の、魔鋼製の武器を扱う戦士――その事実を認識した瞬間、俺の全身から血の気が引いた。
「新手、か?」
放心したかのように、エヴィが呟く。
そう、新手だ。しかも、恐らくは『槍の』フィンクス並の手錬れだ。
「一体どこから現れやが――」
エヴィが呟き終わるよりも早く、戦斧持ちの賊の輪郭がぼやけたかと思うと、かき消えた。
「隠身スキル持ち――」
呆然と、俺たちはその光景を見守っていたが、近くの木の幹に矢が突き立ったことで、我に返った。エヴィがとどめを刺し損ねた敵の戦士は逃げてしまっていて、遠慮なしに敵の狩人は俺たち目がけて矢を放ってくる。
「どうする! 撤退か!?」
俺が怒鳴ったことで、ようやくエヴィも我に返ったようだ。
「そ、そうだな。撤退だ。どこに逃げる?」
ひとまず馬車へ――そう叫ぼうとして、俺は汗が吹き出てくるのを感じた。
馬車や、シグルドのいる反対側の斜面に行くには、あの戦斧持ちのいるであろう坂下へ向かわねばならない。
もし隠身スキルを使用したあの男がその場にとどまっているのなら、完全に逃げ道をふさがれた格好だ。
「隠身スキルを暴く方法はないのか!?」
「集中していないと隠身は維持できない。攻撃を当てるか、奴が攻撃動作に移ればスキルの効果は消える。足元の葉の動きからして、左の方角に逃げていったような気はするが――」
左の方角には、馬車がある。俺たち冒険者は全員、外に出て戦っているが、三人の御者と商人がいた。
そして――今思い返せば、賊は、馬を狙わなかった。戦利品として生け捕りにするつもりなのだろうか。
「奴ら、馬車を制圧するつもりかもしれん!」
考えてみれば、賊にとって重要なのは俺たちの首ではなく、馬車が積んだ物資だった。冒険者たちが乗っていたことから、恐らくはもぬけの空だろうと当たりをつけていても、一応は中を調べてみるはずだ。そして、真ん中の馬車には物資を満載していることに気づいて小躍りするだろう。
馬車に乗り込んでいた三人の御者と、商人を助けられるかを、俺は一瞬考えた。
無理だ。
恐らくあの戦斧持ちは、シグルドでないと歯が立たない。いま俺たちが駆けつけても、返り討ちになる可能性が高い。
「シグルドと合流するぞ!」
戦力にならない御者や商人を即座に殺すかは戦斧の男次第だった。馬車を見捨てることになるが、勝てない相手に挑むのは冒険者の戦い方ではない。
胸のうちに芽生えた罪悪感を押し殺し、俺は坂下へと向かって走り出した。もしまだ戦斧の男がその場に残っていれば一巻の終わりだ。
だが――恐らくは、戦斧の男は慎重な性格のはずだ。盗賊団の切り札なのだろうが、最大戦力の『槍の』フィンクスに比肩する実力ならば、最初から姿を見せて襲ってくればいいはずだ。
それをせず、戦力を見極めてから出てきたということは、もし俺たちが手に負えないほどの大戦力を率いていた場合、部下を見捨てて逃げ出すことも考えていたのではないか?
(つまり、俺と同じタイプの人種だ)
必ず逃げ道を一つは残しておき、必要以上に危険を避けるスタイル。
そして――『槍の』フィンクスがシグルドと戦っている間も、賊は機能的に半包囲の陣形を作っていた。シグルドたちが戦っている坂とは反対の、こちら側にいる賊が、だ。
(あいつだ)
俺は、あの戦斧の男が、賊の指揮を取っていると直感した。そして恐らく、『槍の』ではなく、あの戦斧の男が、賊の頭目だ。
坂を一気に駆け下り、じりじりと賊に近づかれている馬車を横目に見ながら、シグルドのいる方向の崖に取り付いた。戦斧の男が隠身を解いて襲ってくれば、エヴィと二人で戦わなければならないところだったが、奴は現れなかった。
予想通りだった。あいつの立場になって考えてみればわかる。シグルドの所属している「アウェイクム」というギルドはならず者の討伐を率先して行うと、フィンクスが言っていた。ならば、いつ後続が来てもおかしくないと思うだろう。
俺ならば、逃げる二人の冒険者を深追いせず、足早に物資を奪って逃げるため、部下に馬車を調べるよう命じる。
「シグルドっ!」
俺たちが駆けつけたとき、未だにシグルドは、フィンクスと斬り結んでいた。俺たち二人の増援を見た『槍の』は、一気に飛びずさって距離を取る。
「どうした、向こうは片付いたのか?」
「それどころじゃない。賊の頭目は恐らく、フィンクスじゃない。向こうで同レベルの戦斧持ちに襲われた。フィンクスと同じ装備をしていた。あいつが頭目だ。現に向こうの賊は統率だって襲ってくる。俺たち以外は全滅だ」
「何だと?」
険しい顔になるシグルドとは裏腹に、フィンクスはにやりと笑った。俺たちの話を聞いて、自分の優位を確信したのだろう。
「賊は、十人近くはまだ残ってる。フィンクスと、あの戦斧の奴に合流されたら手が出ない。撤退しよう!」
「無理だ。軽装なのもあるが、フィンクスは敏捷型の槍使いだ。逃げ切れん」
「なら、こいつを今すぐ倒して逃げよう!」
剣を構える、俺とエヴィ、それにシグルド。
一対三の状況にも関わらず、まだフィンクスは笑みを浮かべていた。
「いや、残念だが時間切れだ。決着をつけられなかったのが残念だよ、シグルド」
ひゅん、と風を切るような音。
ごぱんっ、という、重量感のある炸裂音。
背後から聞こえたそれらの音に振り返ると――黒光りする戦斧が、脇下から心臓のあたりまで、エヴィの鎖鎧にめり込んでいた。
湿気のまじった咳をするように血を吐きながら、彼は前のめりに倒れこみ、動かなくなった。
エヴィの背後に隠れていたのは――血に染まった戦斧を手にした、銀色の皮鎧の男。賊の頭目が音もなく立っていた。
(馬車を部下に任せて、シグルドの加勢に来たのか――!)
俺の読みが甘かった。シグルドはフィンクスに任せて、安全圏に潜んでいると思っていたが、物資よりもフィンクスの安全を選んだのか。
(親しい身内同士で構成された山賊の可能性があります――)
ディノ青年の言葉が、いまさらながらに頭をよぎるが、後悔する時間は、俺には与えられないようだった。
エヴィの血を吸ったばかりの戦斧は、今度は上段に振りかぶられて――
肩口から腰元まで、俺は、深々と斬り割られた。




