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第十一話 奴隷 その1

「いやあ、ジルさんも、立派な冒険者になりましたねえ。見違えるようですよ」


「そうだね。大ムカデと死闘を演じてへたばってた頃とは大違いかな」


「へいへい、先輩方にはまだ適いませんよ」


 ここは、スラム街にほど近い、酒場「裏路地の脇道」亭である。

 冒険者ギルドの職員であるディノ青年と、居合わせていたキリヒトに連れられて、男三人だけの飲み会と洒落込んでいるのだ。たまたま冒険者ギルドで二人が話し込んでいるところを見つけたので声をかけ、談笑だけの予定が「ちょっと飲み行く?」になり、「二人にゃ世話になったから一杯奢るぜ」からの「いえいえ、先輩らしいところを見せておかないと」経由で「いつもの店にジルさん連れてきましょうよ、ディノ先輩」との援護射撃の末、現在に至るというわけだ。


 スラムは街の中央から見て、歓楽街を通り抜けた奥にある。ディノとキリヒト、二人の行き着けの店というのは間違いないらしく、禿げネズミのような、ひょろりとした風体の冴えないマスターは、刃のように細い目で二人をちらと見ると、物も言わず開店準備中の札を閉店のそれへと付け替えた。


 装飾のほとんどない木造の簡素な外装と、使い込まれてくたびれた机や椅子に夕陽が差し込む様は渋くさえあり、淡々と皿を拭くマスターの印象とあわせて、妙に落ち着く店である。


 まあ細かいことは置いといて、人間誰だって、乾杯すれば友達である。

 麦酒エールの樽をゴツゴツと力強く打ち合わせてからの一気飲み、三人とも負けん気が発動しているのか、口を離すことなく三つの樽は綺麗に飲み干されて机に叩き付けられた。


 俺たちの方を横目でちらと見て、マスターは新しい樽をノックするように一回ずつこんこんと叩き、カウンターを滑らせるように俺たちの前へ二杯目の麦酒を投げてよこした。あれだけの動作で、酒はしっかりと冷えていた。

 狙い済ましたかのように、一人ひとりの目の前に到着した樽を手に取ると、今度はつまみと思わしきチーズが乗った皿がカウンターをすべってきて俺たちの前にぴったり止まる。

 俺たちは注文を出したりはしていないので、なるほど、ここはマスターが俺たちの様子を見て酒やつまみを出す、そういう店なのだろう。


「二人は知り合いだったんだな」


「同じ、スラム出身の仲間なんですよ。私こそ、キリヒトがジルさんと知り合いだったことに驚きました」


「大ムカデとの戦闘音を聞いて、キリヒトが様子を見に来てくれてな。ムカデの剥ぎ取りとかを教えてもらった」


「初心者に恩を売っておく、これも僕の商売の秘訣ですよ、ディノ先輩。彼には大した恩は売れませんでしたが」


「ああ、百薬草オーディーンを採取に来てたって言ってたな。中級までの回復薬の原料だったか」


 普段は好青年めいた笑顔を絶やさぬディノが、突然真顔になってキリヒトに向き合った。


「釘を刺しておく。お前の商売の客にはするな」


「元からあまりそのつもりはありませんでしたが。了解しました、先輩」


 普段のディノ青年しか知らない俺にとっては、豹変したかのような口調にやや面食らう。対するキリヒトは慣れているのか、苦笑しながら頷く。


「そっちが素か? 仲いいんだな、二人とも」


 俺の言葉に、今度はディノ青年が苦笑する番である。


「ディノ先輩は、スラムの希望の星なんだ。元から、面倒見のいい人だったから慕われてたんだけどね。スラムから冒険者ギルドの職員が出るなんて前代未聞だから、あのへんで育ったちびっ子の憧れの的だよ。この店のマスターだって、気を使ってディノ先輩が来ると貸切にしてくれる」


「スラム出身だと、結びつきが強くなるんですよ。暮らし向きが厳しい家庭が多いので、仕事を斡旋したりね。キリヒトは人様に言えない商売もしてるんで、騙されないように気をつけて下さい」


「一緒に酒を飲んだらもうダチだ。騙されたら俺の人徳が足りなかったってことで問題ないさ。ディノも、堅っ苦しい言葉遣いやめたらどうだ?」


「ギルドに入ってからずっとこれで通していたせいで、この口調も地なんですよ。やめる方が気を使います。スラムにいた頃から普通に喋っていた奴らとは、今でも普通に喋るんですがね。むしろ、そんな喋り方なのに違和感のないジルさんの方が驚きですよ。いやに貫禄があるんですよね。本当に16歳ですか?」


「それは確かに驚きだね、ジルって年下なの?」


「俺は記憶がないからあまり自分の年齢を意識したことはないんだが。紋章によるとピッチピチの16歳らしいぞ」


「記憶がないって、何それ初耳」


「冒険者ギルドにジルさんが初めて来た時を思い出しますね。あの時は――」


 話の合間に景気よく飲んでいるせいで、麦酒の空樽はどんどん店の隅に積み上げられていく。ディノ青年は途中から火酒ウィスキーに変えた。飲み方が様になっているので、真似して俺も一杯もらったのだが、あまりの強さにちょっとむせた。


「僕もまだ、火酒はちょっと苦手なんだよね。ディノ先輩みたく火酒が似合う大人になりたいんだけど」


「好きな酒を飲むのが一番だぞ、キリヒト。無理して飲んでも美味くない」


「いや、飲んでて格好いいっていうのは大事ですよ。ジルもそう思うよね?」


「わかるわ。ディノが飲むと、なんというか、様になってるんだよな」


「ディノ先輩、スラムだと物凄くもてるんだ。見た目もいいし、冒険者としても実力者で通ってて、ギルドに勤めはじめてから金回りもいいからね」


「お、そういえばギルドで受付やってたミリアムって彼女か?」


「ちょっとジルさん!?」


 死角からの奇襲に戸惑うかのような表情で、ディノ青年は俺を非難した。どうもこれは、攻撃が急所に当たってしまったようである。


「ディノ先輩、いつから後輩に隠し事をするような人になってしまったんですか。僕は悲しいです」


「忘れてた、観察眼鋭いんだった、この人」

 

 瞼を抑えて、やられたといった表情のディノ青年である。


「内緒だったのか。だが数少ない友人の色恋沙汰を暴露したことは反省しない」


 カウンターを逆に滑らせるように、ディノ青年が金貨をマスターに投げて立ち上がる。これは自分が不利になると逃走する大人の汚い技術その一ではなかろうか。


「さ、帰るか」


「汚い、都合が悪くなると逃げる大人きたない」


「人のことで騒いでないで、二人で女でも買ってこい」


 指で弾いて、キリヒトに金貨を放り投げるディノ青年である。照れ隠しに少し赤面しているのも、イケメンがやると様になるものだ。


「口止め料をもらったよ、ジル。詳しい話はいい娘のいる店で聞こうか」


「そうするか、ディノ、ごちそうさんな」


「あまり言いふらさないでくださいよ。キリヒト、後は頼んだ」


 ディノ青年と別れ、俺とキリヒトは街の中心部へと歩いていく。炎帝ヘリオスはすでに姿を隠しており、中天には月――氷姫セレニアスが煌々と輝いている。

 真っ暗闇の中、店先に松明や猫目灯を設置して客を呼びこむ歓楽街は、不夜城と呼ぶに相応しい、淫靡な喧騒に満ちていた。


「帰って彼女さんといちゃつくのかな、先輩」


「かもしれんな。羨ましいことだ。綺麗な姉ちゃんだったぞ」


「記憶をなくして、目が覚めてから、まだ一ヶ月だったっけ。じゃあジルは、女はまだ?」


 キリヒトが言うこの場合の女とは、男女間の行為をしたことがあるかという意味であろう。


「まだだな。若い身体のせいか、やりたくなってもてあますことは多いよ。迷宮で余った力を発散させようとは思ってるが」


「じゃあ、ちょうどいいね。馴染みの嬢の一人でもできれば、頑張って稼ごうと思って、迷宮に潜るのにも気合が入るよ」


「キリヒトは、女はいないのか?」


「商売抜きで付き合ってる女がいるかって意味なら、いないね。冒険者なんて、いつ死んでもおかしくない生活だし、死んだ後に金の稼ぎ方も知らない嫁と子供を残すのかい? 子供食わすために身体を売らせる羽目になる。まあ、これから行く家も、今言った事情そのままの女がいる店なんだけどね」


 立ち止まってから、顎に手を当てて何かを考えるような仕草をしてから、キリヒトは俺の方に金貨を差し出してきた。先ほど、ディノ青年から貰ったものだろうか?


「まあ、ジルさんなら話してもいいか。僕ね、今言った、旦那を亡くしたばかりの女の人にほだされちゃってね。娘を奴隷商人に売り飛ばすのが嫌だから身体を売るって言い出したから、それ以来ずっと、僕だけを客にさせてるんだ。連れていくって言ったのに悪いんだけれど、僕だけで行かせてくれないかな? このお金は好きに使ってくれて構わないから」


 猥談の類を、男は大好きだが、逆に自分の所帯について話すことを嫌う傾向がある。特に隠しておきたい事情があるのなら、なおさらだった。男は、見栄を張りたくなる生き物なのだ。

 素直に自分の事情を打ち明けてくれたことが、キリヒトとの友情の証であると俺は受け取った。


「何だよ、水臭いな。金はいいさ、娘さんに土産でも買ってってやるといい」


「そうもいかないよ。先輩に遊ばせてやれってジルのことを頼まれたんだから、本当はちゃんとお店に連れていって帰るまで面倒見てないと僕が怒られるんだ」


「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ。それにな、実はいつ言い出すべきか迷ってたんだが、金で女を買うのはどうもな、気が進まない」


「へえ、商売女は嫌いかい? 意外だったね」


「いや、気になるのはそこじゃない。別に、金で身体を売る女を汚く感じるとか、そういう考え方じゃなくてな。多分、そういう女は何かしら、事情があることがほとんどだろう? 金に困ってとか、売り払われてとか。その事情が気になってダメなんだ。同じベッドに入っても、何でこんなことをしてるんだって身の上聞いてしまいそうだ」


「ううん、そう言われてもなあ」


「前に魔物の剥ぎ取り方を教えてもらったろう? 金で貸し借りなしに持ち込むのはあまり好きじゃないが、ダチに借りがあるっていうのも気分がよくない。これでチャラにできると俺は気分晴れやかに帰ることができる」


「まあ、貸しにしたつもりはないからいいんだけど。わかった、そこまで言うなら甘えるよ」

 

「おう、んじゃここでな。また飲みに誘うわ。余裕で奢れるぐらい稼いどく」


 キリヒトと別れ、歓楽街を一人、宿への家路を帰る。気分はさわやかである。鯨の胃袋亭の宿泊は、居心地が良かったので延長し続けていた。


 キリヒトに言った、金で女を買うのが嫌いな理由は、半分が嘘だ。


 世の中には、やり切れないことや、悲しい事情があふれている。そういうものを見るのが、俺は嫌いだった。つられて悲しい気分になるのだ。


 もし娼婦宿に行ったとして、そこで働く女性が金で身体を売る理由が気になって、ろくに楽しめないと思う。不幸な身の上があれば、同情して俺も沈み込んでしまうだろうし、男に貢いでいるのであれば哀れんでしまう。

 遊ぶ金ほしさや、好き好んで身体を売る女を抱きたいとも思わないので、俺がこの手の店に行かないのは正解といえた。


 ついでに言うと、キリヒトの手前、女を知らない男だと馬鹿にされたくなかったので、この半分の理由を答えたのだが、もう半分は、俺の貞操観念の問題である。


 俺は、見ず知らずの女といきなりやることをやるのが嫌いだった。

 不潔に思って、というわけではない。単純に、気心知れていない女と共にいるのが苦痛なのだ。どんな人間なのかもわからないのに、裸を見ただけで大興奮して一戦挑もうという奴の気が知れない。


 確かに、見目麗しい女性がいたら、本能としては一戦お願いしたいと思う。しかし、実際に了承を得られて手招きされたら、理性を働かせてお断りするだろう。

 人となりもわからないまま行為をしたところで、楽しいとは思えないのだ。


 しかし、それとは別で俺は女好きだった。女が欲しくないかと問われれば超欲しいと答えるだろう。年頃の男性がもてあます性欲の強さは伊達ではない。


 この世界で目覚めてから一ヶ月。俺は自分の性癖を分析し終えていた。

 俺は、「造形の美醜を気にしない面食い」である。意味がわからないと思うが、俺も自分の好みを正確に把握したばかりなのだ。


 まず、顔の可愛い、可愛くないはある程度どうでもいい。親から貰った顔なのだから、異性が騒ぐ顔で生まれた奴は運がいいね、と思うぐらいである。綺麗な顔が嫌いなわけではないので、美しい女性はそれはそれで好きだが。


 しかし、顔というものは、本人の性格が出る部位でもある。

 造形の美しさを鼻にかけて自慢げに振舞う女は性格の醜さが顔に出てくるし、不細工な生まれでも明るく生きている女は眺めていて笑顔になる。性格ブスより明るいブス、というやつだ。


 そういう意味では、俺は顔を重視しているともいえる。つまり、「造形の美醜を気にしない面食い」なわけだ。



 そんなことを考えながら歩いていたら――俺は詰んだ。

 

 これ以上なく、手詰まりだった。



 歓楽街は、客引きであふれている。

 貴金属で飾った若いお兄ちゃんから、好色そうなやり手のおっさんの呼び込み、はては露出の高めな衣装をまとったお姉ちゃんまで、ひっきりなしに通行人に声をかけては袖を引く。


 俺はというと――見た目は若い、恐らくは冒険者、一人で歩いていると、彼らの絶好の目標だったのだろう。あっという間に囲まれて身動きが取れなくなった。

 ディノ青年達と歩いているときに誰一人として声をかけてこなかったのは、恐らくディノ青年の顔が売れていて遠慮していたのだろう。


「お兄さんちょっとスッキリしてこう! 若い娘から達人級まで選び放題!」

「お兄さんなら一回3000ゴルドでいいよ? 私お兄さんみたいな人、イイなあ」

「もう一杯引っ掛けましょう、ね。酒場『蝶々の舞踏会』ではバインバインの娘たちがお酌してくれます、ささ」

「奴隷はいかがでしょうか? 鍛えれば心強い仲間に、夜のお供だってできちゃう優れもの。多数入荷しておりますとも!」

「一泊おとまり5000ゴルドぽっきり。朝まで娘がしっかりご奉仕いたします」


 初めは笑顔と会釈をフル活用しながらかわしていたのだが、とうとう進路をふさがれ、両腕を女性に取られ、身動きもままならなくなった。なるほど、ディノ青年がしっかりエスコートしろとキリヒトに言うだけはある治外法権っぷりである。


(どこかの店を選ばない限り、彼らは散っていかないかも)


 ちょっと焦った俺は、唯一、迷宮探索の参考になるかもしれない客引きに声をかける。


「持ち合わせはないが、冷やかしでもいいなら奴隷、見せてもらえるか?」


 その相手とは、執拗にまとわりついてきたうちの一人、奴隷商人である。鍛えれば迷宮探索に連れていける、その一言に心が動いたのだ。奴隷を買うつもりはないが、例えば戦闘用の奴隷みたいなものが売られているなら、値段を知っておいても悪くない。


「もちろんでございますとも! ささ、どうぞこちらへ」


 まとわりついていた客引きが悪態をつきつつ三々五々離れていき、かわりに矮人ゴブリンを想像させる背の低いひょろりとした奴隷商人が俺の腕と自分の腕をがっちりと組み合わせて俺を連れていく。

 正直な話、気持ちの良い話ではない。


 というか、奴隷制度自体があまり気分のいい話ではない。


 犯罪奴隷と貧困奴隷に二分されるこの制度は、この世界では必要悪として市民権を得ていた。犯罪奴隷についてはジルに思うところはなかったが、通常の奴隷に関しては不快感しか覚えない。

 生活に困った親が子を売る、あるいは自らを奴隷として売り、前渡金で借金を返す、よくある話だそうだ。辺境の開拓や鉱石の採取など過酷な作業に従事させたり、娼婦として客を取らせたりする。


 肉体の欠損以上の傷害を与えることは法で禁止されているが、それ以外のすべては雇用主の思いのままだ。一定の金額を冒険者ギルドに納めれば再び平民として生きる権利はあるが、無論そんな慈善事業をする雇用主はおらず、犯罪奴隷と違って貧困奴隷は期限もないため、一度身を落としてしまえば基本は死ぬまで奴隷である。


 奴隷を嬉々として買ってしまえば、そんな奴らの仲間入りである。

 人の尊厳を踏みにじる行為に他ならない。奴隷を買うつもりはまったくなかった。冷やかしだと事前に断ったのは嘘ではない。

 だから、歓楽街とはいえ、堂々と表通りに構えられた店を見たときも、嫌悪しか感じなかった。


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