イクトルート2
僕が家出に失敗したのは七歳の時。
まぁ、失敗の理由は九割僕が悪い。
一割くらいは年齢のせいだとか、今まで屋敷に閉じ込めて育てた伯爵が悪いと言いたい。
その上で迷子の末に夜、宿を貸してくれたイクトさんの所に、僕は一年居座った。
つまり今は八歳だ。
「僕が言うのもなんですけど、この屋敷変じゃないですか?」
「あっははー、言っちゃうそれ?」
一緒に洗濯物をしながら笑う従僕のレントさんは、顔を隠すような長い前髪が特徴。
従僕って主人の外出の準備や同行が仕事なのに、そんな本来の仕事がないから僕と一緒にシーツや靴下、毎日出る洗濯物の相手をしてる。
もう一人、仕事のない屋敷の警護のミロイさんも、見上げる長身をかがめて洗濯中。
まだ八歳の僕には洗濯は重労働過ぎて、ほぼお手伝いしかできてないからね。
実際はレントさんとミロイさんがやってるんだ。
「そんな不審な家に、一年も居座り続けてるアーシャも十分変だ」
「そこは否定しませんけど、もう少し色々突っ込まれると思ってたんですよ、僕」
警護のミロイさんは人間の女性で、僕の胴にも匹敵する太さの腕回りをしてる。
洗濯板にこすりつける腕の隆起がすごくて、ただものじゃない感がすごい。
そんなミロイさんに劣らず、豪快に洗濯物を絞るレントさんが言う。
「そこはアーシャの家もおかしいだろ。なんで一年経っても捜してないんだよ?」
「それは、捜しても、こっちには来てないとか?」
そういうレントさんは、体中に目立つ傷がある上に、耳が途中で切れてる。
長い前髪は、傷や半端な耳が悪目立ちする顔面偏差値を誤魔化す駄目だろう。
本当は長くて前世的に言えばエルフ耳だったそうだ。
エルフと人間のハーフらしいんだけど、斬られたって聞いた。
前世日本人の僕からすれば物騒すぎて、前職が何かを今も聞けてない。
そんなところに名目上の侍女の、マーサさんがやって来た。
化粧の仕方で顔の印象が毎日変わる、これまた屋敷の変さを後押しする人だ。
「あら、これだけしっかり育ってたら、子供も立派な働き手でしょうよ。家出くらいで騒ぎやしないわよ」
おおらかって言うか、おおざっぱって言うか。
その上でたまに警護のミロイさんと訓練というか、手合わせとかしてる。
うん、侍女ってなんだっけ?
あとやってる仕事も主人の世話をするとかないから、女中さんと同じ掃除洗濯食事の準備もマーサさんだ。
「それよりご主人さまの故郷の趣味がわかんないわぁ。二階掃除の度に靴脱がないといけないんだもの」
マーサさんはそう言いながら、使った掃除道具を近くで洗い出す。
そして話す主人のイクトさんの故郷は、ニノホト。
想像だけど、たぶん日本に似た国だと思う。
だってこの屋敷の二階より上って、土足禁止なんだ。
絨毯もない板張りで、肖像画よりも風景や動物を描いた絵が多い。
ベッドも枠だけで、敷いてあるのは綿を入れた四角い布、つまるところ布団だった。
「アーシャが来てからご主人さま戻って来る日が増えたから、二階の掃除も気が抜けないしねぇ」
「そんなにものが多い屋敷じゃないだろう。それにご主人さまは埃くらい気にしない」
「いやぁ、旦那が貴族とか似合わなさすぎるけど、けっこうさまになってるのがなぁ」
使用人たちでワイワイ話す。
僕は知らないけど、イクトさんはたぶん生まれが貴族じゃない。
何かしらの功績を認められて、貴族の位をもらった人なんだろう。
皺を伸ばしながら洗濯物を干してたら、音もなく寄ってきて声をかけられた。
「気になりますかな?」
「うわ!? あ、イースさん」
僕のすぐ側にいたのは、最初に出迎えた執事のイースさん。
けっこう長身でひょろってしてる人なんだけど、なんでか物音がしない。
僕が気づかないんじゃなくて、他の使用人たちも驚くくらい気配を消すのが上手いんだとか。
「変だと感じるのもしかり。実はこの屋敷、曰く付きなのです」
そしておしゃべり好きらしく、いつも勝手に話しだす。
けっこう愉快な人ではあるけど、無駄に怪しい雰囲気を出す人でもある。
「ここはかつて野心に逸った子爵の持ち物。古くは公爵家から別れた家で、血統を誇り本来ならもっと高位であるはずと思い上がり。かつての本流、公爵家の本流を断つことで、自らがその公爵位を得ようと暗躍したのです」
他の人たちは洗濯や片づけを続けてて、僕が手を動かさなくても怒らない。
子供ってことで許されてる部分もあるけど、元からだいぶ緩い使用人たちだ。
僕が育った伯爵家は、伯爵一家の誰かの目の前で無駄な口なんて許されなかったし、使用人同士の上下もしっかりしてたんだけどね。
上位の使用人である執事が子供相手に与太話なんて、一年前までは考えられなかったよ。
「上手く毒殺がなり、その後には事故に見せかけて公爵家の直系を始末しました。それで調子に乗ったのがいけなかった。自らが公爵位を狙うことを隠さなくなり、その分軋轢も増します。身の安全とわかりやすい武力のために、人気の狩人を召し上げて、その腕に惚れ込んだ自らの妾の子と結婚の段取りも進めました」
「狩人って、動物を狩る人ですか?」
「おっと、これはこれは。狩人は魔物専門の狩人ですよ。大いなる暴虐に立ち向かい、人民を守り、時には宝を得る」
この世界の狩人、だいぶファンタジーな職業だった。
その上で腕が良く、功績も大きいと貴族に取り立ててもらえるらしい。
民衆人気や得ている財産も関係あるとかなんかで、貴族社会も取り込んでいるそうだ。
ただ話は、その狩人まで抱き込んで、貴族に押し上げて武力も手に入れようとした時破綻する。
殺された公爵家の人間が報復で、子爵は殺されかけ、他にも恨みを買っていたために社交界で企みを暴露されて追い出される形で凋落したという。
慎重にやった最初の罪は立証できなかったけど、調子に乗った後は杜撰で余罪がボロボロ。
「そして困ったのはまだ婚姻も整っていなかった狩人。後ろ盾も縁故も一夜にして消えた中、貴族になることだけはなんの不正もなくそのまま進みました」
執事のイースさんがそこまで話すと、使用人全員が集まる所へ足音が近づいてきた。
「なんで今さら私の過去など話しているんだ?」
「これは旦那さま、お早いお帰りで。サボりですか?」
執事のイースさんが無礼だ。
そして今の話の取り残された狩人って、イクトさんのことか。
で、曰く付きの屋敷って、つまりやらかした子爵に関係する物件だったのかな?
あともしかしなくてもこの屋敷の使用人が、戦闘能力高そうなのは前職関係なの?
「春になって若いのがうるさくてな。少し捻ったところ長官に呼び出された。で、午後は休みになった」
「いや、それ、謹慎命じられる一歩手前じゃないですか?」
僕は思わず、イクトさんの上司が急に休みを言いつけた裏を読む。
だって、仕事で揉めて、お前はともかく今日は帰れって言われたんでしょ?
処分決めるから大人しくしてろってことじゃないの?
僕の突っ込みにその場の全員が納得して頷く。
どうやらイクトさんも含めて気づいてなかったらしい。
「そんな、辞めさせられたらどうするんですか?」
「別段この職にも地位にも、思い入れも未練もないからな」
困った様子もないイクトさん。
聞いたところ宮中警護っていう、それなりに花形らしいんだけどそう言えちゃう人が、この屋敷の主人だった。
その上、僕たちのやってる作業を手伝い始めるって、うん、変な屋敷になるわけだよ。
「そう言えば、イクトさんは生まれは何処ですか? ニノホトなんですよね?」
「ニノホトの小さな漁村だ。海人は漁業に従事してるものがほとんどだ」
イクトさんの答えに、従僕のレントさんと執事のイースさんが笑って首を横に振る。
「いやいや、内陸出身者にそれ言っても通じませんって。アーシャは帝都も出たことないでしょ」
「帝都の湖でも漁はやっているから、今度足を延ばして買い物にでも行きましょうかね、アーシャ」
僕には通じないって言われて、イクトさんがなんだか黄昏た雰囲気を出した。
「川の魚は悪くないが、海とは違うんだ…………」
「ちょっとご主人さま。あたしら放って海目指さないでくださいよ?」
侍女のマーサさんに続いて、警護のミロイさんも旅に出そうなイクトさんを止める。
「せめてこんななりでも雇ってくれるいい貴族屋敷紹介してほしい」
「それは高望みが過ぎるだろう」
イクトさんが呆れて言うけど、そのやり取りは何処までも気安い。
というかここの使用人ってみんな戦闘系で、イクトさんも魔物相手に戦ってたんだよね?
「やっぱり、皆さん前職の知り合いですか?」
「それはイースだな。後は拾った」
「拾った…………」
そんな犬猫みたいに。
けど僕も拾われた一人だ。
そして前職を考えるとイクトさんも荒事慣れてるから、気軽に拾うんだろうな。
いたから、見た目や気の荒さは気にせず招き入れて、駄目だったら畳んで放り出す。
そんな光景がすごく想像しやすい。
訳アリの僕が言っちゃなんだけど、屋敷も変だし主人も変だ。
そしてここは、集まった使用人も変な屋敷らしかった。
全七話




