316
ゼウスが張った結界を強引に視覚化させると球の表面のようになる。
球の中心にはゼウスの本体――これはすでに身体とはいえない何かになっているらしいものが存在し、結界の要として機能している。
結界を硬球でたとえると、芯にあたる部分がゼウスの本体で、人界はその周囲を覆う中身の部分。
結界にあたるのは、一番外側の革になる。
つまり人界を外から眺めると、硬球の革しか見えないというわけだ。
もっとも人界は球形ではないので、イメージとして捉えるとそんな感じになるというだけらしいが。
はるか昔、ヤマトによって蹴散らされたヘラだが、どうにか復活して、ゼウスの本体と魂を取り戻そうと考えたらしい。
ヤマトいわく、ゼウスの魂は本体の中にあり、ヘラはそこへたどり着くために相当な犠牲を払ったという。
先ほど結界は球の表面と言ったが、別の見方をすると、リンゴのようでもあるらしい。
リンゴのヘタの部分は、内側にヘコんでいる。
あんな感じで、ゼウスの身体を特異点として、結界を維持するエネルギーが放出され、リンゴの表面へ流れているイメージだ。
ヘラはその流れを掴み、特異点にゼウスの身体があると睨んだようだ。
だが、どうやってもゼウス本体は見えない。
何しろ、ヤマトが結界の仕組みを利用して異界を作ったのだから。
「異界を構成する要素はゼウスの結界をそのまま利用させてもらったからね。維持するエネルギーはゼウスのように自分の命をかけるわけにはいかなかったが」
つまり異界は、ゼウスの結界ほど強固ではないらしい。
ヤマトが死ねば消え去る運命だという。
話は結界に戻るが、ヘラが復活する前にヤマトが異界を造ってしまった。
ヘラはそのことを知らない。
そのため最初ヘラは、いくら探してもゼウスの本体を見つけることができなかった。
ゼウスの本体はずっと行方不明だったのである。
結界はあるのに本体がないという摩訶不思議な現象に戸惑ったであろうとヤマトは笑った。
長い年月が経ち、ヘラが異界の存在に気づき、異界の仕組みに気づき、近づく方法を模索し、異界の難儀さに歯がみした。
さらに長い年月を経て、ヘラがなんとか異界に張り巡らせた警報網をかいくぐったのだという。
「天界の住人のことは注意して見ていたが、もう少しで出し抜かれるところだったね」
それに関してはヘラは上手だったようだ。
だが結局ヤマトに見つかり、戦いになったという。
結果、ヘラは完全消滅した。
メルヴィスが冥界に行ったとき、そこでヘラの魂を見たというので、ヘラが人界から消滅したのは本当だろう。
「ところが、ヘラが消滅の間際、私でも知らない『何か』をかけられてね。あとから思えば、あれは呪いだね」
ゼウスを人界から助け出す(とヘラが言っていた)大技をヤマトにかけたらしい。
簡単にいうと、それは人界の結界を内側から抜ける技らしい。
結局、ヤマトはその呪を受けて魂が分離。
魂だけの状態になったまま冥界を抜けて、魔界に行ってしまったのだという。
もしゼウスの本体にその技をかけたら、ゼウスの魂は冥界を抜けて天界に行ったのだろう。
魔界にいったヤマトの魂は、捨てられていた擬人の器に入り、そこで一時的に定着。
少しの間、ヤマトはその姿で魔界を移動せざるをえなくなったのだという。
「ならあそこで俺が会ったのは……」
「擬人の器に入った私だ。擬人は天界の侵攻時に持ち込まれた器だが、機能はここにあるのと変わっていない。相手の魔素が見えないかわりに、こちらの魔素も放出しない。そして魔素の影響も、聖気の影響も受けない」
ヤマトがあの時、瘴気地帯を歩いていた理由。
他の魔界の住人に会いたくなかったのと、あそこを歩いても平気な器だったかららしい。
「会ったとき、俺だけでなく「オレ」の魂があることを見抜いたはずだ」
魔素量が分からないはずじゃなかったのか?
「私の魔素を扱う特殊技能は、魂を扱うことでもあるからね」
魔素は身体のどこに集まるのか。
それはもちろん支配のオーブである。
いくらヤマトでも擬人の器に入った状態では、相手の魔素量が測れない。
そのため別の手段で相手の力量を見ようとした。
それが魔素の流れ。
どうやらヤマトが俺に触れたとき、俺の身体に魔素を流して流れを見たようだ。
そのとき、流した魔素を吸収する「もうひとつの魂」に気付いたらしかった。
強者ヤマトがなぜそんなことを? と思ったが、擬人は人界へ下りるために天界の住人が作ったものだ。
人間に化けるためと言い換えてもいい。
そのため、肉体強度は通常の人間と変わらない。
魔界のように魔素が充満していれば、魔素で身体強化できるが、人界ではそれもできない。
ひ弱なただの人である。
翻って魔界はというと、外見と年齢が一致しない者もいる。
相手の魔素量をなんとかして測らないと、非常によろしくない結果になることもある。
瘴気地帯で倒れた俺は、獲物を求めて弱った振りをしている強者の可能性もあった。
魔界では、注意深く生きなければ、簡単に蹂躙されてしまう。
それが分かっていたからこそ、ヤマトは幼子の姿であった俺にも油断しなかった。
ちなみに俺と会ったあとのヤマトは、魔界を巡りつつ器に入った状態で安定し、自分の魂がいまだ身体と繋がっていることを掴んだらしい。
つまり器から脱すれば、もとの身体に帰れるのだ。
器を脱いで魂の流れに逆らわず、いまだ繋がったままの自分の身体、つまり人界へと帰ってきたのだという。
偶然あのときヤマトは魔界にいた。
そして俺と会った。
「なるほど、運命というのは分からないものだな」
神は天にあり、世はすべてこともなしって所か。
一応これでヤマトの主張は、全部聞いた。
途中、話が脱線したが、無駄ではなかった。
結局、長い歴史の中で色々考えた末の判断なのだろう。
あまりに長生きし過ぎると、細かいことはどうでもよくなるのだと思う。
だが俺はやっぱり、このいびつな異界は許容できない。
いまはもういない「オレ」。
「オレ」がさっきの話を聞いたら、きっとこういうだろう。
「戦わない魔界の住人なんかに、意味があるのか」とオレは言うはずだ。
俺も同じ意見だ。
ということで、話は終わりだ。
あとはどちらの意地を通すかだ。
「んじゃ、そろそろ始めるか」
「いいのかな? 私には勝てないと思うけど」
「んなことはやってみねえと分からないだろ。魔界じゃ、これが粋ってやつなんだぜ」
「そうなのかい。それでは私も本気で相手をしよう。それでいいのかな」
「ぜひともそうしてもらいたいね」
ここまでくれば、もう会話は不要。
あとは拳で語るだけだ。
(しかし……俺の最初の下克上って、軍の部隊長だったよな)
なんで俺、小覇王なんかに喧嘩を売っているんだ?
あの「丘の上の攻防戦」に駆り出されたときからは想像も付かない。
あの時の俺に、このあと人界で小覇王ヤマトと喧嘩するぞと教えたらどんな顔をするだろうか。
そんなことを考えながら、俺は歯をむき出して笑った。
「さあ小覇王の力、見せてもらうぜ」
これは恐らく、俺の最期の戦いとなる。
(見ていてくれるか、オレ。俺は意地を通すぜ。それが魔界の住人って奴だもんな)
俺は全身に魔素を巡らせた。




