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「キミに魔界の記憶があるならば、下克上は知っているね」
「ええ……もちろんです」
下克上……懐かしい言葉だ。
兵役に駆り出されて、魔法が降り注ぐ中に否応なく突撃させられた。
あのままじゃ死ぬなと思ったから、俺は下克上をした。
あれがはじまりだった。
「異界には下克上がない」
ヤマトの言葉に俺は頷いた。
「そうでしょうね。あなたの目指している社会には、不釣り合いでしょう」
「魔界は下克上の連鎖といっていい。強い者の総取りが認められるから、だれしもが上を目指す」
「もしくは、すべて諦めて下を向いて生きる?」
「そうだね。それが下克上、魔界の現実だ。……私はゼウスの遺骸を核として異界を造った。世界中に散らばる同胞を異界へ連れて行った。なぜならば」
「魔界の住人が人界にいると、人と争うからですね。個では勝てても、集団では負けるから」
「すでに負け始めていたよ。その頃の人間は、軍を作って数で対抗していたから」
いつの時代だろうか。
紀元前から人は争っていたわけだし、時代は特定できないけれど、おそらく世界中の神話から怪物や妖怪の話が聞こえなくなった頃の話だろう。
一瞬で魔界の住人を移住させたわけでもないから、世界中から集めるのに数百年くらいかかったのかもしれない。
それでも取り残しがあっただろう。
「このまま人と戦えば、魔界の住人が全滅してしまう。だから隔離したのは分かります。ですが、異界内で彼らの闘争本能を失わせようとするのは、どうなんですか?」
ヤマトの行動は自然の摂理に反する。
家畜化やペット化と同じ状況じゃなかろうか。
ヤマトは魔界の住人を制御できる個体に作り替えようとした。
「私にはふたつの選択肢があった。結界を壊すか、壊さないかだ」
「…………」
つまりヤマトは結界を壊せるのだ。
だが結界がそのまま。つまり、壊さない選択をしたことになる。
「その頃、人界はすでに古代から中世に入ろうとしていた。このままいけば、遠からず人口が爆発的に増えると思われた」
世界中から闇が取り払われ、魔界の住人の居場所がなくなる。
もし決断するならば、いい時期だろう。
「結界を解除すればよかったんじゃないですか?」
敢えて、選択しなかった可能性を提示してみる。
「結界が解除されれば、天界と魔界から多くの住人たちがやってくるだろう」
「そうですね」
「人界で、天界と魔界の大戦争が始まる。そして人間たちが巻き込まれる」
「まさか、だから結界を解除しなかったとか?」
「いいや。それによって、人間が天界の味方につき、魔界の住人と敵対する未来が見えたからね。そして遠からず人間は、私たちの手に負えなくなる存在に成長する」
科学技術の発展だろう。
魔界の住人からしたら、ライフル銃ひとつとっても、かなりの脅威になる。
上位種族はまだしも、中位種族でさえ、それで狙われたら身体を貫通する。
ましていまの軍事技術を使われたらどうなるか。
ラミア族やヴァンパイア族では太刀打ちできない。
メラルダ将軍が戦車砲の一撃を受けたらどうなるか。
イージス艦からのミサイルは?
無事かもしれないし、無事ではないかもしれない。
もし中世や近世時代に結界が解除されれば、人の武器はどう進化したか。
対人よりも、対魔界の住人に特化した武器開発が主流となっただろう。
最初に原子爆弾を落とされるのは、間違いなく魔界となったはずだ。
今でこそ天界や魔界の存在は眉唾物として扱われているが、存在が確認されれば、もう隠すことはできない。
きっと行き来する方法を発見してしまうだろう。
「分かったようだね。人類とは争いたくなかったから私は結界を解除しなかった」
「だからいま、友好的な種族を増やそうとしているのですか?」
俺の問いかけにヤマトは首を横に振った。
違うのか?
「私にも寿命がある。そして私の死後、この異界は存在することができない」
「ゼウスの死体を核としたと言ってましたが?」
「魔界の住人である私は、天界の住人ほど結界をうまく扱えないからね。結界の維持は私の魔素を使っている」
ゼウスの結界とは、また組成が違うらしい。
やはり結界を張るより、ゼロから異界を造る方が大変らしい。
そしてゼウスの結界は人界に満ちている『人気』というものを利用しているため、人がいる限り、結界は維持できる。
だがこの異界は、ヤマトの魔素を使って維持しているために、ヤマトの死後は消滅してしまうという。
「将来を見越して、戦闘種族を無くそうとしていた……そういうことですか?」
「有り体に言えばそうだね。その前に道筋はたてておくつもりだけれども」
ゼウスの結界を解除すれば、天界と魔界の住人の戦争になる。
そもそも天界の住人は、俺たちの持つ支配のオーブが欲しいわけで、そのために人間と手を組むことも考えられる。
ヤマトは色々考えた結果、結界を維持することにし、自分の死後、魔界の住人が迫害されないよう長い年月をかけて、彼らが人畜無害になるよう改造していたのだ。
「はたしてそれで上手くいくのですか?」




