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○???? ゴーラン×2
「それでこれからどうする?」
俺に方策はない。
「そもそもどうやったらここから出られるんだ?」
オレの方も分からないようだ。
現状を確認する。
ここは白いもやが漂う、どことも知れない空間。
どうやって入ったかも分からない。
もちろん抜け出す方法なんて、見当も付かない。
「とにかく移動してみるか」
「そうだな」
俺たちはあてどもなく歩く。
歩く。
そして歩く。
「……なあ、オレ。俺たちかなり歩いたよな。というか、どのくらい時間がたった?」
「さあな。腹も空かないし、疲れない、眠くもならないんじゃ分かるわけがないだろ」
「それでも体感で数日は経っているよな」
時間の経過はよく分からないが、日付が何度か変わるくらいは移動した気がする。
「そうだな。互いに話すことも無くなったしな」
この時間を利用して俺たちは情報交換をした。
だが、そのネタももう尽きてしまった。
いまは黙々と歩いているだけ。
そもそも俺とオレの会話はそんなに長く続かない。
魂は別だというのに、なぜか自分自身と話している気持ちになってくるので、話す必要がなくなってくるのだ。
こういうのは互いに似てくるのだろうか、不思議だ。
「……ん?」
「ああ、気付いている」
先の方で、もやがうねっている。
これまで変化の無かった世界に飽き飽きしていた。
互いに確認することもせず、そこへ向かった。
「これは……穴?」
「穴だな。しかもなんだ? 穴の底は渦を巻いてやがる」
「なんだと思う?」
「出口……じゃなさそうだな」
穴の中は、巨大な洗濯機の渦のように見える。
洗い物の代わりに、白いもやがどんどんと吸い込まれていく。
オレの方がふと思い出したような顔をした。
「この懐かしい感じ、感覚で分かった。あれ、魔界だ」
「魔界? 魔界って俺たちが住んでいるあの魔界か?」
魔界は戦いが絶えない世紀末みたいな場所だ。
洗濯機の中ではない。
「うまく言えないが、ここを通ると魔界なんだよ。オレが分かるだけかもしれん」
「ふむ……オーガ族の魂だと分かることもあるかもしれないな。ということはこの穴が出口なのか?」
「出口というよりも、魔界に行く通り道?」
オレの方は感覚で生きているので、説明が難しいようだ。
「まあいい。ここに飛び込めば魔界なんだな。渦に飛び込むのはぞっとしないけど」
「たぶんな……でもオレを信じるのか?」
愚問な。
「オレの言葉だろ。信じるに決まっているさ」
「この渦だぞ。怖くないか?」
「どうだろう。飛び下りるのは怖いが、それはオレを信じていないからじゃない。純粋に高いところから飛び込むのが嫌なだけだ」
だがこうしていても始まらない。
「よし、オレが先に飛び込む。もし危なそうなら、おまえは飛び込むな。別の方策を探れ。そのときは、身体の方を頼む」
「バカ言え。一緒に飛び込むに決まっているだろ。危なかろうが、危なくなかろうが、俺とオレは一心同体……いや、二心同体じゃないか」
コイツと一緒なら死ぬのも怖くない。
それだけの経験をともに積んできた。
「そうか……なら一緒に飛び込もうぜ、ソウルブラザー」
「おう。生きるも死ぬも一緒だぞ、ソウルブラザー」
俺とオレは肩を組んで、穴に飛び込んだ。
白いもやが粘着質のトリモチみたいになって、身体に巻き付いてきた。
足や胴体……そして頭、顔。
もやに視界が奪われ、俺は遠い昔の夢を見た。
「かっかっかっか……さすがは、あやつの子よの。無鉄砲よのう」
立っているのは道場主だ。まだ若い。
痩身の、ともすると不健康そうな顔と身体だが、その実、肉体は極限まで鍛え上げられている。
道場主は一日中、胴着に袴姿でどこでも歩いていた。
俺が師範になってからは、着流しでゴロゴロしていたので、これはまだ現役だった頃の服装だ。
見覚えのある景色が映った。
祭りの夜店だ。しかも参道から外れた境内のどこからしい。
足下にはテキ屋……っぽいゴロツキかチンピラかヤクザか分からないが、それっぽいのが倒れている。
この場面、完全に思い出した。
テキ屋が子供から小遣いを巻き上げる悪質な連中だと、どっかのガキどもが騒ぎ立てたんだ。
あの頃は何でもありだった。大人も子供も。
ガキの戯言と聞き流せばよいものを、テキ屋の連中も図星だったのだろう。
子供たちを追いかけ回し、次々と鉄拳制裁を喰らわせていた。
たまたま近くにいた俺も巻き込まれ……る前に反撃したら、あえなく返り討ちに遭った。
「そうそう、それが悔しくて、もう一度挑戦して……」
あの頃たしか、俺は十歳にもなっていなかったんじゃなかろうか。
ヤクザまがいの連中に突っかかって、ボロボロにされた。
連中は気を失った俺に追撃をかけようとして、道場主に見つかった。
あとは場面の通りだが、気がついた俺はそのとき初めて、道場主を尊敬したんだ。
それまでは『ぐーたらのだらしないおっさんで、母さんの友人』という認識だった。
それが『すげー強いおっさん』に格上げされた。
あの日から俺は真面目に稽古するようになり……。
「本気でやるなら、俺の内弟子になるか? あれの息子なら、ものになるかもしれん」
よく分からなかったが、俺は二つ返事で了承した。
内弟子になる条件はたったひとつ。
「お前に教えるのは試合で使えない技だ。だから、人前では使うな。使うときは相手を殺すつもりでな」
そんな物騒な条件とともに、俺は道場の中だけでは決して教えてくれない多くものを学んだ。
疑問に思っていた。
俺が習う「どこで使うんだよ!」と思う技の数々。
なんて物騒なものを習わせるんだと、心底不思議だった。
「それがここで生きるとは思わなかったな。塞翁が馬ってやつか」
ありえないほど卓抜した技を持ち、多種多様な秘技を開発した道場主。
本性はぐーたらで、怠け者だが。
俺はその指導のおかげで、魔界で生きてこられた。
「とくに剣は、念入りに教わったっけ」
日本古来の武術からはじまり、どこで振り回すんだと思えるような大剣術。
はては急所を一撃で突くような小剣術。
あそこで習った俺の剣は、今もなお、俺の中で息づいている。
「……ん? 知らない天井だ」
今回は天幕の天井だが、様式美というやつである。
「ゴーラン様、気がつかれたんですね」
耳元で声がした。
「リグか。おまえ……縮んだな」
ちっさくなった。リグがちっさくなった。
「お戯れを。ゴーラン様が大きくなられたのです」
「へっ? 俺?」
上半身を起こしたら、妙に視界が高かった。
ずっと寝ていたわりに身体が軽い。
立ち上がってみると、天幕の天井が低い。
入口も狭くなっている。
「……じゃなくて、本当に俺が大きくなったのか?」
「そうです。急にメキメキと背が伸びて、身体の厚みも増えて、とても驚きました」
リグと比べるとよく分かる。
背が、1.5倍くらいに伸びている。
「俺は……俺は、どうなったんだ?」
「おそらくですが、進化したのかと……ただ、私の知らない身体に進化したようでして」
進化した? 俺が?
そういえば、上位を倒していくうちに進化するって言っていたな。
だが、オーガ族の進化先はハイオーガ族だ。
「腹減った」
そう言った瞬間、腹がすごい音を立てた。
「すぐ用意します」
「頼む。すげー、腹減った。餓死しそうだわ」
「ただちに!」
リグが天幕から駆けだしていった。
さすができる副官である。
そして俺。
「何に進化したんだ?」
そう思ったとき、不意に頭の中にそれが思い浮かんだ。
――素盞鳴尊




